第30話 至るべき場所
彼は愛車をガレージに収めると、無性に珈琲を求めていた。
普段よりも倍の量を抽出できるマキネッタを、棚の奥から取り出す。粉を詰め、水を入れ、火にかける。やがて「ボコボコ」と独特の音を立て、濃厚なエスプレッソがマグカップに注がれる。立ち上る湯気と香りを深く吸い込み、彼はゆっくりとカップを手に取った。
いつもの一杯とは違う、倍の時間をかけて味わうこのエスプレッソ。違いは味そのものではない。至福を感じるのは、そこに至るまでの「時間」と「行動」だ。つまり、結果だけではなく、過程が満足感を決めていた。
彼は、その「非効率な過程」に強い既視感を覚えた。
日常には、世間の効率化とは逆行する「手間のかかる儀式」がいくつも存在する。
たとえば毎朝の髭剃り。電動や多枚刃が主流の時代に、彼は両刃剃刀を使う。安全に綺麗に剃るためではない。剃った感触と肌の滑らかさという、手応えを得るためだ。手間をかけ、技術を介することで、結果を自分の手で制御する。それが彼にとっての満足だった。
そして、このマキネッタ。
100年以上の歴史を持つその器具は、幼少期の記憶と深く結びついている。両親が自営の喫茶店を開いた時、店内には機械式の高価なエスプレッソマシンが置かれていた。幼い頃から珈琲の香りに親しみ、小学校に上がる頃にはブラックで飲むのが当たり前だった。
数々の抽出器具を試した末、彼がたどり着いたのが、このシンプルで手間のかかるマキネッタだった。技術と記憶を一杯の珈琲に凝縮する、彼なりの儀式だ。
これらの行為は決して「人とは違うことをするため」ではない。
電動シェーバーで安全に剃れる時代、インスタントやドリップ式珈琲も容易に手に入る。
それでも彼は両刃剃刀を使い、マキネッタで珈琲を淹れる。
その理由は明確だった。
――すたれてもなお残る物には、求める人がいる。
そして彼が求めるのは、現代の効率化では得られない「意味」だ。
手間をかけること、技術を介した自己との対話。それが、機能的な課題や個人的な記憶と結びついたとき、「心の充足感」という結果を生む。
彼のワックス探求も、同じ法則の中にあった。
高性能ワックスは効率的に「撥水」という結果をもたらす。しかし、そこから得られる意味の充足度は足りず、洗車そのものを楽しむ欲求を満たせなかった。
老舗メーカーのワックスは手塗り推奨の特殊性を持つ。
だが、その「ひと手間」こそ、彼が求めていた充足感をもたらす。
彼は静かに呟く。
「そうか、これでいい。これがいい。」
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