一人客を決して独りで食べさせない焼肉店。

 休日の昼下がり。


 心の中でひそかに『孤高ここうのグルメ家』を自称する、俺――中野智行なかのともゆきは、大勢の客で溢れかえる焼肉店に、たった一人だけで来店していた。


 昼食時だけあって、店内にはカップルや親子連れが目立ち、その人たちの熱気と肉を焼く煙が、一人客の俺を容赦なく包み込んでくる。


 否が応でも感じる孤立感。だが、そんなものに今さら胸中をざわつかせるほど、俺の一人飯歴は浅くない。

 至って平然と、俺は注文した品が運ばれてくるのを、自分の席でじっと待っていた。


 この独りで注文品を待つ“時間”の扱い方も、我ながら上手じょうずになったと感心する。


 三十代後半の会社員で、未だ独身。独りでいるのが、もはや生活習慣の一部になってしまっているからであろうか……。


 ――いや。今はそんなことを思案している場合ではない。


 俺は自称『孤高のグルメ家』。


 敢えて独りで食事を楽しむ主義なのだ。


 ……べ、別に。一緒に食べてくれる人がいないわけじゃないからな!


「失礼いたします! ご注文の品をお持ちいたしました!」


 お。きた、きた。我が愛しのお肉ちゃんたち。


 二十代前半ぐらいの、やけに元気な店員が、俺の厳選した肉が盛られた皿を、手際よく席に置いていく。


 うんうん。どの肉もこちらの食欲をそそる、いい面構えをしているじゃないか!


 それでは早速、焼いていくぞ!


 と、勢い込んでトングを掴んだのだが……。


「いやぁ〜、久し振りだな。お前とこうしてめしを食べるのは」


「……………………」


 肉を配膳してきた、あの若くて元気な店員が、なぜか、本当になぜか、俺の向かい席に腰を下ろし、ずいぶんとフレンドリーに話しかけてきていた。


「……なにやってんの?」


 こちらの至極真っ当な質問に、その店員は、「ハハハ!」と快活に笑うと、


「これは当店限定のサービスだよ。一人客が独り寂しく食事をしないよう、店員が友人役で同席するんだ。さ、肉焼こうぜ! それとも俺がやろうか?」


「いや、肉はこちらで焼くし。それと、友人役で同席するっていう、要らぬお世話丸出しのそのサービスもいらないから。あなたも早く仕事に戻ってくれ」


「なに言ってんだよ! いまこうしてお前と会話しているのが俺の仕事じゃないか。なに遠慮してんだよ!」


「遠慮などしてるか! いいか、きみらには俺が寂しそうに映るかもしれないが、俺は意図的に一人で来てるんだ! 一人で焼き肉を心ゆくまで堪能するためにな!」


「……一人で焼き肉を堪能するって。マジで寂しい人じゃん」


「おい! そこで素に戻るなよ! ここは友人役に徹してツッコむとこだろ! まったく、いい加減な仕事をしやがって! そのせいで思いのほか、心にダメージを受けたじゃないか!」


「いや、ごめんごめん。ついうっかり素の自分が出ちゃったよ! てか、しっかりダメージは受けていたんだね!」


「あぁ、俺も驚いたわ! だが、勘違いするなよ。 それなりの長い年月、独りでいることになんの違和感も感じなかった俺が、きみみたいな若者の本音で傷付いたのは、ほんの気の迷いだ。……ここ、重要だからな」


