僕が戦いを始めるまで
第2話 その時の僕は生活と戦っていた
現実はつらい。
そう思って今日もやかましい目覚ましを止める。
鳴り止むと一気に静かになる。
狭いアパートには他に誰もいない。
ホントなら学校のない土曜日。
今日何しよう? 明日何する?
そんな気持ちでウキウキしているんだろう。
でも、生活の苦しい僕は日中ずっとバイトが続く。
今日はたしか……そうだ、臨時の引っ越しバイトだ。
17歳にして体の節々が痛むというのはどうなんだろう?
友人は部活で筋肉痛、僕は肉体労働で腰痛。
同い年でどうしてこんなに違いがあるのか?
嫌になるね。
重い体を引きずって、洗面所に向かう。
鏡には頭がボサボサの冴えない顔が移っている。
その顔の所々に、家族の面影が見えてしまい、僕はとっさに目をそらしてしまう。
「急がなきゃ」
僕はそれを言い訳にするかのように手早く水を手に取って髪をとかす。
歯磨きもそこそこに、僕は普段着を身につけて、いつものリュックをつかんで家を出る。
まだ時間には余裕があるけど、どこかでそばでも食べよう。
引っ越しのバイトは給料が高めなのでそれぐらいの余裕はあるだろう。
どこかの家からテレビのニュースの音が漏れ聞こえてくる。
僕は駅までの道を急ぎ足で歩き始める。
今日の職場の引っ越し屋に着き、貸してもらった作業着に着替える。
定期バイトではないけど、何回かやっているので勝手はわかっている。
顔なじみの社員の人に挨拶して、車の助手席に乗り込む。
今日の現場は3カ所だそうだ。
午前に1カ所、午後に2カ所。
土曜日ということもあって道は混んでいる。
運転をしている社員さんの趣味で流行のアイドルの歌が車内に流れているが、僕の知らない曲だった。
歌にハミングしていた社員さんが唐突に話を振ってきた。
「ここもか……最近工事が多いよな」
「そうなんですか?」
「ああ、なんか知らねえけど事故があったのか道路の物が壊されてるらしいんだよ」
「へえ……」
僕の活動範囲ではそういうことは無いけどなあ……
「しかも犯人がわからないらしいんだよ」
「ぶつかったなら壊れた車があるはずですもんね」
音楽の切り替わりでアイドリング中のエンジン音が車内に入ってくる。
「まあ、時間に余裕はあるから遠回りして行くか……」
「確か1件目はアパートでしたっけ?」
「ああ、単身だからすぐ終わるだろ」
引っ越しトラックは信号が青に変わるとうなりを上げて加速し、現場への道を進んでいく。
*****
「お先に失礼します」
引っ越しの作業は問題無く終わり、僕は制服を帰して営業所を後にした。
秋の空は夕焼けで赤くなっていて路上を照らしている。
僕はというと、日払いの給料で懐が温かい。
それに昼ご飯も社員の人がラーメンをおごってもらったので浮いた。
それなりに良い気分で夕暮れの道を歩いていた。
どうせならスーパーに寄って安売りの惣菜でも買って帰ろうか。
僕は料理が出来ないから、自然と野菜は余り食べない。
まだ、病気になるほどじゃないだろうけど、たまには野菜中心にするか。
そんな事を考えながら、僕は道を急いだ。
歩いていると街灯が点灯していく。
その中に一つ点灯していないのがあった。
よく見るとちょっと柱が曲がっている。
ああ、これが社員さんの言っていたあれか……
ちょっと気になって曲がっているところに近づき、触ってみる。
冷たい鉄の感触が指に染み入ってくる。
何かがぶつかった感じでは無さそう?
