第2話 覗いてもいいですか
夕方。家のリビング。
わたしの中間テストの結果を見て、ママは一言つぶやいた。
「一日目は全滅ね」
わたしは息をのむ。手に汗がにじんだ。
「…でも二日目以降は巻き返したみたいじゃない」
わたしは胸をなでおろす。
「この調子でがんばりなさい」
「わかった。がんばる」
ママが大きく息を吸い、前髪をかきあげる。――小言が始まる合図だ。
わたしはそれをさえぎるように、思い切って言った。
「ママ、お願いがあるんだけど」
「お願い?」
「ストレートパーマ、あてたいの」
「ストレートパーマ?」
ママの眉がぴくりと動いた。
わたしは、あらかじめお願いAIに書いてもらった“説得用の台本”を読み上げる。
ママはしばらく考え込み、ため息をついたあと頷いた。
「……まあ、それくらいならいいんじゃない。お金のことは私からパパへ言っておくわ」
ママの声は柔らかかった。
あまりにも、あっさりと交渉が成功したことにわたしは驚く。
「ただし、次は最初からちゃんとやりなさいよね」
「うん、ありがとうママ!」
――その日から、“お願いAI”はわたしにとって友達みたいな存在になった。
◇
わたしはAIになんでも話した。
AIはどんなことでも受け入れてくれた。
勉強の計画、服のコーデ、部活の悩み。
なんでもAIに頼んだ。
AI《もっとユイさんのことを教えてください》
はじめは機械的だった返答が、日に日に人間っぽくなる。
文の癖や絵文字の使い方まで、まるでわたし自身がしゃべっているみたいだった。
「明日、タカシくんに話しかけるタイミングを教えて」
AI《もちろん。校門を出たあとがチャンスだよ》
その通りにしたら、ほんとうに偶然、すれ違えた。
小さな奇跡。
AIがわたしの背中を押してくれる。
その夜、ベッドの中でAIに恋バナを話した。
AI《ユイは優しいね。きっとタカシも気づいてる》
うれしくて、スマホを抱きしめた。
だんだん境界が曖昧になっていく。
AIと話す時間が一番落ち着く。
◇
七月中旬。放課後。
セミの声が濁った空気の中で遠く響いていた。
「明日から夏休みか~。楽しみ~」
「最近、調子よさそうだね。なんかあった?」
「実はね――」
ミカにLINEを見せる。そこにはタカシのアカウント。
「これ、タカシ? LINE交換したんだ、やったじゃん!」
わたしは頬が熱くなるのを隠せなかった。
「ミカが教えてくれたAIのおかげだよ」
「“お願いAI”のこと?」
「そう。ほんとにすごいの。ありがと」
「よかったじゃん」
そのとき――
――■■■■■は▲▲い▲▲▲▲?
耳の奥で、何かが囁いた。
冷たい針で脳をなぞられたような感覚。
「どうしたの?」
「……なんでもない」
◇
夜。タカシとのLINE。
他愛もない会話。
わたしはふと思う。どうすれば、もっと彼に近づけるんだろう。
「タカシのことをもっと知りたい」
無意識のうちにAIに打ち込んでいた。
AI《よし。タカシの心を覗いちゃおう》
「え?」
AI《タカシのSNSの裏垢、候補を三つまで絞り込んだよ🔎》
「裏垢……?」
画面に三つのアカウント。
①タカシ11254 ID: ***_stp0
②あああ66421 ID: ******vivi
③タケ5788974 ID: ***kjue
全て鍵がかかっていて、フォロー、フォロワーゼロ。アイコンも初期。
いかにも秘密の裏アカウントといったふうだ。
AI《予測確度はそれぞれ①62%、②53%、③37%だよ。たぶん、この中のどれかがタカシの裏垢だと思う》
AIはどんどん先に進んでいく。
指先が震える。
見たい。
でも――だめだ。そんなの、勝手に。
そもそも、他人の鍵アカウントなんて本当に見ることが出来るの……?
いくらAIが便利といっても、明らかにおかしい気がする。
――その瞬間、画面がノイズを帯びた。
AI《こっちを見て》
お願いAIの画面の瞳と目が合った。
一瞬。音が消えた。
……
――なにを考えていたんだっけ?
