第19話 僕はいつも月を見上げていた

 空気が冷たい。

 カサカサという草の揺れる音が聞こえる。

 空には冷たそうな月があり、草原を斜めから照らしている。

 そんな中を僕はなるべく音を立てないように進んでいく。


 ここは真世界だ。

 そんなに都会とは言えない僕の住んでいる近所でも、ここまで人工物が無い場所は存在しない。


 だけど、これが本当の地球で、元々人類が住んでいた場所だ。

 異世界からの侵略者――僕が直接見たのは1回だけ。最初の時は気を失ったせいで結局どんな敵だったかは見ていないけど、香月さんに聞くと翼があって空を飛ぶ人、悪魔型デビルタイプと呼ばれる敵だったそうだ。


 この間の2体の敵が竜人型ドラゴンタイプ。他に主な種類として人間型ヒューマンタイプ獣人型ライカンタイプ不死者型アンデッドタイプなどがいるらしい。

 まさに異世界ファンタジーの登場人物やモンスターだが、問題なのはそれらが全て侵略者であり、必ずこちらを殺しにかかってくるということだ。


 だが、いまこの場にはその敵はいない。

 真世界のどこかでは今でもSORAのリフターや十二家の守人が戦っているのだろう。そして世界中でその地の戦力が戦っているのだとも聞いている。

 ただ、そのどちらもここにはおらず、野生の動物も今は目立った動きを取っていない様に静かだ。


 まるで、この世界に動く物が僕一人の様に思えてくる。

 本当にそうだったなら、どんなに気が楽だろう。

 だけど、実際には無数に敵がいて、味方も無条件で仲良しというわけじゃない。


 それは僕らが普段生活して居る表層世界においても同じだ。

 十二家は平和を守っている。だけど僕にとっては味方じゃ無い。

 SORAは僕にチャンスをくれた。だけど僕の目的には多分協力してくれない。


 僕にとって無条件の味方なのは家族だ。けれど今は連絡が取れない。

 見捨てられたとは思いたくない。

 でも、もしかすると……という思いも拭えない。


 世の中、思い通りにならないことが多すぎる。

 だけど……いやだからこそ僕は自分でなんとか歩き出さないといけない。

 このちょっとした散歩が何か意味があるとは思えない。

 だけど、人のいない真世界を一人で歩くことは、僕が一人で立って歩くことの第一歩として象徴的なんじゃないだろうか?


 衝動で飛び出してきた僕だったけど、草原を歩くうちにそのように思えるようになって来た。

 心が落ち着き、整理できたのかもしれない。

 もしかしたら、自室でじっくり考えれば同じ気持ちになれたかもしれない。


 だけどまあ、静かな草原を歩くのは気分がいい。なんて思えてきた。

 そのとき――ふと風景が明滅するように感じた。


 ?

 いや、何もおかしくないよな……

 野生動物が動いたような気配は無い。


 もっと全体的な――風景全体をひとかたまりとしてそれが全部おかしくなったような気配だ。

 だけど、あれこれ視線を向けてみても何がおかしいのかわからない。


 真っ暗な草原の中、僕は考えごとをしながら歩いていたはずだ。

 そこで、思考の奥底で何か引っかかるものがあった。


 真っ暗な草原?

 僕はどうして自分が、こんな視界の悪い状況でのんきに考えごとをしながら歩けていたのだろう?


 足元の草原は空の微妙な星の光で暗い部分は何があるのかわからない。

 そこに危険な野生動物が潜んでいてもわからないぐらいなのに……僕は聴覚だけを頼りにして歩いてきたのだろうか?


