私の心を叩くのは
上舘 湊
第0話
...暗闇に包まれた一室の中で、甲高い機械音に鼓膜を揺らされ目が覚める。
耳元で鳴る音により睡眠が妨げられ、全く気が進まないが重たい瞼を持ち上げる。
私は真っ暗な部屋の中で不自然なほどに光っている携帯電話に手を伸ばす。
連続して鳴っていたアラーム音は区切りの悪いところで切られ、まるで一発で仕留められた動物の様にそれ以降の音は無い。
しかし、切るまでに時間がかかったせいか瞼を落としても再び眠りに付ける気配がしない。
こんなことなら無駄なアラームを付けなければと後悔したが、少しでも人間の生活を忘れないためにもこのひと手間が大切なのだと思う。
確証は持てないが、こうでもしないと昼夜逆転してしまうことは目に見えている。
寝れないものは仕方がないと割り切り、私は体をベットから引き剥がして座る。
外からの光を遮っているカーテンには少し隙間があり、一筋の光の侵入を許している。
「私の中にはこの一筋の光すらないんだ」
...なんて
まるで物語のような感傷的なセリフを吐く自分が馬鹿馬鹿しくなり、カーテンを開けること無く腰かけていたベットから立ち上がる。
床のフローリングは裸足で踏んでも冷たくなく、本格的に冬が過ぎていったことを伝えている。
「いた!」
数歩足を進めると、カランカランという甲高い音と共に少し動かした足に痛みが走る。
咄嗟に声を出してしまったが実際にはそこまで痛みはなく、物に当たった条件反射で自然と声が出てしまっただけだ。
暗い部屋の中でよく目を凝らして確認すると、私の足元の延長線上。部屋の真ん中を陣取っている机の足元に空き缶が転がっているのが見えた。
恐らくは昨日の夜に飲んでいたジュースの缶だ。特徴的な赤いラベルを纏うそれからは床に中身がこぼれたような形跡は見当たらないために少し安堵した。
もし床にこぼれていたのなら後処理がめんどくさい。床の匂い取りをしなければいけないのは何としても避けたいところである。
私はその空き缶を拾い上げて手に持つと、部屋の扉を開いて廊下へと飛び出し階段を下っていく。
階段の最終段を降り切りリビングへと繋がる扉を開くと、台所に立っている母親の姿が目に入った。
「...おはよう」
「おはようかなちゃん。朝ごはん食べる?」
シンクの中で何やら作業をしている母親に挨拶をすると、あちらも気づいて私の方を向き、挨拶と朝食の有無を返してきた。
「いや...今は大丈夫」
「そう...それじゃあ必要な時に言ってね。もし遅くなりそうなら朝ごはんとお昼ご飯を兼用して出すからね。」
今日は目覚めが少し悪かったこともあり、何となく朝食を食べようと思える気分では無かった為、母親に断りを入れる。
彼女は一瞬寂しそうな表情をしたが、すぐに柔らかい笑顔に戻り優しく言葉を返してきた。
こんな私にも優しく微笑んでくれる母。
その様子に、私はいたたまれない気持ちになりながら缶をゴミ箱に捨ててリビングを去る。
朝食の数十分くらい一緒に過ごせば、こんな気持ちにはならないのだろう。しかし、断りを入れてしまった以上自分自身の判断を変えるようなことは私にはできなかった。
私はこんな曖昧な自分に嫌気がさし、足早に自室へ向かう。
扉を開けた先には暗黒の空間が広がっており、世界で一番気持ちが落ち着く場所でベットに飛び込んだ。
***
私は不登校だ。
こうなった原因は中学時代にスクールカーストトップのグループ達から陰湿な受けたいじめにある。
中学時代の私は俗に言う「陰キャ」と呼ばれる様な生徒で、仲のいい友人二人くらいと休み時間を過ぎし、それ以外は教室で本を読んでいるような、言ってしまえば特徴の一つもない生徒だった。
そんな変わらない毎日を過ごしているある日の事。その日の事を私は一生忘れず、そして一生後悔することだろう。
普段と違い教室がかなり賑やかだったために、私は静かに本を読める場所を探し求めて暗い校舎裏を歩いていた。
そこで聞こえた音は小鳥のさえずりとは真反対の位置にある笑い声と恐喝声、そして女子生徒の嫌がる声だった。
あまりに異様な声に思わずその場を覗くと、その場に座り込んでいる大人しそうな女子生徒一人の周りを男女5人ほどの柄の悪い集団が囲んでいる。
