ACT.21 ゼロカウンター
雨脚はさらに鋭くなり、白線が“溶ける墨”みたいに滲んでいく。
第2高速区間の出口が近づくほど、モミジのアルテッツァは尾だけ残す幻影になっていった。
――完全に置いていかれた。
距離の概念すら消えていく。
FRのトラクション。
雨。
そして、“曲線の葛西モミジ”。
勝てない理由はいくらでも列挙できる。
それでも認めたくない想いの隙間に、冷たい声が無線へ落ちてきた。
「データは揃ったよ、大崎翔子。君の技、解析終わった」
皮膚の裏を撫でるような声だった。
「《神速》《用心》《臨戦態勢》《狙い打ち》《赤備え》《赤鬼の鬼気》《赤鬼の興奮》《ズーム・アタック》《幽霊群馬》。以上。把握」
切り札が全部バレてるなんて、本来なら心が折れていいはずだ。
だが、その声の奥に、わずかな震えが混じった。
「……嫌な感じがする。サクラ・ゾーンに“二つ”危険の匂い」
モミジの勘は、知能を越える。
その彼女が“二つ同時”と言うと、雨の匂いがほんのり鉄っぽく変わった。
モミジは天才だ。
漢字ドリルを遊びにし、十二で大学から声がかかり、十六で三大学を同時卒業。
卒業後、姉たちとの“家族バランス”のためだけに、アルテッツァを選び、走り屋になった。
……そのモミジに、一切追いつけない。
ワンエイティは溝の浅いドライタイヤ。
雨では、ただの暴れ馬だ。
「頼む……言うこと聞けよ……!」
ダンスの振付を拒むみたいに車体が跳ねる。
一瞬のミスで崖。
それでも必死にジグザグゾーンへ送り込み、ナイフ状の右ヘアピンへ。
(……遅い。出口に全然合わない……)
RB26の低回転トルクの薄さ。
ドライタイヤの絶望的弱点。
その背後で“殺気”が咬みついた。
「すぐ追いつくわよ。それがサクラを倒した走り?」
九一三雅。
90マークIIの音圧で胃が縮む。
(前も地獄、後ろも地獄……挟み撃ち……!)
スタート地点で雨空を見上げていた智姉さんが、微かに息を漏らした。
「追い詰められてる。でも……あいつには“能力”がある」
――戸沢を抜いた、あの奥の手。
「雨……弱まる。止むぞ」
その言葉どおり、雨脚が細くなる。
左U字の看板が光った瞬間、叫んだ。
「朝のやつ……やる!」
軽く左へ。
後輪が滑り、姿勢は真っ直ぐ。
ゼロカウンタードリフト。
ギャラリーが爆ぜる。
「ゼロカウンター! 来たッ!!」
前方、九一三雅が冷ややかに呟く。
「ようやくね。じゃあ、私も」
90マークIIが“重さを無視した角度”で横へ飛ぶ。
――怪物かよ、お前。
胸の奥が赤く破裂する。
「来た……能力!」
視界が赤に浸され、世界が薄い膜越しになる。
出口だけを見る。モミジを見ない。
「なんで……!? 効かない……!」
次の瞬間、外から内へ“跳ねた”。
《赤備え》の残光がスプリントみたいに尾を引く。
「ワ、ワープ……!?」
完全に食い込んだ。
「頭が良くても……だませるもんだろ!」
――抜いた。
「ワンエイティ前だ!!」
スタート地点では、DUSTWAYの面々がざわめく。
「抜かれたか。恐ろしいぜ……あいつの能力」
「しかも頭脳戦で……やるなぁ」
サクラが静かに言う。
「モミジの弱点は体力。後半で崩れる可能性はある」
ウメが短く頷く。
「ゲロ吐かなければいいけどね……」
直線に戻ってアクセル全開。
RB26が吠え、サクラゾーン最後の左へ。
モミジのオーラが橙に弾けた。
「ジーニアス
天才的集中。だが裏に毒。
「負けない……抜く……!」
モミジがサイドを引きずり、足さばきは幻。
その後方で――金の閃光。
「堕ちるレッドロック
九一三雅が外から刺す。
(前も後ろも地獄……!)
モミジの呼吸がミラー越しに壊れる。
「ゲフ……ッ……!」
天才でも身体は嘘をつかない。
それでも足はアクセルを捨てない。
「抜く……絶対……!」
五連続曲線。
赤城の“裁きの門”。
「来たぞ!!」
第一ヘアピン。
三台同時にブレーキ。
おれと雅はゼロカウンター。
だがモミジは――
ガードレール“キス寸前”。
(死ぬぞ……!)
