Track 2-1

「そういえばリンくんってドMなの?」


 好きな女の子にそんなことを言われたのは、桜がまだ残る四月のことだった。

 土曜日、部活終わりに、公園のベンチ。二人とも部活用のバッグを下に置いて、並んで座る。以前は砂で汚れるからとベンチの上——僕と彼女のあいだ——にバッグを置いていたけれど、今はそのスペースもない。少しでも手を伸ばせば身体に触れられるほど近い。これはチャンスなんじゃないか、そんなことを思い始めて色めき立っていた、ちょうどそのころだった。


「え?」

「え? なに? へんなこと聞いた?」


 うん。

 首をたてに振りそうになるのを直前で抑えて、僕は考える。

 いつもの素敵な顔でラフに、彼女はこの話題をふっている。僕がドMか、そうでないか。まるで昨日の夜ごはんでもきくみたいに。

 それを慌ててふためいて「プライバシーの侵害だ!」などと否定的に答えるほうが、おかしいのではないか。「このくらいの質問でおこるなんて、小さい男!」とすら思われるかもしれない。今まで積み上げてきた好感度が崩れる音を、僕は頭の奥できいた。


「いや、全然っ! ふつうだよね、ドMかそうじゃないかきくなんてさ!」

「え……?」


 え?

 若干ひいてる。やばい。どうしよ。

 ていうか僕はいまなにを言っていたんだろう。

 僕は肯定にも限度があることを知り、ひとまず黙ることにした。とにかく彼女の質問の意図を知る必要があった。


「今日友だちにリンくんのこと話したんだけどさ、そしたらドMだね、ってその子が」


 まだ春なのに、背筋に冷たい汗が走る。

 そんな僕に優しく頭上から公園の桜が舞い落ちる。


「どうして? なんで僕がドMなの?」

「陸上部だから」


 陸上部だから。

 僕は彼女の言葉を頭のなかでくりかえす。

 陸上部だから?


「ごめん。意味がよく分からないんだけど」

「えっとね。友だちが言うには、陸上なんて自分の身体を痛めつけるだけのスポーツらしいの。だからそんなことやってるやつは、ドMしかいないって。性癖もねじくれてるんだって」


 とんだ偏見だ。

 ウサインボルトもびっくりだ。

 だけど、僕はそれを否定する材料を持ち合わせていなかった。他の部員にドMかそうじゃないかなんて訊いたことなんてないし、僕自身の性癖はねじくれていたから。


 彼女は僕を見つめながら、長い黒髪をなでるように触る。そのときに抜けた一本の艶のある髪が、さらりと落ちる。桜の花とともに落ちる黒髪。僕は手を伸ばしたい衝動を抑えて、ごくりとつばを飲む。


 昔から、女性の髪に興味があった。男性にはないさらさらとした質感、近づくと香る甘いシャンプーの匂い。だんだんとその興味は興奮に変わり、中学生になった今、僕は想像のなかで女性の髪を凶器に変える。なにを言ってるか分からないと思うけど、僕は女性の髪で傷つけられたいのだ。髪の先でちくちく攻撃されるのもいい。髪を束にしてムチのように叩かれるのもいい。

 異常な性癖だということは分かっている。たぶんウサインボルトも聞いたらびっくりする。


「それで」


 彼女はかわいらしく首を傾ける。その艶やかな黒髪に淡い色の花弁が乗る。


「リンくんはドMなの?」


 好きな女の子は、僕のことを好きではないのかもしれない。

 そんな予感は前からあった。

 今日だってそうだ。

 バスケ部の彼女はシューズを履きかえるから、外靴は好きなものを履いてくればいい。派手すぎなければ、顧問から注意されることもないはずだ。それなのに――

 

 どう答えていいか分からず下を向いた僕の視界に、彼女のはく俊足が見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る