2.君はしゃべるが猫である

 月曜日の世の中というものはどこか鬱々とした空気をまとっている。週末というハレの日を終えて、時間だけがケの日に切り替わってしまい、気持ちがなかなか追いつかない。それがそのまま世の中の空気を作り出しているのだろうという気がする。

 天気予報の言っていたとおり、外では雨が降っている。憂鬱な月曜日という言葉がお似合いの雨模様。だけど、多分それは晴れた月曜日よりもドラマチックだ。

「本当に置いていって大丈夫?」

「大丈夫だってー。行かないといけないんじゃないの?」

「それはそうなんだけど……。」

 心配だ。何がと言われると難しいが、なんとなく言葉が話せる猫を閉じ込めておくのは忍びない気がするし、かといって猫は猫だから居ない間に何かするんじゃないかという不安もある。ペットカメラを置くか?とも考えたが、話す猫が相手だと何だか盗撮しているような気持ちになってしまう。

「大丈夫だってー。いい子にしてるってー。」

 アメは尻尾をパタパタと振って、そう言う。昔、調べたことがあるが、猫のあの動作は「身体を動かすのは面倒臭いが、何か言ってるから返事をしてやろう」という猫なりの気遣いによるものらしい。面倒臭がられていることと気遣われていることを同時に知らされて、なんとも複雑な気分にさせられる。

 喋ることができるからなのか、不思議に老成しているように思う。人が出ていくときの猫といえば、脱走の心配や壮絶に後ろ髪を引かれる引き留めが付き物なのではないのか。まぁ、そこは猫も色々なのだろうけど。しかし、この猫は、確か一歳かそこらではなかったのか。

「あ、やば。いってきます!」

「いってらっしゃーい。」

 なんて気持ち良く見送ってくれる猫なんだ。

「おいしいごはん買って帰ってきてねー!」

 現金なところは猫らしいといえるのかもしれない。

 傘を差して外に出ると、もう特別でも何でもない日常だ。傘を濡らす雫があの猫を彷彿とさせるくらいなもので。

「……早く帰りたいな。」

 独り暮らしの家にはあまり抱かなかった感覚だ。仕方がないから、帰りに何か買って帰ってやろう。クセにならない程度のものを、何か。



Φ



 人間の視界というのは不思議なもので、写真で撮られたものとは別の見え方をすることがある。恐らく写し撮られたものの方が正しい景色はずなのに、物事に対するピントは自分の目で見ているときの方が合っているような気がする。花火を見たときだとか、月を見たときだとか。そして、そう、この部屋が真っ白に見えたことだとか。

「……アメさん、いい子にしてるって言ったじゃない。」

 返事は、ない。恐らく、返事をしなくても問題ないくらいの距離の場所で、何食わぬ顔をして座っているのだろう。

 しかし、独り暮らし向けのこの部屋は、とても狭い。足元にはそんなふうに落ち着ける場所はないだろう。つまり、タンスの上だ。

「あ」

 バチッと目が合ったことに驚いたように、アメは声を出した。

「……アメさん。」

「あ、あ、あ、いや、その、楽しくって……つい。」

 ヒラヒラとしていて引き出せばまた奥から新しく同じものが出てくる。なるほど、猫にとってはさぞ楽しいものだろう。自分がこの部屋に引き入れたのはあくまでも猫なのだという自覚がどうやら足りなかったようだ。現実を直視しているように見えて、実は逃避したいがための思考を巡らせながら、ティッシュペーパーの散乱した我が家を漫然と眺める。

「資源の無駄って言葉を知ってる?」

「シゲン?何それ?」

 なるほど、本当に知らないらしい。

「もったいないってことだよ。」

「あー……なるほど。」

 アメは申し訳なさそうに背中を丸める。が、しかし、背中を丸めたがために下がった視界にティッシュペーパーが入ったらしい。目が爛々と輝き出す。

「……でも、ボクの心はやれっていうんだよね。」

「……どうやらそうらしいね。」

 自分がこの部屋に引き入れたのはあくまでも猫なのだ。覚悟を決めて、片付けることにした。



Φ



「人間のルールって難しいよねぇ。」

 アメは悪びれる様子もなくそう言った。

「何、人間のルールって?」

「壁で爪を研いじゃいけないとか、机に登っちゃいけないとかさ。やっていいことと悪いことが難しいんだよねぇ。」

 アメの口元がふにゅっと歪む。猫の口元に表情を感じるなんて初めての感覚だ。

「机は、まぁ、登らせてるおうちもあるみたいだけどね。」

「えっ、そうなの?」

「んー、でも、ごはんを食べるところに土足っていうのに抵抗がある人は多いかもね。」

「ボクは土の上のものでも食べるけどなぁ。」

 そう言われるとそうだけど、さすがに猫でも土やごみが付いているものよりは付いてないものの方が良いのではないかという気がする。皿の外にこぼしたエサを追いかけるようにして食べる猫もいるが、できれば皿に盛ったごはんを綺麗に食べてくれると嬉しいと思うのは人間のエゴなんだろうか。

 無惨に巻き散らかされたティッシュペーパーを、ズタズタなものは除いて綺麗に集めてみたものの、これを何に有効活用すれば良いのだろう。それこそ、アメの脚を拭くとかか?

 そんなことを考えていると、少し遠くでアメが鼻をフンフンと鳴らすのが聞こえた。いつの間にか移動していたらしい。続けて、ビニール袋のシャカッという音がする。

「あ。」

 いけない。今日、この状況に至ったからには、それには手を付けさせるわけにはいかない。

「これ何?」

 アメはそう言って首を傾げる。

「何でもないでーす。」

「えっ。」

 急いで袋ごと取り上げると、アメは声を上げた。

「その反応は、おいしいもの!?」

 どうしてだか、食べ物に関していると猫は物事の機微に敏感だ。せっかく出会って、名前まで付けたのだからささやかなお祝いを……と思って、少しリッチな缶詰とオヤツを買ってきたが、今日は無かったことにしよう。

「え、ちょっと!ボクのでしょ!ボクのだよね!?」

「違うよー。」

「ウソだー!!!」

 食べ物を感知した猫はよくニャーニャーと鳴くものだが、こんなことを言っているのだろうか?あの鳴き声を聞いていると不思議な同情心が湧いて、何か食べさせたくなってしまうものである。いや、でも、今日は負けないぞ。

「人間のルールが守れた日のとっておきのやつなので、今日のアメさんのものではないです。」

 そう言って、アメが取ることができないように、台所の上に据え付けられている戸棚にしまう。

 アメは鳴くのを止めた代わりに、少し不機嫌なような、しょぼくれたような様子で、その戸棚をじっと見つめていた。



【君はしゃべるが猫である】

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