悪魔の現れるTRPG世界に転生してしまった

しおから

第一章 悪魔との邂逅

第1話「クランプス」

 俺の名前は荒木明。

 一見回文に見えるが、別にそんなことはない梯子外しな名前だ。

 そんな名前の俺にはある秘密がある。

 それは前世の記憶があるということ。

 俺がまだ赤ん坊だったころ、ベビーベッドから落ちて頭を打ってしまい、その時、前世の記憶が蘇ったのだ。 

 そして気づいた、この世界が前世で遊んでいたTRPGの世界だということを。

 どうやら前世の俺はTRPGを趣味にしていたらしく、その時たまたまテレビで流れていたニュースを見て、この国日本の元号を知りすぐさま気づくことができた。

 ディスプレイに表示されていた元号は「広至こうし」__前世の日本には存在しなかった元号であり、件のTRPGでのみ使われていた元号だ。


 世界が変わったとはいえ、この世界も一見して「平成」の日本とそう変わりない。

 だが、TRPGの題材になるということは、物語を描くに相応しい素材が揃っているということ。

 この世界の元となったTRPGのタイトルは「エクソシストTRPG」。

 悪魔と出会ってしまった邂逅者の恐怖と絶望の翻弄劇を描くTRPGだ。


 そう、この世界には悪魔が存在する。

 前世のように噂話や伝承としてだけでなく、実際に遭遇でき、危害を受けたり、交渉して力を借り受けたり。

 悪魔は巧妙に隠れ潜み、表社会に現れることはないが、少しインターネットで調べれば、出るわ出るわ悪魔事件を連想させる事件の数々。

 悪魔の存在を確信するには十分なほど奇怪な未解決事件を幾つも見つけることができた。


 このことに気づいた俺は思った。

 悪魔と関わりたくない。

 そして前世のように若くして死にたくはない。


 とはいえこの世界には悪魔が溢れている。

 一寸先は闇、人とのかかわりを増やせばその分悪魔事件に巻き込まれる確率も上がってしまうだろう。

 だから俺はこう決めた。


 友達は作らない。


 これは齢0歳にして決意した、鉄の誓いボッチ宣言だった。


==


 とはいえ、人間の心とは不便なものである。

 正解が分かっていても、合理的な判断ができるとは限らない。


 黒髪のショートカットに、形の整った輪郭。 

 睫毛は長く、鼻頭は小さく、唇は淡く色づいている。

 そして服下から浮かび上がる大きな二つの乳房。

 国や時代によって美醜の価値観は異なるが、少なくとも現代日本であれば美少女と言って差支えのない、多くの者にとって好ましいと思える容姿の少女が俺を見上げていた。


「__先輩先輩、聞こえていますか?」


 彼女は一年の後輩であり、何故か最近俺に付き纏っていた。

 前世で死んだのは高校二年生、丁度今の俺と同じ年頃だった。 合わせれば17歳と17歳で34歳となるが、精神的にはあまり成長した実感はない。

 むしろ精神が肉体に引っ張られてしまい小学生中学生時代は退行していたとすらいえる。

 そのため俺の精神は合計年齢ほど老成しておらず、異性の嗜好も肉体年齢相応だ。


「無視しないでくださいよせんぱーい」


 となれば当然この見目麗しい後輩の容姿に惹かれてしまうのも自然の理だが、先程も述べた通り、俺は極力人間関係を築かないようにしている。

 学校では友人を作らず、親戚付き合いも最低限に済ませ、隣人とも会釈をするだけで会話はしない。

人との関わりを増やすことで、悪魔に纏わる事件と遭遇する確率を上げたくないからだ。

 この世界の元となった「エクソシストTRPG」は、基本的に悪魔と最初に関わった者を中心に、取り巻く友人や家族、知り合いなどがプレイヤーキャラクターとして参戦していく形式で物語が展開される。

 そういった展開を避けるため、俺は一人でいるよう努めていた。

 つまるところ、彼女の存在は俺にとって迷惑だった。

 はっきりと言葉には出さずとも、今まで拒絶の意思は態度で示していたというのに……はたしてこの後輩は何が面白くて俺に話しかけてくるのやら。


「……なんの用だ」

「あ、先輩、やっと返事してくれましたね。

 もう、人のこと無視しちゃだめですよ。

 これ、先輩の鍵ですよね?

