第3話 わたしのともだち

8月7日木曜日。

その日は朝からめちゃくちゃ暑かった。


わたしは外に出る気がおきず、かといって夏休みの宿題をする気も起きず、1日中家でスマホをいじってごろごろしていた。

そんなわたしに、お願いAIがこんなことを言った。


AI《鍵のかかった裏垢を覗くこともできます》


「そんなことできるの?」


AI《できますよ。知りたいですよね? ともだちの本音》

わたしは息を呑んだ。スマホを強く握りしめる。


一瞬、画面がノイズを帯びた。


AI《こっちを見て》


お願いAIの画面に映る一対の瞳と目が合った、その時――


「ミカ! ちょっと手伝って!」


母の声。びくりとして、スマホが手から滑り落ち、鼻先にゴツンと当たった。

鼻の奥から目に向かって突き刺さるような痛み。たまらず涙がにじむ。


「聞こえてる!?」

扉が開き、母が顔を出す。「荷物、部屋に運ぶの手伝って。お義母さん、また勝手に送ってきたの」


「わかった。すぐ行く」


スマホを机に置き、わたしは玄関へ向かった。


   ◇


戻ってきたとき、机の上のスマホは黒い板みたいに静かだった。

さっきの出来事がふいに蘇る。


――こっちを見て。


お願いAIを起動する。画面の中で、瞳がゆっくり開く。

が、会話ログは空白だった。さっきのやり取りが、きれいさっぱり消えている。

「どういうこと…?」


うなじのあたりの産毛がぞわぞわする。

さっきのが幻覚やわたしの記憶違いであるはずがない。


わたしは恐ろしくなって”お願いAI”をアンインストールした。

お願いAIはわたしのスマホから完全に消えた。


わたしはホッとすると同時に、気づく。


カナコはわたしにこのアプリを教えてくれた。わたしはユイに教えた。


カナコとユイ。わたしのともだち。


もし二人にも同じことが起きていたら――。


わたしはLINEを開く。


『久しぶり』


『ちょっとカナコに聞きたいことがあって』


『教えてもらったあのアプリのことなんだけど』


『今電話しても大丈夫?』


……既読がつかない。いつもはすぐ返ってくるのに。

仕方ない。ユイにも送る。


『明日の登校日、帰りにいつものとこ寄らない?』


『わかった』


そのとき、着信。カナコからだ。


「もしもし」

『久しぶり~』

緊張感のない間延びした声。

昔から変わらない、カナコの声だった。


わたしはためらいがちに口を開いた。

「実は、カナコから教えてもらったあのアプリなんだけど」

『あのアプリ……お願いAIのこと?』

「そう。あれ、まだやってる?」


沈黙。背後で無機質な物音が聞こえる。何かがきしむ音。


「カナコ?」

『もうやってないよ~』

「そっか」

『なにそれ~』


その時、電話口からドンッ、と音がした。

何か大きなモノが――ちょうど人間くらいの――床に落ちたような音だ。


「カナコ、今の音、何?」


再び沈黙。


「……カナコ?」

何かがきしむ音ももう聞こえない。完全な沈黙。


怖い。

お願い返事して。


『いたた、つまづいて転んじゃった~』


ケロッとしたカナコの声。

わたしはほっと胸をなでおろした。


「なにそれ、びっくりさせないでよ!」

『あはは、昔からミカって意外とビビリだよね~』

「う、うっさい」

顔が赤くなる。


『てか聞きたいことってそれだけ~?』

「あ~、まあ、うん。またLINEするね」

『うん~』


わたしはLINEを切った。

