第8話

 淀んだ空間があった。

 色々がゆっくりと混ざり合わさっている極彩の空間。普通であれば意識に支障をきたすような、混沌の支配する凶々まがまがしき幻魔界――凶幻きょうげん

 其処に、一人の男の姿があった。全身を甲冑で鎧いつつも、その重さを感じさせない悠々とした足取りで混沌の世界を闊歩する男。痩身ではあるものの今にも踊り出しそうに歩くその姿は、この混沌の世界にとてもよく似合っていた。

 足場無き場所を足場とし、道無き道を歩く男。やがてその足取りは止まり、混ざり合う渦の中心を眼前に据える。その場所で男は片膝を付き、うやうやしく首を垂れた。


「おお、おお、我らが神よ。秩序を凌辱し生命を暴食する悪辣の神よ。どうかこの愚かな裏切り者に、その御声をお与えください。罪業深きこの逆者に、貴方様のしるべをお与えください。おお神よ……混沌たる此の世を支配する我らが神、ズァークよ」


 渦巻きが沸き立つマグマのように隆起する。沸いては流れ、固まることなく動いていく混沌。男の声と祈りに合わせ、その姿を形成していく。

 やがて一個のカタチとなったそれは、やはり凶々まがまがしい不定形の神面だった。


「おお……おお、我らが神……! 感謝いたします、またもこうしておいでなさってくださるとは……」

『……勇、者……』

「ええ、はい。勇者でございます。貴方様が仰られた聖現の勇者、それがこの現世に出現してまいりました」


 ズァークの前に膝を付く男が手を掲げると、そこに映像が投射される。混魔との戦いを繰り広げるガイヤーが映し出されていた。

 善戦と苦戦を繰り返すガイヤーの姿を見てもズァークはなんの言葉も発さない。だがその神面は僅かに歪み、愉悦を表しているようでもあった。


「神よ、混沌神ズァークよ。貴方様にこうしてよろこんでいただけるのは矮小なる我が身には余りある栄光。貴方様へ捧げるべく生み出した混魔も勇者を痛めつけるには十全の力を持っており、宿主の命を以て復活の足掛かりとなったことでしょう。

 ……しかし、されど。我らにとっていささか看過できぬ事が同時に起きてしまいました」


 次いで映し出したのは、光に包まれて重臣たる一角獣ユニコーンと合体する勇者の姿だった。輝けるその威容に、ズァークの神面はまた僅かに歪ませる。


『……ぬ、ぅ……』

「勇者のこの姿、この力。恥ずかしながら私めの知るところではございませんでした。しかもこの力、ただ単純に強化されたのではございませぬ。口惜しくも彼奴め、その光で宿主を救済し混沌から解放してしまったのです」

『…………』

「ええ、ええ。憤慨なさるもの無理はございませぬ。混沌の宿主は貴方様の絶大なる養分。混魔変成が出来る程の宿主ならば、とおもあれば貴方様の御復活もあたったでしょうに……。宿主が居ない成体ガワだけでは、精々宿主の五分の一程度の養分にしかなりますまい……。嗚呼おいたわしや」


 さも悔しがった言葉を何処か大仰に話す男。ズァークは変わらず何も言葉を出さないが、男はそれを是として自分の言葉を続けていった。


「ですがご安心ください。貴方様の御見立て通り、この現世には一押しすれば混沌に堕ちる人間がごまんと居りまする。たとえ成体ガワしかなかろうとも、貴方様の御復活に必要な養分はすぐに集まることでしょう。どうか今しばらくの辛抱をば」

『……急、げ……』

「ははッ。この提婆だいば縁覚えんがくにお任せあれ。すべては我らが神、混沌神ズァークの為に」


 男――縁覚えんがくがもう一度深々と首を垂れる。その姿を見て混ざり合う渦の中へ溶けるように消えるズァーク。

 ただ混沌が蠢き鳴動するだけの空間に戻ると、縁覚もゆるりと立ち上がりまた悠々とした足取りで何処へと向かう。

 その顔に、狂喜の笑みを貼り付けながら。





 一方現世にて、巨大戦場となった繁華街から離れたとある公園。仁禮とガイヤーが初めて会ったあの場所に、件の二人と一頭が何処からとも無く出て来ていた。


「――なにがあったッ!?」


 思わず戦慄わななきの声を上げる仁禮。しかし無理もない。さっきまで『レグガイヤー』の中で戦場に出ていたはずで、戦いが終わり混魔の宿主と化していた人を安全な場所に降ろしたと思ったら視界の全てが光に包まれたのだ。

 そして気が付いたら見覚えのある公園。思わずスマートフォンの時計を見ても、戦い終えてから5分も経っていない。

 そんな短時間で繁華街のある隣の市から移動できるわけがないとただ頭を悩ませる。仁禮の認識は、やはりまだ彼自身の常識の中に居たのだ。

 つい慌てて左右を見回す仁禮だったが、自身の身体――胸元になにか重みを感じた。何かがこちらに寄り掛かり体重を預けてくる感覚。目線を下すとそこには美しくも短い銀髪を揺らす、端正な顔立ちの少年が目を閉じて緩やかな呼吸を繰り返しながらこちらに身体を預けていた。

