匂いで気持ちが分かる少女 セリーヌ様
次の日、私は義母のマリー様に連れられて、母の古い友人という侯爵夫人の別邸を訪れていた。
……というか、連れて行かれた、が正しい。
「私、娘……リディアさんとお出かけするのが夢だったの! でも楽しい観劇やショッピングじゃなくてごめんなさいね? 私が商人だった時からの古い友人が別邸で療養中なんですけどね、リディアさんのお顔を見たいって言うの! それに今は特別な治癒魔法士の子が住み込みで治療をしてくれているみたいでね、その子はまだ一五歳でリディアさんとも歳の近い女の子だからいいかなって思ったの!」
「そうですか……」
本来なら今日は、第二王子ロベルト様の婚約者候補探しのために、家の名簿や周辺貴族の情報を洗い直すはずだった。
しかしなぜか朝から「お出かけしましょ! たまには田舎の空気を吸うのも良いわよ!」などと、言うマリー様に捕まり流れるように馬車に乗せられてしまった。
まぁおそらくこれも社交や視察の一環なのだろうから公爵令嬢って、意外と自由がないらしい……。
幼い頃からこんな自由がなければ、そりゃゲームのリディア・ラクロワも性格が歪んじゃうよ……。
「そろそろ到着しますわ! リディアさん、ご覧になって? 素晴らしい景色でしょ?」
マリー様に言われて馬車の窓から見えた景色は、まるで絵画のように整えられた庭園と、白い壁の屋敷を背に揺れる草木だった。
馬車から降りるとふわりと爽やかな香りと土の香りが鼻をくつぐる。
この家の周りに植えられた草花はおそらくハーブだろうか?
前世でも嗅いだことあるような懐かしい香りに肩の力が抜けるようだ……。
「私は友人にご挨拶して体調を確認してくるから、リディアさんはここのお庭で少しお待ちになっていて?」
そういうとマリー様はお屋敷の中に消えていき、私はお屋敷のお庭のようなところに一人取り残された。
さすがファンタジーの世界とでも言うのだろうか、お庭には前世では見たことない花や見たことのない蝶が飛んでいて、目を奪われる。
にしても、やる事がなく暇なので、私は庭を歩き回ろうと思っていた矢先、屋敷の脇の倉庫のような建物の陰から、ふいに誰かの気配がした。
風がふわりと流れてきて、なぜかその香り胸の奥がくすぐったくなる。
その匂いに、私は立ち止まった。
……焦げたような、でもほんの少し甘い……不思議な香り。
薬品? やっぱりハーブかな? 香水のようないい香りもする。様々な匂いが混ざっているはずなのに、不思議と胸の奥が落ち着く。
私は引き寄せられるように、その倉庫に近づき中を覗くと、見れば、古びた作業台の前で、一人の少女が薬草を刻んでいた。
彼女は薬草の束を一房、手のひらで揉みしだくと、それを鼻先に近づけ、ふんわりと笑った。
その仕草は、見とれるように綺麗で——
と、言いたいところだが、その姿は絶対に見覚えがあった。
まさか。
いや、そんなはずは——
でも、私は知っている、この人を……。
「どなたですか……?」
「えっ……⁉」
「……あら小さいお客様ね? もしかして今日いらっしゃるとお聞きしていた、ラクロワ家のお嬢様でしょうか? はじめまして……セリーヌと申します」
この声、この名前、ゲームで聞いた名と声と同じだ……。
光を透かした茶色の髪を、乱雑に後ろでまとめている少女。
――セリーヌ。
その名前を聞いた瞬間、息が詰まった。
知っている。知りすぎている。
たしか五年後の魔法学園で治癒師として登場するモブキャラ。
ゲームでは謎の設定で魔法を使かっての戦闘パートみたいなものもあり、怪我した際にはこのセリーヌがいる学園の保健室に行かなければならない。ゲームではレベルアップのために何度もこの子を元を訪れることになるのだ……。
でも彼女はメインキャラではなく、立ち絵しかないただのモブの一人に過ぎなかったはずの、あの少女だ。
でも、彼女はここにいる。
まだ学園も、物語も始まっていないこの世界で。
――この現実の中で。
わたしが立ち尽くしていると、彼女が顔を上げた彼女の翡翠のような瞳が、まっすぐにわたしを見つめる。
ふわりと微笑んで、作業の手を止めこちらに歩み寄ってくる。
「……嗅いだことない不思議な匂いがしますね。まだ小さいのに、ずいぶん頑張ってる匂いです」
出たーー‼ この不思議な言い回し!
保健室のセリーヌ! この独特な言い回し、間違いない‼
ていうか、今はゲーム本編の五年前なんですけど⁉
なに、これはなんのバグ⁇
運命ってそんな前倒しで始まっちゃうかんじなの⁇?
