第23話 天正遣欧使節 ~ ヴァリニャーノ ~
一五八二年一月、長崎。
ヴァリニャーノがカブラルたちと準備していた遣欧使節団の計画が、正式に発表された。使節団メンバーは有馬(長崎県)のセミナリオの成績上位者から選抜すると、生徒が所属する各大名には通達してある。各大名家では、誰を使節団として出すか話し合いが続いている。
「出発まであと少しですね、ヴァリニャーノ様」
「そうだな。信長様より屏風をいただいたのが昨年の七月か……。やっと、日本人の使節団をヨーロッパに連れていくことができる」
「安土から九州に戻るのも、大変でしたからね」
信長様からいただいた屏風は、当代一といわれる狩野永徳が率いる狩野派の作だ。屏風の噂はまたたく間に広まり、私たちが滞在する修道院には屏風を一目見たいという民衆が押し寄せた。京都や堺など途中の宿泊地では、修道院や教会を開放して屏風の展覧会を行わざるをえなかったのだ。
「宿泊するごとに展覧会を開かなければ、もう少し早く九州に到着できたのだが」
「いや、あの熱狂っぷりはすごかった。展覧会開催を拒否したら殴り込んできそうでしたからね……。あ、そういえば、堺でヴァリニャーノ様は気がつきました? ほら、あの前回到着時に店先の棚を壊してしまった――」
そういえば、そんなこともあったな。私は、一年前の出来事を思い出した。
京都に向かうために堺の修道院から町の外まで移動するときには、高身長の私と黒人のカーデクを一目見ようと道の両側に見物客がずらっと並んでいた。私たちが狭い路地を通り抜けようとしたとき、後ろに下がろうとした見物客がよろけて店の陳列棚を壊してしまったのだ。
「あの時は店主に頼まれて店の壁をさわったが、あの店に何かあったか?」
「ヴァリニャーノ様がさわったところに印がつけてあって、『高身長の宣教師はここまで手が届いた』って書いてありましたよ。町でも話題の店になったみたいで」
「ははっ、あのとき店主が壁をさわってくれと言ったのは、そんな意図があったのか。てっきり日本の風習で何か意味を持つ行動だと思っていたが」
「あの一瞬で商売のネタになるって判断したのはすごいですね」
「ああ、さすがは『東洋のベニス』の商人だな」
「ここにいたか、使節団のメンバーが決定したぞ」
カブラル様が書類を片手に会議室に入ってこられた。カブラル様は日本布教区の責任者であったが、私たちと一緒に日本を離れマカオに赴任することが決定している。
「セミナリオの生徒の成績上位者から選出するという話でしたが、どうなりましたか?」
「おおむねは予定通りだ。ヨーロッパまでの航海には危険が伴うからな。本人のやる気と、各家の跡取り問題などを考慮した結果、この四名となった」
私はカブラル様より書類を受け取った。使節団メンバーは、大友宗麟の名代 伊藤マンショ、大村純忠の名代 千々石ミゲル、大村家臣団の子息より中浦ジュリアンと原マルティノ、この四名だ。セミナリオでの成績を確認したが、使節団メンバーに選ばれるだけあって四名とも申し分ない。特に語学習得能力の高さには驚いたと講師からの評もある。
「この成績なら安心ですね。一年後には彼らをローマ教皇の前に連れていけるとは……」
「いや、もう少し時間はかかるかもしれないぞ」
「え?」
「ほら、我らもヨーロッパからインドに赴任したときは、気候の違いで体調を崩しただろう」
「あ、そういえば……」
「それに、日本人は長期間の航海には慣れていない。無理して移動を続け途中で亡くなるようなことになったら、元も子もないぞ」
「そうですね、焦りは禁物でした」
宣教師の中でも、ザビエル様をはじめ慣れない地で病に倒れ亡くなった方が何人もおられる。気候の違いを甘く見てはいけないのだった。使節団を成功させるという目的のためにも、焦りすぎないよう肝に銘じよう。
「ところで、カーデクの様子については連絡は入っていないのか?」
長崎に戻った当初、カーデクが信長様の家臣となったことを知ったカブラル様は随分心配された。私も、危険なことはさせないで欲しいと信長様にお願いしたとはいえ、いつ争いが起こるかわからない地に残してきたので心配だった。
「先日京都より届いた書簡によると、昨年十月の伊賀の乱では戦後の視察に同行したそうです。その後は週二回の乗馬練習を命じられたとか」
「ん? 宣教師が直接カーデクに聞いたのではなく、伝聞なのか?」
「はい。信長様の家臣となったカーデクには、宣教師といえども簡単には会えないので、安土の民衆の目撃情報をもとにした報告です」
私の話を聞くと、カブラル様は考え込まれた。とくに問題のない情報だと思ったが、何がひっかかったのだ……?
