第2話「マスティマ」

 目が覚めると、枕の隣にはプレゼントが置いてあった。

 包装を剥がして中身を確認すると、俺の欲しがっていたTRPGのサプリブックが数冊入っていた。

 TRPGは最低でも二人揃って遊ぶゲームであり、友人のいない俺が買い集めたところで遊ぶことはできないが、頭の中で集めた情報を組み立てるだけでも面白いので、定期的にサプリブックの購読は続けている。

 とはいえ両親は俺がTRPGを趣味としていることをどう思っているのかは気になるところだ。

 友達がいないことは知られているし、TRPGが多人数向けのおもちゃであることも知っている。

 両親はどちらもかなりおおらかというか大雑把な性格なので、気にしていないのかもしれない。


__ぷるるるる、ぷるるるるる、と携帯電話が鳴った。


……いいや、そういえば俺には友達ができたんだったな。

 着信表に記されていたのは、柊小夜子という後輩の名前。

 携帯を取り通話ボタンを押す。


『先輩、メリークリスマス!』

「……ああ、メリークリスマス」


 柊はこうしてよく何気ない内容の連絡を送ってくる。

 前世の俺に友達はいたものの、柊ほど社交的な女友達はいなかったため、いまいち対応に慣れず返答が遅れてしまう。


『あ、先輩、もしかして眠ってましたか?』

「いいや、少し前に起きたところだ……何か用でもあったのか?」

『用がなくては連絡をしてはならないとは、先輩は寂しい人ですねぇ』

「別にそうは言ってないが」

『えへへ、ではこれからも用がなくても連絡させていただきますね!

……といっても、今回は先輩にお伺いしたいことがありまして』


 お伺いしたいことか……勉強か?

 あまり勉強は得意ではないが、一年生の冬休みの宿題ぐらいは見てやれると思うが。


『先輩は今日、プレゼントをもらいましたか?』

「ああ、今年も両親がこっそり枕元に置いてくれたよ」

『へー、うちと同じですね、何を貰ったんですか?』

「……秘密だ」

『なんでですか』

「言いたくないからだ」


 友達一人いなかった癖に、TRPGのブックをせこせこ集めていたなどと知られたら、いったいどんな風に同情をされるか分からない。

 いずれ柊にTRPGを紹介するつもりではあったが、その時はさりげなく、あたかも最近知ったとでも言うように伝えるつもりだ。


『ちなみに私が貰ったのはずっと欲しかったワンピースです、とっても可愛いので今度先輩にも見せてあげますよ』

「へえ、それは嬉しいな……聞きたかったのは、プレゼントのことか?」

『あ、いいえ違います、聞きたいことは別にありまして。

 それでその、朝起きてプレゼントを確認した後、リビングに降りるためにパジャマを着替えようと、クローゼットを開いたんです。

 するとクローゼットから靴下が落ちてきました、その靴下から妙に甲高い音が鳴り、気になったので調べてみると、靴下の中には驚くべきことに、妙に古めかしい意匠の金貨が一枚入っておりまして』

「金貨」

『一先ず写真を添付しますね』


 柊から届けられた写真には、古臭いデザインの彫刻があしらわれた金貨だった。

 こんな金貨は日本ではまず手に入らず、海外に行ったとしても現代には流通していない硬貨だろう、あるとすれば博物館ぐらいか。

 クリスマスの朝に金貨が靴下の中に入っていた__これらの記号が指し示すものといえば、あれしかない。


「多分、聖ニコラウスからのプレゼントだ」

『聖ニコラウス?』

「キリスト教の聖人だ。

 一説によると、サンタクロースの元となった人物だと言われている」


 日本ではあまり知られていないが、聖ニコラウスは海外だとかなり有名な聖人だ。

 多分、聖ゲオルギウスとかと同じぐらい有名なんじゃないだろうか。


「聖ニコラウスには、かつて貧困から売られそうになった商人の娘を助けるために、彼女の家の煙突に金貨を投げ入れたという逸話があり、その投げ入れた金貨は乾かすため暖炉の近くに干されていた靴下の中へと偶然にも入り込んだという。 