その直後、違う音が響いた。
「ゲホッ……!!」
嘔吐。
アルテッツァの鼻先が失速。
――終わった。
「……これが……弱点……」
「モミジ脱落!!」
闇に悲鳴。
残るは、おれと九一三雅。
最終手前。
ワンエイティがウェットに噛んだ。
「っ……!」
横へ吸われる。
すぐそばを黒い影が斬り抜けた。
「終わりよ――大崎翔子」
1位 九一三雅
2位 大崎翔子
DNF 葛西モミジ
雨に沈む赤城。
モミジの脱落は“幸運”だ。
だが油断――それが敗因。
「やべぇ……あの二人倒したぞ!」
雅の名が赤城に刻まれた。
DUSTWAYへ陰。
「……モミジが……」
サクラ、ウメ、ヒマワリが固まる。
「行くわよ」
雨のヘアピンへ到着した三台。
光の中で、モミジが顔を上げた。
「……負けた……ごめん……」
ウメが頬へ手を添える。
「ドンマイ。次はヒマワリとサクラがやる」
サクラが息を吐く。
「大崎翔子はまた能力を使った。ヒマワリと相性は悪くない」
ヒマワリが鼻で笑う。
「フン。燃えてきたわ」
モミジは泣きながら笑う。
「……速かったよ……二人とも……雨原さん超えるかも……」
ウメが抱き寄せた。
「よく頑張ったわ。曲線のモミジ」
ふもと。
雨は霧へ変わり、舗装に残ったタイヤ痕だけが、
さっきまでの“殺気の往来”を証明していた。
プラズマ三人娘の前に立つと、
おれは胸が潰れるような重さで頭を下げた。
「……負けた。ごめん」
自分の声が、酷く軽く聞こえる。
敗北の余韻が、肺の奥でまだ暴れているのに。
「落ち込むなよ」
「無事で帰ってきた、それだけで十分だよ」
「しゃーないって。雨やったんやし」
軽く、優しく、気遣う声。
それが逆に胸の真ん中へ深く刺さる。
返事ができない。
喉が閉じる。
そのときだった。
焦げたタイヤ煙の匂いが風に混じり、
後方の闇から“滑るように”一台が現れた。
黒の90マークII。
九一三雅。
ヘッドライトも感情も、冷たい刃みたいに無音だった。
雅は歩かない。
空気を押しのけるみたいに、ただ“近づいてくる”。
そして――
おれの前に立ち、
無表情のまま、喉の奥で鋭く切りつけた。
「あなたには――何もないわ。
信念も、中身も」
心臓のあたりが、
内側から“拳で叩かれた”ように痛む。
呼吸が抜ける。
視界が白く弾ける。
「モミジに勝ったのはマグレよ。あれを実力だなんて――思わないことね」
焼けたタイヤの匂い。
黒煙。
雅のマークIIは、言葉より冷たいスキール音を残して去っていく。
何も言えなかった。
拳も声も、
どこにも届かないまま、
ただ雨跡の地面を見つめるしかなかった。
智姉さんの足音が近づく。
次の瞬間――
「この馬鹿ッ!!」
ビンタより痛い声だった。
怒りと心配と、悲しみが全部混ざった声。
堪えていたものが、一気に崩れ落ちる。
涙が止まらない。
視界が滲んで、世界がぼやける。
モミジだけが歩み寄り、
息を整えながら微笑んだ。
「……中々やるね。ボクの頭脳から逃げ切った。この調子で――サクラ姉ちゃんたちも、お願いね」
その優しさが、逆に苦しい。
返事は出なかった。
喉の奥で何かが折れて、そのまま意識が沈んでいった。
暗闇がやさしく背中を撫でるみたいに、
静かに落ちていく。
翌日 ― Speed葛西
雨のしずくを弾くSW20が店前に滑り込んだ。
エンジンが止まり、ドアが静かに開く。
立っていたのは、濡れた緑髪ポニーテールの女。
オレ、葛西ヒマワリ。
モミジと同じ顔つきなのに、
纏っている空気は“炎”だった。
店内の空気が一瞬で引き締まる。
「……おれに用?」
大崎翔子が現れる。
頬にはまだ疲労の影が残っている。
オレはゆっくり近づき、
濡れた指で大崎翔子の胸元を軽く突いた。
その笑みは獲物を見つけた肉食獣のそれだ。
「オレは葛西ヒマワリ。モミジの双子の姉だ」
間。
雨音だけが店の外で弾ける。
「仇討ちだ。サクラ姉ちゃんと、モミジの分」
風が止まったような静けさ。
オレの瞳はまっすぐで、濁りがない。
ただ“戦うために生きている”人間の目。
「5月3日、赤城。――勝負しろ、大崎翔子」
大崎翔子は一歩、前に出た。
負けた昨日を背負ったまま。
泣いた目の奥に、まだ赤い火が生きている。
「……挑むよ。絶対に勝つ」
オレの口角が跳ね上がった。
「イィーネ!!」
雨風を裂くような笑い声。
戦闘民族の歓喜。
赤城の血が騒ぐ音。
赤城の闘いは終わらない。
むしろ――ここからが本番だった。
The Next Lap
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます