第29話 今と昔


 バチバチと木が燃える音がした。火の熱が身体に伝わってきて僕の体をじんわりと温めている。目を開くと少し離れた場所に焚き火があった。


 僕は地面に寝かせられていた。周りは木々に囲まれていて、森の中であることが容易に想像できた。視界を確保しようと立ち上がろうとするが、身体が思い通りに動かない。手足が縛られていて、身体をよじることしかできなかった。

 なんとか反動をつけて身体の向きを反転させると、そこには木にもたれて座るフェイルがいた。


 フェイルは本を読んでいた。読書をする彼の顔には胡散臭い笑みは無い。どこか昔を偲ぶような優しさと寂しさを感じる。演技で作った顔ではない、彼の素顔がそこにあった。


「おはよう、ヴィック君」


 僕が起きたことに気づいたフェイルは本を閉じて地面に置き、あの胡散臭い笑みを浮かべた。


「ちょうど良い頃合いに起きてくれたね。狙ってたのかい?」

「フェイル……」

「あぁ……前みたいにフェイルさんって呼んでくれないんだね。残念だよ」

「呼ぶわけないでしょ……」

「そうだね、それが普通だ。結構結構……さて」


 フェイルは立ち上がり、僕の方に歩いて来る。僕の顔の前に着くとしゃがみこんだ。


「僕に聞きたいことがあるんじゃないかな?」


 心を見透かされた気分になる。だがすぐに、それほど凄いことでもないことに気づく。他の人が僕と同じ状況になっても、誰でも情報収集を目論むはずだ。

 僕は心を落ち着かせてから、フェイルに尋ねた。


「あのあとから、今に至るまでの経緯を教えてください」

「いいよ」


 フェイルはあっさりと首肯する。「いい時間潰しになるからね」とも言った。


「時間潰しって……」

「そう、この後のイベントまで時間があるからね。さて……」


 そう言って、フェイルは語り出した。




 僕が手紙を拾った後、フェイルは潜ませていたモンスターを使って僕を襲った。モンスターは天井に張り付いてて、僕に気付かれたことをきっかけに強襲したようだった。

 モンスターの攻撃で頭を地面に打ち付けた僕は、そこで意識を失った。ミストがすぐに助けようとしたが、先にモンスターが僕を連れて行き、フェイルの下に届けたそうだ。そして僕は人質にされた。

 そのときにフェイルが、ミスト達に言ったそうだ。「彼の命が惜しければリンに伝えろ。明日の朝9時、テノグア山に一人で来い」と。そしてミスト達の返事を待たずにその場を去ったという。それが昨日の事だ。


 そして今、フェイルは指示したテノグア山に来ていて、ここで焚き火をしながら読書をして待っていた。


「焚き火をしてるのは、リンに場所を教えるためさ。彼女の足だと、あと10分くらいで来るはずだよ。ざっくりと話したけど、分かったよね?」

「僕を人質に選んだ理由は何ですか? 他にも人質として使えそうな人はいるはずです」

「一番釣れやすそうだったからさ。君なら僕の罠にかかってくれるし、餌としても使えるからさ。リンを釣る餌に、ね」

「罠?」

「昨日の一騒動、あれは僕の仕込みだよ。良いチンピラっぷりだったでしょ? ノイズ君」


 なるほど。あの時点からフェイルの思惑通りに進んでいたという事か。

 しかし、それだとクラノさんもフェイルの仲間になるのか?