 この逸話からサンタクロースが靴下の中にプレゼントを入れるという伝統へと転じたらしい。

 聖(セント)・ニコラウスから聖(サンタ)・ニコラース、サンタ・ニクラース、サンタニクロース____オランダ語訛りのサンタクロースへと変形していったわけだ」

『……へー』

「そして、クランプスの主人はサンタクロースだ。

 となればサンタクロースと同一視される聖ニコラウスも、クランプスの主人にあたる。

 おそらくクランプスから話を聞いた聖ニコラウスが、柊に迷惑をかけてしまったことへの詫びとして、その金貨を置いていったんだろう」


 クランプスの野郎が事情を知った聖ニコラウスにしこたま叱られていることを願いたいものだ。


『先輩、私金貨なんて手に入れたの初めてですよ、換金すればいったい幾らになるんでしょうか、欲しかったバッグや化粧品も買えますかね?』

「換金するのはやめておけ、出所を疑われるし、立証する手立てもない。 なによりそれはただの金貨じゃなく、『ニコラウスの金貨』という聖遺物だ」

『聖遺物……?』

「本来の意味としては、聖人が生前に身に着けていた物品や、亡骸を包んだ衣などを指すが、今回のように聖人の霊から手渡された物品もそれにあたる。

 聖遺物には多かれ少なかれ特別な力が宿っており、『ニコラウスの金貨』もその例に漏れない。

 『ニコラウスの金貨』に宿る力は、強力な魔除けと、これから起こりうる負の運命からの脱却。

 持ち主の望まぬ運命が迫った時、その運命を覆す力が宿っている。

 だからその金貨は魔除けのお守りとして、大事に身に着けておけ」

『分かりました!』


 聖ニコラウスからの詫びの品も送られ、これにて柊失踪事件は本当の意味で終わったのだろう。

 しかしこんな形で『ニコラウスの金貨』を手に入れるとはな。

 あれは「エクソシストTRPG」に登場する聖遺物の中でもかなり強力な代物であり、入手を制限するGMが多かった。

 「エクソシストTRPG」内での効果は、ダイスロールで致命的失敗(ファンブル)になった時、もう一度ダイスを振り直せるという強力なもの。

 しかも消耗品ではなく使用回数に制限はない。

 それをたった一度のクランプスとの対峙で手に入れられるとは、柊は運がいい。


『それとですね先輩、実を言うとこっちは本命なんですけど、もう一つお伺いしたいことがありまして』

「ん?」

『__私のクラスメイトが悪魔にとり憑かれてしまったそうなのです。

 直接相談したいので、今から近くの公園で会えませんか?』


__この時、俺の脳裏に過ったのは、エクソシストTRPGルールブックの冒頭に記された「一度でも悪魔と邂逅した者は、邂逅の運命に囚われる」という一文だった。


==


__一度でも悪魔と邂逅した者は、邂逅の運命に囚われる。

 要するに、悪魔と一度でも出会った者は、また悪魔と遭遇するようになる、ということだ。

 何故こんな設定が存在するのかというと、一度使用したプレイヤーキャラクターを別のシナリオでも再利用するための理由づけだろう。

 悪魔と出会う人間は滅多にいないのに、同じ人間が二度も三度も悪魔事件に関われるのは、悪魔と出会った者の運命が変わってしまったからだ。 そんな設定があれば物語のリアリティを損なわずに済むと考えたのだろう。

 俺にとっては全くもって不必要なリアリティだが。

 

 とはいえ一度悪魔と出会っても、以降悪魔と出会わずに済む者もいる筈だ。

 製作したキャラクターを再利用する機会に恵まれず、キャラクターシートを引き出しの中にしまいこんだまま放置してしまうように。

 こうして柊に呼び出されたが、所詮は二度目のセッションだ。

 今回のセッションを無事にしのぎきれば、今後事件に巻き込まれず平和に過ごすことができるだろう……多分。

 

