第16話 切除都市、観測者の決意

 狭い通信室。

 埃の積もった無線機のパネルに、薄い光が反射している。


 静音は一瞬だけ深呼吸をしてから、スイッチを入れた。

 ノイズが弾け、途切れ途切れの雑音が室内に広がる。


「……こちら白楼。応答願います。こちら、因課本部・異能観測課、卯月静音。……応答願います」


 沈黙。

 返ってくるのは、ザザッというノイズと、壊れた電波の脈動音だけだった。


「……っ」


 舌打ちをして、静音は受話器を机に叩きつけた。

 壁に掛けられた時計の針が、やけにうるさく響く。


「送っといて、迎えもないわけ?」


 誰に向けたのか分からない独り言。

 その声には、怒りよりも裏切られたような寂しさが滲んでいた。


 通信ランプが一瞬だけ点滅した。

 反射的に受話器を取り上げる。


「こちら、白楼。……応答を確認」


 しかし、次の瞬間、スピーカーから流れたのは無機質な自動音声だった。


『――通信不能区域。観測対象、白楼は切除済み。観測継続は不要です』


 静音の瞳が見開かれる。

 心臓が一瞬、痛みとともに跳ねた。


「……切除済み?」


 返事はない。

 ただノイズが、雨のように途切れ途切れに降り注ぐ。


「……つまり、こっちにいる全員、もう死んだ扱いってこと?」


 受話器を握る手が震えた。

 その指先から、かすかな熱が伝わる。


 異能観測課の人間としてなら、この状況は理解できる。


 観測不能地域は排除対象。

 それが因課の規定であり、合理的な判断だ。


 撤退をして、生きて戻るのが最低条件。

 捨てるのは、最終手段。そのはずだった。


「合理だけで救える命があるなら、最初からこんな街は生まれてない」


 独りごちた声は、微かに掠れていた。

 静音は受話器を机の上に戻し、深く息を吐く。


「……あの水島が、こんな切り方するわけない」


 目を細め、呟く。


 本部長である水島詩。

 上に立つには、甘く優しく、誰よりも感情的で命を優先する人間。

 先日の補給だって、水島が送ったものだと容易に理解出来る。


 命を諦めない人間。

 そんな彼が知らない間に何かが動いている。

 白楼の封鎖も苦渋の決断だった筈だ。


 だから、海莉がきた。

 人も命も諦めきれないのに、組織を離れられない水島の代わりに。


「勝手に切って、勝手に終わらせた奴がいる」


 低い声に、怒りが滲む。


「そして、結果的に……白楼を切除対象にした」


 静音の唇が固く結ばれた。

 壁に貼られた地図の白楼区域だけが、真っ黒に塗り潰されている。


(……誰だ。どこの判断でこんなことを)


