第14話 撃てない時のおまじない(中)
岬 一燐 はバールを腰裏に仕込むと、防塵マスクを首から下げ、手袋を尻のポケットに押し込んだ。それはもう拉致された姉妹救出志願者か、一端の悪者か見分けがつかない。
どちらにしても本来の真っ当な使い方をしないのは確定だ。
幸い 岬 一燐は悪人面ではないので、直ぐに呼び止められないだろう。ICタグの照合で疑われなければ検挙されることもない。警察官だって内面の実情より、第一情報のみてくれや動作でその人なりを判断するのだから。
出入国在留管理庁本庁を見通せる場所に到着すると、職員達の出入りが監視できる都合の良い場所で二人は見張り続けた。11時を過ぎた頃、濃紺のスーツを着たガタイのよい中年太りの男が建物に入って行くのを確認した。
湖凪 クレハ の瞳が一瞬開いたかと思ったら口の端が僅かに上がっている。まず間違いなくあのガタイの良いスーツの男が確認しておきたい『李 誠実の上司』なのだろう。
「アイツなんだろ?」
「ふふっ、うん。でもアイツじゃない。シカとミヤを連れてった警官の一人だけど」
「じゃぁ、アイツも会いに来たのかな……、クレハの探してるヤツに」
「この前も中央区のギギラミーで 李 誠実と二人で声掛けしてたよ、アイツ」
ギギラミーとは、立ちんぼスポットになっているアミューズメントストア。今や子どもでも知っている名所の一つで、観光スポットにすらなってしまっている。出稼ぎや遊び目的で遠征して来る者も大勢いて
鎌を掛けて廻れば何れ不法滞在者のアタリを引く。そうなれば意味裁判所へ連行されるか、マフィアに売られてしまうか、偽造ICタグを受け取って商売を続けることになる。
ヤツ等は、下見と味見をしたら選別をする。稼げそうなら大抵は偽造ICを渡して上前をハネるらしい。その場合、和海軍の様なギャングが後見人になる。
だから手綱を握られて立ち仕事を続ける限り直ぐに見つけられる。
湖凪 クレハ の言う、姉のシリカと妹のミリヤが、マフィアに引き渡されているというのは表に立たせない仕事に就かせている、そう言うことだ。どういう基準でマフィアに引き渡すのかは分からない。恐らく年齢的なものも含まれるだろうけど、知りたくもない。
「きっとさ、李 誠実 の家族にお悔やみの言葉を述べてから来たんだよ」
「ヤバくなってきて、親分に会いに来たって感じか…… 」
「何も知らない奥さんの泣いてる顔でも見たんじゃない? あの顔」
あの警察官は私服で来たのが運の尽き、今のアイツには公的武装の所持は無い。だからといって正面から立ち向かって口を割らせられる相手でもない。
湖凪 クレハ の直線的な思考は行動力の速さに直結している。何をするのかは想像がつく。銃で脅して聞き出すのではなく、撃ってから生きている間に喋らせるに決まっている。
残念だが、喋っても喋らなくても撃たれる事実からは逃げられない。
男が建物に入ってから5分も経っていない ――――
まさか、二人で出てきた。恐らく 李 誠実 の上司か? 長身で白髪が目立つ短髪オールバック、頬には深い皺が入り、丸い色メガネをかけている。
「クレ、、、」岬 一燐 は、答え合わせが合っていたことを確信する。
「アイツだった……。同じ穴ぐらに居た」湖凪 クレハ のその言葉に感情はない。
そのクラゲ頭は、海面を目指して上昇するかの様に大きく仰いでいる。
外に出てきたところを見るに、早めの食事でも取りながら今後のことを話すのだろう。7分ほど歩いた所にあるレストランに二人は入った。
「一燐、碌なことにならないよ」
「そうだろうな」
「悪い事をして捕まれば、邪馬台区には住めなくなる」
「捕まればな」
この瞬間に限って言えば、そんな事は二の次になっていた。今、頭にあるのはクラゲ頭の話しの通りなら、あの警察官が姉妹を引き渡したのが何処の誰か? という疑問への答え合わせが可能になるということ。
男達が窓際の席に座ったお陰で、監視するのには都合が良い。
コーヒーとドーナツらしきものを食べているのが窺える。これは直ぐに表に出てきそうだ。
湖凪 クレハ は素性がバレない様に、上着のファスナーを締め上げて口元を隠している。それを見た 岬 一燐も防塵マスクを着用し、上着のフードを被った。