「あ! 先輩! おはようございます!」


 公園に辿り着くと、そこには柊と、知らない顔の男がいた。

 髪は金色に染めており、仕草や服装も相応に軟派で、何がそんなに気になるのか前髪を弄り続けている。

 そいつは柊には下心の籠った視線を向けていたが、俺に対しては値踏みするような視線を向けてきた。

……一言も言葉を交わしちゃいないが、感じ悪いなコイツ。


「本日はご足労いただきありがとうございました。

 こちらは横山健くん、私の同学年のクラスメイトです。

 そしてこちらは荒木明先輩、私達の通う紙谷高校二年生の先輩であり、説明した通り学生とエクソシストの二重生活を送っているお方です。

 今回横山くんが悪魔にとり憑かれたということで、助けを求めさせていただきました」

「荒木明だ」

「……ふーん? あんたが小夜子ちゃんが言ってた、例のエクソシストってわけっすか。

 思ってたより、地味っていうか、暗いっつーか」

「……どういう説明を受けたのかは知らないが、今回の問題解決を主導するという意味なら、その通りだ。

 助けられるかどうかは、事件の全容が分からなければ何とも言えないがな」

「そっすか……小夜子ちゃんの紹介にもあった通り、俺は横山健、一年生のクラスメイトで、小夜子ちゃんの友達っす。

 まっ、とりあえず、よろしくお願いしますわ、荒木先輩」


 舐めた態度だ。

 とても人に助けを乞うやつの態度とは思えない。


「友達と言っても、横山くんが悪魔にとり憑かれたと話題になるまで、今まで碌に話したことはありませんでしたがね」

「小夜子ちゃーん、そりゃないっすよぉ」

「……横山、一先ずお前の身に何が起きたのか説明してくれ。

 事情が分からないと、こっちも対処に困る」

「分かりました、えー、あれは一週間前の出来事でしたっけ。

 頭の中に聞こえてきたんす__何者かの声が」


 何者かの声。

 それが今回起こった事件の元凶か、もしくは前兆を予見した協力者か。


「内容は忘れちまったんすけど、それからというもの悪いことばかり起きるようになりまして。

 バイト先で奇妙な事件が頻発して首にされたり、彼女から唐突に別れを切り出されて連絡を取れなくなったり、おみくじ運がめちゃくちゃ悪くなったり__それ以外にも立て続けに不幸が、この短期間に一斉に。

 そんな時、小夜子ちゃんからエクソシストを紹介してくれるって連絡が来たわけっす」

「私は現場に居合わせていませんでしたが、傍から見てた方々からしてもすごかったようですよ。

 冬休み中だと言うのに、あまり交流のなかった私の方にまで噂話が届いたぐらいですから」


 それはちょっと……まずいな。

 傍から見ても分かる事件を起こせる悪魔となれば、相当の力を持っていることになる。


「俺にはあの声が、裏で手を引いているとしか思えなかったっす。

 荒木先輩、これって悪魔にとり憑かれているってことでいいんですよね?