「なるほど、カーデクを囲い込んだか……」
「え?」
「我らが日本人と話すときは、当然だが都合の悪い部分は日本語訳を省くか内容を変える。それは、ヴァリニャーノ様たちもやってきたことだろう?」
「あ、はい。それは当然です」
「だが、カーデクが信長様の家臣となり、ポルトガル語を従者に教えている。その従者が教会の下働きとして入り込むとしたら……。今までポルトガル語で会話していればわからないはずだった宣教師間の会話も、日本人に筒抜けになる可能性がある」
「ま、まずいですよ。ヴァリニャーノ様。京都の宣教師たちは布教が上手くいってるからって調子に乗ってましたよ。何か余計なことを話しかねない……」
マルコが青い顔をして話しかけてきた。私は、講習会に参加した宣教師たちの顔を思い浮かべた。京都での布教が成功しているので、みな自信に満ちた顔をしていたが……。
彼らが何かしでかすんじゃないかと不安になってきた。でも、今からできることはあるのだろうか。
「講習会で布教の指針も伝えたのだし、ヴァリニャーノ様はやるべきことはやった。後は、オルガンティノが何とかするだろ。」
カブラル様、いくらオルガンティノ様と犬猿の仲だからって、そんな悪い笑顔を浮かべないでください。余計に不安になります……。信じてますよ、オルガンティノ様……。
こうして一抹の不安を抱えつつも、私たちは使節団とともに長崎の港を出港した。
二月、私たちを乗せた船は中国マカオへと到着した。
マカオでは、ミケーレ・ルッジェーリとインドより到着したマテオ・リッチが中国語習得にはげんでいた。
「お久しぶりっす、ヴァリニャーノ様。あの、この子たちは?」
「ああ、この四人は日本人の遣欧使節団としてローマに向かう。皆、こちらはミケーレ・ルッジェーリとマテオ・リッチだ。中国語を習得するための指導をしている」
「よろしくお願いします」
「え、君たちポルトガル語を話せるの?」
「はい、有馬のセミナリオでポルトガル語とラテン語を学びました」
「すごい、発音もきれいだ。頑張ったっすね~」
「はい。ありがとうございます」
礼儀正しい四人の様子に、ルッジェーリたちも感心いている。なかなか、いい反応だな。これなら、ヨーロッパでも四人は受け入れられるに違いない。
「―― というわけで、中国語を習得するために勉強してるっすよ。ちなみに、四人は中国語を話せたりは?」
「えっと、できないです」
「まぁ、そっすよね~。そう上手くはいかないか……」
「でも、意味ならわかりますよ」
「え、ど、どういうこと!?」
四人の返事には私も驚いた。四人を代表してマンショが説明してくれた。武士の家では、兵法を勉強するために日本語の本に加え「孫子」や「呉子」など中国語で書かれた本も用いるそうだ。だから、中国語の文章を読み取ることができるらしいが……。
「え? ちょ、ちょっと待って。じゃあ、この文の意味はわかる?」
「これはですね――」
マンショは、ルッジェーリが指さした中国語の文章を、すらすらとポルトガル語に翻訳してみせた。なんということだ。日本では武士が支配者階級とはいえ、異国の書物である中国語の本を読めるほどの知識を持っているとは――。
「え、ほかの三人も読めるっすか」
「はい。小さい頃から兵法は勉強してきましたから」
「すげぇ……。あ、あのヴァリニャーノ様、この子たちはいつインドに旅立ちますか? マカオにいる間、中国語習得の勉強を手伝ってもらうことは?」
たしかに、マンショたちに協力してもらえば中国語の文章の意味はすぐにわかる。あとは、中国人から発音を教わるだけでよいのだから、中国語習得の効率も上がるだろう。
「インドへ行くには、風を待たなければいけない。なので出発は次の冬頃になる予定だ。では、マンショ、皆、マカオにいる間、ルッジェーリたちの手伝いをしてくれるか。皆にとってもポルトガル語の会話練習になるからな」
「はい、わかりました」
これは思わぬ収穫だな。四人の協力があれば、中国語の習得速度も早まるだろう。マカオ出発までの約十か月間、有意義に過ごせそうだ。
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