ACT.25 ヒマワリの作戦

  ――9時30分、和食さいとうの前。空気はやけに張り詰めていた。


「智姉さん、先に行きます。……相棒、出るよ。」


 鋭く唸るエンジン音。地を蹴って滑り出したワンエイティの赤いボディが、夕日に照らされて光る。


「さて、私もそろそろ行くかな。」


 智姉さんはR35のドアを勢いよく閉める。爆音とともに目覚めたエンジンが、彼女の決意を叫んでいるかのようだった。


「俺も行くぜ。オオサキちゃんを見届ける。」


 六荒はヴィッツに乗り込み、穏やかな眼差しで前を見据える。静かだけど確かな意志。3台の車がそれぞれの想いを乗せて走り出した。

 ――向かう先は、赤城山というバトルステージ。

 ダウンヒルのスタート地点には、夜風が冷たく吹き抜けていた。虫の声、ギャラリーのざわめきが波のように押し寄せる。

 その中へ、ヒマワリのSW20、ウメのJZA70、そしておれと智姉さんの二台が到着した。

 ――全員が揃った。赤城が、静かに唸り始める。


「ヒマワリなら勝てる! やっちまえ!」


 開始30分前。ギャラリーの熱気は最高潮に達しつつあった。おれの180SXとヒマワリのSW20が並ぶ。エンジン音が静かに空気を震わせ、互いを牽制し合っている。


 ――でも。


「サイン欲しけりゃ今のうちだぞー。走り終わったら、手ぇ震えて書けねぇかもしんねぇからな!」


 ヒマワリはまったく緊張感ゼロだった。


 ギャラリーが「はーい!」と手を挙げると、彼女はにっこり笑ってその中へ。さらさらっとサインを書いて、次は記念撮影まで始めやがった。


「おいおい……本当に戦う気あるのかよ……」


 呆れるおれ。けど、その余裕――どこかで羨ましくもある。


「ヒマワリ、お調子者ってのはマジだったか。」


 智姉さんも思わず苦笑。

 ……そして。


「ふざけないで 、ヒマワリ!」


 遠くから叫んだのは、彼女の母親・ウメだった。けれど、その声にもヒマワリは「うっせーなー」と笑って手を振るだけ。

 そんな自由すぎるムードの中、プラズマ3人娘が乗るセダンが到着。

 そのとき――静かにエンジン音を断ち、90マークIIが姿を現した。


 九一三雅。


 闇を裂くような無表情で、ただヒマワリを射抜く。


「見せてちょうだい。大崎翔子が負ける瞬間を」


 淡々とした口調なのに、肌が冷えるほど鋭い。


「……なんでそんなふうに言えるんだよ」


 熊久保が声を荒げる。


「事実を述べただけよ。大崎翔子の走りじゃ、ヒマワリには届かない」


 そう言い切った後――雅はふいに目線をサクラの方向へ流し、低く告げた。


「ヒマワリが勝ったら、斎藤智を私によこしなさい」


「……は?」


「智が誰の隣に立つか。それが私には必要なのよ」


 その声音には、不思議な温度があった。

 冷たさの底に、かすかに焦げついた孤独が混じっている。


 そこへ、一台のランエボ8が滑り込んだ。

 降り立った草加幸平は、軽く頭を下げる。


「すまないね。うちの雅が、つい強い言い方をしてしまって」


 その声には、静かな優しさがあった。


「……雅は昔、人とうまく馴染めなかった。目を合わせることすらできなくてね。でも――斎藤智の走りだけは、初めて見た日に涙を流すほど憧れていたんだ」


 雅は視線をそらしたまま、小さく唇を噛む。


 その横顔は、孤独という傷を抱えた“少女”そのものだった。

 九一三雅が去った後、空気が一瞬だけ凍りついていた。

 誰も言葉を発さない。

 ただ、山の風がざわりと吹き抜ける。


 プラズマ三人娘は、手にしたプラカードをぎゅっと握りしめる。

 悔しさか、怒りか、それとも別の何かか。

 表情が揺れたその瞬間――


 その一言だけで、

 さっきまで強気だった九一三雅の“影”が


「……誰かに否定されるのが怖くて、自分から心を閉ざしてしまった」