「クラノさんも仲間ってことですか?」

「ん? あぁ、彼は違うよ。彼はハイエナを嫌ってただけの、至って普通の冒険者さ。利用できそうだから利用しただけ」

「そうですか……」


 僕は安堵の息を吐いた。クラノさんは僕を認めてくれた人だ。敵であって欲しくない。


「けど、彼も良い仕事をしてくれたよ。君を七階層に送り込んでくれたし、僕の頼みも聞いてくれた。きっと今回の事で素晴らしい評価を得るに違いない」


 フェイルの口調はどこか怪しげだ。言葉とは真逆の事が起きる。そんな予感を感じさせた。


 クラノさんは意図していなかったものの、フェイルに協力してしまった。そのことで冒険者ギルドから何か罰が与えられるかもしれない。彼の現状は以前の僕と同じだった。怒りで頭が熱くなる。

 どうにかしてフェイルに一泡吹かせたい。そう思って、言った。


「そう上手くいきますかね」


 フェイルが不思議そうな顔で聞き返す。


「どういうことだい?」

「リンさんが本当に、一人でここに来るのかってことです」


 あの人は冷静で、冷淡だ。きっちりと仕事をこなすがその態度は淡々としていて、感情を見せずに物事を対処する人だ。不要なことは一切せず、常に損得の天秤で物事の優先順位を量って行動をする。

 そんな人が、フェイルの言う通りに一人でここに来るだろうか。


 周囲が木に囲まれた視界の悪い森の中。どんな罠が待ち受けているか分からない。しかも人質になっているのは、ハイエナと呼ばれる底辺冒険者の僕だ。人質としての価値は無い。


「僕はあなたとの一件で、リンさんに失望されてます。そんな冒険者のためにあのリンさんが、こんな何があるか分からない森の中に、単身で来るとは思えません。きっと大人数であなたを捕まえに来ます」

「それだと君が痛い目を見ちゃうけど?」

「僕の命とあなたなら、リンさんは後者を取ります。あなたを放っておいたら、また被害者が出ますから」


 言ってて悲しくなったが、そういう未来があっても可笑しくないと思えた。

 僕一人の命と、将来有望な冒険者達の安全。リンさんならどちらを取るか。その答えは明白だ。


「あなたは色々と企んでるみたいですが、こんな作戦を立てたために無駄に終わります。残念でしたね」


 精一杯の挑発だった。これで怒りでもして、隙を見せてくれるのではないかと期待した。もしかしたら起死回生の手を打てるかもしれないと。


 フェイルは僕をじっと見ていた。顔から笑みは消えている。案外僕の言葉が効いたのかもしれない。そうだ、怒れ。そして隙を見せろ。

 しかしフェイルは怒るどころか、くつくつと声を上げて笑った。次第に声が大きくなり、最後に大声で笑う。


「いやー……笑ったよ。笑えた。うん。こんなに笑えたのは久しぶりだよ……あぁ、なかなかいい気分だ。やはり人間は、笑うのが一番の薬だよ。ヴィック君も少しは笑ったらどうだい? そんな幸が薄そうな顔しないでさ」

「……顔の事は言わないでください。それより何が可笑しいんですか?」

「何が可笑しい? その質問自体が可笑しいよ」

「ちゃんと答えてください。暇なんでしょ」

「おっと、そうだね。暇つぶしに始めた質問タイムだった。付き合ってくれてるお礼にちゃんと答えてあげないとねぇ。……と言っても、やはり君の言ってることが可笑しかったから以外に可笑しい理由なんて無いからね」

「どこがですか?」

「君のリンに対する評価全てが、さ」


 フェイルは地面に座り、また胡散臭い笑みを見せる。


「君はリンを賢くて、冷淡で、容赦ない人間だと思ってる。けどそれは間違いだ。むしろ真逆の性格さ」

「真逆?」

「そう。彼女は単純で、親切で、情の深い人格だ。それが表に出ることはほとんどないけど、昔から居る冒険者は皆知っている。そして、彼女がここに来るという根拠がそれだ」

「……今の話とどういう関係があるんですか?」

「リンが冒険者ギルドの職員になったのは、権力を得ることでも、将来有望な冒険者に投資することでもない。君みたいなそこら辺にいる凡庸な冒険者達を助けるためさ」


 驚きのあまり、声が出なかった。

 リンさんの功績は、度々耳にしていた。冒険者達の生存率を向上させたとか、警備隊を結成して治安を良くしたとか、冒険者への評価を上げたとか。聞こえてくるのは、彼女の功績を讃える言葉ばかりだった。