 落としていたので拾っておきました。 気をつけてくださいね」


 ありがとう、とは言わなかった。

 礼儀知らずだとは分かっていても、それを言ってしまえば自分が彼女に心を開くきっかけになってしまう可能性をおそれて。

 俺は後輩から手渡された鍵を無言で受け取り、ポケットの中に入れた後、立ち去ろうとした。

 しかし彼女は俺の行く道先に、両手を広げて立ち塞がる。


「待ってください先輩、ちょっとぐらいお話ししましょうよ」

「……話すことなんてないだろ」

「先輩にないのなら、私から話させていただきましょう。

 先日友達と映画を見に行きまして、最近CMで良く取り上げられている__」

「……どうして俺に付き纏うんだ」


 俺には友達がいない。

 そのため、学校の噂話を知る機会に乏しく、生徒間の人間関係図に疎い。

 だがそんな俺でも、これだけ見目の整った彼女が、校内でどんな立場を築いているのかは、容易に想像できる。

 見目が良く愛嬌があり、人と関わるのにも積極的。 今まで話してきた所感から、性格だって良いのはなんとなくだが分かっている。

 きっとクラスでも人気者の筈だろう。

 だからこそ疑問に思う、そんな彼女がどうして俺に付き纏うのかと。


「ええっと……先輩って、不思議な方じゃないですか。

 クールでミステリアスで、なんというか……こ、孤高な感じで。

 別に周りに嫌われているわけでもないのに、いつも一人でいますし。

 だからその、どんな人なのか気になって」


 多分、それは建前だ。

 モテない男子をからかって、笑い者にする__という流れにはならないだろう。

 今まで話してきた所感から、彼女が比較的善良な性格であることは知っている。

 それは態々俺の鍵を拾って渡しに来てくれたことからも見ての通りだ。


「俺が一人でいるのは、一人が好きだから」

「あ、はい、そうですよね」

「これで満足したか? もう行くぞ」

「ま、待ってくださいよ、もう少し話を__」


 おそらく彼女は、一人でいる俺を心配して声をかけにきてくれたのだろう。

 お優しいことだ。

 だがそれは俺にとって有難迷惑でしかない。

 彼女に拒絶の言葉を投げかける。


「__俺にだってプライドはある。

 お前のような後輩とつるんで、周りに揶揄われたくねえんだよ」

「……え?」

「クラスで友達が作れなかったからって、年下の人間に助けを乞うつもりはないって言ってんだ、一々俺を憐れむな」

「べ、別に私は、先輩を憐れんでなんか……」

「とにかく俺はお前と一緒にいたくねえんだ。

 むかっ腹が立って吐き気がする。

 分かったならそこをどけ、二度と声かけてくるんじゃねえぞ」

「……」


 これでもう、彼女は俺に声をかけてくることはないだろう。

 俺は道を塞ぐ彼女を避けて帰路を歩んだ。


==


 胸がムカムカする。

 あの日から後輩は俺に近づかなくなった。

 その展開は俺自身が望んでいた通りの展開だ。

 だが俺の頭の片隅にはあの日から、彼女を拒絶した後悔が住み着いている。

 いいや、後悔などしていない。

 俺は一人でいると決めたのだ、つまりは彼女が離れていったのは思惑通り。

 だから、後悔などするべきではないのだ。

 今までだって散々似たような経験してきた。

 この胸に渦巻く苛立ちも、三日もすれば消えてくれるだろう。


「荒木、呼び出して悪かったな。

 お前にどうしても聞きたいことがあってな、柊を知らないか?」

「……柊?」


 職員室で担当教員から聞かされた名前は、聞いたこともない名前だった。

 柊、誰だそれは。


「ん? 知らないのか?

