紅唇は鉄刃を砕く〜帝国後宮華妃美闘録〜
壱単位
第1話 圏外の妃
花が散る。
灯篭の薄明かりを帯びて舞っている。
焚きしめられた香が情景を柔らかく霞ませている。
散った花は、いま、首を掴み上げられている
力が緩められると、操り紐を失った人形のように崩れ落ちた。
「……そこまで!
女官が手を掲げ、高らかに宣言する。
その声と同時に豹胡は、開いたままで左手に持っていた鉄扇を鋭い音とともに畳み、胸元にすっと刺した。
橙を帯びた金の瞳が月形に撓む。同じ色の髪に差した豪奢な飾りが揺れる。
「皆さま、せっかくのお花の宴、興を削ぐようなこととなり申し訳ございません。せめてものお慰みに」
廊下に控えていた豹胡の侍女たちが上等の反物を捧げ持って入ってくる。総勢十八名の華妃のうち、彼女と退席した琳果を除く十六の席に配ってゆく。
「さすがですわ、豹胡さま。これで持ち点も千を超えられたはず」
「先代の華妃、伝説の
「お力もさることながら、このお心配り。正妃のお声がかかるのも遠くはございませんわね」
さざめくように交わしあう華妃たちの声は、豹胡にも届いているのだろう。口元を小さく持ち上げ、近くの華妃が活けた花の盆の横に腰を落とし、談笑に戻っていった。
反物のひとつは、最末席で小さく縮こまっていた
この国では珍しい深い蒼の髪、黒い瞳。彼女の出身、この
「……無理。ぜったい、無理……」
反物をひれ伏すように受け取った後、きゅっと瞑った目尻に涙を浮かべて呟いた玲に、後ろに控えていた一人きりのお付き侍女、
「無理じゃないですよ。ちゃんと見ました? 華泰萬は場所も時間も無制限。ああやって仕掛けて、ああやって勝つんです。華妃どうしの直接勝負、持ち点がいちばん稼げる機会なんですから」
「……わ、わたし、痛いのと怖いのは……駄目……」
じっとりと上目に睨みつける阿紗に玲は振り返り、泣き顔を見せた。思い切り眉をしかめる阿紗。
「持ち点、いまいくつですか。二十ですよね。もうすぐゼロですよね。ゼロになったら後宮、追放ですよ。下女ですよ。あたし、嫌ですからね。玲さまと並んでお掃除とかお洗濯とか」
「ま、舞なら得意だから、そこで頑張る、から……」
「今まで舞の宴で勝ったことは? 歌の会は? 筆は? 香は?」
「あ、あう……」
答えられない玲。阿紗は目尻を釣り上げた。
「そんなんだから、十八番妃、圏外妃って言われるんです。陛下の目指されるのは武による治世。お支えする華妃、そして正妃に求められるものも同じです。玲さまだってせっかく
一息に言ってから、玲が叱られる幼子のように肩をすくめているのを見つけ、再び深く嘆息した。
「はあ……まったく。あたしも豹胡さまに付きたかったなあ」
「……ごもっともです」
と、その時。
室外で鈴の音とともに厳かな声が響いた。
「皇帝陛下のご臨席でございます」
すべての華妃が即座に動いた。身なりを正して座り直し、深く首を垂らす。
華妃たちの正面、黒塗りの重厚な扉がゆっくりと開かれ、宦官たちに囲まれながら男が悠然と室内に踏み入ってきた。
遠目にもそれとわかる鍛え上げられた全身を覆うのは、黒一色の軍装だ。黒灰の髪、琥珀の瞳。ただ、その左目の上から頬にかけて大きな刀傷が走っている。先帝を失った戦での傷だ。
黒鵬帝国第十二代皇帝、
彼を指して、敵対する諸国は侮蔑を込めてこう呼ぶ。
心を喪くした帝、と。
一段高い席に腰を落とし、長い足を投げ出すように組む。肘を脇息に置いたまま気怠げに持ち上げ、ひれ伏す華妃たちに振り向けた。