混乱する私をよそに、セリーヌはほわりと柔らかく目を細めて、言った。
「……でも何故か懐かしい匂いがします。まだ出会っていないはずの人、みたいな……何故でしょう?」
え……どういう意味⁇
まぁ、ゲームでもいつも何かを匂いに例える不思議なキャラではあったので、今もそういうことなのだろうか?
「は、はじめまして! リディア・ラクロワと申します!」
自分でも驚くほど声が上ずった。
何故か攻略対象に会った時より緊張する……。
だってゲームでは立ち絵しかなかった彼女が今真の前で動いているのだからちょっと感動してしまう。
でもセリーヌはただにっこりと笑って、私の手を取り、を両手で包み込むようにしながら言った。
「リディア様って……木苺の香りがするんですね。ちょっと酸っぱくて甘くて、芯のある感じの」
ふ、不思議ちゃんだぁ……今のセリーヌは一五歳くらいだろうか? ゲームでは保健室の先生的な立場であったような気がするので、ゲームの絵柄より幼い彼女はとんでもなく美しい……さすが乙女ゲーム。モボキャラでもこのクオリティなんかい!
「木苺……ですか?」
「そう、木苺」
「……それは、良い匂いということでしょうか……?」
「はい、とっても元気が出る匂いです。初夏の匂い、って感じでしょうか?」
季節で性格を言い表されたのは人生初だけど、なんか……悪い気はしない。
ていうかこの子、私のゲームの設定よりも本当はもっとずっと個性的なのでは……?
「そ、そういえば……素晴らしいお庭ですね! 手入れは庭師がやっているのでしょうか?」
「いえ、今は私が一人でおこなっております。今は私だけがここで住み込みで奥様の治療を担当しておりますの」
「お庭の手入れも薬草の調合? も、とても慣れていらっしゃるのですね。セリーヌ様は薬師として長く修行されているのですか?」
「修行というほどのことはやっておりませんが、幼い頃より薬草には触れる機会が多かったの。」
「そうなんですね! まだお若いのに治療で呼ばれるほどの腕前なのだからきっと凄い方なのですわね!」
「ふふっ。リディア様は私より幼いのに面白い言い方をされるのですね」
まずい! 思わずおばさんが若い子を誉めるノリで会話してしまったが今の私は、まだ七歳だった……!
「……申し訳ございませんわ! でも嫌味とかではないんです! 本当に凄い方だと思ったので! だって一人で呼ばれるなんてきっと信頼されてる方だと思ったので……!」
「いいのよ? それに私は腕がいいというより……人が沢山居る場所が苦手で……私は鼻が利きすぎるので」
「鼻……ですか?」
「そう……私は匂いでその人が思っていることやこれから起こる事がなんとなく分かるの。……こんなこと言っても誰にも信じてもらえませんが……それに分かるだけで何の役にも立たないのだけれど……」
「そうなんですか……それは生まれつき? セリーヌ様の魔法か何かですか?」
「魔法っていうより体質に近いようです。気がついたら匂いでいろんなことが分かるようになってて……でも、変だって言われることも多くて……だからここに逃げてきたの」
そう言って、セリーヌは少し眉を下げた。
その表情が思ったより普通の女の子で、私は思わず口を開いた。
「変じゃありませんわ! その感性、とても素敵です。だってさきほどの「元気が出る匂い」っていうあの一言で、私は少し気が楽になりましたもの!」
セリーヌ様は私の勢いにびっくりしたように目を丸くして、それから花が咲くようにふわりと笑う。
「……うれしいです。私、貴族の方とこうやってお話するの、少し緊張してたので……」
え、かわいいな……。
この子、静かで不思議なのに、なんだか見ていて飽きない。
そして予想外の反応を返してくる。
(……もしかして、ロベルト様……こういうお方、絶対お好きなのでは……? 歳も近そうですし! )
木の窓から淡い香草の匂いが流れてくる。
これはこのセリーヌ様をロベルト様の婚約者候補としてもいいのではないか⁉
いや待て、リディア・ラクロワ!
ここは貴族社会、まずはセリーヌのお家の事情や婚約者の有無を確認しなければ!
「そういえばセリーヌ様のファミリーネームをまだお聞きしていませんでしたね! セリーヌ様は代々治癒魔法士の家系なんですか?」
「いえ、私は孤児で今は騎士のお家に養女に入りましたの。自己紹介が遅くなり申し訳ございません。私の名前はセリーヌ・ジェルベリオンと申します」
「……え? ジェルベリオン?」
ジェルベリオン……? 聞いたことありすぎる名前だ……。
それってつまり……。
「もしかして、もう弟とはお会いになったのですか? 私の弟は王立騎士団所属でリディア様の婚約者のアルベルト殿下の護衛をしておりますから、お会いしていても不思議じゃありませんものね?」
「え……?」
セリーヌ様が微笑みながら私に深々と頭を下げる。
「弟のエリックがお世話になっております」
えっ……、セリーヌ様って、まさかあの腹黒毒舌騎士のお姉さんってこと⁉
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