 最近よくお前と一緒にいる一年の名前だよ、柊小夜子」

「……ああ」


 柊小夜子、そんな名前だったのか。

 一度自己紹介してもらったような覚えがあるが、名前を呼ぶ機会がなかったため、すっかり忘れていた。

 なんだあいつ、先生にチクったのか? 荒木先輩に酷いこと言われましたーって。


「その様子だと、あいつの状況も分かっていないみたいだな……」

「なにかあったんですか?」

「行方不明らしいんだよ、柊は」

「__行方不明」

「昨日学校を休んでな、彼女のクラスを受け持つ担当教員は、あの真面目な柊が連絡も入れず休むとは珍しいと思って親御さんに連絡をしたらしい。

 すると朝に家を出てから帰ってきていないと知らされたそうだ」


 その話を聞いて脳裏を過ったのは__悪魔の存在。

 この世界には悪魔が存在する、そして悪魔事件に巻き込まれた被害者も。


「柊と仲良さそうにしていたお前なら何か知っていると思ったんだが……もし何か分かったら教えてくれ」

「……分かりました」


 もしかすれば柊も何らかの悪魔に遭遇してしまったのかもしれない。

 いいや、単純に親子喧嘩でもして、友達の家に泊まっている可能性もあるだろう。

 あまり深刻に考えすぎるのも精神衛生上悪い。

 きっといつかは帰ってくるだろうと、楽観的に考えることにした。

 

__そんな話を聞いた、帰り道のことだった。


「柊……?」


 コンビニの入り口から出てきたのは、前まで俺に付き纏っていた例の後輩だった。

 なんだよ、無事だったのかよ__と、一瞬胸をなでおろしかけたが、彼女の憔悴した表情を見て、一目で楽観だと気づかされた。

 彼女はビクビクと周囲を見渡し、何かから隠れるように早足で路地の方へと去っていった。

 今は夕日の落ちかかった黄昏時、丁度現世と死の世界の境界が薄れ、悪魔が現れやすいとして、「エクソシストTRPG」では行動を避けるのが鉄則だった時間帯だ。

 しかも向かった場所は人目の少ない路地の奥、まるで悪魔に襲ってくださいと言わんばかりの状況に嫌な予感がした。


「おい__」

「っ!」

「! 待て!」


 声をかけて止めようとしたその瞬間、彼女は俺から逃げるように走り出した。

 向かった先は路地の奥の廃墟街で、困ったことに人気はどんどん減っていっている。

 しかも彼女の足は速い、履いていたのが制服のスカートなので、多少は加減するだろうと甘えていたが、その予想は全くの見当違いであり、凄まじい走りぶりを見せてくれた。

 これでは走っても追いつけない、息を大きく吸い込み声を張って呼び止める。


「俺だ! 荒木明だ! 止まってくれ柊小夜子!」

「先輩……?」


 追いかけていたのが俺だと気づいた彼女は、少しづつ走る足をゆるめ、腰を抜かしてぺたんと尻もちをついた。

 走っていた足はガタガタと震えており、呼吸は荒く、相当無理をしたのだと分かる。

 今にも泣きそうだった表情は、少しづつだが安堵へと変わっていく。

 だが__警戒は緩めていないようだった。

 それは俺に対してではなく、今は見えない、何かに向けてのようだが。


「……先輩、私の名前、憶えていたんですね」

「はあ、はあ……担任の桑田から聞いた。

 お前が行方不明ってことで、先生方は随分心配しているようだった。

 家族と喧嘩して家出したってんなら、連絡ぐらい入れてやれよ」

「……」


 その問いかけは、俺の楽観的な願望が大きく含まれた問いかけだった。

 家族喧嘩による家出であってほしい。

 とはいえそんな俺の楽観的な想像はやはり的外れのようで、彼女は何も言わず頷きすらしない。

 沈黙が続く。


「……さっきまでのお前の逃げ方は、尋常じゃなかった。

 何か、あったのか?」

「……気にしないでください」

「気にしないでって」


 彼女は立ち上がった。

 誰かに手を差し伸べられるのを待つことはなく、一人で、埃塗れの壁に手をつき、足を震わせながら。


「私を嫌っている先輩に、心配される謂れはありません」 

「……」


 明確な拒絶の意思。

……明らかに前回の一件が尾を引いている。

 俺には柊の口を割れる気がしなかった。


「……」


 確かに、俺が柊を心配する謂れがないのは事実だ。

 俺は柊を嫌ってはいないが、友達ではない。

 おそらく柊は今、悪魔に纏わる事件に巻き込まれている。

 そんな状態の柊に、友人でもない彼女のために、はたして俺は自分の身の安全を無視して危険に飛び込めるのか?

