喫煙ベンチにロマンスは咲かない

あずまや

第1話 駄目な大人と駄目な子供

 学校の授業というものは全体の学力に合わせて進んでいくもので、学力の高い生徒にとっては意味のない時間になる場合がある。

 高校受験当日に熱を出し、滑り止めの高校に入った俺にとって、学校の授業は意味のない時間だった。

 だから、頻繁ひんぱんに学校をサボっていた。

 授業はつまらないし、ろくに友達も居ないし、休まない理由も別にない。

 強いて言えば出席日数だが、最低限出席していればなんの問題もなかった。

 普段から学校を平気な顔をしてサボる、ちょっとした問題児の俺。そんな俺だから、ある日出逢った。所謂いわゆる、『駄目な大人』の典型例に。




 ———




「いってきます」


 誰も居ない家に、そう告げて外へ出る。当然、返事はない。

 時間は午前11時頃。外に出たのは、学校に行くためではない。

 高校生が外に出る時間としては不自然だが、両親は共働きな上、ほとんど家に居ないため俺を注意する人間はいなかった。


 その日、いつものように学校をサボった俺は家から少し離れた本屋に行っていた。

 学校をサボる時に行く、定番の場所。

 そこで目当ての本を買った。今日買ったのは、最近発売された恋愛小説。その後、その本屋の近くにあった公園のベンチで本を読んでいた。

 特別な理由があったわけではなく、ただ偶然良い感じの公園を見つけたから、気分転換に寄っただけ。

 そうして静かに読書をしていると、ページを捲る指先に、ふと影が差し込んだ。


「君、高校生でしょ?こんな時間からサボり?」


 突然、声を掛けられて顔を上げる。そこには、タバコを持ちながらこちらに笑いかけている女性がいた。

 年齢は多分、大学生ぐらい。

 美人でスタイルが良く、大人な雰囲気だが、どことなく怪しい匂いがする。


「壺なら買いませんよ」

「おや、壺以外なら買ってくれるの?」

「千円なら百円で買いますよ」


 そう返すと、彼女は「君、面白いね」と言って、少し笑った。

 ……なんなんだ、この人。初めては壺売りかとも思ったけど、壺売りがタバコ吸いながら話しかけないよな。怪しい匂いとタバコの匂いを同時にまとうの、やめてほしい。どっちも臭いから。


