それぞれの夜(蘭子と葵)
「ふっ、邪魔者はいなくなったな」
「そういう言い方は誤解を招くからやめた方がいいぞ……」
居間で2人っきりになった葵と蘭子は、テーブルを挟んで向かい合わせに座った。
2人の間に『葵に聞きたい「何だ?」ノート』が置かれ、蘭子はその脇に淡いピンクの万年筆を並べた。
一度会話が途切れると、昼間の喧騒が嘘のように静けさがやってくる。
炎のようなオレンジ色の光を放つランプがテーブルの上から優しく2人を照らし、時計が時を刻む音だけが響いた。
何となく良いムードになったことで、不意に公園で語り合ったことを思い出してしまい、目が合った2人はどちらも一緒に目を逸す。
気まずさを感じ、意識しないようにと思えば思うほど余計に意識してしまう。
そんな空気に耐えきれなくなった蘭子が、ノートを葵の方に押しながら話を始めた。
「こ……これはな、わたしがこっちに来てから気になったこととか、知りたいことを書き留めているノートなんだ。あおいのお陰でわかったことも書いてあるぞ。せっかくお泊まり会をやるなら、あおいに沢山教えてもらおうと思ってな」
葵の様子を伺うように、少し上目遣いで言った。
「お……おう!どれ、ちょっと中身見るぞ」
葵も照れ隠しをするようにノートを受け取けとって最初のページを開いた。
そこには、『疑問:入学式って何だ?』という題が1行目に書かれており、次に『仮説:学校へ入学する為の式典で、入学を証明する儀式を行う』という蘭子なりの仮説が書かれていた。
そして、『結果:入学式とは、節目となる日に目標を誓う大事な式典。この世界では同志達が節目で集まり、師から言葉を頂くと共に決意を新たにする行事を行うことで「志」をまとめる工夫を行なっている。私自身も友に決意を表明し、この学舎で様々な知識を蓄える所存である」と、論文のような言葉が書かれた後、『エルトリアの為に出来ること:こういった節目の式典や行事を行うことは悪いことではない。時に団結を生み出す可能性を秘めた立派な行いである。エルトリアでもこういった行事が行われるが、それは伝統と形式だけのことであり、その意味と目的を理解している者が少ない。国を笑顔にするにはこういった所も改善するべきだろう」と入学式のことが立派にまとめられていた。
「……お前……これ…………」
葵は最初のページをじっくりと読んだ後、驚いた顔をして蘭子に言った。
「ど……、どうだ?何か間違ったこと書いてないか?」
恥ずかしそうにしている蘭子が葵の反応を見て自信なさげに聞く。
「いや、凄いぞこれ。こんなの簡単に書けるもんじゃない。ちゃんと自分の考えもまとめられてて、なんて言うか……お前の本気を感じた」
葵は素直にこのノートに書かれたこと、蘭子の勉強熱心な姿を褒め称えた。
「そ、そうか!ならよかった!」
蘭子はホッとしたようで自然とニコニコ笑った。
続けて葵は2ページ、3ページとページをめくっていく。
そこには、蘭子と出会ってから「なんだ?」と聞かれたことが全て同じようにまとめられていた。
昼食会とドリンクバーの事はまとめて書かれているが、『この世界の食事は栄養の補給と空腹を満たすだけの行為ではない。楽しく食事をすることで心も満たすことができる。そこに生まれるのは暖かく優しい自然な笑顔だ』と蘭子が体験して感じた事がまとめられ、その経験を活かしてエルトリアに帰ってから自分がどうしたいか、具体的なビジョンまで記されている。
つまり、これはただの勉強ノートではなく、蘭子の政策を実現する為のロードマップのようなものだったのだ。
「これは……適当なことは言えないな」
葵は、日常会話の延長線だと思って軽い気持ちでいたが、これだけ立派なものを見せられ、自分の言葉がエルトリアの施政に関わる事を知り一気に緊張感が高まった。
