ACT.20 曇り空のバトル

 県道4号線・赤城道路ダウンヒル。

 スタート地点近くの駐車場に、おれのワンエイティ、智姉さんのR35、六荒のヴィッツが並ぶ。

 空はどんどん暗くなり、湿気が重い。


 すでに対戦相手――葛西モミジのアルテッツァと、DUSTWAY、葛西一家の車が並んでいた。

 今日はまず“先攻・後攻”を決める面会がある。


「よく来たね。もうすぐ始めるけど、先攻と後攻、どっちがいい?」


「後攻にするよ」


 ……これは最初から決めていた。

 昨夜、智姉さんとパジャマの全身タイツ姿で作戦会議をしたのだ。


「モミジは頭のいい走り屋です。彼女の“やっていること”を見たいなら後攻がいい。コピーもしやすい」


 後攻が有利――理屈ではそうだ。

 だが、それが“真逆の地雷”だと、この時のおれは知らなかった。


 葛西家の母・ウメが、モミジの肩に手を置く。


「モミジ、体力は大丈夫?」


「ボク並みの強さなら、ゴールまで持つよ」


 ……相変わらずの自信。

 だがこの自信こそ、あの一族の強さであり、危うさだ。


 モミジはアルテッツァへ歩き、淡々とドアを開ける。


「じゃあ、始めようか。スタートラインへ」


 おれもワンエイティへ乗り込む。

 イグニッションを回せば、RB26は濁った獣のように目を覚ました。

 アルテッツァのスーパーチャージャーが低く唸り、二台が道路へ出る。


 スターターはモミジの双子・葛西ヒマワリ。

 曇った空の奥――雷鳴が轟く。


「雲が鳴いたぞ!」


「今日のバトル大丈夫か……?」


「雨、降るんじゃ……?」


 ギャラリーがざわつく。

 降り始めれば戦況が一変する。

 おれのタイヤはドライ――モミジはウェット。

 もし降れば地獄だ。


 ……そして。

 その混乱を見つめる影が、一つあった。


 白と紫の90マークII。


 九一三雅。


 彼女はひどく静かな動作で1JZを起動させた。

 その姿を見たDUSTWAYの誰かが叫ぶ。


「おい……バトルに出ようとしてねえか?」


「始まるとこだぞ!?」


 何をしている――?

 いや、何をする気なんだ……?


 これが、悪夢の始まりだった。


 赤城山のスピーカーが金属質に鳴り、ギャラリーが一瞬静まる。


《まもなく競技車両がスタートします。危険防止のため、ガードレールの内側へ──》


 おれとモミジはスタートラインへ並んだ。

 アルテッツァのアイドリングは低く、乾いたトーンで一定に脈打つ。

 RB26は対照的に、喉を鳴らす獣みたいに鼓動している。


 スターターのヒマワリが、片手を挙げた瞬間――


「カウント行くぜー! Start Your おま◯こォォッ! イィーネ!!」


「やれやれ……」


「ふざけてんじゃねぇ! 早くやれバカ姉!」


 ギャラリーが爆笑の渦に沈み、

 モミジは眉ひとつ動かさず前だけ見ていた。

 この異常な空気すら、彼女の集中は崩さない。


「では改めて……カウント五秒前!」


 ヒマワリの表情が一瞬だけ真面目になり、指を折る。


「5……4……3……2……1──GO!!」


 爆裂するようなスタート音。

 スーパーチャージャーの圧が一気に上がり、アルテッツァが飛び出した。

 おれもアクセルを踏み抜き、RB26が咆哮を返す。


 闇の中で赤いテールが小さくなっていく。

 さらに後方、紫×白の鋭い光がひとつ。

 九一三雅の90マークIIだ。


 先行はモミジ。

 おれは宣言どおり、そのすぐ後ろにつく。


 スタート直後のロングストレート。

 2台の異なるエンジンサウンドが赤城山に重なり、

 後方の1JZの音がジワ……ッと忍び寄る。


「なんで来てんだ……!?」


「割り込み!?」


「三つ巴になるのかよ!?」


 ギャラリーのざわめきが風に乗って流れてくる。


 だが、ミラーを見ている余裕はない。

 前方のモミジが、コーナー入口で微妙に“待っていない”。


 速い。

 先行のまま、急激に差を作っていくタイプ……?


 S字からの左U字。

 モミジは完璧な同調で、


・右足ブレーキ

・左足クラッチ

・サイドの引き幅

・ステアの切り返し


 すべてが“機械の動き”みたいに正確だ。


 おれも必死で合わせるが、立ち上がりで半車身――

 いや、もっとか。離される。


「さすが……低速トルクのあるスーチャーか……!」


 悔しいが事実だ。

 RB26は立ち上がりが薄い。


 だけど、ここで回想がよぎる――


(……なんで積んじゃったんだろうな、RB26)


 3年前。

 ボンネットの中が空っぽの格安車体。

 “パワー至上主義”だったおれは言った。


『RB26を積みましょう。圧倒できます』


『SR20のほうが……軽いぞ……』


『構いません』


 350馬力で抑えられた、あの妥協。

 あの選択が、今の不利を作っている――


(……そんな後悔してる暇ないだろ……!)


