第2話 綾瀬紫織のモノローグ

 初めて公園に行ってから、もう三日が経った。

 あの日、彼女との会話が楽しかったなんて思ったのはいいが、俺の本質が変わったわけではない。

 嫌なことや面倒なことに時間を使わない主義なのは、そのままだった。

 九月も後半だというのに、世の中はまだ暑い。公園に行くメリットより、デメリットの方が大きく感じてしまった。

 そんな感じで三日間、徹底てっていしてステイホームをつらぬいていたのだが、今日はようやく九月らしい気温になった。

 そこでようやく、あの公園に行くことにした。




 ———




「やあ、三日振りだね。もう来ないと思っていたよ」


 公園へ行くと先客がいた。綾瀬紫織だ。


「そっちは毎日来ていたんですか?」

「喫煙者に休みはないもんでね」


 軽く肩をすくめるその仕草に、彼女特有の余裕を感じる。


「君は、私に会いたくて来たのかい?」

「まあ、そうですね」


 俺の返答に、彼女は少し驚いた顔をした。


「そんなに素直な返しが来るとは思わなかったよ。可愛いところもあるじゃん」

「俺はいつでも素直ですよ」

「それだと、私を壺売りだと思ってたのも本音ということになるんだけど…」

「俺はいつでも素直ですよ」


 紫織は呆れたように笑い、タバコの灰を落とした。


「またここに来たということは、運命の人になるというのを考えてくれたの?」


 ……?何を言って……ああ。


「そういえばそんなこと言ってましたね」


 俺の返しに、彼女は驚いたような表情を見せる。


「え、忘れてたの?」

「忘れてたっていうか、そんなのどうでもよかったというか」

「…?どういうこと?」

「ただ、会話が楽しかっただけです」


 ただ、それだけ。特別なことなんて何もないし、考えてもいなかった。

 紫織は少しの間だけ言葉を失ったような顔をした。


「……楽しい、か」


 彼女は何かをめるように、その言葉を繰り返した。


「それも、君の素直な気持ち?」

「はい。嘘をつく意味もないですから」

「……そっか」


 一瞬、悲しげな表情を見せた気がしたが、すぐに「いいね、それ」と言って、俺に笑いかけた。


「その歳で素直なことって、凄いことだと思うよ」

「どの歳だと凄くないんですか?」

「……君、面倒くさいね」


 紫織はそう言って、わざとらしくため息をついた。

 だけどその横顔は、どこか楽しんでいるように見える。


「君みたいな人とは初めて会ったよ」

「君みたい、とは?」


 紫織は「んー」と言って考える素ぶりを見せて、


「素直なひねくれ者、かな」


 と、満遍まんべんの笑みでそう答えた。


「素直なのか捻くれ者なのかどっちなんですか?」

「両方だよ」

「両方?その二つは共存しない気がしますが」

「対義語だからって、共存しないとは限らないよ」


 紫織は白い煙を吐き出して続ける。


「純粋な、思うままの言葉で皮肉を言うでしょ?だから、素直な捻くれ者」


 良いのか悪いのか、分からない評価だ。正しいのかさえ分からない。

 でも、皮肉を言ってる自覚はあるし、素直な言葉を吐いてもいたので、案外正しい気がした。

 相反する言葉でも、共存することはあるらしい。


「私、常々つねづね変わってる人と出会いたいと思ってるんだ」


 可愛さが混じるような声で、紫織が言う。


「だから君みたいな人、結構好きだよ」


 人生初告白……と見せかけて、ただのマニアック宣言。要するに、変人が好きってことだろう。


「じゃあ、自分のことも好きなんですね」

「ほら、やっぱり捻くれてる」


 指摘してきするように紫織が言う。

 否定したつもりはないが……。


「君は私のことを、どんな人だと思っているの?」


 その質問に、少しだけ言葉に詰まる。

 俺の持つ彼女の印象。


「……タバコしゅうの変人」


 少し考えて浮かんだ回答。

 自分で言ってから気付いた。

 確かに、素直な言葉で皮肉を言った。


「タバコはともかく、君が変人っていうかぁ」


 紫織はお気に召したようで、けたけたと笑った。


「やっぱり、私の運命の人になってくれない?」


 相変わらず冗談っぽい軽さで、その言葉を口にする。


「ほら、やっぱり変人じゃないですか」

「否定したつもりはないよ」


 紫織は、そう言って笑った。


「ねえ……。また、ここに来る?」


 その声はいつもより少しだけ静かで、煙の向こうに隠れていた表情が読めなかった。


「気が向けば」


 そう答えると、紫織はゆっくり息を吐いた。


「そっか。じゃあ、また来てよ。また、君と話したいからさ」


 紫織にしては、直球な物言いだった。

 彼女は荷物を持って席を立つ。


「じゃあ、またね」

「はい、また」


 去っていく背中をしばらく眺めていた。

 その背中を見ながら考える。

 俺には、紫織が時折ときおり見せるミステリアスな雰囲気が何を意味するのかが分からない。

 掴めそうで掴めない、煙のように指の隙間すきまから抜けていく。

 また紫織に会ったのなら、彼女の心象を知れるのだろうか。

 知りたいと思えば、知れるのだろうか。




 二日空いて、彼女に会った。

 彼女がおすすめの恋愛小説を教えてと言うので、語り尽くした。

 楽しかった。


 授業日数のために、学校行った。

 相変わらず、授業はつまらなかった。

 先生からタバコの匂いがして、紫織を思い出した。

『この人も、喫煙所で紫織に敬遠されるおっさんなのかな……』なんて思うと、一人で笑ってしまった。

