第3話 奇特な同居人

 西暦二二二五年。温暖化による海面上昇と大地震、それから火山噴火などの度重なる天災により、日本の本州は約百五十年前に分断されてしまった。


 日本は現在、地区と呼ばれる単位で構成され、北海道地区、東北地区、関東地区、中部地区、関西地区、中国・四国地区、九州・沖縄地区の全七地区制となっている。また各地区の周辺海域には海魔討伐機関である青海騎士団・日本管区の基地が点在し、日本領海の安寧を保っていた。


 海聖が住んでいるのは、関東地区周辺の海域――関東海域南端の海上住宅。天災が頻発する日本の陸土はもはや安全とは言い切れない。ゆえに人々は海上にも居を構えるようになった。それでも津波や海魔といった脅威が立ちはだかるわけだが、その脅威を退けられる秘訣が海上住宅にはある。


「もう、どこかに家借りて引っ越ししようかな……」


 愛機のナビを自宅に設定し、操縦をオートモードにしたまま海聖はぼやいた。

 そうすれば、あの小煩い元部下にしてライバルがわざわざ家を訪ねにやってくることもない。今回の巡回は偶然、航志郎と鉢合わせしてしまったが、毎度彼と会うわけではないので自宅を変えさえすれば執拗な勧誘から逃れられる。


 新居探しを視野に入れ始めていると、海上にぽつんと浮かぶ一軒家が見えてきた。

 赤茶色の屋根とクリーム色の外壁、それからアーチ形の窓といった瀟洒なデザインで絵本に出てきそうですらある。周りには一切の建築物がなく、その景観は輪をかけて神秘的ですらあった。


 海聖は家宅の隣にある停泊場に愛機を止め、海面より少し高い位置にあるコンクリートの地所に降り立つ。


「ただいまー」


 木製のドアを開けて帰宅を告げると、『おかえリ』と無機質な機械音声が鼓膜を震わせた。


「ただいま。テスラ」


 身長が百五十センチしかない海聖より少し小さいラッコ型ロボット。その名もテスラ。ロボットゆえに二足歩行で歩いており、青色のエプロンとホタテ貝のネックレスを着用している。本物そっくりに作られた精巧なこの家事専用ロボットはこの家の家主によって作られた。海聖は同居人としてここに住まわせてもらっている。


理世りぜさんは?」

「地下シツ」


 端的に答えた後、テスラはてちてちと可愛らしい足取りで台所へと戻っていった。


 海聖は地下室へと続く階段に足を向ける。

 階段を下りながら左側の壁に目を向けると、丸型に切りとられた群青が視界を覆った。


 壁には海中を一望できる丸窓が点在しており、海の生き物たちを観察することができる。ちょうどウミガメが小魚とともに遊泳していた。


「いいなー。あたしも泳ぎたい」


 だが、溟海絶死という言葉があるように、ダイビングできないのが現状である。

 数百年前に西ヨーロッパで大規模な地震が発生して以降、突如、海魔なる海洋生物が世界中で出没し始めた。その生態はいまだ解明できていない部分も多く、判明しているのは人のみを襲う高い凶暴性と、月光や電気が弱点だということ。ゆえに大海を牛耳る魔物たちは夜、光が届かない深海で鳴りを潜めている。


 だが、今は日中。海魔が活動する時間の真っ只中だが、周辺に青黒の巨影はない。この家を照らす月光灯げっこうとうが海魔除けになっているからだ。この月光灯こそが海上でも人類が生きていける秘訣だった。


 海上住宅の屋根には付け外しができるムーンライトパネルが設置されており、月光を吸収して照明としての役割を果たす。天然資源を余すことなく活用した画期的な必需品のおかげで、人々は海上での平穏を手に入れることができていた。

 軽快な足取りで階段を下りていくと、地下室のドアが半開きになっていた。


「理世さん、帰ったよ」


 海聖はドアをノックしてから改めて帰宅を告げた。


「ああ」


 だが、地下室の主は部屋の隅に配置している作業机に向かったまま生返事しか寄越さない。彼女が集中しているのはいつものことなので、海聖は特段気にすることなく、散乱した工具や資材、それから対海魔用の武器をかきわけながら女性に歩み寄る。


「メンテ、終わりそう?」


 涼やかな横顔が麗しい美人は煙草をくわえたまま頷いた。

 かつては天才発明家兼技術者として名を馳せた女性。名はあずま理世りぜ

 黒と紫のツートンカラーが目立つ長髪をポニーテールにし、作業用のゴーグルを額の上につけている。窓がなく熱気が籠りやすいこの部屋に長時間いられるよう、カーキのタンクトップにだぼだぼとした作業用ズボンという身軽な服装をしていた。


「ん」


 メンテナンスが終わり、理世は海聖の愛器を手渡す。

 水色と黒色の二色を基調とした脇差型ブレード。柄の先端にあるスイッチを押せば、刀身に電流が流れる仕組みになっており、殺傷力を増幅させている。つい先日までスイッチを押しても電流が流れず、急遽、理世にメンテナンスを依頼したのだった。


「ありがとう」


 海聖がブレードを受け取るや否や、理世は無言で手を差し出してきた。その行為の意味を十二分に理解している海聖は、ズボンのポケットから煙草三箱を取り出して手のひらのうえに積み重ねる。


 理世が愛用している銘柄――ブラックジャック・スパサワ・ライム。ヘビースモーカーの彼女であれば一日一箱は使い切り、ニコチン不足になると人格が豹変する。海魔討伐率百パーセントを誇る海聖でさえ手がつけられないほどに。


「さっそく試してきてもいい?」

「いいよ」

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