学校一の美少女に「私の幼馴染になって」と頼まれた件〜氷の聖女様は人見知り〜

氷今日

一章 

一年生・水無月

第1話 幼馴染とは、先天的なステータスである。

***


​「古本くん――私と、幼馴染に、なってくれませんか?」


 ​放課後の教室。誰もいなくなった空間で、掃除を終えた俺たち二人を、西日がオレンジ色に染め上げていた。


 静寂の中、その声は、学園の誰もが畏れる雪宮ゆきみやしずくから、静かに、しかし、はっきりと放たれた。

 それはまるで、身を焦がすような愛の告白にも聞こえた。

 だが、俺――古本こもと久澄ひさずみの頭の中に浮かんだのは、ただ一つの、ある種、哲学的な疑問だった。


 ​幼馴染。

​ 辞書を引けば「幼い頃から親しくしていた友人」とある。

 つまり、それは一種の先天的なステータスだ。もし俺に可愛い幼馴染がいれば、それだけで人生はイージーモード、勝ち組に成り上がることだってできるだろう。

 事実、俺には幼馴染がいない。そのせいで、こんなゴミの掃き溜めみたいな人生を送っているのだ。全ての原因は、幼馴染の欠如にある。


 ​その俺の目の前には今、「氷の聖女」という、いかにもといった二つ名を持つ、学園一の美少女がいる。

 目元に影を落とす、漆黒のロングヘア。氷の結晶のように澄んだ、大きな瞳。すらりと伸びたモデルのような長身。誰もが息を呑むその横顔は、長い黒髪が揺れるたび、冬の風のような冷たい気配をまとう。


 ​誰もが認める美少女。

​ そんな彼女と、机を挟んで向かい合う。手を伸ばせば届く距離なのに、二人の間には、まるで真空のような張りつめた空気が満ちていた。


 壁の時計が、「カチ、カチ」と、やけに大きく、時間の流れを刻む。

 ​しかし、俺の脳内は、目の前の絶世の美少女に対する緊張よりも、深い疑問で埋め尽くされていた。


 ​……え? あの「氷の聖女」が、顔を赤く染め、俯いている?


 ​一瞬、彼女が別人ではないかと本気で疑った。


 ​――私と、幼馴染になってくれませんか?


 ​普段の彼女からは想像もできない、真っ赤に染まった頬と、か細い声。その場違いな言葉に、俺の思考回路は完全にショートした。


 ​幼馴染は先天的なものだ。後から努力や願いで手に入るものではない。彼女は俺をからかっているのか?

 だが、雪宮の顔は、驚くほど真剣だった。一片の曇りもない、ただひたすらに誠実な表情。


 ​――からかっているわけでは、ないのか……?