 リンさんの事は凄いと思っていたし、羨ましいとも思っていた。だがそれらの実績を為すには、多くの努力が必要だったはずだ。

 一度、深夜遅くに冒険ギルドの近くを通ったことがある。そのとき、ギルドから出てくるリンさんの姿を見た。おそらく、夜遅くまで仕事をしていたのだ。日中も仕事尽くしのはずなのに、どうしてそこまで頑張れるのか。その理由に興味を持ったことはあった。


 富を築いて大金持ちになりたいのか。名声を集めて権力者になりたいのか。庶民を助けて英雄になりたいのか。それとも有力な冒険者を集めて、マイルスを更に有名にしたいのか。

 様々な想像して、虚しくなった。リンさんは僕とは違う世界を生きている。彼女の頑張る理由なんて理解できるわけがない。知ったとしても共感できるとは思えない。そんな風に勝手に決めつけていた。


 だからこそ驚愕した。リンさんを突き動かす原動力が、まさか僕みたいな冒険者を支援するためだったなんて……。


「それは……本当ですか?」

「あぁ、事実さ。彼女に近しい人なら誰でも知っている。そんな彼女が君を放っておくわけがない」


 フェイルの言うことが事実なら、その理屈は正しい。僕を助けるために、一人でここに来るだろう。

 けど、何でだ?


「何でリンさんは、そんな理由で副局長になったんですか?」


 平凡な冒険者達を助ける。それを続けるのには大きな労力が必要だ。

 ミストやソランさんのような、有力な冒険者に投資するのならば見返りが期待できる。冒険者ギルドの看板に祭り上げれば、多くの冒険者を集める宣伝役になるであろう。


 だが、普通の冒険者にはそれが期待できない。一人一人の冒険者がもたらす利益は少ない。そのうえ強者でも無いため死にやすい。だからせっかく育てても、それが無駄になる可能性が高い。人が増えればそのようなリスクも分散できようが、それまで耐えるほどの体力がもつかどうか。どちらにせよ、投資対象としては魅力は薄いはずだ。

 にもかかわらず、リンさんは彼らを支援している。そこにどんな理由があるのか、知りたかった。


「まぁ気になるよね。それはね―――」


 フェイルが語り出そうとしたときだった。

 遠くで鳥が鳴く。ガァガァといううるさい声が三度ほど聞こえた。


 鳴き声が止むと、フェイルは立ち上がって声がした方に視線を向ける。


「暇つぶしは終わりだね」


 次に足音が聞こえた。土をこする音が徐々に大きくなる。音が近づくにつれ、それが一人分の音だと分かった。

 足音の主が、姿を現す。


「ほら。来てくれたでしょ」


 リンさんを見て、フェイルは言った。

 彼女は、以前見た装備を身に付けている。腰に提げた刀の鞘に左手を添えたまま、僕達の方に歩いて来る。


 リンさんの顔は、氷のように冷たかった。目を尖らせてフェイルを見ている。表情に乏しい彼女だが、その顔は明らかに怒っている顔だと僕は察した。


「約束通り、一人です。彼を解放してください」


 リンさんの周囲に人の姿はない。人の気配も感じない。言葉通り、一人で来たようだ。


「そうみたいですね。良いですよ、解放します。けど、もう少し待って頂きたい」

「わたくしは約束通り一人で来ました。それ以外に何を望むのですか?」

「あなたの時間ですよ」


 フェイルは遠くの空を見上げる。その先には何もなく、雲が浮かんでいるだけだ。


「折角だ。なんで僕があなたをここに呼び出したのか、それを教えてあげますよ」

「先に彼を解放してくれるのなら、聞いてあげてもかまいません」

「そう言わずに。少しだけですから」


 リンさんは黙ってフェイルを見続ける。それを肯定と見做したのか、フェイルが「さて」と話し出す。


「僕はね、冒険者が嫌いなんですよ」


 フェイルはそう言い放った。


「自分勝手で、傲慢で、我儘で、無責任で、怠慢な冒険者が大嫌いなんです。彼らを見ているだけでも虫唾が走る。この世から一人残らず消え去って欲しい。欠片も痕跡を残さず死んで欲しい。そう思えるほど嫌いなんです」