 草加の声は、娘を責めるのではなく、

 守ろうとするような柔らかさに満ちていた。


「初めてあの人の車を見た日、雅は……泣いていたよ」


 静かな告白だった。


 それは説明ではなく、

 “父親が語る、娘のたった一度の救い” だった。


 草加が口を閉じた瞬間、雅のまつげが震えた。

 風が吹く音すら、彼女の心を代弁しているようだった。


 残り、5分――。

 赤城の闇を裂くように、二台のマシンがスタートラインに並ぶ。

 左にヒマワリのSW20。右に、おれの180SX(ワンエイティ)。

 緊張で張りつめた空気の中、ドアを開けて乗り込む。

 キーをひねると、エンジンが静かに目を覚ました。

 ……その時だった。

 SW20の前に、ウメがゆっくりと歩み寄った。

 窓が開く音――そして、母娘の静かな会話が交わされる。


「ヒマワリ」


「なんだよ、母ちゃん?」


 ウメさんは一瞬、何かを考えるような表情を浮かべた。

 そして、優しく、けれど確信めいた声で言った。


「後攻を選びなさい。まずは相手の動きを見て――それから、一気に抜くのよ」


 一瞬の沈黙。

 だが、ヒマワリはすぐに、照れたような笑みを浮かべて頷いた。


「へへ……了解。オレ、頭使うの苦手だから、母ちゃんの知恵に頼るしかねぇんだ」


 だけど――

 その目はまっすぐで、真剣だった。


「相手の動きを見て、SW20のトラクションでぶっちぎってやるよ!」


 ウメさんは笑って、そっとヒマワリの背中を叩く。


「その意気よ。焦らず、冷静にね」


 こうして、ヒマワリは戦闘態勢に入った。

 スタートのカウントは姉のサクラが担当する。


「……10秒前。9……8……」


 息を呑む音すら、山に吸い込まれた。


 エンジン音が唸りを上げ、地面が揺れたように感じる。

 だが、その轟音の中――


「雅、私のクルマに乗るかい?」


「当然よ。大崎翔子の“泣き顔”、一番いい席で拝ませてもらうわ」


 九一三雅は涼しい顔で答え、草加幸平のランエボ8に乗り込む。


「シートベルト、しっかり締めてな」


「心配しないで。あなたこそ、運転しすぎて疲れないでよ?」


「すぐ終わるさ。特等席からの観戦、楽しもう」


 ランエボがゆっくりと動き出し、スタート地点から離れていく。

 ――そして、バトル開始の合図が鳴り響いた。

 地を蹴るように飛び出す2台のマシン。

 先攻は、おれ。後攻は、ヒマワリ。


「まずはオレが引っ張る……!」


 ロングストレートを駆けるマシンたちの背後に、もう一台の獣影――

 ランエボ8が一定距離を保ちながら追走していた。


「えっ、追ってきてる!?」


「草加さんのエボ8……!? ってことは、観戦しながら、バトル分析する気かよ!」


 ギャラリーがざわつく中、マシンたちはS字カーブへ突入。


「ゼロカウンター……いくぞ!」


 おれは限界ギリギリのドリフトでコーナーに飛び込み、タイヤが悲鳴を上げる。

 一方、ヒマワリは“セナ足”――極限までグリップを引き出す技術で追随してきた。


「突っ込み勝負は……こっちが上!」


 ……と思ったのも束の間。

 次の短い直線で、SW20のMR(ミッドシップ・リアドライブ)レイアウトが火を吹いた。


「なっ……!」


 立ち上がり加速で一気に距離を詰めてくるヒマワリ。

 ランエボの中――


「なるほどね。ヒマワリは突っ込みじゃなく、加速区間で勝負をかけてる」


「大崎翔子のドリフトは洗練されてるけど、MRの立ち上がりに一瞬でも隙があれば……勝負は分からないわね」


 草加と雅が、冷静に火花を観察していた。


 続く右ヘアピン――

 おれは再びゼロカウンタードリフトで、限界まで車体を滑らせる。

 後方のヒマワリは、ピタリとラインをトレースして追いすがる。


「セナ足で……食らいつく!」


 そして――勝負所、三連ヘアピンへ!


