第7話 その先にある君の自由(前)

 仕事を失ってしまったとはいえ、得られなくなったのは時間給だけでしかない。17歳の 岬 一燐にとっては返して貰ったの方が、何よりも貴重でかけがえのない今だ。


「どうする、仕事探さなきゃ……。ふぅ、、、弁償」


 ここの裏手にある児童公園へ向かう足取りは重い。だが、それをものともせずに熟すだけの時間は十分に手に入った。こんな事でもなければ昼間にこの道の先なんて、歩くことは無かっただろう。


 警察へ被害届けを出した家は三軒。


 一軒一軒廻って謝罪と弁償の話しをするというのは気が重い。一件目は爺さんが出てきて、窓はもう新しくなっていた。張り替え当時の話しを散々繰り返しされて、4万4千円の領収書を見せられる。


 手持ちのお金では払えないので取りに戻る事を伝えて一度後にした。


 ガラス代だけじゃなくガラス撤去費に纏わる費用や作業代、消費税、リサイクル税に廃棄税、税金は種類も税率も増える一方で生きてくだけで税金がかかる。死ねば税金、焼くにも税金、納骨にすら税金がかかる、そして祈るにも。


 10万円を超えそうだ。この18ヶ月で手元に残ったのは19万円。18歳を過ぎれば更に納税義務は増えて、手元に残るお金は激減してしまうだろう。もう生きるのでやっとになるのは必至、早かれ遅かれ今のバイトでは詰んでいる。


 家に戻ってくると父親の岳生とキッチンで鉢合わせた。


「なんだ。仕事はどうした」

「クビになった」

「お前ぇーっ 飯は、、、薬はどうする気なんだ」


「何とかするしかないだろ」岬 一燐 は心なく応えると部屋に入った。



 押し入れに詰め込んだ通学に使っていたカバンを引っ張り出して、そこに隠していた紙幣をズボンにしまい込むと、腰を下ろして目を瞑ってうつむいた。


 へたり込んだワケじゃない。ただ頭の中がいっぱいに詰まってしまって重くなっただけ。



 〝金が足りなきゃどうなるんだ?

  足りたとして幾らから始めるんだ?


  また、やるのか…… 〟



 立ち上がって膨らんだズボンのポケットを上から押さえた。部屋を出てキッチンで水を飲み、コップを濯いでいると父親の岳生が顔を覗かせる。


「おい、一燐。お前あの女の子で稼いでいるのか?」

「馬鹿か? そんなワケないだろう!」

「本当はもっと金があるんだろ、飯も飲みもんも酒も薬も買えるんだろ?」

「金なんてねぇよ」


「お前、割ったガラスの金はどう工面する気だ?」

「取り敢えず謝ってみてからだな、一緒に来てくれんのかよ?」

「自分の尻も拭けないなんて……、学校で何をしてたんだお前は!」

「何もしてないから辞めたんだよ、もう行くから」


 父親の岳生が薬で正気に近づくほど、さっさと縁を切って他人にしたくなる。早く入院させて何処か違う所で違う生活をはじめないと、やり切れなくなってしまう。


 岬 一燐は考える前に行動した方が早いタイプ。だから、やっとけば良かったと思う心配はない。寧ろ、やるんじゃなかったと思うことの方が多い。


 急いで家を出ると他の二軒へと向かった。手持ちの金で足りない場合、高い方から弁償して安いのは謝って許して貰うか、待って貰うしかないと考えていた。二軒の合計が19万を超える様なら、今はどれも返さずに待って貰うように頼み込むしかない。


 二つ謝るのも三つ謝るのも同じだという、道徳的に見せかけたガイドラインに従うまで。



 15時を過ぎた頃、三件合わせて14万8千円だと分かった。手元に4万2千円を残して示談で済みそうだ。払ってしまって『この話しはもう終わらせよう』そう決めていた。別の場所で仕事をするにしたってその方が良い。



 示談合意として修理に掛かった領収書にサインを貰う。これでもう精算は済んだのも同然。手元に残ったお金のうち、2千円は自分のために使う事とした。


 

 2千円で出来る事なんてたかが知れている。食べ物なんて買っても今は満たされはしない。だから何に使おうかと考えて歩くしかなかった。


 足は品川区のターミナル駅に向かっていた。そこには良き国民が住まう邪馬台区への電車が発着する。それとは反対側の中央区へと向かう電車はというと、スラム化が進みそこは人類の坩堝るつぼとなってしまっていた。



 そこには世界中がある ――――



 岬 一燐 が願うのは、邪馬台区で小さくても自分の家と呼べる住居を持つこと。そのためにも、この国の納税システムへ復帰を果たし、そこに住む権利を獲得しなければいけない。


