菜花としゃべる生首とわたし

 菜の花は、おひたしにすると美味しいのよと生首は言った。


「もっとも、今の私には作ることが出来ないから、貴方に作ってもらわないといけないのだけれど」


 すまし顔で、つんとそう続けた後に生首は破顔した。その表情が、ひどく愛らしいと男は思う。


「さぁさ、菜の花を摘みに行きましょう」


 ふよふよ、と浮かぶ生首は、道案内をするように男の目の前を進んでゆく。浮かぶことと飛ぶことは同義ではないのだと生首は昔、男に教えてくれたことがある。それが何を意味しているのかはよく分からなかったけれど、彼女の言葉はいつだって男の脳みその皺に刻まれたままだった。


「この辺りかしらね?」


 生首が、川辺に生える菜の花を眺める。黄色の花は、実のところ男にとって好ましくないものだった。春を全力で主張するその色は、けれども、生首にとっては喜ばしいものらしい。


「わんちゃんの散歩コースはちょっと、良くないわ。避ける感じでいきましょう」


 川辺の花は役所が管理しているんじゃないか、と男が呟くと生首がくるりと振り返った。


「大丈夫よ。私が抜けば問題ないわ。きっと。だって、私って生首だもの。法の外の存在になって久しいもの。多分、大丈夫よ。大丈夫。腕はないけど、口はあるから、私が口で抜くわ。頑張って」


 こういう、生首が時折発する生首ジョークになんと返せばいいのか、男には分からない。ただまごつくだけの男を放って生首はふよふよ、ふよふよ浮かび回る。特にジョークへの返しは求めていないのかもしれなかった。恐らく、今の生首が求めているのは菜の花だけなのだろう。


 それは多少、プライドが傷付くな、と男は思った。川辺の遊歩道を二人で歩くのは――片方は浮いているが――デートっぽい。デート中に自分を求められないのは、少しばかりしょんぼりしてしまうものだろう。


「あ、ほらあったわ!」


 生首が、嬉しげに笑う。

 ぱっと綻んだ笑顔に男の心が縮まった。ぎゅうと千切れそうな音が胸から聞こえる錯覚に男は呻いた。


「取ってくるわね。おひたしの作り方は、私が全部教えてあげる。だから、私のこと思い出してね。愛しい貴方」


 急な事故で男は恋人を喪った。

 春のことである。出会いと別れの季節。ちょうど、黄色の花が咲き誇る場所で、恋人はいなくなってしまった。


 生首が現れたのは、その次の日のことである。


 恋人の顔をした生首に言葉を失った男に、生首は、首を傾げてこう言った。

 私のこと、忘れちゃったの? と。


「思い出してくれるまで、私、貴方を置いて天国になんて行けないわ」


 忘れたフリをし続けて、恋人の名前も恋人の首から下がある姿も男は忘れてしまったけれど。その代わりに生首は男を置いて空に飛んでいってしまうことはない。






 ――というのはどうでしょう?


 わたしは手のひらにいる檸檬色の生首に再び尋ねた。難しそうな顔を彼女はしている。よく見てみれば、わたしよりも幼い顔をしているのだなと思った。生首に若いだの年寄りだのといった概念があるのかは知らないけれど。


 この檸檬色の生首は、わたしに話させてばかりで自分のことを話そうとしないのだ。

 わたしに分かるのは、ふたつだけ。


 生首が物語を欲していること。


 生首の好みはわたしとあまり反りが合わないこと。


 ハッピーエンドを所望されたので、ハッピーなデートの物語を話したのだが、気に入らなかったらしい。


「つぎです。つぎのおはなしをきかせてください」


 どうやら、まだまだ、自称生首のお姫様であるらしい彼女から解放されることはないらしい。

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