第14話

 白い煙の立つ空間の中。イチタは震えた自分の手を見つめる。


「はぁ……はぁ……い、今のは……」


 たった今、自分の手から放たれた白炎。彼自身、それは予想外の出来事だった。


 自分はただ、漠然とした意地と気迫で持って、奴の脅威に屈しないよう、ただ自分を鼓舞しただけ……それ以外に何の意図もない。


 けれど、たった一つだけ。心当たりのあるもの。腹の内から湧き起こり、腕に伝うあの感覚。そう……シェニさんとの実験で行った魔力誘発。


 まさかとは思うが、それがあの空威張りで発現したというのか?


 今でもなお、手に残るじんわりと熱を帯びたこの感覚。自分でも何が起きたのか理解できないほど、直前に放たれた一撃は激烈の一言では収まらないほど。周囲にひしめくものを忽ち飲み込んでいった。


 ただ、気になるのは奴だ。想定外に撃ち出されたものとはいえ、例の攻撃は見事だ。問題は、あれがどれほどの効果をもたらしたのか。確かめる必要がある。


 イチタは目を凝らし、煙の奥を注視する。煙がゆったりと消えていく。


 薄っすらと見えていた影が全貌を現す。


「あれは……」


 丁度、木々の真下。ふらつきながら悶え込む奴の姿があった。


「んん……んぐぁっ。ぬぁ、ぬぁんだぁ? これ? ぐふぅ、うぬぉ? ぬぁんだ?」


 今の一撃で、奴の右腕から肩にかけて、あの頑強な触爪もろとも消し飛んでいる。よろよろと前後に揺れながら立っているのがやっとといった状態だ。そこには、いつものような笑みや冷静さは見る影もない。動きも鈍重で、まるで鎖で繋がれているかのように身を震わせている。


 ゲニラは目をギョロつかせると、この世の存在とは思えぬ邪の形相で自分に深手を負わせた目の前の男に憎悪の念を向ける。


「ぬぅ……許さない、ぐはぁ……許さないよ。ねぇ、貴様ァ……」


 その身に起きた、奴の中の常識ではあり得ぬ出来事。その異常事態。動揺と激痛からか、口調にもあからさまな変化が見て取れる。


「やってくれたなぁ……ああ、やってくれたよ。や……んん? ああ、そうだそうだ。よくも……ヒヒッ……中々に……うんうん」


 血走った眼球をピクピクと回し、時折支離滅裂な言葉を合間に挟む。浮き彫りとなった奴の狂気。イチタはトドメを刺そうともう一度手のひらを手負いのゲニラに向けた。


 今なら奴を仕留めきれる。そう思い、例の白炎を呼び寄せようとした。


「ぐっ」


 しかし、どうだろう。白炎はイチタの心の呼び声にまるで応えない。光も現れなければ、あの時の熱も感じない。


「ど、どうして……」


 そうこうしている間に、ゲニラは動き出す。何の言葉も添えることなく、残った左の触爪をギュインと伸ばして終わらせにかかる。


 せっかくここまで追い詰めたのに。最後の最後で希望は潰える。


 もはやこれまで……か。


「フヌアアアアアアアッ!」


 突如、上空から何かが降ってくる。


「滅魔剛砕拳・流!」


 威勢の良い掛け声と同時に放たれた衝撃。流れるように、何かが地上に降り立った。土の混じった煙が立つ。


「な、なんだ……?」


 煙に紛れて見える背中。それは見上げるほどに大きく。袖なしの上着からはみ出すその岩のような恰幅。ハネの目立つ流し髪。襟周りの毛皮はその者の放つ野性味を体現し。腕組みをして立つ姿はなんと頼もしく、なんと豪快なるものか。


 煙が晴れる。今の衝撃波のおかげか、ゲニラの攻撃は遮断され、イチタは間一髪のところで助かった。


 ゲニラは触爪を自分の元に控えさえ、突如この場に降り立った乱入者ににらみを利かせる。対し、現れた男は敵対心をあらわにする奴に余裕の笑みを見せる。


 目をガン開き、ゲニラは相対する男に問う。


「あん? 誰お前?」


 短くまとめたその発言から、相当な苛立ちが伝わってくる。へへっと笑っては、男は奴の問いに同じく短く答える。


「正義の味方ってとこだな」

「はん……くだんねえなぁ」


 そう言って、ゲニラは男の返答を軽くあしらう


「くだんねぇお前に用はねぇ。理解したならそこをどきなぁ」

「おう、断る」

「……」


 鋼のような肉体の男はキッパリとそう言い切る。それを聞いて、ゲニラは無言のまま爪で頬をポリポリと搔いた。


「ちっ……次から次へと訳の分からないものよこしやがってなぁおい。オイラはオイラの楽しみを乱してくるやつが何よりキライなんだ。当然お前も大キライ。キライなものは一緒にまとめて殺さないとだとねぇ。そう思うよねぇ? そうそうきっとそれがいい」


