第6話 閉じた世界の扉から(後)
取調室は順番待ちで盛況だ。待合所もキャンセルが出なければ座れそうにない。次から次へとオリンピックの開会式でも始まりそうな顔ぶれと雰囲気だ。
この国では税金を納めていても、警察署内にあるベンチシートは自由席だから座れないのは当たり前だと覚えておく必要がある。今日は留置所へ連れて行かれる奴らが多くて幸い回転はいい。
やっと空いたベンチシートに座ることが出来た。
岬 一燐 の身に降り掛かったのは理不尽なんかじゃない。
こんなことで嘆くのなら、歩くことさえ諦めてもいい。
署内の電話が鳴り響き、地ベタに寝っ転がってる奴、大声で喚き散らしている奴、警察官に殴りかかって取り押さえられている奴、日没後の礼拝を始める奴、ここに拘束されてやってくる奴らは今も好き勝手にやれている。
最早、ホワイトノイズになってしまっている。
いつも騒がしい周囲はすべてモノクロームの世界。自分だけがカラーフィルムで映し出されている様に、一人だけ冷静に落ち着いて色調を保っていた。
隣で両手を組んで祈っていた老人にお迎えが来た。黒い制服を着た奴らが両脇を抱えて連れてゆく。空いた席には次の奴が連れて来られる。
両手に手錠を掛けられて真っ直ぐに正面を向いたままゆっくりと座る。
髪がゆっくりと広がって揺れている。ホワイトアッシュで真珠の様な輝きの隙間から横顔を覗かせる。
こいつも未だカラーフィルムが映した世界に生きている。
「君はなにしたの?」
この女は顔を正面に向いたまま口だけを動かす。
瞳がこちらに向けられたから暗黙で口が動いた。
「何もしてないよ」
「あはははっーーー、それ悪い奴が言うセリフだよ」
「ふざけんなよ」岬 一燐 はボソッと吐くと、少女に向けた顔を
「君さ、協力してよ」
「はぁ? 誰だよお前…… 」
「
「知るかッ」
「一つ協力してくれたら、一つ協力してあげる」
「ぅんじゃぁさ、オレを邪馬台区のタワマンに住めるように富豪にしてくれよ」
「わかった。じゃぁ次は私に協力して」
この女が嘘つきのゴミだということは瞬時に理解できる。
「私を連れてく警官が来たら、床に倒れて痙攣するフリしてよ」
「はぁ、なんでオレが」
「そしたら君を確認するために屈むから、そこを羽交い締めにする」
「で、お前は何すんだよ?」
「こいつの鍵を抜いて帰らせて貰う」
「バカか? テメぇだけ逃げてんじゃん」
「後で保釈してあげるから大丈夫だよ、安心して」
「残念だけど、オレは今から帰るんだよ」
くだらない大人がこの女を仕込み、紐を付けて泳がせている。悪い奴らは報いを受ければいい。こんな顔して何人騙してきた? 捕まって死んでろよ ――――
「ゴミ」最後の部分だけ言葉が漏れ出てしまった。
「ふーぅ ん、まぁ怖いのは仕方ないよ、君いくつ?」
岬 一燐 は『何言ってんだこの女』から『違うレイヤーの人間』だと認識し、正面を向いて無視をした。こちらを見ていたゴミだった女の瞳も正面を向いたのが感覚的にわかる。
数分も経たない内に警察官に連れられて父親の岳生が到着した。ベンチシートから立ち上がり、警察官と一緒に歩み寄る父親の顔を見ることになろうとは。
そこに感動の再会なんて無い。そして互いに今の心境を理解し合い、慈しみ合うことも、昔を思い出すこともさらさら無い。
怒鳴られるのなんて御免だ、勘弁して欲しい。
どうせなら『ツイて無かったな』と労ってくれと思う。
「なぁ オヤジ、」
「一燐ッ! お前ぇ、、、、お前えぇッ 飯ぃはどうしたぁぁああ!」
「へぁ 」ため息が混ざった変な声が出てしまった。
ゴミ女は大笑いで両足をダンッダンッと床に踏みつけている。
父親の岳生が 岬 一燐の胸ぐらを掴み、押し倒して取っ組み合いが始まった。勢い余ってさっきまで座っていたベンチシートに押し付けられて
