ノート越しの君

@blackstroke

第1話 放課後の部室とノート

 放課後の部室には西日が差し込んでいた。ホワイトボードの前で先輩たちが文化祭の展示について話している。


「ことしは"言葉"をテーマにしてみないか?」


部長の声に、周りが反応する。


「いいですね」「どうやります?」


陽介は机に肘をついて、閉じたままのノートに視線を落とした。あの中に、自分の背中を押してくれる言葉がある。それはわかっている。でも今、ここで開くわけにはいかない。

頭の中には案があった。来場者に短いメッセージを書いて貼ってもらう展示。誰でも気軽に参加できて、温かい雰囲気になるはずだ。でも話に割り込む勇気が出ない。

(今言える? ……いや、まだみんな話してるし)

視線を上げると、明るい先輩が「こういうのは?」とアイデアを出していて、他の部員が笑ったりうなずいたりしている。楽しそうな空気に入るタイミングをつかめないまま、話し合いは終わりに向かっていった。

片付けが始まり、部員たちが帰っていく。静かになった部室で、陽介はそっとノートを開いた。

昨日書いた自分の文字の下に、青いインクで短い返事があった。


――「悪くないよ。陽介、言いたいことあるんだろ?」


その筆跡を見るだけで、胸の奥が少し軽くなる。


「……うん、あるけどさ」


誰もいない部室で、思わず小さな声が漏れた。

陽介はペンを取り、文字を書き足す。

――「言うタイミングが難しいんだよ。」

書き終えてしばらくページを眺めてから、ノートをそっと閉じた。返事はすぐには来ない。時間差で言葉が返ってくるのは、ずっと前からのルールだ。

鞄にノートをしまって部室を出ようとすると、後ろから声がかかった。


「陽介」


振り返ると部長が立っていた。


「おまえ、なんか話したそうだったよな? 意見あったら、今度遠慮すんなよ。おまえの案、悪くなさそうだし」


不意打ちの言葉に胸が跳ねる。


「……ありがとうございます」


うまく笑えたか分からないが、先輩は満足そうにうなずいた。

廊下はもう夕方の色に染まっていた。部活バッグを肩に掛けて歩きながら、陽介はノートのページを思い出す。

――悪くないよ。

その一言が、心のどこかに温かく残っている。

校門を出ると風が少し冷たかった。陽介は息を吸い込み、小さくつぶやいた。


「明日は、言えるといいな……」


歩き出した足取りは、ほんの少しだけ軽かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る