 俺にとり憑いた悪魔を祓ってくれるんっすよね」

「……まだ何とも言えない、憑依型の悪魔は結構な種類いるからな。

 悪魔を祓うには、まず相手の正体を知り、適切な対応をしなければ、事態を悪化させかねない。

 今はまだ情報が足りない、事件解決は当分後になる」

「えー、てことは今日は無駄足ってことっすか? せっかく冬休みの朝に早起きして遠出したってのに」

「ま、まあまあ」


 こいつマジで悪魔に嬲り殺されるまで放置してやろうかな。

 柊の紹介じゃなきゃ、こんなやつ絶対に見捨ててたぞ。

 携帯を取り出し、次の満月の日を調べる。


「__12月27日、次の満月は二日後か、近いな。

 次の集合日は12月27日の夜とする」

「満月だと、なにかあるんすか?」

「満月の夜は魔力が高まるから、色々とできることが増えるんだよ。

 というわけで横山、それまで、家の中で静かにしていろ」

「へーい分かりましたー、あ、小夜子ちゃん、せっかくだから今からお昼ご飯でも食べに」

「家の中で静かにしてろって言ってんだろ!」

「……ちぇー」

「……はあ、柊は相談したいことがあるのでここに残ってくれ」

「? 分かりました」


 横山は両手を頭の後ろに組んで、つまらなそうに足を伸ばしながら去って行った。

 最後まで人の神経を逆撫でにする野郎である。


「すいません荒木先輩、彼、先輩に対しては妙に反抗的で……私から紹介したと言うのに」

「いいよ、理由に関しては何となく分かっているから」

「そ、そうですか……? それで相談したいこととは」

「情報の裏取りを行いたい」

「情報の裏取り?」

「あいつがバイトを首になったとか、彼女と別れたとか、そういった類の話に裏がないか調べたいんだ。

 俺は探偵じゃないが、片方の言い分だけを信じるのは危険だからな」

「なるほど! 流石は先輩です!」


 本当の理由は勘だ。

 横山はまるで自分に一切の責がない被害者面をしていたが、舐め腐ったあの野郎に原因がないとは俺には思えなかった。


「……つっても、俺の乏しい人脈だと、調べられる情報に限りがあってな」

「そういうことなら私にお任せください、これでも顔は広いですから。

 横山くんの家族関係からほくろの位置まで、隅々まで調べてみせましょう!」


 そうして柊の情報網を頼り調べて分かったことは__横山健という男子高校生が、かなりどうしようもない奴だということだった。


==


 12月27日。

 時刻は11時。

 俺達は、以前柊がクランプスから逃げるために利用していた、廃ビルの中へとやってきていた。

 この廃ビルには幾つか利用可能な家具などが取り残されていた。

 とはいえやはり生活感はなく砂埃が積もっており、蛍光灯なども利用できない。

 ひとまず俺達は懐中電灯片手に、廃ビルの中にある一室の掃除を済ませることにした。


「なんだかお化けが出そうな不穏な空気っすね……小夜子ちゃん、怖いなら俺の後ろに隠れても問題ないっすよ」


 悪魔にとり憑かれてる人間が何を言ってるんだか。


「……」

「さ、小夜子ちゃん? 小夜子ちゃーん」

「……いざという時は先輩を頼りますので、その気遣いは無用です」

「小夜子ちゃん!?」


 柊は明らかに横山を避けている様子で、俺を壁にして間に挟み距離を取っていた。

 まあ、今までやっていたことの当然の報いだ、甘んじて受け入れろ。


「部屋の片づけはおおよそ終わったな。

 横山、柊、一旦席に着け、これからやることを説明する」

「かしこまりました」

「わ、分かったっす……」


 俺達は各々椅子に座る、部屋の中心にある机を囲むようにして。

 俺は数枚の用紙と、一本の針を取り出し机の上に置いた。


「まず初めに、今から横山には、自分の身体から採血した血で、あいうえお表を作ってもらう」

「え、採血って……その針で?」

「お? ビビってんのか?

 やっぱりこんななよなよした男は、柊に避けられても当然か」

「! な、何を言っているんっすか荒木先輩。

 この程度のこと、この横山さんにかかればちょちょいのちょいっすよ。

 見ててくださいね小夜子ちゃん!」

「不潔……」

「な、なんでっすか!?」

 

 横山は威勢よく針を受け取ったが、扱う手はおっかなびっくりとしている。

 早いところ次の計画に移りたいので、さっさと済ませてほしいものだが。


「ああ、言い忘れていたが、零から十までの漢数字も付け加えといてくれ」

「ええ!? まだ書かないといけないんすか!?」

「あと、鳥居に『はい』と『いいえ』と、男と女も忘れずにな」


 そうして待つこと数十分、横山はあいうえお表を書き終え、冷や汗をダラダラ流しながらも笑顔を浮かべてサムズアップをした。

  

「ざ、ざっとこんなもんっすよ」

「横山、お前、字下手だな」

「下手ですね」

「は、針なんて滅多に使わないもので書いたんですから、仕方ないでしょう。

 それで? 荒木先輩、次は何をやるんすか?」

「横山に書いてもらったこの表を使って__こっくりさんを行いたいと思う」


 こっくりさん。

 日本で生まれ育てば、一度ぐらいはやったことがある筈だ。


「あ、言われてみれば確かにこの表って、こっくりさんと同じっすね」

「二人はこっくりさんについてどれくらい知っている?」

「ええっと、こういった表の上に五円玉を置いて指で押さえながら「こっくりさん、こっくりさん、おいでください」と呼びかけると、こっくりさんが返事をしてくれるんでしたっけ」

「私の通っていた中学だと、「エンジェルさん、エンジェルさん、おいでください」でしたね、描いていたマークも鳥居ではなくキューピットだったような」

「細部は違うが認識に相違はないようだな。

 今回やるのはこっくりさんを応用した魔術だ。

 とはいえ交信するのはこっくりさんではなく、横山にとり憑いた霊となる」


 ごくりと、横山の喉から堅唾を飲む音が聞こえた。


「そ、それって危険はないんですか……?」

「ないかあるかでいえば、ある。 

 とはいえお前の肉体に憑依させたりするよりかは、断然安全なやり方だ」

「う、うう」


 ビビんじゃねえよ……俺だって柊の頼みじゃなきゃやりたくなかったんだから。

 