「ここで決める……! ――《ズーム・アタック》ッ!」


 1つ目のヘアピンを猛スピードで抜け、2つ目・3つ目もカウンターを連続で繰り出す。


 一時的に引き離したその瞬間――


「くそっ……まだ逃がさねぇ!」


 ヒマワリは怒涛の追い上げ。

 グリップとドリフトを切り替えながら、次U字曲線で再び距離を詰める。

 エボ8の中――。


「彼女は立ち上がりで……いや、“次”に賭けてる」


「翔子も油断すれば、一気に逆転されるわよ」


 二人の声が静かに交差した。

 疾走する二台、燃え上がるプライド、静かに脈打つ狂気。

 ――勝負は、まだ始まったばかりだ。


 ――頂上。

 DUSTWAYのメンバーがトランシーバー越しに報告を入れる。


「こちら実況班!現在、ワンエイティがリードをキープ中ですッ!」


 無線の声に、サクラはキリッと眉を上げ、トランシーバーのスイッチを切る。

 そして、背後のギャラリーへと振り返り、声を張り上げた。


「聞けーッ! 先行してるのは……大・崎・翔・子だーっ!!」


 その瞬間、山の空気が震えるような歓声が沸き起こった!


「サギさんがリードしてっぞォォ!!」


「行けぇぇ、大崎翔子ォォ!!」


 熱狂の渦。拳を突き上げる観客たち。

 しかし、その熱狂とは対照的に――

 智と川畑は、まるで冷水をかぶったような表情で沈黙を保っていた。


「……まだ序盤だ。浮かれるには早すぎる」


「せやな。ヒマワリの“あれ”、まだ出てへん」


 川畑の低い声に、小鳥遊が腕を組んで目を細める。


「この前の練習……くにちゃんと川畑さんと走ったとき、ヒマワリ……技、使えなかったんだよ。でも今日は――どうだろうな」


 ――少し離れた場所。

 サクラとモミジは、観客の喧騒から一歩引いた位置で小声を交わしていた。


「今のとこは予定通りだね。先攻されたら厳しかった」


「うん……母さんの判断、やっぱ正解だった」


 表情にはまだ余裕がある。けれど、目は真剣そのもの。

 二人は、まるで盤上の戦局を読む棋士のように、静かに戦いの流れを追っていた。


 その様子を見たギャラリーの一部が、ささやき合う。


「なんか……あの二人、余裕あるな」


「まるで“勝ち筋”が見えてるみたいだな……」

 