「そうだ。いつもふざけてるように見えるかもしれないが、わたしだってちゃんと勉強してるんだぞ」
蘭子はえっへんと腕を組んでドヤ顔だ。
「よし。お前の本気は伝わった!せっかくこういう時間を作ってくれたんだ。俺も本気でしっかり答える。だから俺も知らないことは一緒に調べるぞ。エルトリアに笑顔を取り戻すために」
葵は気合いを入れて、真剣な顔で蘭子の目を見ながら言った。
「う……うむ!よろしくな」
普段からふざけ合っている友の真剣な眼差しに少しドキッとした蘭子が、その真剣さを受け取って笑顔で返す。
(タカヤから聞いた話もある。エルトリアの惨状をどうにかできるなら、なんだって協力してやる)
遠く、自分の知らない友の世界の為、葵はもう一度気合いを入れた。
このノートには、疑問だけが記されたページがあった。
これから時間が許す限り、その疑問をひとつずつ解決していくことになる。
「では……、始めるぞ、あおい。」
「おう!なんだって来い!」
蘭子はノートを自分の元へ戻し、ページをペラペラめくり始めた。
「まず、最初はこれだ!」
とあるページを開いた蘭子が宣言する。
「……ゴクリ」
緊張感が高まり、葵は唾を飲み込む。
少しの間を空け……蘭子の疑問が解き放たれた。
「あおい!クラムボンって何だ?」
………………
「……いきなり難儀なのがきたな」
想像の斜め上の疑問を問われ、葵はガックリと項垂れた。
しかし、そんな様子などお構いなしに蘭子は続ける。
「本で読んだんだがな、さっぱりわからんのだ。ヤツは一体何者なんだ?」
葵はせっかく入れた気合いが抜けていくのを感じた。
「それはなぁ……、色々と諸説があってだな。想像で楽しむというか、考察を楽しむというか、そういうものだ。今は明確な答えを出してやれない。すまないな」
葵は早速、心が折れそうになっている。
「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」
葵の返答に、蘭子は意地悪く笑って言う。
「やめろ。それは俺のトラウマだ!……っていうか、何だこの『国語の教科書』シリーズは!」
真剣にやろうとしている葵だったが、結局いつもと変わらないやり取りになっている事に気がついて、「ふぅ」と息を吐いて表情を和らげた。
「あおいがあまりに真剣な顔をしてたんでな。ちょっとからかってやった。そんなに気負うな。いつも通りでいい」
蘭子は悪戯に笑いながら言う。
「まったく……このお姫様は……」
葵は苦笑いで返して続ける。
「ちょっともう一回ノート見せてみろ。せっかくの時間だから有意義に使いたい。見たところ、いろんな疑問があり過ぎる。だから、まずは一度整理して優先順位を決めよう」
蘭子からノートを受け取ると、2人で見れるように横向きでテーブルの上に置いた。
そして、葵はページをめくりながらひとつひとつの疑問を確かめていく。
「これと、これ。あー、これも教えた方がいいな……」
ブツブツと独り言を言いながら、蘭子が良いタイミングで差し出してくれたメモ用紙に書き込んでいく。
「あおい、わたしはこれも聞きたい。……あ、こっちはしずかにに聞きたいやつだから飛ばしてくれ」
ノートの上に頭を寄せ合いながら2人で選んでいく。
「よし。時間的にこんな感じかな?武術組が帰ってくる前にやっつけるぞ」
ある程度まとまった所で、いよいよ2人の勉強会が始まった。
なんだかんだふざけ合っていた2人だったが、今はもう、真剣な顔でお互いに会話を進めペンを走らせている。
途中でオーナーが差し入れてくれたハーブティーの湯気と匂いがふわりと立ち上がった。
どこか温かくてくすぐったい静けさの中で、2人は心の奥で同じ事を思っていた。
『こんな楽しい時間がいつまでも続けばいいのに』と。
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