いつもの場所に座って

クライングフリーマン

いつもの場所に座って

 ================= 基本的にノンフィクションです ============

 いつもの場所に座って。

 姉は、どこか寂しそうだった。

 いつもの場所とは、仏間に移動した、母のお気に入りだった椅子だ。

 背もたれのない、椅子だ。

 一周忌のことだ。

 私は、姉の⇒横に座って、姉の苦労はいつ報われるのだろう、と、ふと思った、

 財産分与の時、私は、父の預かり金として管理していた金が赤字だったことを正直に話し、私の相続分は無くていい、と申し出た。

 姉の母性本能というか、第一子として守ってきた愛情からか、「それでは生活出来ないだろう。これからまた病気になるかも知れないのに。」と言って、私の相続分を少なめにするだけにすることを提案した。

 行政書士の先生も感心していた。

 そんな私が心配しているのは、義兄のイジメである。

 義兄は、「頼りないから」という理由で、家計を姉に任せなかった。

 それなのに、家計簿つけろ、と煩く言った。

 預貯金押えられているから、貸借対照表みたいな大仰でなくても、『残高』や『収入』が分からない。『支出』は自分の使った分は報告しない。

 義兄は、独身時代のままの会計感覚だった。

 タバコ依存症であり、パチンコ依存症であった。

 父が交通事故で入院や介護施設生活している時、母は高血圧で入院した。

 そして、母の入院先に来て、父の預貯金が幾らあるか母の預貯金が幾らあるかを教えろと言って来た。

 姉は第一子であり、長女だが、長男より偉い。その婿だから自分はもっと偉い。そんな屁理屈だった。

 当時、姉は洗脳されていたから、言うがままに動いた。今度は、私の預貯金を預かってやると言ってきた。

 私が心筋梗塞で入院し、手術した後だった。

 たまりかねて、「そんなに長男ぶりたいなら、何故東京から呼び戻した。父や母が周りから虐められていると嘘をついて。呼び戻していなければ、相続放棄したのに。」と、手紙を書いたら激怒した。

 姉は手紙の中身を知らない。義兄が『手紙なんて送りやがって』と言っている、と言ってきた。

 図星だから、反論出来ないからだ。

 父の最初の危篤の時、「明日でいいだろう」と言って、姉が病院に駆けつけるのを止めた義兄。

 父の第一連絡先は私だった。

 それを、私に無断で第一連絡先を姉に変更していた。

 二回目の危篤の時、看護師長の機転で、第二連絡先である私に連絡をしてきた。

『今際の際(いまわのきわ)』に誰も間に合わない所だった。

 父の死後、葬儀社への手配や、遺影用の写真を探しに行った時も非協力的だった。

 面と向かっては、「おとうちゃん」「おかあちゃん」と言っていながら、『他人』だった。

 葬式の時、母は喪主を私に託した。

 それも面白く無かったのか、通夜の読経の間、遺体に、遺影に背を向けていた。

 自分も子供や孫のいる前である。

 先日まで『国のトップ』だった男、この義兄と同じタイプだな、と思った。

 末っ子で甘やかされて育った、世間知らず。

『世に憚る憎まれっ子』である。

 閑話休題。話を戻して。

 父の相続は、司法書士に頼んで『遺産分割協議書』を作った。

 親族会議をした結果で、『後から文句を言わない』ことを前提に。

 1年後、相続は無効だと言い出した。

 初めは味方していた妹は、義兄の方についた。

 金に困っていたのだろう。相続分配は、母の願いを取り入れて、形式的に分配する為にきょうだいは100万円ずつにし、残りを母の預貯金に移した。

 母の願いとは、母が病気になった時、足りなくなった場合に困るからだ。

 そうして、『父の遺産の預かり金』を私が管理することになった。

 だが、10年の月日は長すぎた。

 母の通院の送迎タクシー代も半端ではなかった。

 そして、母は3年9ヶ月後、脳梗塞になった。

 私は、入院後も介護施設に移ってからも母の世話に通った。

 必要なものには、糸目を付けなかった。

 結果、赤字になった。

 母の相続は、行政書士に頼んで『遺産分割協議書』を作った。

 一般に、故人の配偶者が相続の半分を受取り、残りを子供が頭割りする。

 それは、『義務』ではなく、『標準的な目安』に過ぎない。

 その為に、『遺産分割協議書』がある。

 茶々を入れる者もいるが、それは『世間知らず』に過ぎない。

 姉は、『標準的な目安』でないことで、また義兄に虐められているのではないか?

 そう思ったのは、義兄の性格だ。

 詳細は書かないが、私だけ3分の1ではない。

 元々。黒字の場合も姉に多めに相続させようと思っていた。

『標準的な目安』より多く相続しても、不服らしい。

 母が脳梗塞で入院した時、姉と一緒にやってきた義兄に、社交辞令として「忙しいところ、すみません」と挨拶をしたが、義兄は知らん顔をした。

 他人である。

 姉が嫁いだ時から今まで、そして、これからも他人だ。

 母の告別式にも、勿論、『病欠』した。

 早く「タヒって」欲しい。姉の為にも。

 一周忌は終った。

 灯籠、焼香セットをしまい、墓参りもした。


 後は、3回忌まで「誰も」来ないだろう。

 膝の軟骨をなくし、脊柱管狭窄症に起因する座骨神経痛にも耐え、今度はアレルギー性ぜんそく。

 一体幾つ病気を抱えなければいけないのか?


 いつも場所。母のお気に入りの椅子に座って、遺影に向かう。

「もう少し、待っててや。」


 ―完―




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いつもの場所に座って クライングフリーマン @dansan01

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