第4話 命がけの模擬戦

 地下室の隣にはトレーニングルームがある。天井が高く奥行きがあり、理世が開発した疑似海魔と戦闘訓練をすることができた。

 トレーニングルームに入るなり、理世は部屋の隅の壁に背を預ける。海聖は中央に立ち、ブレードを構えた。


 天井四方の角には理世が開発した訓練用小型ロボット〈飛魚〉が発射される機器が設置されている。そこからほぼ同時に数多の〈飛魚〉が発射され、訓練者に突撃する。だが、〈飛魚〉の羽部分は鋭利な刃となっているため、傷を受けると致命傷となる危険性がある。実戦さながらの極めて危険な訓練を海聖は毎日こなしていた。


「準備はいい?」

「うん」

「オッケー」


 理世が手元の端末を操作して、起動ボタンをタップする。その瞬間、拳ほどの大きさをした砲口が開かれて目を瞠る速度で〈飛魚〉が次から次へと発射された。


 四方から一度に十数匹の〈飛魚〉が迫りくる。並みの騎士ならば避けきれず、捌ききれずで即重傷だが、海聖にとってこの猛攻は朝飯程度、ウォーミングアップに過ぎない。卓越した身体能力を存分に発揮して、海聖は縦横無尽にブレードを振り捌いた。


 ――面立ちもそうだけど、戦い方もますますあんたに似てきたよ。凪。


 今は亡き友人の勇姿が眼前の女性と重なる。

 海聖の母、凪もまた超人的な身体能力をもつ騎士だった。その圧倒的な強さから〈青海の女王〉と呼ばれ、彼女の功績は亡くなった今もなお語り継がれている。またそれを受け継ぐかのように、海聖は現役時代〈青海の戦姫せんき〉と渾名されていた。


 十分間のウォーミングアップが完了し、海聖はふうと息をつく。海聖の周りには百匹以上の破壊された〈飛魚〉の残骸が散らばっていた。


 ――これ、毎回修理するのが大変なんだよな。


 骨が折れる重労働だが、機械いじりは趣味の一環でもあるので良しとする。


「どう?」


 理世が問うと、海聖は「ばっちり」とピースサインした。


「ねえ、あれもう直ってる?」

「…………直ってない」

「直ってるでしょ」


 ぴしゃりと言い当てる海聖に、理世は紫煙混じりに大きな溜息をついた。


「あれ直すのにどんだけ時間かかると思ってんの。四か月だよ、四か月。それも毎日〈飛魚〉の修理をやりながら。今日やっとの思いで完璧に修理できたっていうのに、あんたはさっそく私の最高傑作をぶち壊すつもり?」

「理世さん、機械いじり大好きじゃん」

「それとこれとはまた別」


 苛立ち混じりに答えてから、理世は右手を差し出した。


「どうしてもっていうんなら、ライム二百箱。耳揃えて持ってきな」

「わかった。後払いでいい?」


 あっさり海聖は承諾し、早く例のものを出せと言わんばかりに爛々と黒瞳を輝かせる。

 対して理世はこいつマジかとあからさまに辟易した。


「……ライム二百箱は冗談とか何でもなく本気マジで言ったんだけど」

「知ってる」

「どんだけするかわかってんの?」

「わかんないけど、お金ならあるから」

「はー、一度でもいいから言ってみたいものだよその台詞」

「理世さんも言えるでしょ。こんな立派な家を建てて毎日機械いじりできるぐらいの財力があるんだから」


 騎士という職種は、死と隣り合わせである危険性と慢性的な人手不足という特徴から給料が破格だ。特に一軍の長たる海域長クラスともなれば、その年給は数千万に及ぶ。だが、海聖は現役時代に豪遊することなく生活費以外のほとんどを貯金していたため、金が有り余っている。かつて海上自然科学研究機構――通称〈MNSRIマンスリー〉の日本支部・第一研究所所長を務めていた理世も、自分の趣味以外では無欲なため、それなりの貯蓄があった。


「でも、そろそろが来てもおかしくないんじゃない? だから大人しくしといたほうがいいんじゃないの」


 先ほどとは打って変わり、理世が真剣な顔つきになって言った。だが、海聖は「大丈夫」と彼女の懸念を一蹴する。


「トレーニングするしないに関わらずあれは必ず来るし、安静にしたからといってマシになるわけでもない。だったらちょっとでもトレーニングして成長に繋げたほうがいいでしょ」