 子供のような言い分を、フェイルは笑顔のまま吐き出している。表情からは胡散臭さしか見れないが、なぜか彼の言葉からは強い感情を感じ取れる。ちぐはぐな態度に、どれが真実なのか分からなかった。


「五年前の襲撃以降、マイルスの冒険者は減少傾向にあった。残った冒険者も生活が苦しそうで、いい気味だと思いましたよ。このままなら、遠くない未来に冒険者はいなくなると。……あなたが副局長にならなければ」

「……わたくしを潰すことが目的ですか?」

「そうだ。ソランの陰に隠れてるが、あなたがマイルスの冒険者達の土台だ。あなたがいなくなれば、昔のような夢も希望も持てない冒険者が増える。そして後悔するんだ。冒険者になったのは間違いだったと。そして今日、それが切っ掛けとなる日になるのさ」

「……どういうことですか?」

「そうだなぁ……うん。やっと始まったみたいだ」


 フェイルがまた遠くの空を見上げる。釣られて僕も視線を向けた。その先には、一本の緑色の煙が垂直に伸びていた。


「あれは……」


 リンさんもそれを見つける。彼女の問いに、フェイルが答えた。


「合図さ。計画を実行したという、ね」

「……まさか」


 リンさんの眼が大きく見開く。フェイルはにやりと笑った。


「あの煙の下には、この国で有名な大商会が率いる馬車隊がある。それだけじゃなく、あなたがあの馬車隊の護衛依頼で集めた冒険者達も」

「護衛依頼って……」


 嫌な予感が頭をよぎる。昨日の記憶が呼び起こされた。


「あぁ、そういえば居るんだっけ? 君のお友達の冒険者達が。ミストちゃん、だよね?」

「その馬車隊に何をするつもりなんだ?」

「するつもりじゃない。したんだ。あの煙がその合図だ。モンスターを使って襲わせたっていう、ね」


 何を言ってるのか、訳が分からなかった。モンスターで襲わせる? 馬車隊を?


「冗談、でしょ?」


 信じたくなくて、嘘だと言って欲しくて、フェイルに尋ねた。

 だがフェイルは、薄ら笑いで言い切った。


「モンスターを襲わせた。商人を運ぶ馬車隊と、護衛する冒険者達を。しかも護衛の面子では到底守り切れない程の数と強さを持つモンスター達を用意している。勝つ見込みは万が一にもない」


 絶望で言葉を失った。

 大量のモンスター。それがミストが守る馬車隊を襲う。しかもフェイルの言う通りだと、かなり強いモンスターがいるということだ。果たしてミストが無事に生きて帰れるのか?


 否。無理だ。

 彼女は病み上がりだ。本調子ではない。仮に絶好調だとしても、ミストはまだ下級冒険者だ。上級モンスターを用意されたら勝ち目がない。

 つまり……


「ふざけるな!」


 怒りのあまり、叫んでいた。


 フェイルが冒険者を襲うのは、子供じみた理由だった。嫌いだから、気に食わないから、そんな感情で人を傷つけた。まるで現実で思い通りいかない、子供の癇癪のような振る舞いだ。


