第21話「デュラハン2」

「__あ、ありがとうございました。

 なんだか体についていた悪いものが取れた気がします」

「そうか、よかったな……眠いか?」

「ご、ごめんなさい……」

「謝るな、子供はもう寝る時間だ。

 とりあえず今日のところはここで寝ればいい。

 教会主の戸塚神父も、こんな事態で文句を言いはしないだろう」


 儀式を終えた後、すずはすっかり安心した表情で眠りについた。

 眠りにつくのは一瞬だった、それほどまでに疲労が溜まっていたのだろう。

 ソファーに横たわるすずに毛布を掛け、未だ項垂れる柊に視線を向ける。


「……どうして現実はこんなにも非情なのでしょうか。

 死にたい、いいえ、むしろ世界を滅ぼしたい。

 ああ……今の私ならこの世界を滅ぼす魔王になれる気がします。

 今日から私がルシファーということで……」

「盛り上がっているところで悪いが、お前には頼みたいことがある」

「はぁ?

 私に頼みたいこと? 

 言うに事欠いて他の女とキスをしたその口で?

 冗談を言うのはタイムマシンを開発してからにしてくださいませんかねぇ……!」

「そう怒るなって、これが最後の言葉になるかもしれないんだから」

「……は?」


 すずは隣の部屋で熟睡している。

 多少騒いでも早々起きはしないだろう。


「『呪い移しの魔術』を使い、すずの呪いを、俺に移した」

「ちょ、ちょっと待ってください。

 ぎ、儀式ですずちゃんの呪いを解いたって言ってましたよね?

 まさかその時__」

「いいや、あの儀式に関してはブラフだ。

 まったくのカーゴカルト、中身の伴わない見せかけでしかない。

__すずとキスをしたあの時、呪いは俺に移された」


 こいつは俺が新しい性癖に目覚めたと思っていたようだが、実際は違う。

 すずから呪いを回収するためだ。


「熟練の魔術師であれば、藁人形や小動物に呪いを移せるそうだが、俺の実力だと、自分自身に移すのが限界みたいでな。

 なので俺は数日以内に、もしかすれば今日中に死ぬことになる」

「……!」


 柊は絶句した。

 目を見開ぎ、顎が落ちそうになるほど口を開けて。

 その後、何かに気づいたように、こう語った。


「……先輩、その呪い、私に移してください。

 先輩が死ぬぐらいなら、私が……!」

「残念ながら、俺の『呪い移し』は、他者から自分に受け入れることはできても、自分から他者に押し付けることはできないんだ」

「っ! なら私に『呪い移し』のやり方を教えてください!」

「一日やそこらじゃあ、習得なんてできねえよ」

「う、嘘です! 先輩は嘘をついています!」

「嘘じゃないさ」


 嘘だ。

 一日やそこらで習得できないことも事実だし、藁人形や小動物に移すことはできないのも事実だが、人から人へ移せないわけじゃない。

 俺はこの呪いを受け入れると決めている。


「なんで……! なんでそんなことしたんですか……!

 先輩はいつも言ってたじゃありませんか! 自己保身が一番大事だって!」

「……話は変わるんだが、お前は確か工作が得意だったよな?」

「今はそんな話をしてる時じゃないでしょう!

 確かに得意な方ではありますけど……」 

「ならお前に頼みたいことがある」


 俺は先ほど解呪の儀式で使うと偽って購入した諸々と__

 かつて召喚を試み失敗し、その代わりに送られた『ラファエルの手紙』を、柊に手渡した。


==


 段々と意識が浮上していく。

……成功したか。


 身体がだるい。

 寒くて寒くて仕方がない。

 心臓の鼓動もぎこちなく、無理をすれば止まるのではないかと不安を抱かせる。

 だがここで立ち止まっていては全てが水の泡だ。

 俺はソファーから立ち上がり、ドアの外で待機していた柊に視線を向ける。


 柊は、『青いローブ』を着こんでいた。

 これは前日、儀式をすると偽り買ってきた仮装用の道具だ。

 それ以外にも幾つかの小道具を身に着けている。

……どうやら準備は間に合ったらしい。


「あ、荒木お兄さ__」


『金貨』がポケットに入っていることを確認した後、動揺するすずを無視して部屋を出る。

 あいにくここに留まっていられる時間はない。

 俺は急いで目的地に向かって走り出した。

 後ろには足音が二つ。

 どうやら柊だけでなく、すずもついてきたらしい。


「何がどうなって……」

「先輩は『呪い移し』を行ったんです。

 儀式を行う前、先輩がすずちゃんとキスしたでしょう?

 それが『呪い移し』を行うために必要な動作でした。

 すずちゃんに憑いていた『死の呪い』は、そうして荒木先輩へと移されました」

「……やっぱり」


 すずも気づいていたか。

 だがあの泣きべそぶりからして、予想できたのは呪い移しまでだろう。


「ど、どうやって荒木お兄さんは、生き返ったんですか?

 呪いのせいで、死んだんじゃ……」

「正確には、呪いのせいで死んだわけではありません。

 先輩は、仮死薬を服用したんです」

「仮死薬……?」

「先日の夜、三人で儀式の材料を買いに行ったでしょう?

 その際、こっそり薬局に寄って買っていたそうです。

__『死の予言』の呪いは対象者が死ぬまで消えることはない。

 であるなら、自らを仮死状態にして死を偽ることで、『死の予言』が役目を果たしたのだと誤認させればいい__とのことでして。

 仮死薬の投与には失敗すれば死にかねないリスクもあったようですが……」

 

 正確には昨日ではなく、だいぶ前から用意していた。

 買ったところも薬局ではなく、教会の伝手を頼ってのもの。

 俺は既にアスタロトから死を予言されている。

 その対策として「エクソシストTRPG」ではよく使われる手法、

 仮死薬を使って『死の予言』を誤魔化す準備をしていた。

 とはいえ飲んでそのまま永眠する可能性もあったので、使用を躊躇っていた。

 アスタロトの『死の予言』が本物なのか、疑問を抱いていたのもある。

 だが、デュラハンの『死の予言』は、呪いを肌で感じ取れるほど鮮烈なもので。

 こういった理由から、俺は仮死薬の服用に踏み切った。


「の、呪いが解けたんですか……? 

 ということは、もう荒木お兄さんは死ななくてもいいんですね……。

 よ、よかった……でも、それならどうして走っているんですか……?」

「呪いを解けたと言っても、その元凶が健在じゃあ片手落ちだ」

「そ、それって」

「デュラハンを祓う」

「き、危険です!」

「策ならある、俺を信じろ」


 そうして俺達はすずの制止を無視して、町の郊外にあるという、すずの家に向かった。

 碌に道の整備もされていない荒野にポツンと構えられた、あばら家。

 その家の前には、真っ黒な馬に、小脇に首級を抱えた首なしの騎士。

 死を予言する大悪霊、デュラハンが佇んでいた。


「__ん? お前は……どこかで見たような」


 そんな筈は__いいや……俺も見たことがある。

 こいつの小脇に抱えている首級。

 頭から血を流すその顔は、かつて俺達が救えなかった、柊をナンパしていた男のそれだった。

……ヴィイ達の置き土産か。

 血痕だけ残して失踪したと聞いていたが、まさか悪霊の媒体になっていたとは。

 

「何者だ」

「どこかの誰かさん曰く、正義のエクソシストらしい」

「なに?」

「そして__」


__俺は考えた。

 今までのようなギミックボスではない、弱点のない、レベルを上げて装備を揃えて倒すしかないデュラハンを、どうやって祓えばいいのか。

 知識はあっても技術や武器の足りない俺達が、どうすれば祓えるのか。


 そして、一つの答えに辿り着いた。

 レベルが足りないというのなら、無理やりにでも上げればいい。


……さあいくぞ、とっておきの俺の切り札。

 俺が初めて作り出した、世界を騙す一世一代の大儀式__

__〝最強のエクソシスト〟を呼び出す降霊術を。


「__柊!」

「『__わたしはガブリエル、神の前に立つ者』」


 柊は、俺が貸したノートに記された『ルカによる福音書』の1章を唱えた。

 ガブリエル、それは四大天使の1柱。

 絵画に描かれる姿には『オリーブの杖』や『ユリの花』『巻物』『トランペット』に加えて『女性的』などの記号が取り入れられている。

 つまりは現在の柊と同じ格好だ。

 これらは昨夜買ってきた材料や工具を柊に渡して作らせたものだった。

 召喚術や降霊術の基本は見立て。

 俺は儀式の成立を目指し、柊にガブリエルを演じさせていた。


「『おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる』


 これらの小道具に加えて、もう一つ柊にある物を手に持たせている。

 それは__『ラファエルの手紙』。

 かつてラファエルの召喚に失敗した際、送られてきたものだ。

 ラファエルもまたガブリエルと同じく四大天使の1柱。

 これを柊に預けることで、僅かでも四大天使としての聖性を補完できると期待していた。 


『マリア、恐れることはない。

 あなたは神から恵みをいただいた。

 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子を__』」


 しかし、それだけではガブリエルを降ろすことはできないだろう。

『ラファエルの手紙』があるといっても、所詮はコスプレの範疇。

 四大天使の一人である彼女をそう簡単に降霊できるわけがない。

 見立てを成立させるには、あまりにも材料が足りなさすぎる。

 だからこれはあくまで、補助として利用させてもらう。

 本命を通すための__


「『__イエスと名付けなさい』」


 俺こそが救世主イエス・キリストであるのだと、世界を欺くために。


__救世主イエス・キリスト。

 十字架を背負って処刑され、人類の原罪を取り除いた現人神だ。

 とはいえその部分の物語は今は関係ない。

 俺がイエス・キリストに求めたのはエクソシストとしての部分。

 数多の悪魔や悪霊を祓った最強のエクソシストとしての逸話だ。

 俺はその力を求めていた。


「……っ」

 

 デュラハンは動かない。

 いいや、動けない。

 既に死んでいるというのにもかかわらず、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになっている。

 そんなデュラハンの隙を見逃さず、続けて柊が唱えたのは『マタイによる福音書』の28章。


「『恐れてはいけません』 

『あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。

 ここにはおられません』」


 これはイエスの遺体に油を塗りにきたマグダラのマリア達の前に、天使が訪れた時のシーンだ。

 この天使は聖書内で何者なのかは語られていないが、一説によるとガブリエルだとも考察されている。

 現在ガブリエル演じる柊であれば、この役割もまた担えると考えた。

 しかし柊に天使を演じさせ、俺を救世主だと告げさせても、それだけで俺が救世主になるわけもない。

 それだけでは、この儀式は成立しない。


 だが忘れてはならない。

 現在の俺達にはもう一つ、特別な符号があることを。 

 イエス・キリストを象徴する最たる符号があることを。


「『前から言っておられたように、よみがえられたからです。

 来て、納めてあった場所を見てごらんなさい』」

 

 仮死状態からの生き返り。

 すなわち死からの復活。

 医療が発展した現代でも、まだ成しえることができない大奇跡。

 それを手品染みた手法とはいえ、再現してみせたのだ。

 この夜が明けるまでなら、世界を欺くことは、できる筈だ。

 

「『ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。

 イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです』」


 とはいえ、ここまでやっても儀式の成立を確信できてはいなかった。

 なにしろ招き入れる対象はあのイエス・キリスト。

 世界で最も多くの人間に信仰されている、世界宗教の祭神。

 数多の奇跡を操り、父神と同一の存在なら、全知全能、世界すら創造できる。

 常識的に考えれば、こんなゲームバランス崩壊待ったなしの存在を呼び出す儀式が成立していいわけがない。

 

 しかしだ、俺には一つの確信があった。


「『では、これだけはお伝えしました』」


 それはGMへの信頼。


 誰だか知らんがTRPGのGMなんてやってるんだ。

 逆境からの大逆転。

『死の予言』を騙して復活し、救世主を見立てるなんてイカレた展開を見たがらないとは思わない。

 そうだよな、GM(ゲームマスター)。

 さあ、俺達に忖度しな。

 そして一緒に描こうぜ、最高の物語を__


「__『カイレテ(おはよう)』」

 