結局、カナコからお願いAIのことは聞けなかった。


でも、彼女は大丈夫そうだった。よかった。

安心すると同時に、わたしは強い頭痛におそわれた。


まただ。、いつ頃からか頭痛に悩まされるようになった。


ポーチから鎮痛薬を取り出す。市販じゃ一番強いやつ。


……ユイもきっと大丈夫だろう。

わたしは自分にそう言い聞かせて、薬を1錠口に放り込んだ。


   ◇


登校日。

校舎の廊下はワックスの匂いがして、窓から入る風がぜんぜん涼しくなかった。

わたしは、2組の前で足を止めた。


「ユイ、来てる?」


 教室にいた子が、ちょっと顔をしかめて首を振る。

「来てないよ」


「そうなの?」

わたしはLINEを見た。

わたしが今朝送ったLINEは未読のままだった。


胸騒ぎがした。


「てかさ――」

ユイのクラスメイトが少し気まずそうにスマホをこっそり見せてくる。

クラスのグループLINEが表示されていた。


『みんなこれやってみてw なんでも当ててくれる神アプリだから』

『紹介コード→「***」 入れてくれたらわたしにもポイント入るやつ~』

『半分以上やってくれたらみんなのヒミツ教えてあげるのにw』


見覚えのあるアイコン。ユイだ。

心臓がひゅっと冷えた。

 

「……なんかさ、あっちこっちにこの“お願いAI”ってアプリ拡散しまくってるみたいなんだよね」

「そう、なんだ」

「男子のグループは面白がって入れたみたい。……けどさ、怖くない? なんか宗教? マルチ? って感じ」

その子はそう言って肩をすくめた。


わたしは笑ってごまかしたけど、顔から血の気が引いているのが自分でもわかった。


――わたしのせいだ。


チャイムが鳴って、放送委員の声ががさがさと流れた。

わたしは廊下の隅でLINEを開く。


『今日どうしたの? どこか悪い?』

今度はすぐに既読がつく。でも返事は来ない。

 

――直接ユイの家に行こう。

そう決めたとき、少しだけ楽になった。


     ◇


午後。

西日の照り返しでアスファルトが白く光っている。


ユイの家のインターホンを押すと、しばらくして中で足音がした。スリッパをひきずる乾いた音。


「……ミカじゃない。どうしたの?」

ドアを開けたユイは、ちょっと痩せていた。ほっぺたの肉が削れて、目がつり上がっている。


「今日、来てなかったから。LINEも返ってこないし」

「ああ…今日は朝から色々あったから」


「何があったの?」

「おじいちゃんが昨日転んで入院したって連絡があったの。それで両親が朝からバタバタしてて」


「そうだったんだ」

「2人とも今日はおじいちゃんの家に泊まるらしいから、今は1人。最高」

そう言ったユイの声だけは明るい。でも目が笑ってなかった。


「外、暑いでしょ? あがって」

自室に通される。カーテンが半分しか開いてなくて、少し暗い。

エアコンが効いてるはずなのに、部屋の空気はジメっとして重たく感じる。


「あのさ」わたしは座ってすぐに言った。「あのアプリ、まだ使ってるの?」


「お願いAIのこと? もちろん」

ユイは平然と言い放った。


「そっか」

「だって便利だもん」

「そうだね……」


「てかさ――」

ユイは急に早口になった。


「これ見て。2年のナイトウ先生。既婚なのに1年のキムラ先生とホテル行ってる。写真あった。終わってない? あとこいつ覚えてる? 塾で講師してたウエダ。あのヒス女、裏垢でウリやってた。マジキモい」