 彫り物つくりもののように整った見慣れぬ顔に思わずドキッとしながら身体を捩らせてしまうが、そうすると自分も何かから落ちそうになってしまう。そこでようやく自分自身も不安定な場所に腰かけていることに気が付いた。


「うっ、おおっ、危っね!?」

「……ええい、まったく世話が焼ける」


 自らの意思で重心を安定させるように動き、仁禮たちの安定を取る足場。もといレグホーン。彼もまた一緒に現れていたことに、仁禮は遅れて気が付いた。


「わ、悪い」

「ふん、若様がお休みになっておられなければそのまま落としておったわ」

「へいへい忠義がデケェこって。昔はいつも自分がこうしていたのに、ってか?」

「左様」

「左様って……」


 どうにも仁禮に対しては辛辣な言い方をするレグホーン。だがガイヤーの方は、安心と信頼を全身で表すかのように安らかな寝息を立てていた。ただそれを向ける方向が仁禮にあるのかレグホーンにあるのかは、両人共に気付くはずもなく。


「……んで、なんでこの状態になってるワケ? なんでここに居るんだ俺たち?」


 体勢を崩さないよう、ガイヤーを軽く抱き止めながら聞く仁禮。レグホーンはその問いに溜め息混じりで答えていった。


「我ら聖現の生命は、この現世で活動するに当たって真聖体を次元の狭間に隔離する。そして我らは義体アバターを生み出し、精神部分をそれに移して現世へと再出現リスポーンするのじゃ。此度は偶々この場所が再出現リスポーン地点になっただけであろう」

「……俺の身体は大丈夫? なんか指が足りないとか骨が足りないとか、内臓が逆になってるとか性転換されてるとかそういう事ない?」

「そのような間抜けがあるかたわけ。なんじゃその発想は」

「次元の狭間とか再出現リスポーンとか、そういうのこっちの人間からすれば普通起こるようなことじゃないの……。なにか変なバグが起きたらどうすんだよ……」

 

 思わず身体中の機能を確認し直す仁禮。手足から指先までを動かし視線を動かし呼吸をし、五感の動きを確かめる。ついでにズボンの中も覗き見る。大丈夫、ちゃんとある。

 己の男としてのアイデンティティを再確認したところで安堵の溜め息ひとつ。

 一拍の落ち着きを取り戻すと、ごちゃごちゃした今の動きを経てもなお安らかに寝息を立てる少年に目線が行く。人の胸を勝手に借りて無防備に眠る彼の姿は、まるで遊び疲れた幼い愛玩動物ペットのようだった。


「……おたくの若様、ちょっとガッツリ寝過ぎじゃない?」

「無礼な口を叩くな。……初めてあれだけの力を使ったのだ。若様が疲れ切ってしまうのも致し方あるまい」

「初めて? それにしては戦い慣れてたように思うけど」

「あの合体のことだ。本来聖現のものにあのような力は備わっていない、はずなのじゃ」

「はずって」

 

 思わぬ返答に驚く仁禮。アレは元々出来るようなものではなかったのかと考えていると、レグホーンから言葉が続いていった。


「儂とて伝承を受け継いでいただけにすぎぬ。『我らはひとつに非じ。我ら聖光とひとつになりしとき、大いなる力顕現す』……。それはただ、混沌を討ち祓う膨大な力が生じるだけかと思っておった。しかしよもや、こんな意味があったなどとはのう」

「言葉としては間違ってないと思うけどな。確かにひとつに合体して、大きな力は生まれたんだし」


 仁禮の言葉を何処か腑に落ちぬまま聞いて、不承不承を示すかのようにブルルと小さくいななくレグホーン。彼の抱く不満も分からなくはないと、仁禮も軽く笑いながら彼の太い首を優しく撫でていった。


「しかし、聖光ねぇ……。それについては何も知らなかったのか?」

「具体的なことは何もな。ただ我らに力を与えるだけの超高エネルギー体だろうとしか捉えておらんかったわ」

「でもガイヤーこいつは、それが俺の中に在ると思って来たんだよな。なにかこう、お前らの眼には見えるものなのか?」

「若様の御言葉を信じるなら、『他とは色味の違う心惹かれる光』だそうじゃがな。それをお主の内に見たそうじゃが、儂には分からんかった」

「……ふーん、そっか」


 思わず返し言葉で「爺さんが耄碌もうろくしてるだけじゃ?」と言いそうになったがすぐにそれを飲み込む仁禮。いくらレグホーンが爺と呼ばれているにしても、流石にそれは無礼が過ぎることだ。


「お主、いま何か無礼なことを考えなかったか?」

「か、考えてねーって! おい揺らすな揺らすな!」


 察しを見せたレグホーンに振り落とされないよう必死で堪える仁禮。それでもこの重臣、忠を尽くす主君を落とさないよう動きには気を使っていたし、主君はこの程度の動きでは起きる素振りも見せなかった。