手袋に手を通した 岬 一燐は、もう立派な不審者だろう。
長身の男の方だけ立ち上がって会計に向かった。ここで別れて職場にまた戻る気なのだろう。扉が開いて一人、元来た道を歩いて行く。
ダンッ ――――
「あたらないか…… 」それだけ言うと髪を揺らせて素早く物陰に隠れる。
「マジかよッ 撃つとか、、、」慌てて屈んだ。
一発だけなら今のが発砲音だったなんて誰も思わない。直ぐに周囲の音に紛れてしまい、撃たれた本人ですら遠くの方で『何か音がした』程度で、正確な情報は耳に残ってはいない。
「私は警官の方に集中したい」
「なに言ってんだよ! 撃っといて」
「警官が居場所を喋れば、アイツはいつ死んだって大差ない」
なんて身勝手なんだこの女は! 場所もお構いなしで引き金を引くとかどうなっているんだと言わざるを得ない。このイカレ女はTPOすら弁えずにぶっ放す。
「っはッ。 滅茶苦茶だ、、、どうやって生きてんだよッ」
「必死なだけだよ。命懸けだからさ」
「賭けてんの相手だけだろ!」
「スラムで生活してたら一方的なことの方が多いよ」
岬 一燐 は心拍数が上がっていた。罪悪感などはない、深夜に少年補導員に追っかけられた時のように笑ってしまっている。イカレてる方の女は至っては平常運転に見える。
銃のグリップを向けられて 岬 一燐は呼吸が浅くなる。
「私の仇、討ってきてよ」
「えッ クレハの仇をか?」
「アイツ、ヤってきてくれたら。私も一つ協力するよ」
「へ? 目の前でクレハが襲われてんなら別だけど、絡まれてもないのに撃つなんて」
「まぁ……、そうなるよね」
理屈じゃない事を求めるのは未だ無理だ。いつだったら良いとかってのは確かにある。だけど、今じゃない。それは確かだ。
〝無理なのは分かってくれ〟
だが、静かな空気があの男を真っ先に撃ちに行きたいことを伝えてくる。
〝深く息を吸っているのは、その髪が教えてくれる
一方的に恨んでる訳じゃないことも分かってるよ〟
「クレハ、あのおっさんに従姉妹の話しを聞いてくるよッ」
「何にも答えないだろうし、取り押さえられて全部ダメになっちゃうよ」
「ここで今考えても分からないから、後で落ち合おう」
「わかった。ここか、居なければ、あの展望台でね」
本庁建物内に入られるとあの男に声すら掛けられずに、そこで終わってしまう。こんな時に限って頭の中が、ごちゃごちゃと煩い。だからいつもの様に急いでそこに向かうしかなかった。
危険でしかない。何故なら 岬 一燐はきっと先制攻撃なんて出来やしないから。
そのことを本人は自覚していない。
もしかすると、数十m先を歩いているあの男から聞かされるのは答えではなく、岬 一燐 が抱えている本質的な問題なのかも知れない。
「すみません。 お届け物です」
振り向いた男は50歳くらいだろう、背は180を超えている。近くで見るとガッチリとした身体つきで、頬の深い皺と目つきの鋭さが凄まじい威圧感を感じさせる。
「なんだお前? 誰に頼まれた」低く乾いた声で聞き返された。
「李 誠実さんからタグを預かってます」
「なかなかの不届き者だな、お前。ガキだな、誰のお使いできた?」
思い空気で息苦しさを感じる。こいつはただのホワイトカラーの優男なんかじゃない。そりゃそうだろう、底辺とはいえ普通の生活を送ってきた 岬 一燐と違って、人身売買でマフィアやギャングと繋がっているこの男とじゃ、倫理観から先ず違う。
「ここじゃ何だ。そっちで話そう」
「オレはここで構わない」意識していないくても緊張して力が入っている。
「お前の名前は?」
「アハマドだ、和海軍から頼まれて来た」
「なるほど、ならオレも渡す物があるからここで待っていてくれ」
一方、レストランの窓から見える警察官の男の様子は、明らかにうな垂れてしまっている。偽造ICタグの件から悪行がバレそうで、切り捨てられそうなのは容易に想像がつく。
湖凪 クレハ は、弾を込め直して静かに待っていた。
つづく
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