 静音はその場に立ち尽くし、指先で机の角をなぞった。

 皮膚に小さな痛みを感じても、止まらない。


「だったら、もう“報告者”なんかやってる場合じゃない」


 静かに、確実に……観測者の仮面が剥がれていく音がした。


***


 医療テントの中。

 右腕を包帯でぐるぐるに巻かれたまま、海莉はベッドから立ち上がった。


「……っし、もう大丈夫だな」


 軽く歩いてみても、足取りにふらつきはない。

 右腕も、蓮と透子の治療でようやく少し動かせるようになっていた。

 もちろん、完治には程遠いが、寝ている場合ではなかった。


「どう考えても、大丈夫じゃないけどね」


 呆れたように透子がため息を吐き、蓮も肩を竦める。


「普通の病院なら、まず退院させねぇよ」


 二人の非難の声に、海莉は目を逸らす。


「……じっとしてたら余計に鈍るだろ」


「鈍るどころか、死ぬって」


 蓮が頭をかきながら呟き、透子が額を押さえる。

 それでも止めることはしなかった。

 海莉が立ち上がる理由を、誰よりも理解していたからだ。


「……海莉、いる?」


 ブーツの音が医療テントの床を叩く。

 布の隙間から射す光の中に、荷物を持った静音が姿を現した。


「ああ、起きれた」


「……あっそ。良かったわね」


 吐き捨てるような調子で言いながらも、その目の奥にはわずかな安堵が見えた。


「リーダーには伝えようと思って、報告に来た」


 腕を組み、海莉を見上げる。

 その視線には、何かを言い淀むような迷いがあった。


「因課は、白楼を切除した」


 静音の言葉が、空気を凍らせる。


「……切除?」


 透子が小さく呟く。

 静音は頷きもせず、ただ続けた。


「つまり、地図から消した。補給も、もう来ない」


 その声は乾いていた。

 報告というより、呪いを告げるような響きだった。


「いや、待て。……整理させろ」


 海莉の声が掠れる。

 言葉を繋ぎながらも、頭の中が追いつかない。


「切除って、水島さんがそんなこと……いや、そんな判断するわけがねぇ! てか、何でお前が知ってんだよ。こういうのは、現地職員に伝達されるはずだ!」


 静音は一瞬だけ目を伏せ、そして淡々と答えた。


「白楼が封鎖される前に現地入りしていた観測課の人間が、あたし」


「……はあっ!?」


 海莉の声が裏返る。

 蓮も透子も目を見開き、テント内の空気が一瞬止まった。


「お前、同僚かよ!」


「絶対会わない部署だけどね」


 静音は腕を組み、ため息をつく。

 どこか居心地の悪そうな表情で、口の端を引きつらせた。


「まさか、現場で会うとは思ってなかった。……因課本部所属で白楼のリーダーさん」


「バカ言うな。此処じゃ、俺もお前も白楼の人間だ。因課とか関係ねぇ」


 海莉は頭を掻き、息を整えるように短く吐いた。

 そして、考え込むように目を細める。


「……水島さんは、切除なんて絶対しねぇ」


「分かってる。そんな命令、あの人が出すわけない」


 静音は腕を組み、言葉を噛みしめるように続けた。


「上層部の誰かが勝手に動いたのよ。水島のポスト狙って、“審判ごっこ”やりたがってる連中がいる」


「……上層部?」


 海莉の声に、低い怒気が混ざる。


「そう。技術部と政策局の一部。現場を知らないくせに、命の数字だけ見て切り捨てるやつら」


 静音の瞳が、わずかに揺れる。

 それは怒りでもあり、諦めでもあった。


「“対侵食データ保全”の名目で、白楼を実験区域にした。あたしたちが戦ってるのは、その結果よ」


「……実験区域だと?」


 海莉の声が低くなる。

 拳を握りしめたまま、唇が震えた。


「……ふざけんな! あの人がどれだけ現場の命に向き合ってるか、知らねぇのかよ!」


「知ってるわよ」


 静音はわずかに顔を上げた。

 感情を押し殺した声が、微かに震える。


「だから、あの人は現場に出せないの」


 その一言で、海莉は言葉を失う。

 拳を握ったまま俯き、息を詰めた。


 沈黙の中、風がテントの布を揺らす。

 朝の光が灰を透かして差し込み、二人の影を長く引き伸ばす。


「……“対侵食データ保全”って、どういうことだ」


 掠れた声が漏れる。


「影喰いが、その結果なのか? 此処には、人がいるんだぞ!」


 叫びは鋭く、テントの薄布を震わせた。

 静音は何も言わず、ただその怒りを受け止めるように立っていた。

 そして、静かに目を閉じる。


「……その“人”を、最初に切り捨てたのも、人間よ」


「……っ」


 唇を血が滲むほど噛み締める。

 海莉の顔には、怒りが浮かんでいた。


「……俺は水島さんを信じる。だからこそ、白楼の人も街も、復興させてやる」


「そうね。私たちにできることは、明日もまた生き延びることだけだわ」


 静音は透子と蓮の方へ向き直る。


「観測も、外部の支援も来ない。そうなら、あたしも前線に出る」


 背負っていた荷物を床に置くと、重い金属の響きがした。


 封を切ると、中には鉄の塊が詰まっていた。組み立てればスナイパーライフル一式になるらしい。


「え」


 海莉も透子も蓮も、ぽかんと口を開けた。


「おい、戦争でもすんのか……」


「生きるための戦いよ。資源さえあれば、爆弾だって作れる。今後は夜戦も視野に入るんだから、武器は必要なのよ」


 静音が淡々と言う。あまりにも平然とした口ぶりに、三人は冷や汗を滲ませる。


「……海莉、因課って軍事組織なんだっけ?」


「定時退勤厳守のホワイトだっつーの」


「いや、どう考えてもあいつ軍人だろ……」


 怯えた三人に、静音は涼やかで挑発的な笑みを浮かべた。


「さあ、リーダー。早速、作戦会議しましょ」


「あ、はい……」


 冷たい隙間風が、テントの裂け目から忍び込み、首筋を撫でた。

 それが寒さのせいなのか……それとも、味方への恐れなのか。

 判別がつかなかった。

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