警察官達が取っ組み合う二人を引き離そうと揉み合いになっている。
湖凪 クレハは揉み合いに紛れて、警察官の手錠ホルスターから鍵を引き出して手錠を緩めているかの様子。
どうにか警察官に引き離されても二人は睨み合っている。父親の岳生は最早、何を言っているのか聞き取れない言語で荒げている。
何の真似なのか、父親の岳生に身を委ねるように抱きついた。
「お父さん、助けて。一燐が私で商売しようとしてるの」
「一燐ッ! オレに黙って金稼いでたなーーーッ、騙してたなぁぁあッ」
すさまじい勢いで取っ組み合いが始まり収拾がつかない。湖凪 クレハ は堪えきれず大笑いしてしまっている。応援の警察官が駆けつけたが、他の拘留者も乗じて騒ぎ立て
「この子を連れて行って」警察官の一人が連行を指示する。
床に押し倒されて押さえつけられる 岬 一燐を尻目に、一人の若い警察官がその子の腕を掴んで連行して行く。
「クソ女ッ、テメェーッ! くっそが、オヤジいい加減にしろッ」
「ぬがああああああぁッえぁぁああッーー!」
奥の通路へと小さな歩幅で歩く 湖凪 クレハは警官を見つめて囁く。
「トイレ行きたいんだけど、コレ外せないなら下ろすの手伝ってくれる?」
警察官は脇にある扉を開けてトイレに誘導した。
岬 一燐 と父親の岳をは、留置所で一泊することとなり、翌朝パトカーで区営住宅へ護送されることとなった。パトカーの中でも飯のことで喚き散らしす父親を
家に着くと直ぐにシャワーを浴びた。頭から熱いシャワーに暫く打たれていると、ふと見た鏡に映る顔は笑っていた。笑ってしまったという方が正しいのかもしれない、余りにも馬鹿馬鹿しい出来事に。
あの 湖凪 クレハという女は何だったんだろう? それを考えていたら、せせら笑ってしまうのは当然だ。一体誰があんな女を想像できるというのだろう。貰い事故みたいな余計なトラブルでしかない。
何にせよ疲れていた、突然訪れた非日常に。いつもの日課を熟す省電力モードでは追いつかなかった所為もある。逆に父親の岳生は叫び、暴れて、コンビニで普段なら買わない飲食物を手にし、大人しく部屋に引き籠もっている。
バイトは昼から向かうと連絡をした。2時間ほど眠るつもりが、窓ガラスの弁償のことを考え初めて冴えてくる。少しずつ貯めてきたお金もくだらない事で無くなってしまう。考えてもどうしようも無い事は分かっている。
〝考えても分からない
幾らかかるんだ?
払わなくて済む方法
本当はあるんだろ?
無いのか
何の意味も無かったのか?〟
ヂリリリーン プコプコプコ デリリリーン リコリコ ・・・
どこで目を覚まそうとロードされるのは、ゴミだと思う自分の人生の続きから。もうこれで正常だったかすら、確認さえ必要としない。
重い体を起こせば、あとは省電力モードに任せて頭は働かせなくていい。
準備を済ませると玄関を閉じて鍵を閉める。隣の住人に会わないのは生活時間が普段と異なるからだろう。少しずらせば快適な事もある。職場へ向かう足取りは案外軽い。
職場に着くと班長の石田が待っていた。
「遅くなってすみません」
「ぁああ、岬。お前、仕事を辞めてもらう事に決まった」
「あぇッ え、どうしてですか?」
「トラブル起こす人間は雇えないって上が言ってる。事情は聞いたけど仕方ない」
「は、 上って誰ですか?」
「あ? 上って俺以外の上の立場の人間全部だよ、察しろよ」
〝畜生 ちくしょーッ …… 〟
空の頭が一層、真っ白になって明日が空白になってしまった。
◆次回、【その先にある君の自由】
どうしたらいい? 割れそうだよ 頭に何か詰めてくれよ。
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