ヤタガラスの雷爪 ~じゃじゃ馬閻魔姫と最強剣士の鬼退治の旅~

龍威ユウ

第一章:ヤタガラスの爪

第1話:黒い蛙

 野道にふと現れた男たちは、お世辞にも善人とは呼べない面構えだった。


 身なりは小汚く、簡素な鎧も損傷が著しい。


 手にした刀は刃毀れがひどく、ぼろぼろの刃では斬ることさえもままならない。


 そんな男たちに、その青年は取り囲まれた。野伏せりの類か。


「おいそこのお前。きれいな身なりをしているな」


「命が惜しかったらそこに置いていけ」


 青年は答えない。代わりに腰の大刀をすらり、と静かに抜く。


 途端、下賤な笑い声があがった。


「おいおい、この人数を相手にたった一人で――」


 次の瞬間、男の首が飛んだ。わっと血が空へ弾ける。


 真っ赤な血を噴いて遥か彼方へと跳んでいく。


 その光景を呆然と見守る男もまた、同じ末路を辿る。


 二人がやられた――そこでようやく、男たちの表情に険しさが帯びる。


 殺さなければ、自分たちが殺される。そう判断しただろう彼らの動きに迷いは一切ない。


 だがそれよりも青年の剣速が圧倒的に上回った。


 幾度となく銀閃が走れば、その分だけ首が飛ぶ。


「ま、待て」


 生き残った一人が命乞いをする。


 がちがちと歯を小刻みに打ち鳴らし、顔色も青白い。


 目線は右往左往として非常に落ち着きがなく、顔全体には大量の脂汗が滲んでいる。


 男にもう、戦意の欠片はなかった。


「た、頼むから命だけは――」


 言い終えるよりも先に、青年の剣がするりと縦に流れた。


 流水のように滑らかで、それでいて瀑布のごとく力強い。


 縦一文字に血を流し、身体は力なく草場の影に崩れた。穏やかな静寂が戻る。


「――、仕事以外で剣を振るうつもりはなかったんだがな……余計な時間を喰った」


 もそりと呟き、舌打ちを一つする。


 青年――佐瀬京志郎さぜきょうしろうは血の香りを纏ったまま、歩を進めた。


 静寂の中で吹く微風はほんのりと冷たくも優しく、漆黒の長髪がゆらりとなびく。


 腰に残る剣の重さは心地良く、先程までの喧騒が嘘のように辺りは静かだった。


 そんな中、視界の隅で何かが蠢いた。遥か下、足元――。



 大津宿へと続く畦道にて、黒い蛙がぴょんと跳んだ。


 闇夜のような身体と、血のように赤い瞳。どこからともなくひんやりとした風が吹く。


 物珍しいが得体の知れない不気味さを纏っていた。


「うわっ!」


 京志郎は大仰にその場から飛び退いた。


 黒い蛙はじっと、京志郎のほうを見やっている。


 しばらくして、黒い蛙は向かいの茂みへと消えていった。


「黒い蛙、か……今日で一週間になるぞ」


 茂みをじっと睨む。


 仏……首のないものを築いたその日から、幾度となく黒い蛙が現れるようになった。


 道行く先々で目撃すれば、偶然という可能性も次第に薄れる。


 あれは、こちらを監視している――京志郎はそう確信する。


「気味が悪くて仕方がない……」


 京志郎はきゅっと顔をしかめた。


 胸奥に冷たい風がすっと入ったかのような錯覚。


 凶兆の気配――そんなものが、ふとよぎった。


 ――再び歩を進めると、大津宿のにぎやかな喧騒が遠くより聞こえる。


 東海道五十三次最大の宿場町の活気は、いつも祭りのように賑やかだ。


 町に入ってすぐに香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。


 鮭の匂いだ。金網で焼かれる姿を想像すればたちまち涎が滴る。


(そういえば、もうすぐ昼時だったか……)


 京志郎は近くの店にふらりと立ち寄った。


 まんぷく亭という店は、言葉悪くして言えば今にも倒壊しそう。


 にも関わらず、多くの客で店内はごった返していた。


(それだけうまいってことか。期待していいだろう)


 京志郎はそう思った。


 しばらくして――


「いらっしゃい!」


 と、若い娘が出てきた。


 栗色の髪に赤い瞳とは稀有である。


 端正な顔立ちではあるが、まだあどけなさがそこに残る。


 なるほど、と京志郎は納得した。


(違和感の正体がわかった。こいつら、この娘が目当てで来ているらしいな)


 料理の進みは早くはない。そればかりかなかなか口へ運ぼうともしない。


(飯はまずいが、娘には会いたい。大方そんなところだろうが……)


 来る場所を間違えた。京志郎は内心で大きな溜息を吐いた。


「お席が空きましたので、どうぞ」


 件の娘に促されて渋々席に着く。


 目の前の格子窓からは、人々の行き交う光景がよく見えた。


 不意に、あるものが京志郎の視界に移る。


 また蛙だ。相変わらず体は漆黒の如く黒い。


 人ごみの中で、ただじっとする蛙を京志郎も静かに見返す。


「お前の目的はいったいなんだ?」


 そこまで口にして、自嘲気味に鼻でふんと一笑する。


 蛙が人語を介するわけなどない。至極当然の常識だ。


 気が付けば、蛙は忽然と姿を消していた。


「よぉそこのお嬢さん。刀なんか差して物騒だな。そんなことより、俺に酌をしてくれんか?」 


 隣の席にいる男の顔は茹でたこのように赤い。


 口を開けば濃厚な酒の臭いがふわりと漂う。


 机の上にはいくつもの徳利があった。相当飲んだようだ。


 そして肝心の代金が支払われた様子はなし。


「……酌ならば他の物に頼め。俺はやらん」


「そういうな。お前ほど美しい女は、俺に尽くしてこそ価値がある」


「女か」と、京志郎は鼻で一笑した。


(どいつもこいつも……皆して俺を女と見やがる)