 そんな中、モミジがふと、何かを思い出したように目を伏せ、ぽつりと呟いた。


「そういえば、昨日ヒマワリと話してたんだ」


「……え?」


「『もし、大崎翔子に勝つとしたら、どうする?』って。そしたら――」


 その言葉に、サクラの瞳が鋭くなる。


「で、ヒマワリはなんて言ってたの?」


 モミジは少し笑った。

 それはどこか、“信じてる”者だけが浮かべる静かな笑みだった。


 5月2日の夜、ヒマワリの部屋。

 モミジが扉を軽くノックして入ると、ヒマワリはベッドに寝転んで天井を見つめていた。

 ヒマワリはすぐに振り返り、屈託のない笑顔を浮かべる。


「いよいよ明日だな! なんだかワクワクしてきたぜ! イィーネ! モミジ、明日はお前とサクラ姉ちゃんの仇を取ってやるからな!」


 その無邪気な笑顔には、ヒマワリ特有の無敵感が漂う。だが、それと同時に、モミジの胸には微かな不安が広がった。


「ヒマワリ、ちょっと話があるんだ。」


 モミジの声に、ヒマワリは一瞬だけ表情を変え、すぐにベッドから起き上がる。


「なんだ?」


「明日の相手、大崎翔子の能力には気をつけて。ボクも、それに戸沢も、あの能力にやられたんだ。」


 一瞬、ヒマワリの顔が硬直する。しかし、すぐにその表情が崩れ、無邪気に笑って拳を握りしめる。


「そうか……でもな、モミジ。対策はもうバッチリだぜ!」


「対策? どんな?」


「オレの能力だよ!」


 ヒマワリは自信満々に言い放った。

 その言葉に、モミジは少し驚いたような表情を浮かべるが、すぐにその無敵とも思える姿勢に、少し羨ましさを感じた。

でも、それでも――


「ヒマワリ、それはいいけど……油断だけはしないで。」


 ヒマワリは心配するモミジの目を見つめ、少し首をかしげる。


「大丈夫だって! オレが絶対に勝つ! お前の心配は要らねー!」


 その言葉には迷いがない。まるで、全てが自分の手のひらに乗っているかのような言い方に、モミジは一瞬だけ圧倒された。

 その強さに押されるような気もしたが、それでも心の中で不安が消えることはなかった。


「分かった。でも、気をつけてね。」


 モミジは静かにうなずき、ヒマワリに背を向ける。部屋を出る直前、彼女は小さな声で呟いた。


「……お願いだから、無茶だけはしないで。」


 その言葉が、閉じた扉の向こうのヒマワリに届いているかは分からない。

 けれど、その夜の静けさの中で、ヒマワリの決意とモミジの不安が交錯していた。


 ゴール近くの駐車場。

 ギャラリーが集まり、熱気に包まれている。

 バトル前の静寂の中、観客たちの息遣いが次第に高まっていく――。


「SW20型MR2って、ST205型セリカGT-FOURより10馬力少ないけど、120kg軽い。それだけ加速性能が有利だよね。低速コーナーで活きるセッティングだし。」