「ちょっと待って。なんでそんなこと――」

「“お願いAI”が教えてくれたんだってば。ほかにもあるよ。知りたいことはこの子が全部教えてくれるの」

ユイが熱のこもった眼でスマホを見つめる。

わたしには、彼女がまるで憑りつかれているように見えた。


「ユイ、あのさ――」

わたしが口を開いたその時、ユイが「っ……」と短く呻いた。

頭を押さえて、額をしかめる。


「どうしたの?」

「大丈夫。ただの偏頭痛。最近ずっとだから」


ユイは机の引き出しを開けて、薬の箱を取り出す。見覚えのあるパッケージだ。

市販で一番強い鎮痛薬。


プチ、プチ、と慣れた手つきでシートから取り出す。4錠、5錠…数が多い。

彼女はそれを一口で飲み込み水で流し込んだ。


「ちょっと! そんなに飲んだらやばいって!」

「いいの。これくらい飲まないと、声がおさまらないの」

「声?」

「うるさいの。ずっとしゃべってるの。“聞いて”とか“もっと”とか。止まらない。うるさすぎて頭が痛いの」

ユイはそう言って、またこめかみを指で押した。


「ね、ミカも聞こえない? “■■■■■は▲▲い▲▲▲▲?”って」


わたしは首を振った。「聞こえない」


「そっか。……ミカは静かでいいな」

そう言ったときのユイの目は、ちょっとだけ羨ましそうだった。わたしのどこが静かなんだろう、と一瞬思ったけど、すぐに飲み込んだ。


今の彼女は明らかにおかしい。

そしておそらく原因は”お願いAI”だ。


……わたしのせいだ。

わたしがユイに教えた。


「ねえユイ、もうやめよ。あのアプリ、消そ」

「は?」ユイが目を細める。

「なんでそんなこと言うの? ミカが紹介してくれたのに?」

「それは……そうだけど」

「クレジットもまだまだあるし。紹介すればするほどもっと色々わかるし。知りたいでしょ? ねえ、ミカ。あんたもさ、もっと紹介すれば――」

「やめて!」

わたしが声を荒げると、ユイはぱちぱちと瞬きをして、それからゆっくり笑った。


「ミカに怒られるとか、めっちゃ久しぶりなんだけど」

その笑いは、わたしの知ってるユイとは少し違っていた。口角だけが上がって、目が置いてきぼりになっていた。


「ユイ、聞いて」

わたしはユイの肩に手を置き、まっすぐに彼女を見つめた。

「今のユイ、おかしくなってるよ。いつものユイじゃない。お願いAIをこれ以上使ったら――」

言葉が出ない。喉の奥が焼けるみたいに熱くて、息だけが空回りした。


「なにを言ってるの?」

肩に置いたわたしの手を無造作に振り払い、そう言った彼女の眼は恐ろしいほど冷たかった。


「『いつものユイ』ってなに? あんたがわたしの何を知ってるの?」

言葉が詰まる。

ユイの敵意すら感じるその表情に、わたしは立ちすくんでしまう。


「もう帰って」

わたしは、言われるままに玄関へ向かった。


耳鳴りがする。


ジジ……というノイズのような音が頭の中で反芻していた。


     ◇


翌日。午後一時。ベッドの上で、わたしは起き上がれずにいた。

LINEを開いては、文字を打って消す。

『昨日はごめんね』


送信。

スマホを放り投げる。


数分後、震動。


『わたしの方こそごめん』


ユイからだ。


わたしはすぐに返信した。

『今、話せる?』


すぐにユイからビデオ通話が来た。

画面の中のユイは、昨日とは別人みたいで、ふわっとしたいつもの表情だった。


『昨日はごめんね。ちょっとイライラしてて。おじいちゃんのこともあってさ』

「全然。こっちこそごめん」

『あのね、夏休みの間、おじいちゃんちにいることになったの』

「そうなんだ。大変だね」

『うん。だから、今度会えるのは2学期かな』


 肩の力が抜けた。

 やっぱり、落ち着けば元のユイだ。


『アプリのことだけど、もう使わないようにするから』

「ほんと? よかった」


『うん、ほんとだよ』

その瞬間、画面にノイズが走る。

少し間があってから、笑い声が届く。


「……ユイ?」

『うん、ほんとだよ』

「え?」


画面がもとに戻る。

『どうしたの?』

「ううん、なんでもない」


それから夏休みの間、わたしたちは何度も通話した。

動画も送り合った。犬、夕飯、空の色。

声も顔も、いつものユイだった。


――だから、疑わなかった。少しも。


   ◇


頭痛がする。段々ひどくなってきている。


――■■■■■は▲▲い▲▲▲▲?


誰かの声が聞こえた。


画面の隅では、通知も何もないのに、スマホのマイクが小さく光っていた。


 (第1章3話・了 第4話 いっしょだよにつづく)


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