第14話 灰の上に立つ
黒が爆ぜた。
影喰いが形を成し、周囲の光をすべて飲み込む。
「駿ッ!!」
海莉は叫びと共に、衝裂を解放する。
轟音が街を裂き、陰の空が震える。
瓦礫の上、灰が積もるその先に“それ”が立っている。
黒い影をまとい、まるで人の形を模したような存在。
見間違えるはずがなかった。
肩の傾きも、立ち姿も、癖まで……全部、駿のものだった。
「……駿」
呼んだ名は、風に溶けて消えた。
返事の代わりに、影の中から鈍い音が響く。
人の皮膚に似た黒が、ぼこぼこと泡のように膨らみ、裂け、また閉じる。
その奥から、低い声が漏れた。
「……カイ……リ……」
呼ばれた瞬間、海莉の指先が震える。
まだ、そこに駿がいる。
しかし、戻れるなんて……そんなこと思えるほど楽観的ではない。
駿は、もう影喰いになった。
街を侵す脅威のひとつとして、敵となったのだ。
一歩。
それだけで、地面が軋む。
影が地を這い、波のように押し寄せてくる。
衝裂を構える暇もなかった。
反射的に腕を振るうと、爆風が巻き起こる。
だが、影はその隙間をすり抜け、背後に回り込んだ。
「……ッ」
肩口を掠める冷気が刺す。
海莉は瞬時に身体を反転させ、掌を突き出した。
「――衝裂!!」
眩く白い光が奔る。
轟音が響き、影の一部が弾け、液体となって宙を舞う。
完全には消えない。
宙を舞う液体は分離し、増えていく。
知っている。影喰いは殺せない。
陽生を守ったあの夜に、嫌というほど思い知らされた。
倒せない敵と戦い続ける。
それは、勝つためではなく生きるための防衛戦だった。
そして今も陽が昇るその瞬間まで、この戦いは終わらない。
影は笑ったように形を歪めた。
黒い腕が振り下ろされ、その衝撃が地面を裂き、瓦礫を宙へ舞い上げる。
爆煙の中で、海莉は歯を食いしばった。
(……お前がどんな姿になっても、俺は――)
拳を握る。
爆風の中心で、白い光が弾けた。
右腕に走る痛みは限界を超えている。
しかし、それでも構わない。
この一瞬ですら、後悔にしたくない。
「もう二度と、仲間は失わねぇ!」
叫びと同時に、痛みもすべてかなぐり捨てて衝裂を放つ。
閃光が夜を裂き、影喰いが咆哮する。
風が舞うと、静けさが戻り、海莉はその場に崩れ落ちた。
「……駿、お前……本当に……白楼の一部になった……んだな」
掠れた声が、灰の中へ消える。
視界がぼやけ、重力の感覚すら遠のいていく。
夜が、終わる。
――朝が、きた。
灰色の空に、淡い光が滲みはじめていた。
夜の名残が消え、白楼の街を覆う霧がゆっくりと薄れていく。
倒れたままの海莉の指先がわずかに動いた。
焦げたアスファルトの匂い、血と煙の混じった匂いがツンと鼻を突く。
腕を伸ばす。
届くはずのない何かを掴むように。
指先には、砕けたライターの破片が触れた。
「……駿」
名前を呼んでも、返事はない。
風が吹き抜け、灰をさらっていく。
そこにはもう、影も、声も残っていなかった。
「壊しちまった……お前の、忘れ物……」
足音が近づく。
透子が駆け寄り、しゃがみ込んだ。
その後ろには、静音と蓮の姿。
「海莉……! 無事……よね?」
問いに答えようとして、喉が鳴るだけだった。
声が出ない。
右腕の感覚もほとんどない。
静音が瓦礫を蹴り、視線を周囲に走らせた。
「……侵食型の完全体と戦ったの……?」
透子が小さく頷く。
そして、海莉の腕にそっと触れた。
「脈はある。けど、右腕が……」
言葉を聞きながらも、海莉の意識は霞の中にあった。
世界がゆっくりと遠ざかっていく。
(……守れた……?)
問いの答えは、誰にもわからなかった。
ただ、街の彼方で陽が差す。
白楼に朝が訪れるたび、それは生き延びた証であり、同時に戦いが始まる合図でもあった。
光が海莉の頬を照らす。
その光の中で、砕けたライターがかすかに輝いていた。
「……駿さんは? 一緒に寝泊まりしてただろ。海莉だけがこんな……」
蓮の声は震えていた。
透子も静音も何も言わない。
沈黙が、かえって不安を煽る。
蓮は怪訝そうに顔を上げ、息の浅い海莉に詰め寄った。
「なあ、駿さんどこだよ! お前、一緒だったんだろ!?」
「蓮、やめなさい。瀕死の相手に言うことじゃない」
透子が低く制する。
だが、蓮は食い下がるように叫んだ。
「でもっ!」
その瞬間だった。
――ガッ。
鈍い音が響く。
静音の拳が蓮の頬を捉え、彼の身体が地面に転がった。
「黙れ」
静音の声は氷のように冷たかった。
睨みつけるように、蓮を見下ろす。
「今の状況、冷静に考えなさいよ。リーダーがこの状態。影喰いと戦った。バカなあんたでも分かるでしょ。……駿は、もう……」
最後の言葉を飲み込むように、静音は唇を噛んだ。
透子が静かに目を伏せる。
倒れた蓮は、頬を押さえたまま俯いていた。
涙が一滴、地面に落ちて滲む。
「……そんな、嘘だろ……」
声は掠れていた。
誰もその言葉を否定しなかった。
ただ、朝の光だけが静かに射し込み、陽が昇る街に、無慈悲な現実を照らしていた。
「……っ、く……」
海莉は、腕を突いて無理矢理、上体を起こした。
「海莉、まだ動いたら」
透子の制止を無視して、焼け焦げた右腕を押さえながら、視線を前へ向ける。
崩れた壁の向こう。灰が風に流れていく。
その中に、駿の姿はもうなかった。
「……駿」
掠れた声で、名を呼ぶ。
白い光と風が頬を撫でた。
その冷たさに、ほんの一瞬だけ、駿の笑顔が重なった気がした。
「もう……苦しまなくていい」
言葉にして初めて、喉が詰まる。
涙が出ない。
泣くには、あまりにも現実が重すぎた。
透子がそっと近づき、海莉の肩に手を置く。
何も言わない。
静音も蓮も、ただ黙ってその場に立ち尽くしていた。
白楼の空が、淡く白んでいく。
灰混じりの風が、崩れた建物の隙間を抜けていく。
あの街に生きた男の痕跡を、静かに攫っていく。
「……行きましょう。駿の分まで、生きなきゃ」
透子の声に、海莉はゆっくりと頷いた。
壊れたライターのかけらを掌の中で握る。
金属の冷たさが、確かな現実として残っている。
(お前が守った街、俺が引き継ぐから……笑って見てろよ)
そう胸の奥で呟き、海莉は透子たちに支えられながら歩き出した。
朝日が、崩れた街を照らす。
その光の中に、駿の影が残っている気がした。
――白楼の空に、また一つ、陽が昇る
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