 ふと視線を上に向ける。

 ああ、これは昔から僕が考えごとをする時の癖で、なんとなく立ち止まって上を見上げてしまうのだ。友達付き合いの長い森永なんかはよく知っている。


 あれ? だけど、なんかいつもと違う。

 いつもはなんか……


 必死で思考を巡らせ思い出そうとする。

 いつもは、そう、上を見上げて――何かを見て安心していた様な気がする。

 いや……いつも見えているわけじゃ無かった。それは時間や日付、場所によって見えない場合もあったけど、そこにあるのはわかっていたからいつも――


「そうだ、月だ」


 そう、僕はなぜか月を見上げると安心するんだ。

 屋内で見えないとしても、地平線の下にあって見えないとしても、そこに月があることで僕はなぜか心を勇気づけらえる。それはひょっとして僕が生まれる前の――


「いや、そうじゃない。どうして月が見えない? さっきまで照らされていただろう?」


 確か今日は向かって左側の斜め、そして角度は高くも低くも無いあたり、そう、あの辺りに確か――


 そこで僕は息をのんだ。

 

 月はある。

 だが、その月に裏から照らされて異形のものが空に浮かんでいるのだ。

 それは……やっぱりそうだ。ちょうど富士山のあるあたり。その真上。

 そしてその形は、まるでその富士山を逆さまにしたような形状。


 どこに鏡があるのだろう? どこに水面があるのだろう?

 空にはどちらも存在し得ないというのに……


 だけど、まるで鏡写しのように天に富士山が上下逆さまに浮かんでいるのだ。


 僕がその異形を見つめていると、その逆さ富士の陰から再び月が顔を出し、地上にも弱々しい光を届けてくる。

 その光に、一瞬気が取られる。


 次の瞬間、逆さ富士が消えている!


「そんなはずは……」


 瞬きをする。目をこする。

 しかし空には欠けた月が見えるだけ。


 いや、この月は欠けているのではない。逆さ富士に隠れているのだ。そう必死で念じると、ある瞬間から逆さ富士が月をかくして見えるようになる。

 大丈夫、消えてなくなってなどいない。


 これは――もしかして、認識阻害か?


 それについては香月さんから聞いて知っていた。

 大要石による防壁は、2つの世界を隔てる基本機能の他に、いろいろな機能が付け加えられている。


 例えば、真世界の滞在限界による非常脱出は防壁が持つ機能といえる。これが無いと、僕たちの真世界立ち入りはずいぶん違ったスタイルで望まないといけなくなる。これは非常に重要な機能といえる。


 もう一つ重要な機能として、リフト現象の痕跡が不審視され辛くなるというものがある。

 超自然的な出来事ではなく、”現実”にありうる事件や事故と思われやすくなるというもので、これを『認識阻害』と呼んでいるのだ。

 SORAや名家の活動を一般から隠す助けになっている。


 それこそ歴史上の話では、大規模なリフト現象が戦国時代の合戦ということに置き換わったり、アンデッドによる呪いが防壁を越えてきたリフト現象が大規模な疫病蔓延に置き換わったりして居るそうだ。


 聞いたときは『認識阻害』なんて不可解な現象だし、当事者なら惑わされないだろうなんて思っていた。

 でも、目の前のこれがそうだとするなら、自分でも見破るのは困難だと思えてしまう。


 実体験した今でも信じられない不思議な効果だ。意識を外せば見えなくなり、再度見るためには相当集中しないといけない。


 なんと恐ろしい現象だろうか。

 これでは人々が、そして歴史家が騙されるのも仕方が無いと思う。


「だけどこれは、誰が、何のために?」


 視界から逆さ富士を外さないように、消えてしまわないように注意しながら考えを巡らせる。

 

 まずあれは何だ?

 真世界の地形は表層世界の、僕たちがよく知る地形と基本的には同じ。違いは人の作った人工物の有無ぐらいだと聞いている。


 真世界側に実在する地形であれば、どんなに不思議なものであろうが表層世界に何の痕跡も無いということはないだろう。


 だとすればあれは、「真世界のものではない」。

 もちろん表層世界のものでもない。

 ということは……


「あれが、異世界の侵略者の……恐らくは拠点、なのか?」


 非常識で異常な、その逆さまの富士山は、より一層不気味なものに僕には思えてきた。


 心なしか、寒いはずの空気が生ぬるく感じた。

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