二股でフラれた俺が、公園で不幸マウントおじさんに絡まれる話。

 空が青い。


 雲ひとつないその澄み切った青空は、まるで世界そのものを祝福しているかのように広がっている。


 だが――


 二十歳なりたての大学生である俺――桐生斗真きりゅうとうまの胸の内は、そんな青空とは対照的に、重く、暗く、沈んでいた。


 見上げる空の青さが、ひどく眩しく感じられるほどに。


「……ハァ」


 どんよりとしたため息をひとつ吐き出す。


「……アパートにいても、気が滅入るだけだと思ってわざわざ外に出てきたけど。あんまり意味はなかったな……」


 愚痴ともつかない言葉を独りごちると、俺は何気なく周囲を見回した。


 そこは近隣住民のささやかな日常が息づく、住宅街の児童公園。


 休日の昼下がりだけあって、多くの活発ざかりな子供たちがおり,キャッキャッと無邪気な声を上げ、満面の笑顔を浮かべながら遊具で遊んでいる。


 傍らには子供たちの母親たちが輪になって世間話をしていて、時々笑い声を漏らしながらも、その視線は我が子から離れることなく、常に見守っていた。


 そんな平穏が漂う公園にあって、自分だけが場違いはなはだしいほどにがっくりと肩を落とし、陰鬱な顔をしているのだ。


「……ここは俺が居ていい場所じゃないな。やっぱりアパートに帰ろ……」


 そう呟き、腰を上げかけた、その時だった。


「どうしたんだ、若者よ。そんな冴えない顔をして!」


 不意に声をかけられ、俺はビクッと肩を震わせた。


 振り返ると、そこには見知らぬ四十代ほどの男性が、快活な笑みを浮かべて立っていた。


「え? あの……。どちら様ですか?」


 こちらの問いに、その男性はフッと短く笑うと、


「……そうだな。簡潔かんけつに自己紹介すると、若者の悩みを聞いてあげる、ちょっとお節介な妖精かな?」


「で、どちら様ですか?」


間髪かんはつを入れず妖精の話をスルーされた! ま、まぁ、それはいいとして。わたしは通りすがりのただのおじさんだよ。きみがあまりにも深刻そうな顔をしていたから、つい声をかけたんだ」


「そうだったんですか……。どうやら心配をかけてしまったようですね。でも、自分は大丈夫なので、ここで失礼します」


「まぁまぁ。そう遠慮しないで。悩み事は口にして吐き出したほうがいいから!」


 立ち去ろうとする俺の肩を掴み、男性は強引にこちらをベンチへ座らせた。

 そして、男性もまた当然のように、その隣へ腰を下ろした。


 悩み……。


 確かに、俺はいま、大きな悩みを胸中に抱えている。

 それを少しでも和らげようと、外に出てきて、この公園にやってきたのだ。


 この人の言う通り、少し話してみるのも、悪くないのかもしれない。


「だったらお言葉に甘えて、悩みを聞いてもらってもいいですか?」


「あぁ、もちろん。聞かせてくれ!」


「……実は、俺には彼女がいたんです」


「彼女が?」


「はい。でも、つい先日……別れ話を切り出されまして」


「理由は?」


「二股、でした。しかも俺は二番手で……」


「二股をされていて、しかもきみが二番手か……。それはなかなか堪えるね」


「これからは本命だけと付き合いたい、って。一方的にフラれまして」


「……そりゃひどいな」


「ですよね。だから俺も怒って別れたはずなのに……」


「はずなのに?」


「それでも、まだ彼女のことを忘れられずに引きずっているんです。そんな自分が情けなくて……」


「なるほど。それで?」


「え? それでって……。これで話は終わりなんですけど」


「いやいや。あんな深刻な顔をしておいて、そんな二股による別れ話というにもつかない話で終わりなわけないだろう」


「……ほほぅ。押し売りのように悩みを聞いてやると言っておきながら、まさかその答えが愚にもつかない話と一刀両断ですか……。これはあれですかね。とりあえず、見知らぬおじさんに悩みを打ち明けた自分自身を責めるべきなんですかね」


「責めることなんてないさ! ただ胸中に溜まっている悩みを、すべてわたしにさらけ出せばいいんだよ!」


「だから、すべてさらけ出しましたよ! その結果、彼女とあなたのせいで、二十歳になったばかりでもう人間不信になりかけていますけどね!」


「な、なら、本当にきみの悩みは二股による別れ話だけだというのか……」


 理由なんてわかりたくもないが、おじさんの顔からは先程までの快活な笑みは消え、あからさまにショックを受けているのが見て取れた。


 というか、このおじさん、ちょっと――ではなく、かなりヤバめな人ではないのか!?


