幕間

閑話「クラスメイトから見たエクソシスト」

 高校卒業が間近に迫り、何か形になるものを残したいと執筆を始めた回想録。

 だいたい思い出話は書けたと思っていたが、一人だけ忘れていた奴がいたので、もう一度筆を執らせてもらおう。


 荒木明。


 1年から3年まで同じクラスで過ごした同級生の男子生徒だ。

 陰気な雰囲気の漂う奴で、眉に皺を寄せた三白眼が印象的。

 目つきも悪ければ愛想も悪く、常に一人でいたがる奴だった。

 同学年に友達は一人もおらず、入学初日に話しかけた生徒もいたが全滅。

 何をそんなに張り詰めた態度でいる必要があるのかと、クラスメイトからの第一印象は悪かった。


 とはいえ妙に自己の言動に対する責任感があり、当番などはしっかりやる奴だったので、虐められこそはしなかったが。

 まあ、纏う雰囲気や顔のいかつさも関係していたとは思うけど。


 そんな荒木に対する印象が変わったのは、ある特別授業がきっかけだった。


 よく覚えていないが、その日は確か、教師側の不手際か何かで本来予定していた授業が延期になったんだと思う。

 そんなこんなで代わりに行われることになったのが映画鑑賞だ。

 映写機を使ってスクリーンボードに映画を映し、それを皆で鑑賞しようというもの。

 映画鑑賞が終わった後に感想文を書かなければならない点は面倒だが、普段の退屈な授業から逃れられるというだけでも嬉しく、俺は友達と一緒になって喜んでいた。


 教室のカーテンを閉め切り、暗闇の中で映し出されたのは実写映画。

 内容は「フランダースの犬」のオマージュだろうか。

 犬と少年の友情物語で、迫りくる艱難を二人で耐え忍び、時には力を合わせて潜り抜ける、そんなお話。

 決定的に違う部分があるとすれば、それは物語の最後がハッピーエンドだったという点。

 ネロとパトラッシュは天使に迎えられることはなく、物語が終わった後は幸せな人生を送れたのだ。

 脚本家が「フランダースの犬」に抱く感情の強さや複雑さが伺える内容だった。


 そんな物語が終盤に差し掛かった頃、鼻をすする声が聞こえた。

 しかも女子ではなく男子の声。

 確かにいい話ではあったが、男子高校生がここまで感情移入するとはと驚き、失礼だとは思いつつも、つい視線を向けてしまう。

 するとそこには驚くべき光景があった。


 なんと泣いていたのは、あの荒木だったのだ。


 普段は常に斜めに構え、不機嫌そうな雰囲気を振りまくあの荒木がだ。

 必死に嗚咽を堪え、唇を一文字に結んで、無表情を取り繕おうとしている。

 こんな一面もあったのかと驚嘆せずにはいられなかった。


 映画鑑賞が終わり、感想文を書くことになった。

 まあ、俺が書いた内容は無難だった。

 ここが良かった、ここが悲しかった、最後に救われて良かったという、極めて取り留めのない文章。

 おそらく俺と同じような内容の感想文を書く奴は沢山いるのだろうと思いながら筆記用具を動かしていく。

 そうして書いた感想文を教卓に提出し、授業を終えた。


 次の日、感想文が教室に張り出された。

 その光景を見てふと俺は気になった。

 荒木はどんな感想文を書いたのだろう、と。


 張り出されていた荒木の感想文を見て、俺は再び驚いた。

 なにしろ、あの荒木が書いたとは思えないほど、とても情緒豊かな内容だったから。

 文字数は原稿用紙一枚分からはみ出していないにもかかわらず、的確に読み手の記憶を呼び起こし、感情を揺さぶる文章。

 俺が気にも留めず見過ごしていた部分にもしっかりと注目しており、そこから読み取れる意図やテーマ、哲学性にも言及し、盲が開かれたとでもいうべきか、今までなかった気づきを幾つも俺に与えてくれた。

 まさか他人の感想文を読むということが、ここまで面白いものだったなんて。

 さらりと記された神話に対する深い知見も、感心せずにはいられなかった。


 のちに発表された感想文の最優秀賞は、荒木が獲得した。

 これは俺の予想通りの結果だった。

 