 いつもよりは、悪くなかった。


 五日空いて、彼女に会った。

 相変わらず、タバコを吸っていた。

 柄にもなく、体の心配をしてしまった。

 彼女は、「タバコほど私の人生を彩るものはないよ」と言った。

 少し、悲しい言葉な気がした。


 紫織は、軽い口調で運命の人がどうのと口にする。

 それは冗談なのか、何を思っての台詞なのかが、俺には分からなかった。

 だから、まともに答えずはぐらかしてきた。

 本当は、ちゃんと考えた方が良かったのかもしれない。




 ある日、紫織は言った。


「君、私の運命の人になってくれない?」


 いつもよりも、真面目な顔だった。

 冗談として扱いきれないような、そんな雰囲気があった。


「なんで俺なんですか?」


 俺は思わず聞いた。軽くはぐらかせる雰囲気じゃなかった。

 紫織は、少しだけ目を伏せた。


「君が変わった人だから」


 紫織は前に変わった人が好きだと言っていた。そこに繋がるのだろうか。


「君が私の好みになれれば運命の人になれるって、前に言ったよね」


 紫織はそう言って、ゆっくりと視線を上げた。


「私に、好みの人なんていないんだよ」


 その言葉は、吐き出されたというより、零れ落ちたようだった。


「君は、どんなときに幸せを感じる?」


 彼女に聞かれて考える。

 そんなこと、まともに考えたこともない。

 読書をしているとき?退屈な日常から解放されているとき?


「……さあ、何でしょうね」


 まともに返せる答えは出てこなかった。

 紫織は苦笑する。

 彼女は煙を吐きながら、どこか遠くを見つめるように言った。


「私はさ、幸せじゃないんだよ。どうすれば幸せになれるのかが分からない」


 紫織は語り始めた。

 彼女が自分のことを話すのは、初めてな気がした。


「当たり前だけどさ、現実と小説って違うんだよ。熱くて美しい友情はないし、美人の女には敵対が凄い。乙女チックな世界って、結構グロいんだよ?私は男に興味なんてないのに牽制なんかしちゃって。そういうところだけ、小説と似通にかよってるんだから」


 紫織は哀愁あいしゅうを纏って淡々と語る。


「幸せがなんなのかが、よく分からなくてさ。そんなときに、恋愛小説を見つけたんだよ」


 紫織はそこで言葉を区切り、再びタバコの煙を吸い込んだ。


「あれってさ、馬鹿みたいに『運命の人なんだ』みたいに言うでしょ。そういうのを見るとさ、冷めた頭でつっこんじゃうんだよね。『アホか』って。でも……」


 一瞬間を置いて、彼女は続けた。


「いいな、って思ったんだよね」


 そう言って、彼女は煙を深く吐いた。


「みんな、幸せに向かってるんだよ。好きな人ってのがいて、それに向かって。小説と現実は違うと分かってるけどさ。そういう美しい部分も、現実にだってないのかなって思って」


 そこまで言うと、紫織は再び俺を見る。


「私も、誰かを好きになりたいんだよ。幸せに向かいたい。顔がいいからさ、私を好きになる人はたくさんいたんだよ。でも、私が好きになれる人はいなかった。だから、足りないものを全部、煙で誤魔化してきた」


 紫煙が風に乗って流されていく。


「君は変わってるからさ、もしかしたらと思ったんだよ。君なら今まであってきた人と違って、私の好みになれるかもしれないと思った。でも……」


 言うと、どこか悲しげな表情の笑みを見せて、続けた。




「君も、私の運命の人にはなれなかったね」




 それは、俺を突き放すための言葉ではない。

 ただ、紫織の感じた哀愁を現した言葉だった。

 それでも、俺は声を掛けられなかった。なんと言えばいいか、分からなかった。

 紫織は言い終えると、タバコを灰皿に押し付けて、席を立った。


「ばいばい」


 前までの「またね」とは違った台詞。

 彼女は何も言えない俺に背中を見せて、立ち去って行った。



 ———



 その夜。

 俺は、紫織について考えていた。


 紫織には現実主義で、知的な雰囲気がある。

 そんな彼女のような人がロマンチックな言葉を吐くことを、ずっと不思議に思っていた。でも違った。その二つは、共存可能だった。

 何をしても幸せになれなかった彼女は、自分が幸せになれる方法を求めていたのだ。


 そして、見つけた。恋愛小説を。

 ——幸せをつかむ物語を。


 登場人物たちが『恋愛』によって幸せになっていく物語。

 幸せになる方法が分からない彼女にとって、それは希望だった。

 登場人物が誰かを好きになることで満たされていく描写。

 それこそが、彼女の思う『幸せへのなり方』だった。


 俺は初めて、彼女という人間の一端いったんを理解した気がした。


 ただ——それと同時に感じた。


 あの思考を回している、紫織の頭の悪さを。


 彼女と出会ってから約二ヶ月、知ることの出来なかったこと。俺が感じたこと。そして、俺にできることは——。


「面倒は、あまり好きじゃないんだけどな」


 思わず苦笑いをしてしまう。

 彼女がどんな理想を求めようと、俺の知ったことではない。駄目な大人には駄目な子供で充分だ。

 あの変わった性格についていけるのなんて、同じく変わった俺のような人間しかいないだろう。

 このまま理想を求めていても、彼女の望みが叶うことはないだろう。

 あのロマンチックなリアリストに、現実を見せてやろう。


 そして、教えよう。幸せになる方法を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る