「今は魔力が満ちる満月の夜、横山には何かが憑依しており、そんな横山の血で描いた五十音表も用意した__霊と交信するには十分な条件だ。

 念のための対策もしているが……今はこっくりさんを試してからでいいだろう。

 とりあえず儀式は俺と横山でやる、柊はいざとなったら〝あれ〟で妨害してくれ」

「わ、分かりました!」

「横山、五円玉に人差し指を沿え、力を抜いた後、「憑霊さん、憑霊さん、おいでください」と唱えるんだ。

 それじゃあやるぞ__憑霊さん、憑霊さん、おいでください」


 横山は慌てながらも声を揃えて唱えてくれた。

 これで霊が反応するといいのだが。


「では憑霊さん、あなたは悪魔ですか? 悪魔であるならはい、そうでないならいいえに五円玉を動かしてください」


 そう尋ねて数十秒ほど待ってみたが、動きはない。

 失敗か? それならそれで打つ手はあるが。


「反応ないっすね」

「うーん、やり方は間違っていない筈だが__待て、動いてる」

「うわっ!? なんじゃこりゃ!? 先輩が自分で動かしたりしてないっすよね!?」

「してねえよ」


 五円玉が置かれた場所は__『いいえ』。


「……悪魔じゃないのか。

 にもかかわらず横山にとり憑いて悪事を働いているなんて、これはいったいどういうことだ?」

「お、俺に聞かれても分かんないっすよ」

「ふむ、どうやら横山に憑依している霊は、少々複雑な事情を抱えているらしい。

 もうちょい具体的な質問をしてみるか、憑霊さん、あなたの名前はなんですか?」


 その問いかけをすると、五円玉は少し戸惑うように揺れ動いた後、少しして自分の名前を開示した。

 ま、す、て、い、ま、ますていま__マスティマ。


「まさかマスティマとはな……」

「荒木先輩は、この名前の詳細を知っているんですか?」

「ああ、知っている。

 マスティマはユダヤ教の『ヨベル書』に登場する天使だ」

「天使!? 俺に天使が憑りついていたっていうんすか?

 そんな馬鹿な、こっちは散々不幸な目にあってきたんすよ!?」

「天使だからって人間に味方してくれるとは限らねえよ。

 それに今回はマスティマの性質がまずかった」

「ど、どういうことっすか!?」


 日本だと天使は天国からお迎えにやってくる子供の天使や恋のキューピットをイメージしがちだが、海外だと悪魔と戦う勇敢な戦士や、神の言葉を伝える伝令者など、異なったイメージで知られている。

 そういった海外のイメージの中には、マスティマのような特殊な性質を帯びた天使も存在する。


「マスティマは試練の天使とも言われていてな。

 昔神様が悪霊たちを滅ぼそうとした時、そこにマスティマは待ったをかけて、自分が悪霊の面倒を見るので滅ぼすのは待ってほしいと願い出たそうだ。

 何故そんなことをしたのかというと、人間に試練を与えるためらしい。

 悪霊に誘惑された人間が理性を保つことができるのか、乗り越えて成長の糧にしてくれるのか、ってな。

 この逸話から分かる通り、マスティマは人間を試してくる。

 お前の身に不幸が起きたのも、マスティマが何らかの試練を与えたがっていたからだろう」


 マスティマの自称が嘘でないのならだが。


「な、なんなんすかそれ、なんで俺が」

「そうだな、数いる人間の中で、どうしてマスティマがお前を選んだのかは気になるところだ。

 マスティマにはもう一つ有名な逸話があり、それは地獄でサタンを監視しており、そこで得た情報を神様に送っているという話だ。 

 サタンの監視のため堕天したという説もあり、悪霊を率いたり、人間に試練を与えてくる性質から、天使ではなく堕天使や悪魔と見なされる説もある」

「悪魔かと聞いた時、『いいえ』って答えてたじゃないですか……」

「マスティマの自己認識としては悪魔ではなく天使なんだろうよ。

 話を戻すがマスティマには仕事がある、つまり俺達学生みたいに暇じゃない、にもかかわらずどうして態々横山にとり憑いたのか……__マスティマ様、教えてくださいますか?」