 こんな奴に僕は騙されたのか。こんな理由で彼女を失うのか。


「嫌いという感情だけで、そこまでできるのですね」


 リンさんの言葉に対し、フェイルが鼻で笑う。


「それが僕の原動力だからね。どう? 失望した? 追っかけていた敵がこんな小物で」

「いえ。ただ悲しいだけです」

「悲しい?」

「はい」


 リンさんは、凛とした顔をして言った。


「かつては御伽噺の冒険者になるを夢見たあなたを、こんな風にしてしまった、わたくし達の至らなさに、です」


 途端に、フェイルの胡散臭い笑みが消えた。その顔には動揺の色が浮かんでいて、心底驚いている風に見える。


「何を言い出すかと思えば昔話ですか……。そんなの冒険者になった少年なら、誰だって憧れる他愛のない夢です。僕もその一人だ」

「いえ。あなたは本気でなろうとしていました。だからこそ、あなたは怒っているのです。自分を裏切った英雄と、無謀な挑戦をする少年に」

「怒る? 僕が? こいつらに? なんでだよ?」

「英雄には、自分の夢を壊されたことを。少年には、昔の自分を見ているようで嫌になるから」

「……妄想だ。あなた、職員なんかやめて作家になりなよ」

「あなたも本当は目指したい。また冒険者として生きていきたい。だけどそれができない。なぜなら、申し訳ないからです」

「誰に? 何を申し訳なく思ってるって? 僕は一人だ。そんな相手なんか――」

「貴方の本気を笑わずに協力してくれた仲間に、です」


 静かな空気が張り詰める。まるでここだけ時間が止まったかのような静寂が訪れる。

 リンさんは真剣な眼でフェイルを見つめている。それに対し、フェイルは冷たい表情を浮かばせていた。その顔は初めて見る顔だった。


 沈黙を破ったのは、フェイルだった。


「人の上に立てば変わるもんですね。自分にしか興味の無かった自己中女が、こうも人に関わって来るなんて、思いもしませんでしたよ」

「わたくしもそう思います。けど、人の上に立てばそうは言ってられません。やりたくないことも苦手なこともしなければなりません」

「そうかい。じゃあ、辞めたくなるようにしてあげるよ」


 そう言ってフェイルは武器を抜いた。形は刀と同じだが刀身が短い。小太刀と呼ばれる武器だ。


「ヴィック君を解放してあげる話は無かったことにしよう。人質を殺され、冒険者を助けられない。そんな無能な職員に、君を仕立て上げようじゃないか。そうすれば多くの冒険者は君に疑心を抱く。こんな副局長で良いのかってね」


 フェイルが刃先を僕に向ける。その眼から、本気の殺意が感じ取れた。


 こんな所で、こんな奴に殺されてたまるもんか。

 縛られた状態で、僕は身体を動かす。少しでも遠くに離れようとしたが、それを見逃してくれる相手ではなかった。


「残念。逃がさないよ」


 フェイルが僕の身体を踏んづける。強い力で踏みつけられ、僕は思い通りに動けなくなる。


「君は無惨に僕に殺されるんだ。そしてマイルスの冒険者ギルド崩壊の狼煙となれ。良かったねぇ。最底辺の君でも人の役に立てるんだよ」

「良いわけないだろ……」


 こんな人間のこんなたくらみに利用されるなんて……死んでもごめんだ。

 だけど、どうすれば逃げられる?


「無駄ですよ、フェイルさん」


 リンさんが話しかける。しかしフェイルの顔には、あの胡散臭い笑みが戻っていた。


「何がですか? この子を殺して逃げ切るなんて楽勝ですよ。あなた一人では僕を捕まえられない」

「いいえ、無理です。その前提が間違っていますから?」

「前提?」

「はい。わたくしはマイルス冒険者ギルドの副局長、多くの冒険者の日常を守る者。彼らの平和を破壊しようとする者がいれば、どんな手段だって使います。わたくしが、何の備えもなく一人で来ると思いましたか?」