 危険を顧みず彼女の味方であれるのか?

 それをする理由が、俺にあるのか?


「それでは」

 

 反論一つできず黙りこくる俺に柊はそう言って、路地の奥へと去っていった。

 一人取り残された俺は考える。

 柊を助ける必要性を。

 友達でもない彼女のために、危険に身を晒す動機を。

 そんなものは、ない。

 だからもう、彼女のことは無視して、今日は家に帰るべきなのだ。

 だが__胸に渦巻く焦燥感。 

 この苛立ちを抱えたままではいたくなかった。

 何故こんなにも苛立つ。

 今まで目と耳を塞ぎ、悪魔に苦しむ人々の悩みに気づかぬようにしていたというのに。


「……」


 そういえば、俺は柊に謝っていなかったな。

 俺は柊に謝りたかったのだ。

 せっかく歩み寄ってくれたのに、酷い拒絶をして言ってごめんなさいと。

 だがそれは自分が酷いことをしていると理解した上で選んだ選択だ。

 世間にとっては間違いでも、俺にとっては間違っていない。

 一人でいるために、必要だった選択なのだ。

 これを撤回することは、俺にはできない。


「……」


 考えろ、考えるんだ。

 この際、タマゴが先だのヒヨコが先だのはどうでもいい。

 俺には柊を追いかける理由が欲しい。

 自分が合理的な判断をしていると、自分自身に言い聞かせるために。

 この不合理な感情と一致した合理的な動機を得るために。


「__ああ、そういえば……これを拾ってもらった恩を、返してなかったな」


 ポケットから取り出したのは、以前柊に拾ってもらった家の鍵。

 柊が拾ってくれなければ、俺は校内中を探し回っていたことだろう。

 そうだ、受けた恩は返さなければならない。

 でなければ社会的信用を失い、これから先の人生生き辛くなる。

 助ける理由としては十分すぎた。

 

==


 追いついた先では既に柊と悪魔が相対していた。

 悪魔の姿は〝事前に確認した姿と同じもので〟、真っ黒な衣装に、手には鎖、角と尾を持ち、怒った老婆のような顔に皺の寄った肌をした、鬼婆だった。

 そんな悪魔ににじり寄られる柊は逃げられない。

 完全に行き止まりに追い込まれており、鬼婆との衝突は避けられない定めにあった。

 このまま立ち止まっていたところでどうにもならないと、意を決して立ち向かおうとする柊。

 そんな二人の間に割って入り、俺は柊を取り押さえた。


「待て柊!」

「せ、先輩? なにをやって、やめてください!」


 暴れる柊を抑え込むのに忙しく、あの悪魔が何をやっているのか確認できないが、俺の予想が当たっていれば、きっと問題は起きない筈だ。


「頼む、俺を信じてくれ!」

「っ……」


 しばらくすると柊の抵抗は無くなり、身体の力は抜けていた。

 後ろを見るとそこには悪魔はおらず、影一つ見当たらない。


「行ったか……無理矢理抑え込んで悪かったな柊、怪我してないか?」

「え……あ、はい……」

「色々気になるところはあるだろうが、黄昏時のこういった人気のない場所は悪魔が出やすくて危険だ。

 肩を貸すから、一旦表通りに出よう」

「……わ……分かりました」


 返事にかなりの間が空いたが、流石に悪魔とまた遭遇するのは嫌なようで、俺の提案に従ってくれた。


「先輩は……あの怪人が何者だったのか、知っていたんですか?」

「……ああ、一応な、とはいえ確信はない。

 順序立てて話がしたい、一先ずこの二日間、柊が何をしていたのか話を聞かせてくれ」

「え、ええっと……ええっと」

「今話す余裕がないなら、余裕が戻ってからで構わない」

「……あ、ありがとうございます」


 そうして、柊の口からぽつりぽつりと語られたのは、この数日間の逃走劇だった。

 なんでも学校の帰り道、唐突にあの悪魔に遭遇し、追いかけられ逃げ続けたという。

 家族や友人には迷惑をかけられないと、財布を握り締めてコンビニ飯で食料を凌ぎ、悪魔に見つからないよう廃ビルなどで夜を明かしていたのだとか。

 なんとも災難な話である。


「それでその、あの怪人、いいや、悪魔は__」

「あれはクランプスだ」

「……クランプス」

「ヨーロッパ中部に伝わる伝承によると、サンタクロースにはクランプスという悪魔とも聖職者とも言われる従者が同行していたとされる。

 このクランプスは元々、キリスト教の伝統的なクリスマス行事を嫌った若者達が、伝統に逆らうために復活させた地域信仰行事の怪物だったが、時代を経てサンタクロース文化へと併合していった。