「そりゃそうかもしれないけど……」

「ほら、ライム二百箱渡すから早く」

「はいはい、わかりましたよ」


 海聖に振り回されるのはいつものことだ。いや、彼女の母親と父親が生きていた時もそうだった。


 ――親子ともども、本当に人使いが荒い。


 だが、結局彼女たちの要望を受け入れてきた自分もずいぶんなお人好しだ。

 薄っすらと自嘲の笑みを浮かべて、理世は再びタブレットを操作する。


「ポチっとな」


 ボタンをタップすると、今度は部屋の右端にあるゲートが開き、海魔を模した大型ロボットが数体、姿を現した。


 タコ型海魔一体とカジキ型海魔が四体。その精巧な造りは実物と遜色なく、大きさは実物より一回り小さいが小柄な海聖の丈を優に超えていた。さらに実際の個体と同等の性能と凶暴性を持っている。


「あれ、今度はタコになってる。この前はイカだったのに」

「毎回同じ疑似海魔じゃ味気ないでしょ」

「理世さんってそういうとこあるよね」


 疑似海魔を修理して再利用すればそれほど手間もかからないというのに、理世はわざわざ違う個体を一から設計して平然とお披露目してくる。


 ――根っからの機械オタクだね、ほんと。


 海聖はブレードを構えて疑似海魔を見据える。疑似海魔の赤眼が淡く光り始め、彼らもまた海聖をロックオンした。その瞬間、カジキ型海魔が凄まじい勢いで海聖めがけて突進する。


 人工機器とは思えないほどその動きは精巧で素早い。事情を知らない者なら、この疑似海魔たちはすべて一人の人間の手によって設計され、作られたとは到底思わないだろう。


 海聖は鋭利な細剣の如き吻を避け、すぐに背後をとってブレードを差し向ける。だが、理世特製の疑似海魔は高性能なセンサーが搭載されており、半径三メートル以内にいるあらゆる物象を感知し、識別することができる。このセンサーは海魔特有の半径数百メートル以内に存在する人間を探知できる能力の模造だ。


 カジキ型海魔はすぐさま旋回し、再び刺突に走る。同じく他の三体も接近し、海聖は彼らをぎりぎりまで引きつけた後、真上に大きく跳躍した。

 海魔たちは互いに激突し、動きを完全に止めた。その隙を見逃さないよう、海聖が空中で電流スイッチを押した瞬間、右方からひゅっと風を切るような音が鼓膜を震わせた。

 反射的に振り向くと、鞭のようにしなるタコの足が目と鼻の先に迫っていた。


 ――この体勢じゃ迎撃するのは無理か。


 咄嗟に海聖は受け身をとり、タコ型海魔の打擲を受け入れる。

 ブレードを盾にして衝撃を緩和し、床に叩きつけられる前に一回転して着地した。その勢いを維持したままバネのように地を蹴り、再度電流スイッチを押しながらカジキ型海魔四体を斬りつけていく。


 疑似海魔は特殊な鋼鉄でできているので、ブレードでは一刀両断できない。斬る、というよりブレードで叩きつけるに近い。そのため海聖の一振りで疑似海魔の側部が大きくへこみ、おまけに強力な電流により搭載された制御システムが完全にダウンした。


 カジキ型海魔を屠ったところで、残すはボスのタコ型海魔のみ。海聖は持ち前の反射神経と敏捷性でタコ足を回避しつつ、避けきれないものはブレードで弾いた。それでもなお執拗に赤褐色の触手が迫ってくるので、海聖はそれらを足場にしてうねる細長い道を駆け上っていく。


「四か月間の最高傑作がたったの五分で鉄屑になってしまうなんてね」


 運命とは実に残酷だ、と理世が新しいたばこに火をつけて紫煙をくゆらせる頃には、海聖はまたもや大きく跳躍して海魔の脳天めがけてブレードを突き刺さしていた。


 重心がブレード一本にのしかかり、硬い鉄鋼をも穿つ。硬度だけでいえばブレードのほうが遥かに優れているので、引き抜かれた海聖の愛器には傷一つついていなかった。

 海聖はふう、と一息ついてタコ型海魔から降り立った。


「ありがとう。良い訓練になった」

「そう言う割にはあっさり倒してくれたみたいだけど」

「あたしがこれまで受け身をとったことある?」

「ないね」

「でしょ。だからタコちゃんたちはあたしにとって良い相手だったわけ」

「なら、今度はもっと倒し甲斐のある相手を用意しとかないとね」

「さすが理世さん。わかってる」


 そこで海聖の腹の虫が盛大に鳴った。


「お腹空いた」

「そういやお昼まだだったね」


 今日のご飯は何かな、と歩き出す理世の背を追い、海聖も優秀なラッコお手製の昼食に胸を高鳴らせた。

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