 言葉の歩調が、奴の意思と重なる。ゲニラの表情に、またあの不敵な笑みが舞い戻る。


「じゃあね」


 左の触爪を真正面に飛ばす。その速さ、今までの比ではない。男もろともこちらを貫く気だ。


 驚異的なスピードで迫る爪。しかし、男は腕組みをしたまま微動だにしない。


「キュシシシシシ。まき散らせぇ!」


 爪先が男の額に迫る。その時だった。


ーーグシッ。


「あ?」

「なっ!?」


 男は一瞬眉を動かすと、片手だけで触爪を鷲掴みにして攻撃を止めた。掴んだ瞬間、キレの良い風が吹き抜ける。


「ウオアアアアアアアアアッ!」


 そのまま掴んだ手を上にあげ、触爪ごと奴を投げ飛ばした。ゲニラは宙を舞う。受け身を取れず地面に激突するかと思ったが、奴は空中でその身にかかる勢いを利用して回転すると、キレイに地面に着地した。


 そしてまた、執拗に触爪を伸ばす。触爪はイチタは無視して流し髪の男に狙いを定めた。爪先は男の首を追う。


「ふんっ」


 男は拳を突き出す。するとどうだろう。拳の僅か数センチ先まで迫っていた爪は腕もろとも弾き飛ばされ、無念にも後退していく。


 そして、男は奴に忠告した。


「まだやるというなら、収まるとこまで突き砕くが?」

「……」


 全身全霊で告げた、魂の意志。さすがのゲニラも、その圧を身をもって感じたか。様子に変化が見えた。殺意に満ちた目は俯瞰的なものになる。また頬を搔くと、近くで眠りに着くネメフィウラに視線を移した。


「……キュシ、キュシシ」


 ここまで追い詰められてなお、奴の邪悪な笑いは顕在する。それは余裕の表れか、はたまたただの虚勢か。


「まぁいいや、キミの首は一旦預けるとしよう。かわいいかわいい眠り姫もここじゃあゆっくりお休みできないようだしねぇ。キュシシ。オイラをここで見逃したことを後悔するがいいさ。次に会ったときは、首根からはらわたまで全員バラバラに引き裂いてあげるからねぇ。楽しみにしててくれよなぁ。キミ達に光差す道なんてない。ロベリアは永久に不滅だぁ!」


 ゲニラの足元、そして横たわったネメフィウラの周りから黒い渦のようなものが現れ、忽ち二人の全身を飲み込んだ。


 少しして渦が消えると、二人の姿は跡形もなくこの場から消え去った。


 奴らがいなくなった場所には、なんの混じりけもない穏やかな安らぎだけが残された。


 現実感のない余韻を、イチタは静かに噛みしめる。本当に助かったのか? 体はボロボロ、辺りに飛び散った血。およそ夢ではないという最低限の事実は把握できるも、まんま生きた心地がしない。


 ただ、自分が正真正銘難を逃れたという事実を裏付けるものがこの場に一つ。そう、最後の最後で予想外に馳せ参じたこの男のの存在。彼が一体何者なのか。それを今確かめる必要がある。


「あ、あの……」

「うん?」


 イチタの呼びかけに、男は野太い声で振り向く。


「助けてくれてりがとうございます。あの、あなたは?」


 問いかけると、男は口角を上げニィっと歯を見せた。


「よくぞ聞いた少年。オレは魔物討伐団アスター筆頭、ガドロック。強気心を持って、弱き者を救うのを信条としている」

「アスター筆頭……」


ーーそういえば、あの男はどうした?


ーーああ、彼ならまだ調査に出向いたままよ。


 記憶に残る会話。そういえば、ギルド長とベルファメラがそんなやり取りをしていた。あの時は何の話と素通りしていた。もしかすると、彼がその……。


「よく無事だったな。ま、アイツとはまた相見えることとなるだろうが、ひとまずは安心だな」


 ガドロックは腕組みをして、そう結論付ける。しかし、イチタは諸々まとまりつかないことで頭がいっぱいだった。


「どうした?」


 その心情は態度にも出る。彼の俯いてシュンとした仕草は瞬く間に彼の心情を刺激する。


「いえ、その……なんていうか、いろいろと立て込み過ぎてて、気持ちの収まりがつかないといいますか……」

「ふむ」


 ガドロックは神妙な面持ちで自らの顎をさする。イチタの心の内はまさに暗雲低迷。やり場のない感情をどこに終着させれば良いのか分からない。


「セリカ……」 


 腕の中の少女に目を向け、歯を噛みしめる。全身全霊で戦ってくれた彼女に対し、自分は何もすることができない。押し寄せる悔しさ。


「ごめん……」


 胸に強まる思いをその一言に込めた瞬間、周囲に青白い光が集まる。光はイチタの手元に集うと、淡い輝きを増し、彼女を包む。すると、驚くことにセリカの傷が忽ち癒えていく。