​「雪宮さん。幼馴染になって、というのは、一体どういう意味なんですか?」


 ​俺は困惑を隠さず、問いを口にした。

​ 俺の言葉に、彼女の頬の桃色は、さらに深い深紅へと変わる。

 そして、普段の彼女を知る者なら誰もが耳を疑うような、甘く、か細い声で、雪宮は言った。

「あ、あの……ご、ごめんなさい。急に、変なことを言ってしまって……」

 最後の言葉は、ほとんど空気の中に消えた。

​ 俺は、未だに彼女のこの姿を信じることができなかった。

 ​当然だろう。

 ​彼女、雪宮しずくは、誰に対しても等しく無慈悲で、冷酷な態度を取る、「氷の聖女」なのだ。

 俺の目の前にいるような、弱々しく、無意識に庇護欲をそそるような人間ではない。

 彼女は、堂々と、凛とした佇まいを持つ、黒髪の孤高なお姫様だ。

 幻想的で、誰も触れることのできない儚さを持ち、「聖女」という言葉が世界で一番似合う存在だったはず。


 ​高校入学からわずか数ヶ月で、百回告白され、それを全て無言で無視したという逸話は、全校生徒が知っている。

 俺が百一人目の被害者にならないよう、気をつけなければ。……いや、これは冗談。

 何もかもが、彼女の冷たい視界には入らない。それが、彼女、雪宮しずくの真実の姿だった――はずなのだが。


 ​今、俺の目の前にいる彼女は、あまりにもかけ離れていた。震えながら、頬を深紅に染めた彼女は、氷なんかじゃなかった。聖女なんかじゃなかった。

 思わず、俺はつい敬語を忘れて声をかけていた。

「あの、落ち着け。大丈夫だから。……それで、どういうことか、もう一度教えてくれないか」


 ​その言葉には、焦りが含まれていたが、彼女の激しい変化に、俺の感情も追いついていなかった。

 俺の言葉で幾分か落ち着きを取り戻した雪宮は、「ごめんなさい」と小さな謝罪を口にしてから、本題を続けた。

「私、みんなからは『氷の聖女』とか言われて、怖がられているみたいなんですけど……実は、私、すごく人見知りなんです」


​「……え?」

 口から漏れた、間の抜けた呟き。

​ 雪宮は顔をさらに赤く染めながら、自らの指先をぎゅっと握りしめて言った。


​「『氷の視線』って……その、目を合わせるのが苦手で……。話しかけてもらっても、緊張で声が出なくて……だから、怖いって思われてしまって……」

 なんということだ。

​ 「氷の聖女」は、聖女なんかではなかった。氷なんかでもなかった。

 ​……ただの、コミュ症だったのだ。あっぱれなほどに、コミュ症。


 ​だが――それが、なぜ「幼馴染になってほしい」という言葉につながるのか。

​ その疑問は、彼女の次の言葉で、鮮やかに解消された。


 ​雪宮は、次の瞬間、バン! と机を叩くほどの勢いで顔を上げ、緊張に満ちた表情のまま、一気に言葉を吐き出した。


​「だ、だから! 久澄くんに、私の話す練習の相手を、して、ほしいんです。友達だと、きっと、あらぬ噂を立てられて、久澄くんに迷惑をかけてしまいます。だから、偽りの幼馴染で、いてほしいのです」

 まるで愛の告白のように、真剣な眼差しで、彼女はそう宣言した。


 ​――可愛い幼馴染がいるだけで、人生勝ち組になることだってできる訳だ。


 ​俺の脳裏で、過去の諦めがかった言葉が再生される。

 ​学園一の美少女が、俺の幼馴染になってくれる。たとえそれが、偽装された関係であっても、だ。


 ​――俺でも、この、ゴミの掃き溜めみたいな人生から、抜け出せるチャンスなのか?

 こんな風に、弱々しい本音を打ち明け、頼み事をしてくる彼女の顔は、決して誰にでも見せるものではないだろう。彼女は、俺を選んでくれた。

 これは、俺の人生を変える、最初で最後のチャンスだ。それをふいにする理由など、俺には存在しない。

 覚悟は、決まった。

 一呼吸の沈黙の後、俺は、まっすぐ彼女を見つめて答えた。

「……いいよ、雪宮。俺が、お前の幼馴染になってやるよ」

 言ってから、自分でも驚くほど、その声はぶっきらぼうだった。それは、まるで愛の告白に対する、誓いの言葉のように響いた。

​ 教室の窓の外では、空が深い茜色にゆっくりと染まっていく。

 俺の胸の奥は、わずかに、熱を帯びていた。

​ その返答を聞いた雪宮は、一瞬、花が咲くように驚きと喜びの入り混じった表情を浮かべた後、心底安心したように、柔らかな笑顔を見せた。

「ありがとう、ございます。久澄くん」

 かくして、俺と「氷の聖女」雪宮しずくの、偽装カップルならぬ、偽造幼馴染生活が始まった。

 そして、俺はなぜか、諦めていた先天的ステータスを、後天的に手に入れることに成功したのだった。


◇◇◇◇◇


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