「君、学校はよくサボるの?」


 彼女が話を戻してたずねてくる。まだサボってるとは言っていないが、間違ってもいないので黙っておく。


「まあ、つまらないので。あなたは何故こんな場所に?」

「君と似たようなものだよ。大学をサボってタバコを吸いに来た。この公園は最近では珍しく喫煙きつえんが禁止されていないから、ここが絶好の喫煙場所なんだよ」

「別に、喫煙所なんてどこにでもあるでしょ」

「喫煙所にいるおっさん達と一緒に吸いたくないんだよ」


 可哀想に、おっさん達。同じ喫煙者相手にも敬遠けいえんされるらしい。

 初対面の高校生には話しかけるのに、喫煙者仲間のおっさん達には近付かない大学生の女性。

 ……急に体目当てに見えてきた。

 そんなことを考えていると、何かを感じとったのか、彼女は話を続ける。


「何か、変な想像をしてない?」

「体目当てですか?」

「その言葉は、想像の中だけで終わっておいて欲しかったな」


 タバコの煙を吐きながら、彼女は苦笑いをする。


「否定しないんですね」

「当然、おっさんよりは高校生の方が好きだ」

「僕も年下の方が好きです」

「それは知らないけど……」


 彼女は呆れ顔で言う。


「安心してくれ。おっさん達より良いってだけで、高校生は眼中にないよ」


 ますます可哀想になるおっさん達。眼中にない俺よりも下になってしまった。


「君、名前は?」


 会話がひと段落ついたところで、彼女が口にした。そういえば、互いに名前も分かっていないままだった。


「そういうあなたの名前はなんて言うんですか?」

「紫織。綾瀬あやせ紫織しおりだよ」


 彼女は、紫煙の向こうでそう名乗った。


「その言い方、なんかかっこいいですね」

「ふふ、下の名前を言ってからフルネームを言うと格好かっこういいって、テレビで言ってたんだよ」


 それを言ったら格好よくないと思うけど。


「ほら、私は名乗ったよ」


 彼女が急かすように言う。


霜月しもつきなぎさです」

「あら、格好つけなくていいの?」

「そんな必要ありますか?」

「私に気があるのなら」

「じゃあないですね」

「生意気だねぇ」


 紫織は軽く肩をすくめ、ちょっとからかうような笑みを浮かべた。

 そんな彼女に、今度は俺から話を始める。


「俺からも、質問いいですか?」

「ダメと言ったらしないの?」

「どうして俺に声を掛けたんですか?」


 彼女の言葉を無視して質問をする。

 彼女が手に壺を持っていないせいで疑問がずっと解消されない。壺売りが壺を持ち歩いているのかは知らないけど。

 少し間を空けて、彼女は答えた。


「君が手に持っているその恋愛小説が目に入ってね。私も読んだことがあって、気になって声を掛けたんだ」


 少し、いや、かなり意外な返答。

 彼女は堂々と言うが、俺にはその姿が怪しく写った。

 こんなにも、恋愛に興味がなさそうな空気を醸し出している人が読むなんて。と、思ったがあまり人のことを言えなかった。こういうのは、恋愛に興味なくても面白いものだ。

 面白い以外の理由で本を読む人なんて、変態だけだろう。


「好きなんですか?これ」


 俺は本をチラリと見せながら尋ねた。


「いや、好きも嫌いもないよ。あんまり面白くないし」


 面白くて読んでるんじゃなかった。変態だ。


「ただ、私の見たいものがそこにはあるから」


 そう言って彼女は白い煙を吐き出した。

 ……わからん。なにか意味深にいっているが、こうして聞いていると中二病の痛い発言としか思えない。変態か中二病、あるいはその両方をこじらせているんだろう。


「なんかいろいろ拗らせてるんですね」


 俺は彼女に抱いた感想をそのまま伝える。

 彼女は白い煙と共に言葉を吐き出す。


「こういう小説を読んでると、絶対に恋愛描写が出てくるでしょ?それを見てると現実と比べて、結局現実とは違うって結論に行き着くんだよ。でも、それは本当に小説の中だけなのか、私が見たことないだけなのではないか、それを知りたくなる」


 紫織はそこまで言うと、もう一度白い煙を吐いた。

 ……本当にずっとタバコ吸ってるな。

 ちょっと心配になるレベル。

 別に知り合いでもないから、心配なんてしないけど。

 白い煙が風に流れ、俺の顔を掠める。

 そして、終着点が分かりにくかった話は結論を迎えた。


「私の運命の人になってくれない?」


 ……?一瞬思考が停止する。急に変なこと言い出したぞ、この人。

 いや、変なのは最初からだけど。


「初対面の高校生に何言ってるんですか?そもそも運命の人ってなるものじゃないでしょ」


 というか、運命とかそう言うことを言う人じゃないと思ってた。『運命なんてあるわけないでしょ(嘲笑)』みたいな。

 自分の中のこの人のイメージを訂正ていせいしておこう。


「分かってないなぁ少年。運命というものは実際にあるんじゃなくて、『大好きなこの人と出逢えたのは偶然なんかじゃないんだ♡』みたいな個人の思考の範疇はんちゅうでしかないんだよ。つまり、君が私の好む人間になれば、私の運命の人になれるんだ」


 訂正を訂正。リアリストがロマンチックなこと言わないでほしい。


「じゃあ、私はそろそろ行こうかな」


 そう言って、彼女はタバコを灰皿へ押し付けてベンチを立ち上がる。


「なんかあるんですか?」

「これでも大学生だから。さすがに必修はサボらないようにしてるよ」


 ベンチに置いていたかばんを持ち上げた彼女は、顔をこちらに向けて少し笑った。


「じゃあ、またこの公園で会おう」


 平然と、俺がまたここに来る想定で言う彼女。

 その言葉に否定で返そうとして——吐き出そうとした言葉を飲み込んだ。


「……講義、頑張ってください」


 俺の言葉に彼女は少し笑い、軽く手を振りながら、タバコの匂いだけを残して去っていった。




 変な人。

 それが今日、初めて出逢って抱いた紫織への印象だった。

 公園にいる高校生に話しかけ、面倒くさい絡みかたをする人。

 現実主義者なのにロマンチストという新種の未確認生命体。

 それでも、彼女が最後に言った『またこの公園で会おう』という言葉に、否定で返す気にはならなかった。

 本来ならきっと、『またなんてないです』なんて返していたはずなのに。

 少し変わった彼女との会話は、退屈じゃなかった。

 また、公園に来て彼女と話しても良いと感じた。


 ——要するに、楽しかったのだ。

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