 内心腹立たしく思いつつも、京志郎は男に真実を告げる。


「残念だが俺は男だ」


「はっ?」と、男が素っ頓狂な声をもらした。


 よく女と間違えられる。それほど京志郎は女性的だった。


 白い肌、精巧な人形のように整った顔立ち。玲瓏な声。着物さえ整えれば、誰も男だとは思うまい。


 一方で京志郎は、未だ己の容姿を認知できずにいた。


 どうして。今日もまた自らにそう問う。納得のいく回答は、まだ出ない。


 くしゃりと濡羽色の髪を撫でて、京志郎は深い溜息をもらした。


「お待ちどうさま。焼き鮭定食です」


「ありがたい」


 京志郎は手を合わせて――


「いただきます」


 と、早速箸を手に取った。


 皿の上では見事なまでの赤い鮭が鎮座している。


 香ばしい匂いに釣られるように、京志郎は箸を伸ばした。


 一口――嬉々とした彼の顔から笑みがすぅっと消える。


(……まずい!)


 京志郎は唖然とした。


 焼くだけのはずが、どうしてこうもまずくなるのか。


 それがとにもかくにも不思議で仕方がなかった。


(飯のまずさよりも、この娘に会いたい気持ちが勝つか……)


 結局京志郎はなんとか食べ切った。


 他の客と同じように彼の顔はひどく青白い。


「……他の店で口直しするか」


 京志郎はすこぶる本気でそう思った。


 満足感も得られないまま店を後にした時――


「またきてくださいね」


 と、娘がにこりと笑った。太陽のように明るい笑みである。


「気が向けば」


 と、京志郎はそそくさと逃げるように立ち去った。


 二度といかない、とそう心に固く誓って――。


 次の店を定めるべく物色していたところに――


「おや、京志郎はんやないですか」


 と、ひろりと町人がやってきた。


 大五郎といった。三度の飯よりも噂好きとして有名でもある。


 とはいえど、そのほとんどが眉唾もので真実だった試しが一度もない。


「今日も相変わらずお美しいことで。その様子やと、また勘違いされたようやな」


「放っておけ――今日もまたろくでもない噂話でも持ってきたのか?」


「失礼な。ワテが一度でも嘘を持ってきたことがありましたか?」


「本気で言っているのなら失笑ものだぞ」


 京志郎はほとほと呆れている。


「それで? 俺にどんな用があるんだ?」


「噂話……と言いたいところやけど、ヤタガラスからの仕事の話です」


「仕事か」


 京志郎は目をすっと細めた。


 遠くを見据える彼の視線は氷のように冷たく、刀のごとく鋭い。


「仔細を」


「へい。こちらですわ」


 一枚の人相書きに京志郎はすっと目線を落とす。


 人斬り源八――夜な夜な血刀を振るう冷酷な辻斬り。


 これまでに斬った数はゆうに百を超える。


「これまでに数多くの賞金稼ぎが挑んだそうやけど、まぁ結果はご覧のとおりってわけや」


「そこで俺に白羽の矢が立った、か……」


「……せやけど、この源八という男。実は妙な噂があるみたいで」


 大五郎は難色を示し、わしゃわしゃと頭を掻いた。


「噂というのは?」


「さすがのワテもこればかりは嘘やろうとは思ってるんやけど――」


 源八は人に非ず――鬼である。


 逆立つ長髪。血のような瞳。五尺もの大太刀を軽々と振るう超人的な膂力。


 もはや人の域に非ず。故に源八は鬼である――と、巷ではこのように噂されるようになった。


「まさか」と、京志郎は鼻でふんと笑った。


「鬼なんてものが本当にいる……お前はそう思っているのか?」


「さぁ……なにせ、ワテも見たことがあらへんから」


「そういうことだ。鬼なんてものは所詮はまやかし。もしいたとしたら、今までどうして出会わなかった?」


 数多くある妖怪譚だが、目撃情報は皆無である。


 かくいう京志郎も、一度としてその存在を捉えたことがない。


 元より存在していないのだから、いくら探そうが見つかるはずもなし。


「それも、そうやなぁ……」


 鬼は実在しない――頭の中ではわかりきっているが、京志郎の心は異様に高揚していた。


(だが、鬼がいたとしたら……それはそれでおもしろそうだ)


 年甲斐もなく、鬼退治に心躍る自分がいる。


 もしも本当にいたのならば、その時は――。


「この剣、どこまで通ずるのやら……」


 京志郎はふっと口角を緩めると、くるりと踵を返す。


「ほなら、ちゃちゃっと頼みますわ――ヤタガラス実戦部隊【爪】、最強の京志郎はん?」


「心得た」と、京志郎は足早にその場を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る