 さぼり、うわき、とばく__と指し示したところで、動きが止まった。

 横山が五円玉から指を離したのだ__何をやっている横山。

 確かに自分の悪事を知られたくない気持ちはわかるが、せっかく儀式が成功していたというのに__いいや、違う、こいつは横山じゃない。


「__この方法で説明するのは如何せん時間がかかるのでな。

 彼の身体を乗っ取らせてもらった。

 ここからはわたくしマスティマが直々に説明するとしよう」


 横山の意識を奪い取ったマスティマはそう言った。


==


 横山の異常を察知した柊は、すぐさまポケットから『ニコラウスの金貨』を取り出した。


「柊! 待て! こいつは話が通じるタイプだ!」

「……!」


 心臓がバクバクと高鳴る。 

 あぶねえあぶねえ……マスティマは悪霊の軍勢を配下に持つ強力な天使だ、敵対を選べばここにいる全員が死んでもおかしくない。

 柊を止められたのは幸いだった。 

 

「ありがとうエクソシスト、まさかそんな代物を持っていたとは知らなかったよ」

「……失礼しましたマスティマさま、こちらには抗戦の意思はありません。

 許していただけませんか?」

「許そう」

「ありがとうございます」


 ほっと胸をなでおろす。

……さあて、マスティマとの直接対談だ。

 頼むから妙な展開にはならないでくれよ。


「ではマスティマ様。

 こうして表に出てきたということは、事情を説明してもらえるということでよろしいのですね。

 さぼり、うわき、とばくとは、いったいどういう意味なのでしょう」

「答えよう。

 こいつは、仕事を首になり、恋人との連絡を妨害され、おみくじに負け続けるようになったと言っていた、それに関しては事実であり、私に責任がある。

 だがこいつは意図的に重要な情報を伏せていた。 仕事はサボりの常習犯で、恋人に隠れて合同見合いへの参加を繰り返し、運勝負もおみくじなどという軽いものではなく、成人以下の参加が許可されていないような賭博に潜り込み財産をつぎ込んでいた。 最近は彼女や友人の財布にまで手を伸ばそうかと悩んでいる」

「……柊」


 俺は柊に目配せをした。

 彼女は頷いて懐から手帳を取り出して目を通す。


「最後については分かりませんが、それ以外の部分は私の友人や知人から聞いた内容と合致しています」

「ほう、調べていたのか、ならば話が早い。

 私はね、こいつの不信心な生き方を矯正するために、一旦仕事や恋人、賭博などと距離を置かせた後、試練と罰を与えて成長を促すつもりなのだ。

 知っての通り私はサタンの監視中だが、あまりにも目に余る言動ばかりで無視できなくてな……」


 少なくとも、こっちで調べた内容から外れてはいないし話の筋も通っている。


「とはいえやはり私の本分はサタンの監視であり、その聖遺物を持つ君達が本気で私を祓うつもりなら、こちらに抵抗する余力はない。

 彼の試練に関しては、サタンの監視の片手間にやっていたことだからな」

「……」

「私から言えることは、これが全てだ」


 筋は通っている、確かに話の筋は通っている。

 だが……こいつの言うことが、俺にはあまり信用できなかった。

 マスティマは天使という肩書を持っているが、その性質は人間の味方ではなく、試練を与える人間の敵役だ。

 神には従順に傅いているが、人間にとって不利益な性質だ。

 俺達に嘘をついているかもしれない。

……だが神話に記されるこいつは神に対して間違いなく従順だった、

 マスティマの性質を利用してみるか。


「マスティマ様、説明していただきありがとうございました。

 とはいえ私は力なき人間でございます、他者の述べた言葉を疑うことなく信じる心も、言葉の真偽を解き明かす力も持っておりません。

 ですので聞かせてください、今の言葉に偽りはないと、あなたの神に誓えますか?」

「__誓おう、誓いましょう、我らの愛しき神に」


 マスティマは清々しい笑みを浮かべたあと、ふらりと身体を傾け、ソファーの上に頭を突っ込んでいった、おそらく横山に身体を返したのだろう。

 とはいえ意識が戻った筈の横山は、ぐーぐーと寝息を立てて気持ちよさそうに眠っている。


「ぶ、無事に切り抜けましたね……これからどうしましょうか、先輩」

「……祓うかどうかは一旦置いておいて、一先ず横山を起こして事情を説明しよう」


==


 横山にマスティマとの対談内容を語ると、頭を抱えた。


「ぜ、ぜんぶ、あってる、見抜かれてる……」


 横山はマスティマに憑依されていた間の記憶はなかったようで、目を覚ますと間の抜けた態度を見せていた。

 しかし説明をするにつれ、どんどんと横山の顔色は悪くなり、今ではすっかりこの調子。

 そりゃあ自分の隠していた悪事を暴かれ、それを柊にまで知られてしまったのだ、こんな態度になるのも仕方がないだろう。


「それで、お前はどうしたいんだ」

「ど、どうしたいって」

「説明した通り、マスティマを祓うことは不可能じゃない。

 マスティマが消えれば、バイトの再就職も楽になるだろう、サボりだって妨害されない、恋人とも連絡が取れるだろうし、よりを戻せるかもしれない、合コンだって参加しても上手くいけば隠し通せるかもしれない。