__来た。 

 俺はイエス自身が復活を告げた際の言葉を唱えた。

 すると、どこからともなく現れた光が、俺の身体を包み込んだ。

 その光が俺に悪影響を及ぼすことはなかった。

 それどころからどんな悪霊だろうと祓えるという万能感が湧いてくる。

 神の意志を代弁する力、聖霊。

 それが俺を、一時的にとはいえ救世主だと認めたのだ。


「はぁ……はぁ……」


 柊の方に視線を向ければ、表情は疲労が色濃く、右手に持った『ラファエルの手紙』は段々と灰となって消えつつある。

 人間を天使と偽るだけでも難しいのに、ラファエルの贈り物といっても、たかだか手紙一枚使ってガブリエルと偽るのは無理があっただろう。

 そしてこの力を振るえるのは一瞬だけ。

 瞬きするような一瞬だ。

 だが__それで充分。


「う、うおおおおおおおお!!!」


 デュラハンは吠えた。

 恐怖を振り払うように雄たけびを上げ、馬に鞭を打って駆けだした。

 踏みしめた大地は深い深い蹄の跡が刻まれ、雲にも届くと思わせるほど高い土煙が上がり、尋常ならざる速度で迫りくる。

 デュラハンの片手に握られた鞭は、凄まじい轟音を立てて、俺の眼球めがけて頭部ごと破壊しかねない威力で振るわれている。

 圧倒的な暴力。

 デュラハンが如何に強力な悪霊であるかを示していた。

 事前に警戒して距離を取っていたが、こいつが怯まず最初から勝負を仕掛けていたら、危なかったかもしれない。

 とはいえもう遅い。


「『サタンよ、退け』」


 その一言によって、デュラハンは消え去った。

 塵すら残さず、灰すら残らず。

 まるで初めからこの世界に存在しなかったかのように、

 デュラハンは祓われた。


==


……今回ばかりは流石に死ぬかと思った。

 とはいえこれで一連の騒動には決着がついただろう。

 ようやく枕を高くして眠ることができる__


「……先輩? それ……」

「え……?」


 柊が指を射したのは、俺の顎先。

 なんだ? よだれでも垂れてたか? 

 確かに粘ついた感覚がある。

 寝起きで顔も洗わず走ってきたからなぁ__血……?


「がはっ!」

「先輩!」


 口、鼻、眼、耳、爪の隙間、体中の穴という穴から血が吹き出した。

 痛みのあまり立っていられず膝をつく。

 何だこれは……?

 まさか、『死の予言』が解除できていなかったのか?

……いいや、『死の予言』の呪いはもうない。

 仮死状態になった段階で、確かに呪いは消えていた筈だ。

 それは感覚的にも理解できている。

 なら、どうして__ああ、そうか。


……罰が当たったのか。


 器が耐え切れなかった。

 救世主イエス・キリストの絶大な力は、俺如きの肉体で取り込めるものではなかったのだろう。

 デュラハンを祓うまではどうにか耐えられたようだが、ここで決壊した。


「ぐ……ぐああああああ!」

「先輩!」

「あ、荒木お兄さん……?」


 全身の肉が断裂していく。

 あまりの痛みに膝をつくことすらままならず、横たわり蹲る。

 取り繕う余裕もなく、恥も外聞もなくのたうちまわる。

 痛みは治まるどころか、どんどんと増している。

 俺はこのまま死ぬ。 

 対処法は思いつかない。

 ここから挽回するのは、どうあがいても不可能だ。


 脳裏を駆け巡る走馬灯。

 蘇った前世の記憶。

 自ら選んだ孤独。

 家族との日常。

 初めての悪魔との邂逅。

 初めてできた友達。

 初めてこの世界で友達と遊んだTRPG.

 初めて友達と行った遊園地。

 初めての__


 思い出すのは、柊のことばかり。

 思えば俺はこいつに散々振り回されたが、それ以上の幸福を与えてもらっていたのだろう。

 もっと、生きていたいという気持ちはあったが……仕方がないか。

 ここ一年、本当に楽しかった。

 それこそ今までの人生をすべて合わせても足りないぐらいに。


 だって、こんな俺がだぜ……?