==


 それからというもの、俺は荒木が気になり、たまに目で追うようになった。

 そうして分かったのは、あいつが妙に義理堅く絆されやすい男だということ。


 ある日の教室で、学年でも有名なバカップルが痴話喧嘩を始めた。

 会話の内容はよく覚えていないが、どちらが悪いかで言い争っていたと思う。

 ただ、会話の論点がいまいち噛み合っていなかった。

 そんな二人の姿を見て、友達でもなければ碌な関わりもない荒木が、妙に悲しそうに眉を顰めていた姿は印象的だった。


 それらの違和感の正体が分かったのは、次の日のこと。

 先日喧嘩していたカップルが、あっさりと仲直りしていたのだ。

 クラスの皆で何があったのかと伺うと、今朝二人の下駄箱に一通ずつ手紙が入れられていたのだという。

 手紙の内容は二人の誤解を指摘するものであり、そしてお互いの愛情に偽りがないことを証明するエピソードの数々。

 この手紙を読んで話し合うことで、二人は誤解を正し仲直りできたのだという。


 彼らはこの手紙の送り主にお礼をしたいと語った。

 しかしながら手紙には差出人の名前が記されていなかった。

 なので正体が分かる人がいれば教えてほしいと。

 俺は手紙を読ませてもらい、あることに気づく。

 それは文字の形や文章の特徴が、荒木にそっくりだったということ。


 そのことを二人に伝えると、二人は荒木にお礼を伝えに行った。

 二人は手紙の送り主に対して強烈な好感を示していた。

 あの荒木にも、ついに友達ができるのかと感慨深い感情を抱く。

 しかし、その結果は期待外れであり予想通りのものだった。


 帰ってきたカップル二人は、不機嫌そうな態度を隠せていなかった。

 結果はどうだったのかと聞くと「違う」と否定されたらしい。

 それでも文字の特徴などを指摘して追及を続けると、罵詈雑言が返ってきた。

「痴話喧嘩なんてアホのする事、耳障りでイライラしていた。

 こんなくだらない内容で二度と話しかけるな」と。

 それが二人の不機嫌の理由だった。


 とはいえ俺には確信があった。

 手紙を書いたのは荒木だと。

 なにしろ荒木が書いた文章が発表されるたびに目を通していたのだから。

 当時の俺は文筆家荒木のちょっとしたファンだったのだ。


 どうして荒木は彼らを助けたのだろう?

 普段から孤独を好む荒木が、ただクラスメイトというだけで何の接点もない二人を。

 態々自分の正体を隠していたのだ。

 誰かを助けて人気者になりたい、なんて安直な理由ではないだろう。


 そこでふと脳裏を過った一つの記憶。

 それは入学当初の出来事、かつて荒木が机からシャーペンを落とした際、カップルの片割れである彼氏に拾ってもらった光景だった。

 まさかあいつ、忘れていなかったのか、あんな昔のことを。

 しかもまさか、たったこれだけの恩ともいえぬ優しさを返すために……?


 いいや……そもそもの話、俺は荒木とあいつらをただのクラスメイトと断じたが、荒木にとってはただ同じ教室で過ごしていたクラスメイトというだけでも、情を抱くに足る関係性だったのかもしれない。

 なにしろ荒木は、たった二時間にも満たない少年と子犬の友情劇にのめり込み、その行く末に感動で涙を流すほど絆されていたのだから。


 この予想を立てて以降、俺は体育の授業などで教師から二人組を強制される際、一人孤立する荒木を誘って一緒に組むようになった。

 多少の善意もあったが、まあ、今のうちに恩を売っておけば重要な局面で助けてくれるかもしれないという下心もあって。


 とはいえやはり疑問だ。

 どうして荒木はここまで独りであろうとするのか。

 これほど根っこが人間臭いなら、自分を曝け出せば友達の一人や二人ぐらい簡単に作れるだろうに、荒木は決して人に好かれないように立ち回っている。

 カップルを助けた際も、決して自分のお陰だと気づかれないように努めていた。

 正体を突き止められた際は、ただ否定するだけではなく、態々相手を遠ざけるような言葉も残して。


 おそらくは過去に壮絶な裏切りにあったのかもしれない。

 家族か、友達か、恋人か、そこら辺は分からないが、信頼していた相手に裏切られてしまい、人間不信に陥った、そんなところだろう。


 可愛そうだとは思ったが、あいにくと俺は善良な人間ではない。

 悪党とまではいかないにしろ、普通の人間だ。

 苦しんでいる人を見れば心配はするが、俺には手に負えない問題だと分かればそそくさと逃げ出す、そんなどこにでもいる平凡な一般人。

 人間不信に陥った人間の心を開けるほどの、綺麗な心や熱意は持ち合わせていなかった。

 俺は早々に、荒木を救うことを諦めた。


 いつの日か荒木が人間不信を克服できることを祈りつつ日々を過ごし、そうして二年の月日が経った。

 祈りは通じたのか、高校二年の冬、荒木に近寄る後輩の女子が現れた。

 遂にあいつの良さに気づいた人間が現れたのかと、先んじて株を買っていた自分としては鼻高々な気分だった。

 とはいえそれが柊小夜子ちゃんだと知った際は、驚きを禁じ得なかったが。


 柊小夜子、通称小夜子ちゃん。

 俺達の一つ下の後輩であり、彼女は入学当初から目立っていた。

 文武両道、品性方正、容姿端麗な完璧美少女。

 社交性が高く人懐っこい性格から、すぐさま学校中の人気者になっていた。

 そんな彼女が荒木に懐くとは。

 羨ましくはあったが、妙な納得感もあった。

 一見して正反対の二人。

 片や学校一の人気者で、片や陰気な独りぼっち。

 とはいえ根っこの部分は似通っていたのだろう。

 どちらも困っている人は放っておけないお人好しなのだから。

 彼女が荒木を慕う理由は十分に理解できるものだった。

 そして同時に期待した。

 俺達の学年にも話題が聞こえてくるほど善良な彼女であれば、荒木の心の壁を打ち砕き、人間不信を克服するきっかけとなってくれるかもしれない、と。

 

 そんな俺の予想は当たったのか、日に日に荒木の纏う雰囲気は柔らかくなっていった。

 相変わらず眉間に皺が寄ったままではあるものの、所作や言葉に棘が減り、荒木に助けられたという生徒たちの噂話を耳にするようになる。

 三年の終わりになる頃には、荒木を慕う後輩も増えていったようで、よく小夜子ちゃんと一緒に一部の後輩と昼飯を食べている姿を目にするようになった。

 同学年ではあの気位の高い天下原が荒木と対等に話すことを許していたのは驚きだった。


 最近、荒木と小夜子ちゃんは、よく一緒に学校を休んでいる。

 聞いた話では、人助けのため、らしい。

 今まで大人しかった荒木が3年に入ってから突然そんな事を始めたため、不審に思う教師もいるようだが、おそらくあいつの人生はいい方向に向かっているのだろう。

 それは最近あいつが浮かべている表情を見れば嫌でも分かる。


……ただ一つ気がかりなのは、果たしてあいつは大学で二人組を作る際、一緒に組める友達を新しく作れるだろうか……という点だった。

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