 フェイルが息を呑む。


「どんな冒険者も守ることを目指してなかったのかい?」

「大勢の冒険者を救うためなら、多少の犠牲は仕方ありません」

「じゃあこの子を殺すしかないね。聞いただろ? 約束を破ったらこいつに酷い目を見させるって」

「えぇ。けれどそれも叶いません。なぜならあなたは――」


 リンさんが右手を持ち上げ、フェイルを指差す。


「貴方の後ろにいる者に、討たれるからです」


 フェイルはその言葉に反応し、背後を振り向いた。僕も釣られて顔を向ける。

 しかし、その先には誰も居なかった。


「誰もいないじゃ――」


 突如、フェイルがその場から跳び退いた。僕の身体から足をどけ、十歩ほど先に着地して距離を取る。


「はい、いません。嘘ですから」


 刀を抜いていたリンさんが、僕の下に駆け寄っていた。

 彼女は僕に近づくと、僕の手と足を縛っていた縄をたったひと振りで切り落とす。僕の身体に一切傷をつけない、見事な腕前だった。


 解放された僕は立ち上がる。


「ありがとうございます。リンさん」

「当然の事です。お気になさらずに」


 いつものように、淡々とした態度で返された。


「随分と姑息な手を使うじゃないか」

「副局長にもなれば、この程度の腹芸くらい出来るようになります」


 フェイルの顔に、焦りが見られた。先ほどまでは人質が居て有利だったのに、一転してその優位性を無くしたのだ。動揺するのも理解できる。


 だが決して情けをかけるつもりは無い。

 こいつは僕だけじゃなく、ミスト達に危害を加えた。こんな奴を野放しにしていられない。何としても捕まえて、後悔させてやりたい。


 そのために、僕は何をすればいい?


「ヴィックさん、動けますか?」


 リンさんが僕に話しかける。僕は「はい」と答えた。


「ならばあなたに依頼を出します。あなたしかできない、重要な依頼です」

「なんですか?」

「山の麓に冒険者達が居ます。山を下りて、彼らに馬車隊が襲われていることを伝えてください」


 身体が震えた。

 言葉通り、重要な依頼だった。今までで一番と言っても良いほどに。


「僕一人でですか? リンさんは……」

「わたくしは彼を捕らえます。彼を放置すれば、また多くの冒険者達が危険に晒されます。今が彼を捕まえる絶好の機会です」


 リンさんの言うことは正しい。フェイルを放っておけばまた被害者が出る。それを防ぐには捕まえる以外に無い。

 だけど、僕にできるのだろうか?


 森にはモンスターがいる。奴等に見つかれば襲われてしまうだろう。

 今の僕には武器が無い。そのうえこの辺の地理も分からない。もし襲われたら、力も知恵もない僕には抵抗する術がない。

 そんな僕が、こんな大事な依頼を成し遂げられるのか? ハイエナと言われた僕が。


 やらなきゃいけない。この場でそれが出来るのは僕しかいない。

 しかし、そうだと分かっていても、身体が動かなかった。


 もし失敗したら……。


「大丈夫です」


 不安で俯いていた僕に、リンさんが声を掛ける。思わず顔を上げ、彼女の顔を見る。

 そこには、いつもの凛々しい表情はない。


 優しい笑みを浮かべていた。


「こんなことを頼むのは、ここにあなたしかいないからという理由じゃありません」


 その声はとても暖かく、緊張で固まった僕の身体を解してくれる。


「騙されて、酷い目に遭ったにもかかわらず、懸命に努力し続けたあなただからこそ頼んでいるのです」


 その言葉は、僕の胸に強烈に響いた。

 掟を破り、ハイエナと呼ばれ、底辺冒険者だと蔑まれ続けていた。リンさんにも当然失望され、見放されたと思っていた。


 だけど、それは違った。


 リンさんは、僕を見続けていた。失望せずに、見守ってくれていた。僕の頑張りを評価してくれた。

 それがとても嬉しかった。


 そんな事を言われたら、もうやるしかないじゃないか。


「分かりました。任せてください」

「お願いします」


 意を決して、僕は走り出す。

 必ず、期待に応えよう。そしてミスト達を助けよう。


 たとえこの身が、どれだけ傷つけられても。

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