露骨なほどのいじめの場面を目の当たりにして私がその場をそっと離れようと身を翻した時、弱弱しい声の「やめて...助けて」という声が私の耳を通り抜けた。
そしてその時にはすでに私の身はいじめの現場へと飛び出していた。
「...やめなよ。か弱い女の子に複数人で寄って集って...カツアゲかいじめか知らないけどダサいよそれ...」
「あぁ?」
女子生徒をかばうようにして腕を広げている私に、リーダーと思わしき男子生徒が鋭い眼光でこちらを睨む。
しかしここで怯んでしまっては何にもならないと思い、私は引かずにその場に立ち塞がった。
すると男子生徒はゆっくりと立ち上がり私の目の前に来て再び睨んでくる。
私よりも一回り以上も大きく、中学生とは思えないような体系をしている。
それでも引かない私を見て、面白くなさそうな顔をして「行くぞ」と言い5人は暗い校舎裏から明るいグラウンドの方向へと消えていった。
それからの生活がすべて崩れることを知らない当時の私は、女子生徒一人を守り切れたと安堵していた。
次の日
朝登校した私が教室に入ろうとすると何やら教室が騒がしく、教室入り口に人が溜まりながら教室内を見てこそこそ話している様子が見えた。
その目線の向く方向を見ると、そこには絵具や土などで汚されている私の机が、何の文句を言わずに立ちすくんでいた。
どうしてこんなことに。いったい誰が。
一目見たときに私の思考にはそんな言葉が浮かび上がってきたが、教室を見渡すと誰がやったのかどうかは一目瞭然であった。
私の机の方を固まってにやにやとみている集団。
昨日女子生徒をいじめていたあいつらである。
そして私はこの行動が昨日の復讐であると理解したが、それを知ったところですぐにどうこうなる話ではない。
私はぐちゃぐちゃに散らかった机の上を掃除し始めた。
ここからが始まりだという事も知らずに
それからも、標的が私に変えられたように執拗に私ばかりを狙っていじめを繰り返してきた。
ある日は靴を捨てられたり、ある日は教科書がすべて池に落とされていたり、そしてある日は下駄箱の上履きに画びょうが詰め込まれていたりした。
それから数か月が経ち、修学旅行の前日。私はグループの中の一人で小学生の頃に仲の良かった亜美にあの日と同じ校舎裏へと呼び出された。
「...亜美、よくもまあ当然のように私を一人で呼び出せたね。もうあの頃のように仲良くなんてできないよ。」
「わかってるよ、今回は忠告をしておこうと思って。」
「忠告?」
今更いじめっ子がいじめられっ子にする忠告なんて内容が絞られるだろう。しかし私は抵抗したり言い返したりしていたわけでは無いため、そもそも呼ばれる理由もない。
頭の中で何を言われるのかを予想して、すべてに返答ができるように解答を準備していた。
...しかし亜美の口から出てきた言葉は私の想像を絶するものであった。
「明日の修学旅行、あんた来ない方がいいよ。」
「..っ!」
修学旅行に来ない方がいい。
旅行先でもいじめられるからか?それともいじめている相手が同じ場所に居たら自分達が旅行を楽しめないからか?
どれだけ考えてもその言葉が指す意図を正確に理解することは出来なかった。
そして、私は修学旅行を欠席した。
理由はいじめられるとかそんな理由では無く、昔とはいえ仲の良かった亜美から言われたのがショックだったのだ。
期待はしていなかったが「心配の声をかけてくれるかも」と少しでも思ってしまったのが悪かったのだろう。
それから私は学校を休みがちになり、不登校となった。
通常の卒業式の後に行われた、校長室での卒業式は比較的新しい記憶でありながら一生記憶に残り続けるものだろう。
***
「はぁ...」
昔話を思い返しながら、私は深いため息をつく。
あの頃から逃げた結果が今の私だ。しかしあの日の選択自体を間違えたとは思っていないし、私自身女子生徒一人を助けられたことは誇りに思う。
「...もうこれ以上はいいか」
携帯に映し出される時計には10時26分と表示されており、お昼を食べるには少し早い時間であるためにもう一度ベットに体を預けて私は瞼をそっと閉じた。
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