 名衣は興奮した様子で言いながら、手を軽く振ってみせる。その顔には、まるで自分がその車を駆るかのような熱意がこもっている。

 雨原芽来夜は、愛車FD3Sに寄りかかりながら、じっとコースを見つめたまま軽くうなずいた。


「確かに、駆動力を重視した仕様だ。しかし、後半の高速区間でどう展開するかがカギだな。」


 名衣はさらに続ける。


「それに、彼女の『能力』がどこまで通用するのか。大崎翔子も、ただの実力者じゃないし……」


 雨原は目を細め、静かに答えた。冷静さを保ちながらも、わずかな期待の色をその眼に浮かべている。


「勝負の行方は技術次第だ。モミジ戦で見せたヒマワリの走り――きっとそれをさらに進化させてくるだろう。」


 その言葉に名衣は少し驚いたような表情を見せ、再びコースに視線を戻す。

 ギャラリーのざわめきが徐々に高まり、熱気が一層強まる中でも、雨原の冷静な眼差しは揺るがない。


 少し離れた場所では、プロレーサーの乾健人が鋭い眼光でコースの先をじっと捉えていた。隣には巫女服をまとった板垣ハツと甘利ゴウが立っている。


「今回のバトル、どう見る?」と、甘利が問いかけると、乾は一瞬の間をおいて、静かに答えた。


「ゼロカウンタードリフトとセナ足のぶつかり合いだ。ゼロカウンターは立ち上がりが速いが、ロスが大きい。後半の直線が増える区間で不利になる可能性がある。」


 板垣が興味津々で尋ねる。


「じゃあ、ヒマワリの方が優勢ってこと?」


「一概には言えない」


 乾はその目をじっとコースに向けながら、続けた。


「彼女の走りはトラクション重視で、ミッドシップの特性を最大限に活かしている。無理をしない堅実なスタイルだが、攻めのリズムでは翔子のワンエイティが一枚上手だ。」


 その冷静な分析に、甘利は小さくうなずいた。


「どちらも一瞬の判断ミスが命取りになるだろうな。」


 乾はその言葉に応えることなく、再び視線をコースに向けて静かに息をついた。


「結局、勝負は最後の最後まで分からない。」


 ヒマワリを大きく引き離していたおれは、余裕を持ってサイドブレーキを引き、スムーズにドリフトでコーナーを抜けた。

 ──が、次の直線で、じわじわと距離が縮まってくる。


「……やっぱり直線じゃ、差は広げられねぇか!」


 右ヘアピンを抜けた瞬間――

 SW20が影のようにインへ突っ込んできた。


「速ぇ……!」


 ヒマワリはコーナーの“迷い”を完全に捨てていた。

 MR特有の蹴り出しが、鋭い音とともに路面を掴む。


「イィーネ! ここからだろ、勝負は!」


 緑の閃光がコクピットから滲む。


 一瞬、世界の音が消えた。

 そして――《ライク・ア・サンダー》


 空気ごと震わせる電流の気配。

 SW20は稲妻のようにコースを駆け抜け――次の直線で、おれの視界から消えた。


「くっ……!」


 焦りがゼロカウンターのタイミングを狂わせる。

 リアが暴れ、ガードレールにわずかに接触。

 その音が、胸の奥に冷たい針を刺した。


(落ち着け……落ち着け!)


 だが、まだ諦めちゃいない。


「……だけどな。君の弱点は、もう分かってる!」


 心を鎮め、冷静に分析する。


「突っ込みは速い。けど、立ち上がりなら……おれのワンエイティが勝つ!」


 逆襲のタイミングを探る。 第1高速区間の終盤、S字ヘアピンに突入!

 左ヘアピン――ヒマワリが、信じられない直線的なドリフトで距離を詰めてきた。


「速いッ! この区間で追いつかれるなんて……!」


 続く右ヘアピン――

 ヒマワリのSW20が、鋭く、強引に、インを狙って突っ込んでくる!


「くっ、インが防げない……!」


 これまで「コーナーが苦手」だったヒマワリの走りとは、まるで別人。

 SW20の持つミッドシップの特性を、完全に引き出してやがる!


「立ち上がりで勝負するしかない!」


 右ヘアピンを抜けた瞬間――

 ヒマワリのSW20が、完全におれの前へと躍り出た。


 スタート地点前の駐車場――


「現在、第2高速区間入り口で、SW20がワンエイティを抜いた模様です!」


 トランシーバー越しの報告が、場の空気を一変させた。

 頂上で待機していたサクラは、一瞬だけ目を閉じ、深く息を飲む。


「……ヒマワリが、先行に入ったか」


 その声には、焦りと、わずかな期待が滲んでいた。

 すぐにトランシーバーを切り、ギャラリーに向き直ると、サクラは声を張り上げる。


「ヒマワリが逆転した! 先行に入ったぞ!」


 たった一言で、ギャラリーがざわめきに包まれる。


「やった! ヒマワリが抜いた!」


「すげぇ……!」


「でも、まだ油断できねぇぞ!」


 熱狂と不安が入り交じる中、サクラの瞳は険しくコースを見据えた。


「……第2高速区間。ここからが、本当の勝負だ」


 そのとき――

 プラカードを持つ熊久保が、怒鳴るように叫んだ。


「ちっくしょー! サギさんが抜かれたべ! 直線多いこの後、追いつけんのか!?」


「落ち着きなはれ、クマはん。まだ決まったわけちゃうで」


「そうだよ、クマさん!」


 六荒と小鳥遊がたしなめるが、熊久保は落ち着かない。

 智は表面上は冷静を装いつつも、内心は不安でいっぱいだった。


(……信じてる。オオサキなら、絶対になんとかしてくれるはずだ……)