「豹胡、
間近に控えていた二人の華妃、序列一位の豹胡と二位の鏡嶺が進み出る。夜の渡りと同様に、皇帝の隣に座す権利を持つのは上位二位の華妃までという慣わしだ。
豹胡は氷天の右手に、鏡嶺は左につく。その気配を合図に華妃たちが一斉に顔を上げた。羨望と嫉妬の混ざった無数の視線。その圧力を愉しむように豹胡は目を細めた。
と、氷天が小さく首を傾げる。
「琳果の姿が見えないようだが」
「先ほど、ご退席を。しばらくは御前にお出にならぬやもしれません」
「首でも締めたか」
豹胡がふふと息を漏らす。
「お見通しですね。わたくしの華能は、力。獣の膂力です。琳果さまの華能、幻惑に対抗するためには、お声をお潰し申し上げるのがいちばん早うございましたゆえ」
「……そうか」
応えながら、仰ぐように見上げる豹胡の頬に指を伸ばす。上等の陶器を愛でるように沿わせ、耳元から髪に指を通し、櫛削る。
喉を鳴らさんばかりに満足げな豹胡と対照的に、氷天の表情には温度を感じることはできなかった。
と、その時。
末席の玲が肩を抱き、震え始めた。口のなかで何かを呟く。
「……真っ暗……寂しい、寒い、怖い。置いて、いか、ないで……」
「……ちょっと。ちょっと、玲さま。玲さまってば」
玲の裾を引き、背中をつつく阿紗。が、玲はその手を拒否するように上半身を折り曲げた。ただ、顔は上げたまま。逸らしたくてもできないのだろう。
「玲さま。玲、さま!」
小声で叱咤するように阿紗が背をぽんと叩いた。それで縛りが解けたらしく、彼女ははっと空気を吐くような音を出し、肩を大きく上下させた。
「……まさか。読んだ、んですか」
「……」
「なにやってんですか莫迦なんですか! 不敬で死罪ですよ、陛下に華能、願い読みの力を使うなんて! もう、具合悪いっていって退出しましょう。ほら!」
腰を浮かせて玲の腕を取ろうとした阿紗。が、どん、という重い音で動きを止めた。磨き上げられた床板に誰かが乱暴に踵を置いたのだ。この場でそうした不躾な音を発することが許されるのは、ひとりだけ。
二人ともに息を呑み、額を削らんばかりに床に擦り付ける。
「……顔を上げろ」
声の主、氷天はまっすぐに玲の前に歩を進めてきた。低く重い響きが降ってくる。二人ともに震えたまま動けない。
やがて氷天は玲の前に膝を折った。手を上げ、指先を玲の顎にかける。くい、と持ち上げて顔を近づけた。
空気が揺れる。華妃たちの声を伴わない悲鳴だ。
「……どうだった」
目の前、息のかかる距離にある瞳。射抜くような視線に、玲は目を瞑ることも、逸らすこともできないでいる。
冷たく、だがどこか探るような、縋るような声。
「俺に、触れたな。どんな色だった。心はあったか。俺は……誰だった」
玲は応えない。小さく首を振る。
なおも重ねて声を出そうと氷天が息を吸ったときに、玲は逃げるようににじり下がって額を床に叩きつけた。
「も、申し訳ございません、申し訳ございません、どうか、どうか、ご容赦を……っ!」
氷天はしばらく動かずにいたが、やがてゆっくりと立ち上がった。最後にちらと玲の背に視線を落とし、失望したように小さく息を吐いて立ち去った。
玲はしばらくは顔を上げることができなかった。が、それは彼女にとって良い選択であったろう。
顔を上げていれば、上位華妃、わけても豹胡の刺し貫くような視線に耐えることはできなかっただろうから。
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