それにちょうど僕の頭の高さだ。車でもバイクでもこんな位置より上でぶつかるかなあ……
なんだかよくわからないけど、ま、僕には関係ないか。
僕は客の出入りが多いスーパーの入り口の明かりを目指して歩き出した。
*****
「ただいま」
もちろん返事はない。
僕は古くさい蛍光灯の明かりを付け、朝と変わらない室内を眺める。
こたつ机の上に今日の給料袋と、買ってきた惣菜を置き、冷凍してあった白米をレンジに入れる。
リュックを下ろして洗面所でうがいをして戻ってくる。
ちょうどそのタイミングでレンジが鳴ったので、熱いラップ包みの白米を取り出す。
代わりに買ってきた惣菜を入れて、タイマーをセット。
冷蔵庫から作り置きの麦茶をグラスに注いで、こたつに戻る。
レンジの温める音以外、この部屋には音を出すものがない。
やがて、温めが終わったのでこれも熱くなっている惣菜を取り出す。
「いただきます」
惣菜を並べ、茶碗に入れた白米と食べる。
僕の咀嚼する音だけがこの部屋に広がる。
「ごちそうさま」
食べ終わると簡単に後片付けをして、再びこたつに座る。
もはや室内に音を出すものは何もなく、外からはバイクの音が聞こえてくる。
まだ秋半ばを過ぎていないというのに、夜になると寒さを感じてしまう。
この分だと明日は朝からこたつ布団を出した方が良いかもしれない。
ちょっと早いような気もするけど、気がついた時にやっておこう。
明日はバイトが午後からなので、午前中は洗濯や掃除をしようと思っていた。
そのついでだからちょうど良いだろう。
僕は、明日の予定を確認するためにスマホを取り出し操作する。
こういう生活になったときに格安回線に切り替えたので、前のようにスマホで動画を見たりはしない。
ふと、メインのアイコンの中にある『写真』の項目に目がとまる。
ちょっとためらった後、僕はそのアイコンをタップする。
「ゆず……」
そこに映っているのは、こちらに笑顔を向けている妹、柚葉の写真だった。
今ゆずがどこにいるのか? それはわかっている。
だけどもう半年も妹の声は聞いていない。
あの日、突然に祖父を名乗る者の電話が家にかかってきた。
当時はこんな古ぼけた狭いアパートではなく、3LDKの家に家族で住んでいた。
とはいえ、両親は公益法人の仕事をしていて、家を空けることがおおかった。
このときも海外赴任ということで、家には僕と妹だけが残されていた。
僕が高2、いや、このときは高1か。そして妹は中2だった。
年齢にしてはしっかりしているゆずが、日々の料理を担当、僕は主に掃除担当だった。
その電話はちょうど、ゆずが夕食の準備で火を使っている最中だった。
僕は部屋にいたが、電話に出るなら男の声の方がいいだろう。
そこで、僕は両親が海外赴任中に事故で死んだということを聞かされた。
僕は信じられなかった。
そもそも、存在すら両親から聞いていない祖父、という存在が本物かもわからない。
そして、その一報がなぜ自宅ではなく祖父の元に行くのか?
信じられなかった。
だけど、事態は僕の手を離れて勝手に進んでいった。
自分が養子なのは知っている。
だからといって、一人放り出すとはどういう了見だろう?
そう思ったが、ゆずが、祖父母の元に引き取られることになる。
そして、僕は少々の援助とともに一人暮らしをすることが、いつの間にか決まってしまっていた。
僕もゆずも抗議した。
弁護士にも相談した。
だけどその決定は覆らなかった。
後で聞いたが、僕たち立原の家、つまりは祖父母の家はかなりの名家らしい。
どういう経緯かは知らないが、政治的なあれこれの圧力があったのではないか?
僕は今でもそう思っている。
「元気でやってるかな?」
連絡が無いのは不可解だけど、名家だというなら大事にされているだろう。
僕もまあ、このまま大学卒業ぐらいまでなんとかなる予定は立っている。
今はそれで我慢すべきなのかも知れない。
僕は画像アプリを閉じて、スマホに充電コードをつないだ。
ポン、という音が一つだけ、静かな部屋に響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます