幸福の使者、来たる?

――それは、突然の出会いだった。


 休日の朝。


 一人暮らしのアパートの一室で、俺――草間渉くさまわたるは思う存分惰眠をむさぼっていた。

 そして十分に寝倒して目を覚ますと、そこには見知らぬ四十代くらいのオッサンが、さも当然のように立っていた。


 突然のオッサンの登場に、驚いて石像のように固まる俺に、その当のオッサンが平然と声をかけてきた。




「やっと起きたか。随分ずいぶん寝坊助ねぼすけだな、お前は」


「え? その……。どちら様ですか?」


「俺か? 俺はあらゆる人間に幸福を授ける『幸福の使者』だ」


「『幸福の使者』!? それは凄い! だったら早く警察を呼んで、不法侵入で逮捕してもらわないと!」


「待て待てぃっ! お前、絶対俺のこと信じてないだろ!」


「そりゃそうでしょう。今のご時世に『幸福の使者』だなんて、子供だって騙されないぞ。さて、さっさとスマホで警察に通報しよっと」


「ほんとにいいのか? 警察なんかに突き出して。『幸福の使者』の俺と会える機会なんて、もう二度とないんだぞ!」


「いや〜、警察に通報するのは初めてだから緊張するな。ちゃんと上手く話せればいいけど」


「……あ、あの。すいません。マジで警察に通報するのだけは勘弁してもらえませんか? あの方々が関わると、話がややこしくなってしまうので……。それと、ほんとうに俺は『幸福の使者』なんですよ。信じてもらえませんか?」


「信じられるわけないだろ。それにそもそも、どんな幸福を俺に授けてくれるって言うんだ?」


「なんだ? 急に興味出してきたな。関心があるなら、最初からそんな素直な態度をとっていればいいんだよ」


「えーっと、スマホはどこに置いていたっけかな」


「すいません。つい調子に乗ってしまいました。許してください」


「うん、わかればよろしい。で、どんな幸福を授けてくれるんだ?」


「寝起きがすこぶる良くなるとか」


「……寝起きは今でも良いんだが」


「肩こりや腰痛が改善するとか」


「……肩こりも腰痛もないんだが」


「幸福は授けられるものじゃなく、いま目の前の中で自分自身が見つけるものだと、こんこんと語るとか」


「幸福を授けにきた張本人が、授ける行為を全否定するような前代未聞ぜんだいみもんの考え方を持ち出すな! それと、さっきから言ってる幸福すべて、オッサンのような中高年層向けのラインナップになってるじゃないかよ!」


「……誰もが皆、年をとるんだぜ……」


「しみじみ言うな! それに俺はまだ二十歳はたちなんだから、それに見合った幸福を授けてくれよ!」


「二十歳に見合った幸福ねぇ……。わかった。なら、健康がいかに大切なことなのかじっくり語って、健全な身体がどれだけ幸福であるのかをみっちりと教えてやるよ」


「そんな押し付けがましい幸福講義こうふくこうぎなんて誰が欲しがるか! てかそもそも、どうしてオッサンは俺のところに来たんだよ!」


「そんなの決まってるだろ。運命だよ」


「……本当は?」


「……人目に付かない場所で、施錠がしてなかったからです」


「やってることは空き巣と変わらないじゃないか!」


「おいおい。俺をそこらの空き巣と一緒にしないでくれよ。なんたって俺は、いま都市伝説界隈で一番の注目株として人気を集めている、あの『幸福の使者』なんだからな!」


「……聞いたことがないんだけど『幸福の使者』なんて……。まぁ、それはそれとして、オッサンは俺以外の人にも幸福を授けたことはあるのか?」


「当然あるに決まってるだろ!」


「ほんとか? いったいどんな幸福を授けたっていうんだよ?」


「プライバシー保護のため名前は伏せるが、ここから徒歩十分の、メゾンアマススというアパートの203号室で一人暮らしをしている二十六歳の女性に、つい一週間前、ちゃんと幸福を授けてやったぞ!」


「全然プライバシー保護になっていないぞ! とツッコみを入れるのは無粋ぶすいだから止めておくとして。いったいどんな幸福を授けてやったんだ?」


「うむ。まずは睡眠の質を良くして」


「お。さっきもほぼ同じようなことを聞いたような気がするけど、ここは寛大な心でもう少し話を聞いてやろう」


「目の疲れと足元の冷えを若干和らげ」


「うんうん、そうだね。これはもう方向性が完璧に決まっているね。最後はなんだ、なにをこんこんと語るんだ?」


「先日の宝くじで、一等と前後賞をまとめて当てさせてやったぞ」


「語らないんか〜い! そして宝くじを当てさせているんか〜い!」


「ふふふ。どうだ、これで俺が『幸福の使者』だと信じる気になったか?」


「いや、冷静になれ。宝くじが当選したのは、別にこのオッサンのおかげではなく、単にその女性の運が強かっただけなのかもしれない」


「まったく、お前はどうしてそう疑い深いのかねぇ……」


「ていうか、そもそもオッサンは何者なんだよ? どうして縁もゆかりもない俺に幸福を授けようとしているんだよ」


「悪いが、俺の正体についてはなにも答えられないんだ」


「……まぁ、そうだよな」


「俺が売れない画家で、七十過ぎの親からいまだ小遣こずかいをもらい、毎日の日課が自販機の下に落ちているかもしれない小銭探しで、高校生の甥っ子にまで借金しているだなんて、そんな情けないこと言えるわけないだろ……」


「……そうだな。答えないと言いつつも答えるという従来じゅうらいのボケが、まさかこんな重い話になるなんて……。世の中、聞いてはいけないことって本当にあるんだな……」


「でも、どうして俺が幸福を授けようとしてるのかは言ってやるよ。信じる信じないかは、任せるけどな」


「わかった。さっきの世知辛せちがらい話を脳内から締め出すためにも、早く話を進めてくれ」


「売れない絵に囲まれた自室で、生きる希望もなく、なぜか人里離れた山間部にかかる架け橋をスマホで調べている最中に眠りに落ちた夢の中で、七福神が現れたんだよ!」


「前半の不穏な話は綺麗に聞き流して。え? 七福神って、あの宝船に乗っている、あの神々のことが?」


「あぁ、その通り! その七福神さ! そして俺に告げたんだよ『このまま山間部の架け橋に赴いて散るよりも、人々に幸福を授けなさい』ってな!」


「くぅー! 七福神様! 伝えるのもはばかれるあの行為を『散る』っていうオブラートに包んだ表現にしてくれてありがとう! その大人な対応、俺は好きだな!」


「七福神はさらにこう告げたんだ。『人々に幸福を授けるのなら、我々の神通力を貸し与えましょう。そして、多くの人々に幸福を授け終わった暁には、あなたにも我々から幸福を授けましょう』とな!」


「なるほど! 信じる信じないかは一旦置いといて、とにかくオッサンが架け橋に行かず、今こうして元気な姿を見せてくれてることに、俺は胸をなで下ろしているよ!」


「とまぁ、そんなわけで、俺は人々に幸福を授け回っているのよ!」


「なるほど。オッサンが半端はんぱなく胡散臭い人物だということが、よくわかったよ!」


「いや、まるでわかってないだろ! ……とはいえ、こんな突拍子とっぴょうしもない話を信じろというのも、無理な話だろうけどよ」


「それなら、その七福神から貸し与えてもらったっていう神通力を見せてくれよ。それを見せてくれたら、オッサンの話を信じてあげるから」


「それは無理だ! 俺自身もどうやって神通力を出しているのか、まったく分かっちゃいないんだからな!」


「はい、終了〜! オッサンの話は見事に与太話よたばなしと断定しました! これより、妄想癖もうそうへきに取り憑かれた哀れな中年男性を現実世界に連れ戻すため、警察に通報しま〜す!」


「だから警察だけは勘弁してくれ! たしかに神通力の出し方は皆目見当かいもくけんとうもつかないが、それでも肩こりや腰痛、目の疲れや足の冷えで悩んでいた連中は俺の神通力でちゃんと良くなったし、それに宝くじだって当てさせてやったんだぞ!」


「それ、オッサンの神通力のおかげじゃなくて、ただの偶然でしょ? オッサンが勝手に自分の力だと思い込んでるだけで」


「……もしかしてお前。特別な存在である俺に嫉妬して、そんな嫌味なこと言ってるのか?」


虚構きょこうと現実の区別もつかない中年が、嫉妬なんて大層たいそうな言葉使うな! もういい! これ以上オッサンに時間を取られるのもバカらしい。警察には通報しないでやるから、さっさと俺の部屋から出てってくれ!」


「なに言ってんだ。俺はまだお前に幸福を授けていないぞ」


「オッサンが出て行ってくれることが、俺の幸福なんだよ! さぁ出てけ出てけ!」


 そう怒鳴りつけると、俺はオッサンの肩を掴んで玄関へとぐいぐい押しやり、薄っぺらいドアを乱暴に開けて、その勢いのままオッサンの身体を外へ押し出した。


 そしてドアを閉めるとすぐに鍵をかけ、ようやく平穏を取り戻した部屋で、俺は深くひと息をつき、


「まったく。世の中には変なオッサンもいたもんだ」


 と、ぽつりと呟くのであった。



 ――後日。


 俺がぼんやりと夜のテレビニュースを眺めていると、新進気鋭の画家という肩書きとともに、あのオッサンが大々的に紹介されていた。


 あんぐりと口を開ける俺の前で、画面の中のオッサンは、七福神に頼まれて人々へ幸福を分け与え、その見返りに自分も幸福を授かった。そのおかげで今の売れっ子画家になれたのだと、得意げに語っていた。


 ――てか、あの話って本当だったんですか!?




―――完―――


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