 パチンコに関しても確実に負ける今の状況からは脱せるだろう」

「……」


 そのまま行けば間違いなくダメ人間コース一直線だろうがな。

 正直、俺はこの横山という男に対して、あまり好感を抱けていない。

 わざわざ悪魔と対談するまで付き合ってやったが、それはあくまで首を突っ込んだ友人である柊を一人にしないためであり、横山のためではない。

 できるだけ早く終わらせて、この悪魔事件から手を引きたいというのが正直な感想だ。

 だが__


「本当にそれでいいのか?」


 このまま何の根本的な解決をしないまま終わってしまう後味の悪さに、

 つい、問いかけずにはいられなかった。


「……先輩」

「なんだ」

「俺の彼女って、幼馴染なんすよ」


 ぽつりと語られた横山の言葉。

 確か、小中は一緒だったが、今は隣町の学校に通っているいう。


「俺、昔っからこんな奴だから、あいつは説教ばかりで、口うるさくて鬱陶しくて……でも、やっぱり俺にとっては特別で。

 よりを戻せるなら戻したいっす。

 でも、このままよりを戻したところで、俺はあいつに迷惑をかけるだけな気がして……。

 先輩……俺どうすりゃいいんすかね」


……はぁ。

 それだけ分かっていて決意ができない時点で馬鹿なんだろうが、

 俺が今まで思っていたほどこいつは致命的な馬鹿ではないのかもしれない。


「横山、一旦お前に考える猶予をやる。

 どうするか決めたら、柊から俺に知らせてくれ」


 救い難い馬鹿として見捨てるつもりだったが、少しだけ気が変わった。

 俺は横山の判断を待つことにした。


==


「__結局、横山くんは天使さまの試練を受けると決めたみたいですね」

「ああ、俺もその話は聞いた」


 あれから冬休みを終えた数十日後。

 結局横山は、マスティマと付き合っていくことに決めたそうだ。


「「今は彼女に会えないが、試練の天使に認められたその日には、真面目に稼いで買ったプレゼントを幼馴染に贈り、よりを戻すのだと」__かっこいいですよね~」

「俺は雨の日に不良が捨てられた子犬に傘をくれてやったとしても、これまでやったことが帳消しになるとは思わないタイプでな。 禊が終わってようやくスタートラインだろうよ」

「あはは……」


 人を測るのは最大瞬間風速ではなく、これまでの全てを合わせた総合評価であるべきだと、俺は思う。


「それはそれとして、大丈夫なんだろうかな、あいつ」

「大丈夫とは?」

「大人達曰く、青春は短いらしい。

 マスティマの試練に付き合っている間に、彼女が他の男に取られてしまうかもしれないだろう?」

「ああ、それに関しては安心してください。

 私から彼女さんに連絡をして、事情を説明しておきました。 

 反省した後も彼女と別れたままでは、流石に可哀そうですからね」

「……碌に関わりのないクラスメイトに助け舟を出し、更には尻拭いまでしてやるとは、相変わらず柊小夜子さんはお優しい方だ」

「いやぁ、それほどでも」


 柊はてれてれと笑みを浮かべながら、後ろ髪をかいて喜んでいる。

 皮肉で言ったんだがな。

 そこで、きんこんかんこんと、チャイムの音が鳴った。


「ああ、もう休憩時間は終わりですか。

 それでは先輩、私の教室はこっちなので」

「おう」

「改めて先輩、今回も助けてくれてありがとうございました。

 やっぱり先輩は私の見込み通り、正義のエクソシストでしたね」

「まだそんな馬鹿な事言ってんのか」

「だって疑う余地がありませんし」

「そんなんじゃねえよ……早く教室に帰らないと遅刻しちまうぞ」

「では次の休み時間まで!」


 なにはともあれ悪魔事件を切り抜けられた。

 これからは今まで通り平穏な日々を送ることができるだろう。

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