第2話 事変
俺、小川翔馬はICUにいる女性患者に食事介助をしていた。むせやすいので一口量に気をつけながら、ペース配分に気をつけて。スプーンの抜き方にも目一杯気を配る。
介助の最中、馴れ馴れしい口調で声をかけてきたのは亀田だった。
「小川さん、そんなペースじゃ終わんないよ。もっとペース早くやらないと」
一応は先輩なので「はい」と空返事をしてペースを早めたふりをする。まともにコミュニケーションが取れる患者がいない部屋とはいえ、よくもまぁそんなことが言えたものだと内心憤慨する。
「本当に亀田さんは食介早いですよねー。町野さんの介助も任せていいですか?」
「おっけーだよん」
お調子者の亀田は3年目女性看護師の渋川さんにお願いされてすっかり舞い上がっている。勢いよく飛び出して501号室へ向かって行った。
俺は全く納得していないが、ここの病棟では食事介助を早くできればそれだけスタッフから崇められる傾向にある。もちろん仕事の時間も限られているため時間配分も大事ではあるのだが、患者さんのペースに合わせるのが大前提だろうに。それを阿智羅や亀田、熊元なんかは山盛りのスプーンを口に押し込むやり方で介助をしており、患者さんが激しくむせる場面が散見されていた。ここのスタッフの看護観はすっかりねじ曲ってやがる、と配属間もなくしてブチ切れる寸前まできている。
夜勤のオムツ介助にしても、先輩看護師の吉山さんから、「パッドは三重当てでいいよ。漏れたら面倒じゃん」と患者さんを前にして指導され、渋々そのように対応した。閉じたオムツはパンパンになっていた。意識障害がある患者さんだったので何も言わないが、俺が患者さんだったら絶対激おこだな、と思った瞬間だった。ここに、俺がやりたいと思った看護はないようだ。
ところで、足腰が弱い方でも容易に入浴ができる車椅子型の入浴器具は病棟にあるのだが、ストレッチャー型のほうは6回西病棟にある。そこは現在全室空室の空き病棟で、ストレッチャー入浴のためだけに使われているのだ。
つまり誰もいないので多少物音を立てても誰の耳には届かない。阿智羅達にとっては絶好の暴行場所となっているのだ。師長もそれを見逃して阿智羅や亀田達を1人で入浴担当に回しているのだからタチが悪い。
「小川さん、薬塗っといて」
はい、と亀田の顔も見ぬままに返事をして軟膏を準備をする。本日のストレッチャー浴担当は亀田だった。以前先輩から教わったように、亀田が連れてきた患者さんの両足趾に白線治療薬を塗布した。
本日、百目鬼重五郎さんは最終入浴であった。百目鬼さんは転院後10日経つが、とくに変わった所見はなかった。昼食時に経管栄養もあるので亀田は早めに入れたかったようだが、リハビリの時間と重複し、結果ラストになってしまったようだ。
亀田はストレッチャー浴の患者を2時間半弱で7人も終えていた。更衣時間や移動時間も踏まえれば普通、1人でそれをこなせるわけがないので雑に介助しているのだろうと思われる。
「小川君、ちょっと6階見てきてくれない?」
看護師吉山さんから声をかけられ、めんどくせえと思いながら俺は6階まで階段で向かった。百目鬼さんを亀田が6階まで誘導して以降、40分ほど経っても帰ってこないのだ。あの亀田にしては遅すぎる、と病棟スタッフは皆思っていた。とくに、部屋担当の中村さんが、いつまでも経管栄養できないので苛立っている様子だった。亀田のピッチに電話を入れても通じないので、手が空いている俺が浴室に向かったわけだ。
6階西病棟に入ったが不気味な程に静かだった。患者が一人もいないのだから当然なのだが、亀田の気配があるはずだ。もしや、エレベーターで入れ違ったか、と疑念が生まれため息がでる。
浴室のカーテンは閉まっていた。そこまで来ても全くの無音だった。なので、どうせ誰もいないだろう、と思いながらカーテンを開け、中に入った。そこには全く予測していない光景があった。
「わあああああ!!!!」
俺は情けないことに尻もちをついてしまった。浴室にいたのは、全裸になってストレッチャー上に横たわっている百目鬼さん。そして、力なく壁にもたれかかり、両目をかっぴらいて絶命している亀田であった。
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