「……なんてことだ。これはわたしのとんだ見込み違いではないか……」


「見込み違い? あのね、おじさん。さっきから何言ってるの。もしかして、俺のことをからかってる?」


「からかってる、だと? ふざけるな! それはこちらの台詞せりふだ!」


 おじさんはそう怒鳴り返すと、こちらに詰め寄ってきた。


 ヒェェェー!


 やっぱりこのおじさん、ヤバい人だ!


「二股されて彼女と別れた? その程度のことで、あんな思い詰めた顔をするな!」


「な、なんだよその言い草は! 大好きだった彼女に二股されて別れたんだから、そんな顔だってするだろ!」


「そんぐらいどうってことはないだろ! わたしは……わたしはな……自分が経営する会社の運営資金を、今朝方けさがた、持ち逃げされたばかりなんだぞ!」


「…………え?」


「犯人は共同経営者だった親友だ! それだけでも悲劇なのに、その横領おうりょうには妻も関わっていて、挙げ句の果てに、わたしの妻はその親友に心変りして、一緒に逃避行してるときたもんだ!」


「………………………」


 二十歳の自分。なんて言えばいいのか、わかりません


「どうだ、若者よ! これが、この状況こそが! 人間が切羽詰せっぱつまった顔をしてもいい条件なんだ! 二股で別れ話? ぬるい……ぬるすぎる! そんなんじゃあ、呼吸ができなくなるほど心なんて締め付けられないぞ!」


「……まぁ、おじさんの悲惨な現状は俺にとってはどうでもいいんだけど……」


「わぉ! ドライな反応!」


「どうして俺の悩み事を聞こうと、声をかけてきたんですか?」


「……それは、わたしよりも凄惨せいさんな悩み事を背負い込んでいる人の話を聞いて、僅かでも、わたしより不幸な人がいるんだと知って、気持ちを落ち着かせようとしていたんだ」


「……なるほど。その虫酸むしずが走るほどの腐った性根に、奥さんは三下り半を出したんですね……」


「うるさい! うるさい! うるさい! わたしはなにも悪くないんだ!」


 おじさんはそう喚き散らすと、服装が汚れることも気にせず地面に突っ伏した。


 そしてならしのローラーでも動かしているかのように、ぐるぐると身体を回転させながら、その場を行ったり来たりを繰り返し始めた。


 ……二十歳になって目の当たりにする、壊れた人間の成れの果てが、そこにはあった。


 と――


「あれ、なに……」


「不審者?」


「警察に通報しましょうか?」


 ハッと気付く。


 遠目からこちらを不審げに眺める、お母さん方の視線に。


 「キェェェェっ!」と奇声を上げながら地面を転がり回るおじさんは紛れもない不審者だから問題はない。


 だが笑えないのは、お母さん方が怪しむその視界の中に、俺も入っているということだ!


「ち、違いますよ。俺はこのおじさんとはまったく無関係ですから!」


「その通りだ!」


 俺の弁明べんめい呼応こおうするかのように、転がるのを止めたおじさんがズバッと立ち上がり、お母さん方に人差し指を突きつけ、声を荒らげた。


「わたしとこの若者には、なんの関係性もない! なにせこの若者は、彼女に二股をかけられて別れたぐらいで、この世の終わりみたいな顔をしていた軟弱者なんじゃくものなんだからな!」


「……なんだろ。今のおじさんのありさまを見ていると、確かに、二股をかけられて別れたことなんて、些細なことのように思えてきたよ……」


「わたしは! 信頼していた親友に、会社の運営資金も、妻も、まとめて持ち逃げされたんだぞ! この軟弱者とは、不幸の重さがまるで違うんだ!」


 おじさんの、魂がもり過ぎた主張を前に、お母さん方は我が子たちに帰り支度を急かし、コソコソと公園を後にするのであった。


 そんなお母さん方に便乗びんじょうするように、俺もコソコソと公園から――いや、おじさんから離れようとしたが、


「どこに行こうしてるんだ。若者よ?」


 見つかってしまった!


「な、悩みを聞いてくれてありがとうございました。それじゃ、さようなら!」


「待て、若者よ! わたしともう少し話をしようじゃないか!」


 必死な形相で走って逃げる俺の後を、これまた必死な形相でおじさんが追いかけてくる。


 彼女に二股されて別れた末に、どうして俺は見知らぬおじさんに付きまとわれているんだ!


「若者よ、待ちたまえ!」


「もう勘弁して〜!」


 俺の悲痛な叫び声だけが、住宅街に響き渡るのであった。




―――完―――

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