 意識を走りに戻す。

 右中速コーナー、両者ともブレーキングドリフト。


 だが、差は“1台分”へ。

 モミジはやっぱり化け物だ。

 葛西三姉妹の切り札。

 短い直線へ抜ける。


「追うしかない……!」


 黒タイツに包まれた右足で床まで踏み込み、

 レブに当たる寸前でクラッチを踏み、シフトを上げる。


 距離は0.3台分。

 射程圏……!


 三連続コーナーへ。


「《神速》! イケイケイケェッ!!」


 視界が焼ける。

 足の動きが霧のように薄くなり、

 身体がマシンに同期する。


 アクセル → ブレーキ → サイド → クラッチ

 その転移が人間の動きじゃない。


「使ってきたか」


 モミジが呟く。

 声は揺れない。


「予想していた。《神速》の入力パターンも、全部分かってるよ」


「……!」


「ボクは君の技、全部“視える”」


 背筋が凍った。

 サクラより、WHITE.U.F.Oより、冷静で正確。


 この娘、やばい。


 接触寸前まで詰めた距離も、

 モミジは淡々と受け止め、残りの連続コーナーを抜ける。


 立ち上がり。

 アルテッツァのユーロテールが赤く瞬いた。


「来る……!」


「喰らえッ! バカァァァァ!!」


 次は直線なのに、ブレーキ。

 フェイントじゃない。

 “殺しに来ている”。


「ッ──!」


 反射で右足をブレーキへ。

 左足でクラッチ。

 左手でギアを――

 ミスって1速へ。


 ワンエイティが横を向き、激しく減速。


「アレは……アース・ウインド・ファイヤー倒した時の技!」


「ざまぁ。ボクの罠にかかったら、もう戻れないよ」


 モミジは加速し、視界から消えた。


 くそ……

 なんてトラップだ。


 ゴール地点。

 プラズマ三人衆は雨雲を見上げつつ、モミジの車を語っていた。


「アルテッツァは重いし、ノーマルだと非力だけど……」


「軽量化して、スーチャー載せて、Speed葛西のジムカーナ脚。ミッションもボリンジャーのクロス。欠点消えてるで」


「完成度、高いんだよなぁ……」


 雨粒が落ちてきた。


「……降ってきた」


「モミジはウェットタイヤ。オオサキのワンエイティはドライ。一気に不利になるで」


 空は完全に濁り、雷鳴が近い。


 バトルはS字ヘアピンに入っていた。距離はあのブレーキトラップで差が1.5台分まで開いていた。無理矢理止められたことにとても苛立つ。何なんだあの走り、せめて攻略できればいいけど。


「ついていけない! 頭脳対策で後ろを取ったけど、先攻なのに強いとは」


 ここでおれは分かった。彼女は先を走る方が得意な走り屋だ。普通上手い走り屋は後攻を選択し、そのポジションなら駆け引きすることがしやすい。しかし、モミジは違っている。ここで誤算だとおれは気づいた。トラップを使う時点で分かっていたのに。


「なら、悪いけど相手を追い抜くしかないね! もし抜いたら先を走る時のプレッシャーを感じるかもしれないけど」


 自分の作戦を無視しようと考え、相手の作戦を封じることに決めた。こうするしかない。勝つためなら。

 ただし、この後の2連続曲線をサイドブレーキドリフトで抜けるも、距離は縮まらず、逆に離れていく。差は2.3台分だ。バトルは第1高速区間へ突入していった。

 今、後ろからエンジン音がした。アルテッツァの音ではない。さらにクルマが来ているのか? もし来ていたら、この状況だと泣きっ面に蜂だ。縮めたくても離れている状況なのに。


 スタート地点近くの駐車場。

 六荒、サクラ、私、ヒマワリが雨を気にしていると、

 草加幸平が姿を見せる。


「丁度いいかな」


「構わないぞ」


 草加は五万円を取り出し、私へ差し出す。


「オオサキちゃんに渡して。この前、九一三雅に“90マークIIを渡した礼”かな」


「なぜ、彼女に車を?」


「誰も乗りこなせなかったマシンだから。

 あれを扱えるのは、雅だけだ」


「……で、本人はどこに?」


「赤城道路を下ってるよ。“バトルに割り込む”って最初から決めてたかな」


「ふざけるな……! オオサキが危ない!」


「“両方狩る”と言ってたかな」


 私の顔色が変わる。


 雨脚が強まる。


「やばいな……!」


 おれはRB26の力を全開にし、離された差を詰めに行くが、

 ウェットタイヤのモミジが“水を得た魚”みたいに滑らかに加速していく。


 ドライのワンエイティは軽く暴れる。

 抑えが効かない。


(くそ……!)


 そこへ。


 背後から、鬼のようなライト。


「──見つけたわ、大崎翔子」


 九一三雅だ。

 1.5台分。

 すぐそこまで来ている。


 モミジには逃げられる。

 雅には追われる。


 真正面からも背後からも殺気。

 四面楚歌そのもの。


(……どうすんだよ、これ……!)


TheNextLap

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