 色んな人を助けて、尊敬を勝ち取れて、認められて。

 最後は可愛い女の子二人の前で、正義の味方を演じて死ねるんだ。

 悪魔と関わると決めた時点で__いいや、この世界に生まれた時点でどこかで死ぬ可能性は常に頭の隅を掠めていたが、予想する死に方の中では最上の部類だろう。

 これに文句をつけては贅沢がすぎる。

 だから、もう充分だ。

 俺はもう満足していた。

 ここで死んでもいいと思えるほどに。


 ああ……いい人生だった__


「先輩! 待って! 待ってください!」


__嫌だ、やっぱり死にたくない。

 

 薄れそうになる意識を強引に呼び起こし、霞む視界の中から柊を探す。

 柊は涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、俺に縋りついている。

 ここで死ねば柊はどうなる。

 きっと悲しむ。

 悲しむだけならいいが、柊は今後も悪魔事件に巻き込まれるだろう。

 その時俺が隣にいなければ、柊は間違いなく悪魔の餌になってしまう。

 それは嫌だ。


 それにだ。

 柊の後ろでは、すずもまた今にも泣きそうな表情でこちらを眺めている。

 このまま死んではすずに証明できなくなる。 

 こんな世界でも生き続ければ、最後には幸福が待っているんだって。

 どんな不幸も覆し、ハッピーエンドを齎してくれる正義の味方が存在するんだって。

 お前の絶望を消し飛ばす奴が、ここにいるんだって。


 俺はまだ死ねない。

 死にたくない。

 もっと幸せになりたい。

 もっともっと、柊と同じ時間を過ごしたい。

 まだ遊んでいないTRPGのシナリオを柊と遊びたい……!

 まだ行っていない場所へ一緒に遊びに行ってみたい!

 悪魔事件だって、口で言うほど嫌いじゃない!

 誰かを助けられた喜びを、また柊と分かち合いたい!

 承認欲求だって満たしたい!

 ここで生き残ってすずに頼りになるお兄ちゃんだと思われていたい!

 当然柊からの信頼と尊敬の念も勝ち取り続けたい!

 贅沢を言うのが許されるなら、今より進んだ関係を築きたい!

 今までは確信が持てなかったけど!

 自分が傷つくのが怖くて踏み込めなかったけど!

 あいつ絶対俺に気があるだろ!

 こんなチャンス手放したくない!

 せめて手ぐらいは繋ぎたい!

 できればハグもさせてほしい!

 恋人でもない女子にこんな思いを抱いちゃいけないのは分かってるけど!

 叶うなら……! 叶うなら__


 とにかく俺はこの世界を生きていたい!!!


 神様! 天使様! 聖者様! 誰でもいいから助けてくれ!

 正月には神社でお参り、12月にはクリスマスを祝い、実家の葬儀は仏教式。

 こんな時ばかり都合良く祈るのは悪いとは思っているが、それでも!


 ようやく俺はこの世界を愛せたんだ!

 他でもないこの世界を!!

 この悪魔の現れるTRPG世界を!!!













……なんて、都合のいい祈りが届くわけがないよな。





































「__私とイエスの名を騙る者がいると聞いて来ましたが……。

 彼らがあなたとニコラウスのお気に入りですか」

「いい子たちだろう?」


 僅かに星が見える朝空に、一際強く瞬く二つの星が見えた。

 それは二体の天使だった。

 片方は『青い服』を着て、『オリーブの杖』を持ち、『巻物』と『トランペット』をベルトにぶら下げ、『ユリの花』を飾りつけた『美しい女顔』の天使。

 もう片方は『藍色の服』を着た、優し気な顔立ちの天使。


「……私の名はともかくとしても、イエスの名を騙るなど言語道断。

 未熟さも目に余ります、デュラハンに立ち向かうには明らかに戦力が不足していましたし、呪いを解けた時点で撤退し、あとは教会の派遣を待つべきでした。

 戦い方も博打に身を投じすぎていますし……他にも色々と言いたいことありますが……。

__それでも、あなたが気に入る気持ちはよく分かります」

「君ならそう言ってくれると思っていたよ〝ガブリエル〟。

__たった一人の少女を救うために、死の運命に抗い、元凶たる大悪霊すら祓ってみせた。

 その勇気と献身は尊いものだ。

 にもかかわらず物語の結末が勇者の死では容認できない」


『藍色』の服を着た天使は、空から少しずつ降りてきた。

 そして俺の目の前で停滞すると、翼を振るい、一片の羽を俺の胸に落とす。

 すると少しずつ痛みが引いていく。

 バラバラになった体が繋ぎ合わされていく。

 柊とすずは、唖然とした表情でこちらを見ている。

……ここにきてようやく俺は『藍色』の服を着た天使の正体が分かった。


 癒しの奇跡を操る大天使ラファエルだ。


「この前は呼びかけに応じられなくて悪かったね。

 これはそのお詫びだ、受け取ってくれ」


__祈りは届いた。

 そよぐ風と癒える傷の心地よさに眠気を誘われ、俺は意識を手放した。


 こうして朝日は昇った。


==


 指先で羽を摘み、くるくると回す。


 ここは町内で一番大きな病院、その一室のベッドの上。

 あの後気絶してしまったもの、俺は一命を取り留められたらしく、とはいえ念には念を入れてと柊が救急車を呼んでくれた。

 色んな事に大らかなうちの両親が珍しく心配してきてくれたが、心配するなと言ったらそれで納得して帰っていった。おい、それでいいのか。

 検査の結果、外傷は完治していたが、骨や臓器の状態が若干悪く、それを治すために現在は療養している。

 とはいえ俺は、この怪我をいつでも治すことができた。 


 『ラファエルの羽』__それがこの聖遺物の名称だった。

 この羽はラファエルが落としていったものであり、気絶した俺に代わり柊が回収してておいてくれていた。

 『ラファエルの羽』が宿す奇跡は『治癒』。

 風通しがよく空気の綺麗な場所に置いていれば力が溜まり、その力を解放すれば死んでいなければどんな傷も治すことができる。

 あの時、俺の傷が全て治らなかったのは力が溜まっていなかったのか、それとも救世主の力を借りた代償として負った傷がそれほどまでに重かったのか。

 なんにせよ、俺はやろうと思えば今すぐにでもこの傷を治して退院できた。

 入院生活もいい加減飽きてきたところだが……。

 この世界の大半の人間は奇跡も悪魔も信じちゃいないからなぁ。

 しょうがない、一々説明するのも面倒なので、もうしばらく療院するか。


 コンコン、とドアをたたく音が聞こえた。


「どうぞ」

「こんばんは先輩」

「ああ、柊か」


 柊は丸椅子を取って、俺の座るベッドの隣に置いて座った。


「すずちゃんの一件、どうにか纏めることができました」

「どうなった?」

「……私の友達が紹介する児童養護施設に入ることに決めたそうです。

 一件落着__と言うには憚られますが」


 おそらくすずにとって一番望ましい結末は、親との和解だった。

 とはいえその願いは、それこそ悪魔にでも願わない限り叶わないのだろう。


「……世の中には変えられないものもある。

 すずの家庭は、もう手の施しようがないほどに終わっていた。

 お前は手を尽くしたよ」

「……ありがとうございます、そう言っていただけると助かります。

 といっても実を言うとそれほど思い悩んではいなかったんですけどね。

 すずちゃん、結構幸せそうにしてましたから」


 へぇ。


「周りの人とも打ち解け始めていて、段々と笑顔も増えていって、私が会いに行くとすごく喜んでくれて……先輩ともまた会いたがってましたよ。

 退院は明後日でしたよね、今度一緒にどうですか?」

「俺は……」


……いいや。


「行こう、俺もすずの様子が気になる」

「おや? 珍しいですね、先輩こういうのには付き合いが悪かったのに。

 では後日予定を合わせて__ん? その紙は?」

「ああ……これか」


 柊は机の上に置いたった、二枚の用紙に視線を向けた。


「教皇庁から感謝状を貰ってな。

 内容はヴィイに連なる一連の悪魔事件を解決したことについてだ。

 それで今朝、戸塚神父が見舞いに来てこれを置いていった」

「ほほう! またしても先輩の偉大さが知れ渡ったようですね!

 私も後輩として鼻が高いというものです!」

「報酬は後で受け取る手筈になっている、退院したら山分けだな。

 それとお前のことも褒めてたぞ」

「え、えへへ」


 柊はご満悦のご様子だが、俺はあまり嬉しくない。

 どうにも今回の事件解決で、実寸大より過剰な評価を得てしまったように思える。

 実態は悪魔知識とTRPGで得た知識でやりくりしているに過ぎない、にわかエクソシストでしかないというのに。

……頼むから変な期待をして実力以上の仕事を押し付けないでくれよ。


「もう一枚は?」

「……大学受験の合格通知」

「おお!? おめでとうございます!

……参考までにご拝見させてもらっても?」

「……好きにしろ」

「ではご拝見……民俗学部? 先輩が民俗学部……!?

 民俗学というと、神話や伝承などを習える学問でしたよね?」

「……」

「ま、まさか先輩が自から進んでプロのエクソシストを目指すために……!」

「別にそんなんじゃねえよ、就職率が高かっただけだ」

「高校卒業したら、絶対私も同じ大学に入学しますので待っていてくださいね!」

「……はいはい、待ってるよ」


……柊も同じ大学にか。

 まだまだこのモラトリアムも続きそうだな。


「それはそれとしてなのですが」

「……もしかして悪魔事件か?」

「違います。

……療院中に申し訳ないのですが、少し腹を割って話させてくれませんか?」

「?」

「私、あの儀式に先輩があんな代償を支払うなんて、知りませんでした」

「……俺も知らなかったんだよ、別に隠していたわけじゃなくて」

「でも、思い当たる節はあった筈です」

「……いや、まあ」


 確かにアスタロトの死の予言については、何も教えていなかったが。

……GMに関する説明も誤魔化していたのもある。


「先輩は色々と一人で背負いこみすぎだと思うんです。

 私、嬉しかったんですよ? 先輩に仲間だと認めてもらえて、なのに……。

 私を仲間だと認めてくれたのなら、もっと私に頼ってくださいよ」

「そんなこと、言われなくても」

「いいえ、先輩は分かっていません。

 たとえばアイニさんとの戦いでの囮役、あれ、私でもよかったですよね。

 だって先輩より、私の方が足が速いんですから」

「お、お前」


 お前それ、俺が地味に気にしていることを……。


「それ以外にも思い当たる節はたくさん__……ごめんなさい。

 先輩に頼ってもらったところで、私では力不足だったのかもしれません。

 そもそもの話、先輩を巻き込んでいる私が悪いのだって理解しているんです。

 今回は死にかねない大怪我どころか、実際に死んで生き返りましたし……。

 でも、ごめんなさい。

 それらを全て棚に上げて、重ねて謝罪します、きっと私の性分は変えられない」


……まあ、だろうな。


「そして先輩の性分も」


……。


「私は困っている人を見捨てたくないですし、先輩は私以上に困っている人を見捨てられません。

 私は未熟者なので先輩を頼らせていただきますし、たとえ先輩の助けがなくても私はやるべきだと思えば一人でも被害者を助けに行きます。

 先輩は私から助けを求められなくても、私や被害者の危機を察知して必ず駆けつけてくれるでしょうし、私と関わりのない事件でも、なんだかんだと被害者を助けに行くのでしょう。

