第3話 編み重ね

 お昼休みに隣のクラスの紗友里さゆりたずねてきて、いずみの前に座っていた。


 窓の外では銀杏いちょうが風に踊り、黄金おうごんいろ絨毯じゅうたんが校庭をおおっていた。


「どのくらい進んだ?」


 笑顔で聞く紗友里に、無表情の泉が無言のまま、机の横に掛けた手提げから、編みかけのマフラーを取り出した。


 しかし、半分も編めていない現実に、紗友里の笑いは固まった。


「思ったより進んでない……かな?」


 だがその瞬間しゅんかん、泉の目がきゅっと三角になった。


「いいの。一日二十センチ目標だから」


 その声に、いつもの淡々たんたんさとは違う熱があった。

 紗友里は教室を見回して話題を変えた。


「あれ? 野崎は?」


「最近、八雲やぐもんとこに行ってるみたい」


 紗友里と八雲は同じクラスだったが、紗友里は編み物を一緒にしようと、泉のクラスへ来ていたのだ。


邪魔じゃまが入らないからいいけどね」


 そう言いながら泉は早速さっそく編み棒をあやつりだした。

 その様子ようすしばらく見ていた紗友里がたずねた。


「それ、野崎にあげるの?」


「課題よ。提出しなきゃ」


 紗友里の質問に、泉はあっさりと答えた。


「だって毎日催促さいそくのLINE来てるんでしょ」


「見てない」


 言いはなった泉の編み棒が、止まることなくあざやかに動いた。 


 その手際てぎわは、初めてみたときから目を見張るほどの上達じょうたつだった。その心境しんきょう想像そうぞうすると、紗友里の目は自然と細くなった。


「上手くなったね。誰かさんのおかげかな」


 その一言に思わず泉の背筋せすじが伸びた。


「あんたの指導が良かったのよ」


 平静へいせいよそおうとする泉の声が上擦うわずった。


「そういう事にしとこうか」


 紗友里がにこにこと笑いながら泉を見ると、編み棒の動きは、徐々にスピードを上げていった。


 ◇


 同じ頃、八雲たちは進路指導室へやって来ていた。

 自習室の椅子いすに座る野崎に、八雲はまゆをひそめて栄養ドリンクを差し出した。


「病院行けって」


「痛み止めでなんとかなるっしょ」


 野崎は歯を見せて笑った。


「明日、泉を見送って、明後日あさっての試験が終わったらちゃんと行くし、もうちょっと待って」


 たまにズキンとくる痛みにも、まだ大丈夫だいじょうぶと野崎は強がりを見せていた。


 ◇


 翌日、ホームのはしで泉は特急を待っていた。


 本来なら四番ホームで乗り換えて学校に行くはずの野崎、八雲、紗友里が、そろって泉の乗る特急ホームまでやってきていた。


「……あんたたち、学校に遅刻するわよ」


 泉は少し眉をひそめて注意をした。


 だが、三人はお構いなしだった。


 野崎は両手をポケットに入れたまま、肩をすくめて笑った。


「たいして遅れないさ」


 紗友里も手を腰に当て、にこにこと笑った。


「大丈夫。遅延ちえんって言っとくから」


 八雲は少し後ろで、何も言わずに肩をらした。


 泉はあきれたようにため息をつくと、特急の線路を見つめた。


「なにを言われても、知らないからね」


 小さくつぶやく声に、列車の到着を告げるアナウンスが重なった。


 すると野崎がさっと泉の手を取り、ぎゅっと握った。


頑張がんばってこいよ、大丈夫だから」


 だが、泉は握られた手がまるで血が通ってないのかと思うほど冷たい事に驚いた。

 一瞬、顔色が変わった泉に、紗友里が、


「そこ。赤くなるとこじゃないの?」


 と、また笑った。

 背後に電車がすべり込むように止まった。

 泉はそそくさと電車に乗り込むと、三人はその後ろ姿に手を振った。


 特急の扉が閉まり、泉は席に着きながら、窓越まどごしの三人へ再び目をやった。

 笑って手を振る野崎、にこにこの紗友里、控えめにほおゆるませる八雲。


 列車が動き出した。

 その目は静かに野崎を見ていた。

 ガラス越しに、色を失ったホームに立つ野崎の顔は青白く見えた。


 加速とともに小さくなる三人の姿をいつまでも見ていた泉は、しばらく続く線路せんろを見つめ、やがてため息をひとつついた。


 いつもの手提てさげからまたマフラーを取り出した。

 今日と明日、編めば今週中には出来上できあがりそうだと内心思いつつ、また手を動かした。

 だが、その手は野崎の冷たい手を忘れる事はなかった。



 夜になると、いつも通り“トゥン”とマリオの落ちる音が鳴った。


 野崎からの定期便のLINEが待ち受けに浮かんだ。 


「マフラー編めた?」


 本来なら待ち受け画面だけ見て流すところだ。

 でも今日ばかりは、野崎の手の冷たさや、見送りの顔が思い浮かんだ。他の連絡がないかと、つい画面を開いた。


 すると、短いメッセージがずらりと並んでいた。

「マフラー編めた?」

「マフラー編めた?」

「マフラー編めた?」

 …… 


 毎日送られた文面ぶんめんはとうに画面におさまり切れないほどになっていた。


 一番下までスクロールし、確認をしても他の連絡はなかった。だが、その文字は泉をほっとさせた。


「ばっかじゃないの。おんなじ文ばっか。絶対コピペよね」


 この言葉は誰に届く訳でもなく、部屋の静寂せいじゃくけて消えた。


 ◇


 同じ頃、野崎もまたスマホを見ていた。


 いつもどおり文面を送ると、普段はつかない「既読きどく」が一斉いっせいについた。


 ──泉が見てる。


 そう思った途端とたん、なぜか元気が出て、一瞬痛みも消えたように感じた。


 ◇


 泉が再び編み物をしていると、鳴らないはずのスマホがまた“トゥン”と音を立てた。


 思わずひろい上げたスマホの画面には


「泉はやればできる


 の文字が表示されていた。


「あたしはやらなくてもできる子なの」


 スマホに突っ込みを入れると、今度は画面を開く事なく、編み物を再開させた。


 ただ、その指先は先ほどよりも軽やかに、毛糸と遊んでいた。

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