「ったく、危ねーなぁ……。若様と違って元気モリモリじゃねーか爺さん」

かせ。この程度で力無くして眠りこけるほど老いてもなければ幼くもないわ」

「ははっ、若々しくてなによりだよ」


 それはいつまでも隆盛を維持しようとする大人の強がりのようであった。思わず軽い笑みをこぼしてしまうが、そうした強がりは仁禮にも理解出来ることだった。

 大人になるとどうしても強がりが常態化してくる。『まだいける、まだ頑張れる』を何度も繰り返してきた者ならなおさらで、仁禮もそうした生き方で大人になった者のひとりだ。だからなのか、レグホーンに対しても不思議な共感を抱いていた。きっと彼にもそうした苦労があったのだろうと。

 片や未だそうした苦難の経験が浅いようにも見える勇者ガイヤー。安らかに眠る彼の顔を改めてまじまじと見ていると、どうしても先程までの巨大な威容が嘘に感じられる。それくらい彼は幼く見えた。


「しかしこうしてると、ただの小綺麗なガキにしか見えないよなぁ……」

「否定はせぬ。事実若様は、まだまだ年若き御方だからな」

「……こんな子供が自分のことを勇者だと言って戦うのな、そっちの世界は」

「善行に非ずと咎めるか?」

 

 突かれるようなレグホーンの言葉に、仁禮は返す言葉を止めてしまう。

 本当は安い善意で糾弾したくあった。しかしこの重臣の声からは、それを許さぬ強い意志があった。少なくとも彼自身は、それが許し難い行いであるという覚悟を持って供をしている。それを理解らせるような重い一言だった。

 それを感じた仁禮は、ただ肩をすくめてそれ以上の言及は避けるのだった。


 やや重い空気になったところで互いに言葉が尽き、夜の静寂が訪れる。身体を伸ばして深呼吸する仁禮と僅かにいななきながら身体を震わせるレグホーン、寝息を立てたままのガイヤー。遠く、繁華街の方向で薄ら広がる赤い光はそこに集まる警察や救急の非常灯だろうか。赤い光はまだ収まりを見せないが、鎮まり返った周囲の住宅地を見る限り今日という一日は既に終わりを告げていた。


「とりあえずは、一件落着なのかな」

「そうだな。一先ず、今日の日は落着だ」


 レグホーンの簡素な言葉に仁禮はまた溜め息を吐く。今度は安堵ではなく、不安や失意といった落ち着かない感情から来るものだった。

 『今日の日は』という言葉の通り、混沌との戦いは始まったばかり。先の見えぬその戦いに、その場の勢いがあったとは言え仁禮は自分から巻き込まれに行ったのだ。

 こうなってはもう戦いの終わりまで付き合わざるを得ない。そう思うと溜め息が止まらなかった。


「はぁ……なんで俺がこんな目に……」

「いくぞぉ……せかいを、すくうために……。むにゃむにゃ……」


 寝惚けながらも上手い相槌を打たれ、更に溜め息。自分に何が出来るかは未だに分からないが、少なくともこの異郷の勇者たちの手助けぐらいは出来るのだろう。そして彼らからもそれを求められている。それは、不思議と悪い気がしなかった。

 純粋に自分という存在が必要とされているからだろうか。それを内心喜んでいる自分の浅はかさと愚かさ、言い得もない青さに少し気恥ずかしさを感じたからなのか、最後の溜め息は今日一番大きなものであった。



 正義と秩序の下に世界救済を夢見る少年勇者と現実という障壁の前に夢を閉ざした大人只者。互いにちぐはぐな者達が力を合わせ、世界の危機に立ち向かう果てしなき戦い。これがその始まり。

 天を覆っていた靄はいつしか消え去り晴れ渡り、先の見通せぬ暗夜に導を与えるが如く極星と月が力強く輝いていた。






「それで、この寝坊助とアンタはこの後どうすんの」

「決まっていよう。共に戦うと決まった以上、お主の居処きょしょは即ち若様の居処きょしょ。速やかにお連れして若様に最上のもてなしを用意するのじゃ。

 なに、儂は若様の傍らに居られれば多少窮屈でも一向に構わんぞ。ああじゃが寝藁ねわらぐらいは用意してもらわんとのぅ」

「はぁッ!? おい待てなに勝手に決めてんだよッ! うちの十畳アパートにそんな余裕ねぇぞッ!?」

「なにぃッ!? 若様をこの寒空の下に置いておく心算かこの無礼者ッ!」

「一番の問題はアンタなんだよッ!! こんな町中にペットの馬を置いておける場所があるワケねーだろッ!!」

「貴様ァーッ!! この聖現に於いて最も清く貴き聖現獣を、ペットの馬だと尚も愚弄する気かァッ!!」

「そぉだぁ、ぶれぇものぉ……」

「あぁぁもうどーすんだよもぉぉおおッ!!」


 輝き射すこの道は、果たして何処に繋がっているのだろうか。

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