 私たちは誰かを見捨てて、自分の本心に背を向けて生きることはできません。

……いいえ、できるかもしれませんけど……その生き方はとても辛い筈です。

 「生きている」と「死んでいないだけ」は別物ですから」

「……」

「__だから、せめて分かち合ってください。

 先輩が私に人を助ける喜びを分け与えてくれたように。

 喜びだけでなく、苦労も痛みも、命を懸ける瞬間も、二人で」


……反論したい部分はある。

 俺はお前の思い描くほどヒーローではないし、開き直りすぎだとツッコミを入れたくもなる。

……だけど、こいつは俺が思っていたより、色々考えていたのだろう。


__「生きている」と「死んでいないだけ」は別物ですから、と柊は言った。


 その言葉は柊と出会う前の俺と重なった気がした。

 目を閉ざし、耳を塞ぎ、何も気づかないように努めていた息苦しいあの日々。

 それは確かに柊の言う通り「死んでいないだけ」だったのだろう。


 俺はこの世界が嫌いだった。

 ゲームとしてならともかく、今は現実。 

 悪魔への恐怖から逃れられるなら、目が覚めなくてもいいと思える夜を繰り返した。

 目が覚めると前世の世界に戻っている。なんて期待をしては裏切られる朝を繰り返した。

 多分、このまま友達一人できず、生涯を終えるのだろうと、そう思っていた。


 そんな時に、柊と出会った。

 息苦しい世界から俺を連れ出して、一緒に冒険してくれた。

 当然外の世界は危険だらけだった、何度死にかけたか分からない。

 端から見れば柊のトラブル体質は、死神の如きと罵られても仕方がないだろう。


 だけど、これは俺の物語だ。

 悪魔に立ち向かっている瞬間だけは、俺は自分の心に正直に行動できた。

 彼女と一緒にいる時だけは、かつて憧れた正義の味方であれた。

 取りこぼすことはあっても、誰も見捨てない姿勢は一貫できた。

 呼吸ができた。

 満たされていた。

 この世界を愛せるようになった。

「生きている」ことを実感できたんだ。


……とはいえ、最近の俺を正確に表すなら「死んでもいい」だったのだろう。


 俺は柊を死なせたくなかった。

 彼女が死ぬ姿を見たくなかった。

 だから俺は命を張っていた。

 彼女が死ぬ姿を見るぐらいなら、自分が先に死んだ方がいい、そう思って。

 英雄願望もあったとは思う。

 彼女の英雄として終われるのなら、それに勝るものはないと考えて。

……口では対等な仲間だなんてのたまっておきながら。


「柊……お前はいいのか? 俺と一緒に死ぬことになっても」

「はい」

「__」

「いつかどこかで死ぬことになったとしても、その時は先輩と一緒がいいです。

 一緒に死にましょう、一緒に死にたいんです、一緒に死なせてください。

……まあ、死なずに一緒に「生きていく」のが理想なんですけど」


 こいつはとてつもなく身勝手なことを言っている。

 自分は死ぬ覚悟はあるから、お前も一緒に死ぬ覚悟をしてくれと。

 俺に、命を懸けて、一緒にいてくれと、そう言っている。

 頭がイカレているんじゃないだろうか。

 常識的に考えれば、こんな要求を受け入れてくれる奴なんていやしない。

 だけど__


__俺も「生きたい」。

 そのためなら、柊すら利用してもいいと思えるほどに。

 柊を危険に陥れたとしても、命を懸けさせることになっても、大怪我をさせてしまっても。

 そのうえで、あらゆる難題を解決し、全ての賭けに勝って、二人で生き残ってやる。

 どんな理想論だと言われようとも、ご都合主義にも程があると言われても構わない。


 俺は〝この世界〟を「生きていたい」。


「なら一緒に「生きよう」」

「はい!」


……ああ。

 

「ありがとよ柊、お前と出会えてよかった」

「えへへ」

「まだ全てを飲み込めてはいないが、忘れず胸に留めておく」

「今はそれで充分です。

 突然の込み入った話をお聞きいただきありがとうございました。

 ふぅ……腹を割って話すというものは、中々大変なことですね。

……それと、またまた話は変わるのですが」

「次こそ悪魔事件か?」


 今は悪くない気分だ。

 今回だけは特別格安セールで依頼を受けてやってもいいが。


「違いますって。

……その~、日頃お世話になっている先輩に、改めてお礼をしたくてですね。

 プレゼントしたい物があるんです」

「プレゼント」

「はい、受け取ってくれませんか……?」

「まあ、いいけど」

「く、クーリングオフは受け付けておりませんが」

「別にいいよそれで」

「怒らないでくださいね……?」

「怒らねえよ」

「あ、ありがとうございます。

……では少しの間、目を瞑っていてください」


 言われるがまま目を瞑る。


 しかしプレゼントか。

 金が入るようになってからは、欲しい物は大体買い揃えちまった。

 余程高価な物か、珍しい物でもない限り驚くことはないだろう。

 とはいえせっかくプレゼントを用意してもらったというのに、貰った相手が無反応では、渡す側がかわいそうだ。

 少しぐらいは喜んだ振りを見せておくべきだろう。

 

……しかし、遅いな。

 もしかして持ってくるの忘れてたとか__


「__!」

「__ではお大事に!!」


 唇に、何かが当たった感触がした。

 慌てて目を開けた時には、既に柊の姿は病室になかった。

 つまりこれは、ええっと、そういうことなのか?


……キス、された、のか?


「う、うおおおおおお!!!!!」

「荒木さん……体に響くので静かにしてください。

 あと他の患者さんにも迷惑です」


 その後の診察で、俺のあばらの骨が一本折れたことが診断された。




 第二章 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る