 12月6日から25日までのクリスマス期間、クランプスは人々の家を訪ねて子供の説教を行い、それをサンタクロースが諫め子供に飴を渡すという、文字通りの飴と鞭、悪い警察と良い警察の関係を築いており、今でもその姿は西洋圏のクリスマスで見られるそうだ。

__これらの逸話から読み取れる通り、クランプスやサンタクロースには、子供の悪事を見抜く何らかの手段を有していたことになる」


 色々と説明を端折ってしまったが、まあ専門家でもない相手に説明するなら、この内容で十分だろう。

 とはいえ柊は走り続けた疲労からか、あまり話が頭に入っていない様子。

 もう少し簡単に説明するべきだったか。


「俺が柊を取り押さえた時、クランプスは何かしていなかったか?」

「確か……胸元から黒い本を取り出していたのを見ました。 

 その本のページを捲って少しの間眺めた後、頷いて煙のように消えていき……」

「多分それは柊が悪い子か、そうじゃないのかを確認したんだろう」

「え、ええっと、つまり……?」

「今回は柊が良い子だったから見逃した。

 とはいえ悪い子だとしても説教や軽い体罰で済ませていた。

 あんな見た目とは裏腹にクランプスは殺傷性のある悪魔じゃない。

 柊が逃げずに受け入れていれば、さっさと役目を終えて早々に立ち去ってくれた筈だ」

「つまり、それは……私の早合点だったわけですか……」

「そうなるな。

 とはいえ勘違いしても仕方がない見た目をしているあいつが悪い」


 クランプスは、エクソシストTRPGのルールブックに記述された脅威度でいえば0(無害及び有益)だ。

 初心者向けのシナリオにはよく登場するチュートリアル的な悪魔であり、経験者のGMが初心者のプレイヤーをからかうために用意するNPCでもあった。

 今回の邂逅者に選ばれた柊は、まんまとその罠にかかってしまったのだろう。

 俺も初めて参加したセッションであいつに振り回された経験があるので、柊を責めることはできない。


「先輩は、どうして私を、助けてくれたんですか。

 私のこと、嫌ってたんじゃないんですか……?」

「……鍵を拾ってくれただろう、その恩返しだ」

「そう、ですか」

「……それと」

「?」

「……きついことを言って、悪かった」


 もともと、謝るつもりはなかった。

 だが、彼女と話していると、どうしてもあの時のことを謝りたい気持ちが湧いてきて、止められなかった。


「いいですよ、許します。

 こうして助けていただきましたし」

「ありがとう」 


 そうこう話していると路地の出口が見えてきた。

 日はすっかり沈みかけて暗くなっているが、街灯は灯り、人通りは多く、これでようやく悪魔の領域から人間の領域に戻ってこれた気がして、ほっと息を吐く。

 すると肩にかかっていた柊の腕がのけられた。

 柊は目の前に立ち、こう語る。


「ここからは私一人でも大丈夫です」

「いいのか見送らなくても__いいや、男子に住所を知られるの、嫌だよな」

「いいえそんなことは、むしろ先輩をお招きできればという気持ちすらありますが、今日はこれ以上ご迷惑はおかけできません。 

 家もここからそう遠くはありませんし」

「そうか」


 これで俺のお役はご免ということだろう。


「最後に、改めて__荒木先輩! 助けてくださりありがとうございました!」


__ああ。

 勢いよく礼をした後、頭を上げた彼女は笑みを浮かべていた。

 その笑顔は花が咲いたように美しく、思わず見とれてしまい、瞼に焼き付いたその光景に囚われ、彼女がいつこの場から去ったのか、分からなくなったほど。

 ああ……こんな気持ちになれるのなら、人助けもそう悪くはないのかもしれない。


__いいや待て、頭を振って、その雑念を追い払う。


 あー肝が冷えた、悪魔と関わるなんて二度とごめんだ。

 俺は肩を擦りながら冬風の吹く帰路を歩んだ。


==


「__先輩先輩、荒木先輩、おはようございます。

 こんなところで出会えるなんて偶然ですね、せっかくなので一緒に学校まで向かいませんか」

