落下としゃべる生首とわたし
旅人は、穴に落ちている。
底の見えない穴だ。
いつから落ち始めたのか分からないぐらい、長い間、旅人は落ちている。最初のうちこそ、数を数えていたが、もうやめてしまった。なぜ落ちてしまったのかも分からない。
体が上を向いているのか、あるいは下を向いているのか。それさえ、旅人にはもう分からなかった。
落ち続けていると死ぬ方法だって思いつかない。縄は意味がないし、ナイフだって鞄から取り出せない。
目を閉じて、ぼんやりと過ごすことが旅人の日常になったのかも、いつからか分からないぐらいの時間が経った時、不意に気配を感じた。
久々に目を開ける。あんまりにも使っていなかったからなのか、ぼんやりとしか見えない。そんな中、一つ何かが一緒に落ちているのが見えた。
生首だ、と旅人は直感する。
「こんにちは」
陽気な声が、旅人の鼓膜を揺らした。本当に久しぶりのことだった。
掠れる声で旅人も挨拶を交わす。
生首は満足げに頷いているようだった。上下に揺れているだけなので分かりにくかったけれど。
「良かった良かった。君がうんともすんとも言わないで目を閉じているから、喋れないのかと心配していたんだよ」
陽気な声は、嬉しそうに笑う。
「それにしても、君がいて良かったよ。俺一人だと退屈でどうにかなるに違いなかった」
生首は、言葉を続ける。
「君はいつからこの穴に落ちているんだい? 俺は、うっかり首を滑らせてね。首の断面が滑らかすぎるのも困りものだよ……ああ、すまない。聞くべき問いではなかったようだ。君にそんな顔をさせたかったわけじゃあないんだよ。信じてほしい」
からころ、と笑う生首に旅人も笑う。表情筋はどうにか動くらしい。対して、体の方は動かさなさすぎて、ぴくりとも動かなかった。
生首、と言えば空を飛ぶ印象が旅人にはある。この穴を自分と一緒に飛ばないで落ちているのは、なぜなのかと旅人は陽気な生首に尋ねた。
「どの生首も空を飛べるわけじゃあない。君が言う生首は、ろくろ首だったり飛頭蛮のことだね。俺は飛べない生首なんだ」
そこで生首はすい、と旅人に近づく。
生首の瞳が、見えにくい旅人の瞳にも映り込んだ。
「君だって、そうだろう? 飛べる生首なら、とっくの昔にこの穴から逃げ出している筈だ」
陽気な生首の瞳には、旅人の姿がある。首から下がない、生首の旅人だ。いつからこの姿なのか、それとも穴に落ちる前から生首だったのか。落ちるよりも以前のことを旅人は思い出せないことを思い出した。
けれども、しかし。旅人は笑った。
ひとりでないならば、自分が生首かそうじゃないかなんて、どうだっていいと旅人は思いながら、笑った。陽気な生首の自由が犠牲になったしあわせだということに目を瞑って。
――というのはどうでしょう?
面倒だなと思いつつ、わたしは手のひらにいる檸檬色の生首に尋ねる。突然空から落ちてきて、わたしの手のひらにすっぽり乗った小さな生首にちなんで、落下に関する生首の話をしてみたが、反応は芳しくない。ハッピーエンドをご所望のようだ。この話だって、旅人が一人きりではなくなったのだから、ハッピーエンドと言えるのではないだろうか?
「つぎです。つぎのおはなしをきかせてください」
わたしは、あといくつ生首の話をすれば、自称生首のお姫様であるらしい彼女から解放されるのだろうか。
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