 そう思い込もうとした、そのとき――


「おい! DUSTWAYの葛西ヒマワリ! 勝って帰ってきたら、その時は正面から文句ぶつけてやるから覚悟しとけ!」


 熊久保の叫びに、周囲がどっと笑った。


「クマさん、それはマズいって」

「敬意を持たなあかんやろ」


 小鳥遊と六荒に即ツッコミを食らい、熊久保はしょんぼり肩を落とした。

 賑やかに、だが緊張の消えないスタート地点。

 頂上の空気が、さらに熱を帯びていく――。


 バトルに戻ろう。

 第2高速区間へ入った瞬間、赤城の空気が変わった。

 夜風ではない。“獣の気配”が満ちていく。


「じゃあな、大崎翔子! オレは先に行くぜ!」


 SW20が、視界の端から音もなく消えた。


「くっ……!」


 おれは焦りに駆られ、ゼロカウンターのタイミングを外す。リアが暴れて、ガードレールと軽く接触――痛恨のミスだ。視界の中にヒマワリのテールランプはもういない。


(このままじゃ……マズい。差は開く一方だ)


 ナイフのように尖った右ヘアピンが目前に迫る。

 そこは“サクラ・ゾーン”。サクラとモミジを倒した、おれの聖域。けれど今は、その因縁の地で、ヒマワリに差をつけられている。


「ここで……追いつくッ!」


 おれはアクセルを踏み込み、RB26の爆音が闇夜を裂いた。


「ズームアタックッ!」


 怒涛の加速で、S字直線へ突入する。限界ギリギリまで踏み込んだワンエイティは、サクラとモミジを抜いた記憶の中をなぞるように疾走する。


「次は、ヒマワリ……!」


 視界に、赤い光がちらりと差し込んだ。

左U字ヘアピンを抜けたその瞬間――遠ざかったはずのSW20が、再び見えた。


「……追いついてきやがったか」


 ヒマワリはミラー越しにおれを捉え、冷静にブロックラインを取ってくる。

 右U字ヘアピンでおれが内側を狙えば、彼女は迷いなく内側を死守する。


(次で決める!)


 左ヘアピンへ突入――その刹那。

 ヒマワリのSW20が、まばゆい赤い光に包まれた。

 ブレーキランプの赤が、熱で滲んだようにゆらめく。

 その瞬間――龍の尾のような残光が、闇を切り裂いた。

 まるで空を駆けるような勢いで、彼女は加速した。


《ドラゴン・デザイア》


 テールから放たれる光粒子が、おれの視界を焼く。

 それは美しくも、恐ろしく――そして、圧倒的だった。


「これが……ヒマワリの本気か」


 観戦しているエボ8の2人も、口を閉ざす。


 バトルは最後の直線に突入。

 SW20が、再び差を広げる。


「くそっ、追いつけない……!」


 おれの中に、何かが、うごめく


(でも――まだ終わってない!)


 だが、それはまだ“目覚めて”はいない。


「智さん、サギさんが“能力”を発動したって報告……まだ、来てねーですか?」


 熊久保が焦り気味に声を上げる。


「まさか……サキちゃんが……」


 小鳥遊の口調にも、わずかな疑念がにじむ。


「クマさん、落ち着こ? まだ終わってないよ」


「……直線でビビる奴が勝てるわけあらへん。黙って見とき」


「う、うるせぇ! わだすは応援してんだべ!」


 そのとき、サクラとモミジが静かに歩み寄る。


「それが、事実だ」


 サクラが低く、けれどはっきりと語り始めた。


「……ヒマワリの“あれ”、まだ出ていない」


「つまり……強くなる余地を与えず、自分だけは削られない。時間が経てば経つほど、相対的に彼女が圧倒的になるってこと」


 モミジの言葉に、六荒と熊久保が言葉を失う。


「まさに、ヒマワリの性格そのまんまやな……」


「じゃ、じゃあ……サキちゃん、もう……」


「いや、まだだ」


 智が口を挟んだ。冷静な声に、周囲の空気がピンと張りつめる。


「……勝つ方法は、ほんのわずかだけど、残ってる」


「え……?」


「オオサキは、ヒマワリとの距離を縮めるために《ゼロカウンタードリフト》を何度も使ってる。……その動き、“限界”に近づいてる。だけど逆に言えば、限界を超えるための準備は整ってきたってことだ」


 六荒が息を呑む。


「……もしかして、それが……!」


 熊久保が口にしかけたそのとき、誰もが黙った。


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