 稼ぐ方法を考えなければ……。



 ほどなくして駅に辿り着いた。何かのを主張し訴える者、頭を下げて座り込み施しを求める者、ダンスにスケボー、痴漢に詐欺に殴り合い、万引き客引き引ったくり……、これらは全て同じ空間に同居し、それがしっくりとくる街並み。


 喧騒の中、駅構内を見回してゲートへと向かうため階段を下りた。腹は減り過ぎると何も思わなくなるから逆に助かる。飢えきった方がシンプルなものしか求めなくなり、生きる上では都合がいい。直線的に喰らいついた方が結果も応えるというもの。


 中央区行きのターミナルへと足は傾く。治安の悪化が深刻化したと言われたのは何十年も前のこと。通常の生活をしていれば先ず行く必要がない場所。だからこそ、岬 一燐 であっても就ける仕事は沢山ある。


 未成年の国民であれば、手持ちのICタグなら無料でゲートを潜ることが出来る。だが反対側の邪馬台区へのゲートは、住民でなければ未成年であろうと、6千5百円必要となる。



 岬 一燐 が向かう先は、壁には何語かも分からない落書きだらけで行き先を滲ませてしまう。そして色んな国の旗が貼り付けられ、何かを主張した文字が上塗りを重ねる。


 通路の両脇は空き缶とテイクアウトされたゴミで土手を造り、人と靴が同じ数だけ転がっているのかさえ怪しい。


 中央区へのホームは、この先の地下街を抜けてゲートを潜った先。以前、邪馬台区の三級市民だった 岬 一燐は、中央区へは二度行ったのみ。高校に入った頃くらいに7、8人でために向かったのを今でも覚えている。


 階段を下りた通路の先で広がる店と露店に人集り。警察官が誰かを引きずって連行している。色んな人々が吐く二酸化炭素に、屋外から取り込まれた酸素が混ぜられて異国の空気まで再現している。



 三人組の男達が少し後ろの方で歩調を合わせてくる。



 早速、進行方向の先から騒ぎ声だ。一人の女性が人にぶつかりながら、猛然とこちらに向かって走って来る。この女性を避けて脇へ飛び退くと、後ろを歩く三人組にぶつかって女性は転げてしまう。


 いったい何から逃げてたんだ? と女性が走ってきた先に目を懲らす。


 ぶつかられた男の一人が女性を起こし親切に介助している。岬 一燐 より親睦を深められそうな女性を連れて行こうという魂胆が見え見えだ。


 前方から恐らく女性を追ってきたであろう男達が走ってきた。四人はいる。ここらで蔓延はびこっているラオスかベトナム辺りの東南アジア系ギャングだ。


 後ろの三人組はネパールかバングラデシュ辺りから出稼ぎに来た口だろう。走ってきた女性は中国語と思しきイントネーション。


 彼らに何があったかなんて想像するだけ無駄でしかない。巻き込まれない様にさっさと中央区へ急ごうと視線を先に戻した。


「おや、一燐くん。元気だったかな?」


「お、お前、、、あん時のッ」

「今日はお父様はいらっしゃらないのかしら?」


「てめぇ……。 急いでるんだ」岬 一燐 は冷静に無視して真っ直ぐ向いた。

「やめといた方がいいよ。 さっさと立ち去らないと巻き込まれるよ」

「知るかッ」


 向かい合った二人は互いに歩み始めると、行き交う二人としてすれ違った。



 気を取り直し足を進めてゲート付近まで近づくと、よくある乱闘騒ぎを超えた様相だ。血まみれで倒れている者が何人もいる。通行人や露天主も近くの店内に逃げ込んでいる。


 ゲート付近の詰め所から走ってきたであろう警察官三人が、何処かに連絡しながら倒れた者に声を掛けている。この先でギャング同士の抗争による乱闘があった事が警察官達の会話から読み取れる。


 あのクス女の 湖凪こなぎ クレハの忠告通り、踵を返すこととなった。


 もと来た道を急いで戻ると、その先で悲鳴が聞こえる。


「くっそッ! 何やってんだよ警官は!」



 何も不思議な話しではない。そもそも警察官の人数は年々減少し、現在22万人だ。その内、約2万人はお偉いさんときている。事務方を除けば現場は18万人程度しかいない。


 では、ネオジャパンネイティブを除く移民の数はというと702万人。現場警察官は一人あたり、39人のベストパートナーを選ばなければいけない計算になる。ランダムで集められた奴らが良い人ばかりだった事なんて人生の中では希な筈。


 そこに訪日観光客を加えればお察しの状況だ。




つづく

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