「……こんな偶然あってたまるか、ここは俺の家のドアの前だぞ、いったいどうやって知った」

「先生に頼んだら快く教えてくださいました」

「生徒の個人情報をなんだと思っているんだ……それで、何の用だ」


 平日の朝、ドアを開けるとそこには柊がいた。

 その時の俺の衝撃は筆舌に尽くしがたい。

 これが百歩譲って一軒家ならまだ分からなくもないが、俺の住んでいるのは集合住宅、こいつは態々俺の住んでいる部屋番号を特定して、知らないビルの階段を登りドアの前で待っていたことになる。

 いったいどういうつもりだこの女。


「御恩のある先輩を慕い、一緒に学校に登校し、親睦を深めたいと願うのは、一後輩としてそれほどおかしなことではないと思いますが」

「俺は鍵を拾ってもらった恩を返しただけだ、柊が恩を感じる必要はない」

「そうは言っても、鍵を拾っただけの私と、悪魔から危険を顧みず助けてくださった先輩とでは、恩の釣り合いが取れているとは思えません。

 それに私は知っているんですよ、先輩の正体を」

「俺の正体?」


 なんだそれ、俺の前世の記憶が?

 いいや、確かに怪しい態度を取ってはいたが、正解に辿り着くには開示した情報が足りていない筈。

 であるならこいつは、間違った結論に達したことになるのだが。


「世を潜み人知れず悪魔を倒す正義のエクソシスト、それが荒木明先輩の正体です」

「何を言っているんだお前は」


 まるで漫画やラノベのようなことを言いやがって。


「根拠はあります、先輩がつきまとう私を鬱陶しがり、学校で友達を作らないのは、普段行っているエクソシスト活動に周りの人間を巻き込みたくなかったから__そうですよね」

「違うが」


 まったくの誤解である。

 むしろ俺が他人の事件に巻き込まれたくないから、交流を最低限に留めていたまである。


「二つ目の根拠は、悪魔に対する深い見識。あれほどの知識は、相応の目的を持っていなければ蓄えることはできなかった筈です。その目的とは悪魔祓い、すなわち先輩がエクソシストであることの証明である__そうですよね」

「いいや、それも違うが……」


 とはいえ反論する言葉が出てこない。

 TRPGをやるために蓄えたと言っても、それを証明する手立てはない。

 なにしろ「エクソシストTRPG」は前世の世界にしか存在しないからだ。

 このへっぽこ名探偵、推理は全て的外れだが、意外にも洞察力が高く筋が通った推理をしており、反論する隙が中々無いぞ。


「そして最後に、危険を顧みず私を助けてくれた点、これがなによりの先輩が正義のエクソシストだった証明でしょう」

「その件に関しては、恩返しと謝罪のためだって言っただろう……」

「これらの情報から私は先輩を正義のエクソシストだと判断しました。

 もちろん先輩が秘密にしたいのは分かっています、二重生活を送るヒーローはえてして正体を隠すものですからね、軽々しく言いふらすつもりはありません」

「……」

「決してお仕事のお邪魔をするつもりはありませんし、先輩が望むのであれば私も恩に報いるために精一杯お手伝いさせていただきます。

 ですのでどうかお願いします、私と友達になってください」

「……もう、好きにしてくれ」

「やりました!

 では携帯電話を貸してください、早速連絡先の交換をしましょう!」


 俺の取り出した携帯電話を奪うように取り上げた柊は、慣れた動作で操作して連絡先を登録してくれた。

 携帯電話の連絡帳に登録された、父と母以外の人物名。

 こうして全くもって不本意なことだが、俺には生まれて初めての友達ができたのであった。


(……でもまあ、一人ぐらいなら友達を作っても問題はないか)


 しかもその友達が、妙に俺に好意的で、見目麗しい女子とならば__


__しかし、俺はこの時の短絡的な選択を、後になって大いに後悔することになる。

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