第2話 編み違い

いずみ、当日は受験票忘れるなよ」


 月曜日の朝、学校の下駄箱で進路指導の岡本先生が声をかけてきた。


「はい、わかりました」


 軽く返事をした泉へ、隣で靴を履き替えていた紗友里さゆりが話しかけた。


推薦すいせん入試って、今度の木曜だっけ?」


「うん、そう」


 泉は学校推薦をもらい、木曜日に面接試験を受ける予定だった。


「いいなぁ。それ受かれば、メリークリスマスじゃん」


 少しねたように言う紗友里に、泉は肩をすくめて答えた。


「そうでもないって。落ちたら一般入試だし、家庭科の課題も終ってない……」


 そう言いながら、泉はちらりと周囲を見渡した。

 いつもなら野崎が現れる時間なのに、今日は見当みあたらなかった。


 立ち止まった泉に、紗友里が首をかしげながら声をかけた。


「野崎くん、いないねぇ」


 ぎくっと肩を強張こわばらせた泉に、紗友里がすました顔で言葉を続けた。


「なんか変なものでも食べたのかな」


「さあ。拾い食いでもしたんじゃないの?」


 泉がそっけなく返すと背中から声がかかった。


「ちげぇよ。大食いだよ」


 振り返ると、少し青い顔の野崎が立っていた。


「ど、どうしたの? 顔色悪いよ」


 思わず泉がたずねた。元気な野崎の変貌へんぼうに二人は目を丸くし、野崎はお腹をさすりつつ答えた。


「昨日さ、あのあとモールでパフェの大食いチャレンジやってみたんだよ。全部食ったらタダとかヤバくね? 時間制限ないし、負ける気しないし……」


「はあ?」


 泉が間の抜けた声を出すと、紗友里が思い出したように言った。


「それって、ジョッキに入ってる一キロパフェのやつでしょ?」


 泉が目を白黒させると、野崎が笑いながら続けた。


「そう、それ。中身って普通フレークじゃん? なのにバタークリームで中がスポンジケーキって、見た目詐欺さぎのレベルだし」


「あんた、それ食べたの?」


「完食。そしたら腹壊はらこわして……」


 あまりのくだらなさに、泉の中で何かがぷつんと切れた。


(ばっかじゃないの。心配して損した!)


 きびすを返すと勢いよく廊下ろうかを歩き出した。

 ずかずかと突き進む泉の気迫きはくに押され、すれ違う生徒たちは自然と道を開けた。


 その様子を唖然あぜんと見送った紗友里が、再び野崎を見上げた。


「……病院へ行ったの?」


「いや……?」


 首をかしげた野崎に、紗友里は眉をひそめた。


「あの大食いイベント、先週の勤労感謝の日で終わってるよ」


「えっ、痛っ」


 嘘がばれてあせる野崎に、呆れたような眼差まなざしが向けられた。


「だから病院に行きな……!」


 言いかけた紗友里の言葉をさえぎって、野崎が答えた。


「泉の試験が終わったらな」


 野崎の答えに、紗友里は言葉をめた。


「だって、心配かけられないだろう」


 そう笑いかけた野崎に、


「あんたなんか、心配しないって」


 冗談とも本気とも取れない言葉を返した。

 苦笑にがわいを浮かべた顔は、また痛みにくずれた。


 野崎は紗友里に軽く手を上げて教室へと向かった。


 ◇


「お前、どっか悪いのか」


 ふいに声をかけてきたのは、隣のクラスの八雲やぐもだった。


 野崎は食器を片付けながら顔を上げた。

 昼休みの学食のざわめきの中で、八雲の声は妙に落ち着いて響いた。


「どこも悪くないけど、なんで?」


 とぼけたふりで答えると、八雲は短く言った。


「お前のしゃべりって、健康のバロメーターだから」


「は?」


 思わず目を丸くした野崎に、八雲が続けた。


「普段はうるさいくらいしゃべりまくるくせに、今日は普通人だってことさ」


「普通人ってなんだよ」


「あ。もしかして、泉ちゃんに振られた?」


「うっせぇな。まだ返事すらもらってねぇよ!」


 言い返した瞬間しゅんかん、お腹がズキリと痛んだ。野崎は腹を押さえ、机にした。


「痛ッ……」


 すぐに席を立った八雲が声を掛けた。


「おい、大丈夫か。病院に行ってみるか?」


「……三日前からなんだ」


 野崎の声が急に小さくなった。

 八雲が眉間みけんしわをよせた。


「だんだん痛みの回数が増えてきてて、しかも強くなってる。ちょっと変なんだけど……」


「いや、それ医者に行くレベルだろ」


「まだダメだ……泉の試験が終わったら、ちゃんと行くから……」


 野崎はそう言って、笑った顔を引きつらせた。

 八雲は息をめたまま、じっと彼を見つめた。


「何が原因か分かってるのか?」


風邪かぜでもなさそうなんだけど、少し手の色が変かも……」


 言われて八雲が野崎の手を見た。

 確かに、血の気が引いたような黄色味きいろみがかって見えた。


「例えば、ウイルスせい胃腸炎いちょうえんとか……?」


 野崎の考えをすぐに八雲が否定した。


「いや、俺たち受験生だぜ。嘔吐おうと下痢げりだと登校禁止だぞ」


「じゃあ……」


「とにかく」


 八雲は真顔まがおで野崎の言葉をさえぎった。


「できるだけ泉ちゃんにLINEでも送って、元気なふりをしてろ。木曜、泉ちゃんの試験が終わったら、すぐ医者に行け」


「うん。分かった」


 八雲の気迫きはくに野崎は静かにうなずいた。

 しかし、そのうつろろな眼差まなざしは、どこか遠くを見ていた。


 ◇


 夕方、泉のスマホがふるえた。


 スマホから“トゥン”とマリオの落下らっかおんも同時に鳴った。


 こんなふざけた設定音にしなおすやつは一人しかいなかった。


 画面には、“マフラーできた?”という野崎からのメッセージが表示されていた。

 毎日の定期連絡は、今日も欠かさず送られてきた。


「やかましいわ」


 スマホに悪態あくたいくと、画面を開くこともなく泉は編み棒をあやつり続けた。

 ただ、その文面ぶんめんを見ると、手元が少しだけ軽く動いた。


 ◇


 そのころ、野崎もスマホを片手に自分の部屋でお腹をさすっていた。


「あっちゃん。ごはんよー」


 階下かいかから母親の声が届いた。


「いいや、八雲と食ってきたしー」


 答えを返すと、少し肩を丸め、重い息を吐いた。



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