「わかってるって! お前が出来ることなら関わり合いになりたくない、断トツS級の面倒くさい人間で、正直、俺の手には大いに余るってことは!」


「おい! さりげなく俺のことを面倒くさい人間だって中傷ちゅうしょうしてるじゃないか! 友人役ならもっと良いことを言えよ! さもないと、また気の迷いで傷付くぞ!」


「……人は傷付いて、成長するんだぜ、友よ」


「うっさいわ! 傷付いて成長するのは瘡蓋かさぶただけだわ!」


「……え? 瘡蓋かさぶたは成長じゃなくて固まっていってんだぞ。それを医療用語では結痂けっかって言うんだ」


「ものの例えを、真っ当な医療用語で返すな!」


「まぁまぁ、そうカリカリするなよ。ストレスは心にも身体にも悪いんだぞ」


「そんぐらい知ってるわ!」


「そうか、ならよかった。だったらこれ以上、俺にストレスを加えて、俺の心身に悪影響を与えないでおくれよ」


「客の俺じゃなくて、自分のことを心配してたんかい!」


「それよりも、さすがにもうそろそろ肉を焼こうぜ。『ひと左衛門さえもん』」


「誰じゃい、そいつは!?」


「誰って、お前のあだ名に決まっているだろ」


「小中学校でもあだ名が禁止されているっていうのに、なにそんな世間に逆行して勝手にあだ名をつけてんだよ!」


「いや、より親睦しんぼくを深めたくて」


「親睦じゃなくて、溝ばかりが深くなっとるわ!」


「え〜。もしかして、『ひと左衛門さえもん』というあだ名が気に食わなかったってことか?」


「当然だろ! そんなあだ名をつけられて、喜ぶ人間などおらんわ!」


「そうか……。なら『ひと五郎兵衛ごろうべえ』は?」


「そんなに変わってないから、却下!」


「それなら『ノンフレンド・スリー・太郎』なんてのは?」


「俺は外国人ハーフじゃない! はい、次!」


「だったら『孤立無援状態継続中こりつむえんじょうたいけいぞくちゅうにつき交友関係こうゆうかんけいなしの助氏すけし』はどう?」


「長すぎて舌を噛みちぎってしまうわ! 当然、不採用!」


「ならば『孤狼星ころうせい』ならどうだ!」


「え? なんで急に真面目なあだ名になるの? とりあえずここは流れに沿って失格!」


「こうなったら最終手段だ! 『孤独野郎こどくやろう』ってのでどんなもんよ!」


「もうあだ名じゃなくて、名詞めいしにすり替わっているじゃないか! というかもう止めだ! こんな不毛な話をしていても埒が明かない!」


「え〜。結構楽しかったのに」


「楽しかないわ! とにかく、俺は一人で肉を食べたいんだ。あんたは邪魔だから早くこの席から立ち去ってくれ!」


「そんな冷たいこと言うなよ。俺だって本当は嫌々この席にいるんだぜ? そんな俺の気持ちも少しは汲んでくれよ」


「汲んでたまるか! 嫌々って言うなら、はよ出ていかんかい! 誰も、居てほしいなんて引き止めていないんだから!」


「なに言ってんだ! ここで退席したら、俺が店長にどんな非道い仕打ちを受けるか、わからないじゃないか!?」


「はぁ、非道い仕打ち? なにをまた大袈裟なことを言ってんだ」


「大袈裟じゃない! 先日、別のバイトがこのサービスを担当したら、『友人と食事してる気分になれなかった』って一人の客からクレームが入ったんだ」


「このサービスを受け入れたその客も、なかなかの強心の持ち主だな」


「その営業終わり、クレームを入れられたそのバイトは、研修って名目で、翌日の開店まで、店長に“友人との食事の仕方”を休みなく叩き込まれたんだぞ!」


「……うん。ここの店長は間違いなくイカれてるね」


「店長曰く、この店の真骨頂は、“一人客を決して独りで食事をさせないこと”だと、全従業員に力説しているんだ!」


「……そこは違うよね。ここは焼肉店なんだから、真骨頂は肉の質の良さと、値段の安さにしてほしいよね。そんな一人客にのめり込んだら、少し――じゃなくて、かなりの狂気を感じるから」


「……でも仕方ないんだ。店長がそこまで一人客に注力ちゅうりょくを注ぐのには、それなりの訳があるんだ。そう、あれは店長が俺と同じ大学生だった頃の話だ……」


「おいおい。まさか登場もしていない店長の過去話に、これから突入する気か?」


「金欠が常だった大学生時代、店長は誰も祝ってくれない自分の誕生日を一人で祝おうと、奮発して焼肉店に行ったと言うんだ」


「このどことなく物悲しさを感じる始まり方。これはろくな終わり方をしない臭いが、もうプンプンするな」


「久方ぶりの焼き肉に、店長の気分はかなり高揚していたと聞いてる。でも、この後、信じられない悲劇が起きたんだ!」


「おうおう。かなり盛り上げてくるね。こっちはちっとも興味がないっていうのに」


「お肉を運んで来てくれたバイトの若い女性が、店長の席に頼んだ注文の品を全て置いた後、『ごゆっくりどうぞ』とニッコリと笑いかけたそうなんだ」


「なるほど。至って常識的だな」


「店長はそのバイトの若い女性が、独りでやってきた自分を嘲笑あざわらったと思ったそうなんだ」


「歪んでるねぇ〜。お宅の店長、気持ちがいいほど心が歪んでるねぇ〜」


「その後、店長はお肉を――普通に、美味しく食べたそうだ」


「美味しく食べとんのかぃ〜!」


「その心の傷があるから、店長はみずから焼肉店をオープンして、過去の自分みたいな一人客の悲劇が二度と起きないように、店員が友人役として同席するこのサービスを始めたそうなんだ」


「悲劇なんて起きちゃいない。すべてはお宅のところの店長の異常な被害妄想による勘違いだから」


「だから、だから俺は! この席から離れるわけにはいかないんだ!」


「……まぁ、そうだね。まず俺が言えるとしたら、肉を一枚も焼いていないのに、この店に来たことを後悔してるってことだけかな……」


「そんな褒めるよな、『孤独野郎こどくやろう』」


「褒めとらんし、あと『孤独野郎』という不快極まりないあだ名で呼びな! ――フゥ。仕方ない。そちらの事情もわかったし、このまま同席してくれていいよ」


「本当か! いやぁ〜、さすがは俺の友人だ、話がわかるね! それじゃあ、そのお礼として肉焼いてやろうか?」


「だから、肉は最初から俺が焼くって言ってるだろ」


 ――この後も、俺はこの店員とくだらない言い合いをしながら、肉を焼いて、食した。


 その肉は――とても美味しかった。


 こんなふざけた店など二度と来るものかと思っていたが、気付くと俺は一人で来店する常連になっていた。


 ご、誤解してもらいたくないが、あの店員が友人役となって同席するサービスを、決して、断じて、気に入ったわけではない!


 単にこの店が提供する肉が美味しいからだ!


 そして、一人で来店するのは俺が『孤高のグルメ家』だからだ!


 そこのところを勘違いしないでほしい。


 ほ、本当の、本当なんだからねぇ〜。




―――完―――


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一話完結。コメディ作品集 案山子 @158byrh0067

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