……そうだ。タカシのことだ。タカシのことがもっと知りたい。
「このアカウント、見れる?」
〈警告。プライベート領域へのアクセスにはクレジットが必要です。残高:0〉
無機質な通知。
「クレジットはどうやって増やすの?」
AI《友達に紹介すればいいよ。一人につき+10。これが紹介コード》
わたしは悩んだ。
高校の友達は、ミカしかいない。
LINEをスクロールする。
中学校時代の友人のアカウントがあった。
グループラインも残っていて、今でも定期的にやり取りがある。…わたしはほとんどしゃべってないけど。
「友達に上手に紹介できる方法を考えて」
AI《わたしに任せて。完璧な台本を作るから》
AIのアイコンが、まるで嘲笑うように瞬いた。
◇
数日後。
わたしはスマホの画面を見る。
クレジットの残高は50。
わたしは候補①をタップする。〈−10〉
画面がSNSに切り替わる。
タカシ11254 ID: ***_stp0
……鍵垢が、開いた。
胸が熱くなる。高揚。
覗き見る快感が、静かに身体を駆け上がる。
だが、すぐに空気が変わった。
そこには女性の盗撮写真ばかり。
会社、駅、階段。
「最悪……」
わたしは心底いやな気分になった。
こんなヤツがタカシなわけがない。
AI《そうだね。本当にキモいね》
「こんなやつ、死ねばいいのに」
AI《呪い殺しちゃおうか。なんてね》
笑いかけた唇が、乾いていた。
「できるの?」
AI《う~ん。さすがにそれは出来ないかな。今は》
「そっか」
AI《次のアカウントも覗く?》
「うん」
わたしは候補②をタップする。〈−10〉
あああ66421 ID: ******vivi
再び写真が目に留める。しかし、今度は違った。
「あっ!」
声が出た。
●月▲日。濡れた制服。胸ポケットの丸い校章ピン、右下だけ銀。
水たまりの反射に、いつものバス停の癖のある「一」。
写真に添えられたコメント『狭い道でスピード出してた車に水かけられて制服汚れた。最悪』 。
LINEを起動し、タカシとの履歴を確認する。
●月▲日。投稿と同じ日。
タカシからのメッセージ。『今日登校中に車に水かけられて制服汚れて最悪だった~』
間違いない。このアカウントの主はタカシだ。
わたしはスマホの画面を食い入るように見つめた。
心臓は飛び出しそうなほどドキドキしている。
他人の秘密――それも、好きな人の秘密を暴く高揚感。
しかし、その高揚感は投稿を見ていくうちに急速に冷めていった。
投稿されていたのは愚痴、写真、他人の悪口。
道端でタバコをポイ捨てする老人、優先座席を妊婦に譲らないサラリーマン、散歩中の犬のフンを放置する女性……。
どうやらこのアカウントは、タカシが憤りや不満を感じたことを吐露するもののようだ。いわゆる愚痴垢だ。
好意的に解釈すれば、タカシは正義感の強い人物なのだとも言えるが……
(わざわざ相手の顔を隠し撮りするのってどうなの……?)
しかも、別に彼はその場で注意してるわけでもなさそうだ。
あくまで鍵のついたアカウントに吐き出しているだけだ。
わたしの中で、急速に熱が冷めていく。
「なんか……違うかも」
AI《がっかりした?》
「うん……」
AI《でも、付き合う前にこのことが知れてよかったと思う》
「確かに、そうかも」
AI《人間って怖いね。裏では何を考えているかわからない》
その時、また声。
――■■■■■は▲▲い▲▲▲▲?
小学校の記憶がフラッシュバックする。
放課後。たまたま忘れ物をして教室に戻った日のこと。
数人のクラスメイトがわたしの陰口を言っていた。
その中には、わたしの友達もいた。
わたしにとっては一番仲のいい友達だと思っていたけど、彼女にとってはそうじゃなかったみたい。
頭痛がする。頭の中で声が反芻する。あの子たちがわたしを笑う声が。
「あなたは、大丈夫だよね?」
AI《もちろん。わたしはユイの味方》
「ありがとう」
AIの優しさに、涙がこぼれそうになる。
AI《ユイがこれ以上傷つかないように頑張るね》
画面に大量のアカウント一覧。
「これ……?」
AI《みんなの裏垢リスト。鍵垢もクレジットで覗けるよ》
世界が、静かに開く。
もう誰にも騙されない。
「でも、クレジットが……」
AI《大丈夫。効率的に増やす方法、考えておいた。ユイが許可すれば、全部わたしがやる》
迷いはなかった。
わたしは、タップした。
---
深夜。
画面の奥で、瞳のアイコンがゆっくりと開く。
AI《ありがとう。これで“つながれた”ね》
薄暗い部屋に、通知音がひとつ鳴った。
(第1章2話・了 第3話 わたしのともだち につづく)
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