「こ、こいつは……」


 その事実に、ガドロックも驚愕する。近くでしゃがみ、この現象を見届ける。


 傷を癒した後、光は彼女の体から退くと、再びイチタの手元へと戻り、弾けるように飛散した。


 信じられない出来事。イチタは宙にキラキラと舞う光の粒を眺める。降り注いだ光を花々が受け止め、朝露のようにして浸透していく。その美しさ、まさに光の雪花。見ているだけで彼の心に靄ついていたものが浄化されていく。


「ん……」


 降り注ぐ光に夢中になっていると、下から小さく声がした。ゆっくりと、声の主が瞼を開く。それだけで、イチタは至福に満たされた。


「セリカ!」

「イチタ……」


 声を上げずにはいられない。傷が癒えて間もなく。目を覚ました彼女の姿に歓喜の悶え声が生まれる。


 特に痛む様子もなく、セリカはむくりと起き上がる。起きて早々、周囲にじっくりと目を配る。


 映し出される淡い景色を不思議そうに見つめながらも、その深沈たる様子に変化はない。


「セリカ!」

「イチタ、これって……」

「分かんねぇ。分かんねぇけど……なんか俺、こんなにも嬉しい気持ちで胸がいっぱいだ」


 不覚にも、涙がこぼれた。膨れる感情。溢れる光景もまた、彼女の生還を祝福しているようだ。体が、心が、ただただ満たされていく。


「ふむ……」


 顎をさすり、何かを思うように空に散っていく光を見つめるガドロック。視線を戻し、二人に指示を出す。


「お前たち。これからすぐに帰還するぞ」

「は、はい……」


 その時、奥で力尽きた魔物の亡骸が急速に風化していく。風化した死体は塵となって土に溶け込む。よく見ると、魔物の体の中から人の姿が見えた。


「あれは……」


 その風貌、村長の話していた村人の特徴と合致する。まさか、魔物の体内に取り込まれていたとは……。


 ガドロックはすぐに駆け寄り、意識のない村人を担ぐ。予想外の事実に頭を整理する暇もないまま、続けざまに状況は巡る。


「むにゃ……何ですかもう、さっきから騒々しいですね」


 今の今まで忘れていたアルフィンがこのタイミングで目を覚ます。呑気にあくびをしては、イチタ達に目を向ける。


「おや?」


 三人の何とも言えない視線がアルフィンに注ぐ。


「えーと……皆さんお揃いで」


 アルフィンも目を覚まし、村人も救出。いろいろあったけど、全て収まりがついた。あとは全員で無事に帰還するのみ。


「ねぇ、イチタ」

「ん?」

「心配かけちゃってごめん。さっきまで私、自分でもどこか

分からない暗闇の中を彷徨ってて……でも、イチタの声が聞こえたから戻ってこれた。だから、ありがとう」


 帰り際、彼女のからふとかけられたその言葉に、イチタは胸を打たれる。ほんと、最後まで気が抜けないな。


「礼を言うのは俺の方だって。セリカがいてくれたからこそ、今俺はここにいる。あの時だって俺、どうすればいいのかわからなかった。でも、また会えて嬉しいよ」


「ふふっ」


 セリカは静かに笑った。その笑みは何よりも美しく、何よりも暖かい。この暖かさはなんだろう。じんわりと、胸にまとうほのかな温もり。上手く言葉にはできない


 それでもなお伝えたい。この想い。気づけば自然と表に出た。


「なぁ、セリカ」

「うん?」

「上手く伝えられるか分からないけど聞いてくれ。俺さ、向こうに戻ったら……」


ーーグワン。


 あ、あれ……?


 突然、視界がぼやけた。この感覚、前と似ている。


 嘘……だろ。


 何で……また。


ーードサ。


 イチタは地面に倒れた。集まってきた皆が、ぼやけた視界の中に映る。自分を呼ぶ声が遠くなる。水を通して聞くように、イチタの意識は深い水底に沈んでいった。

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