第8話 ホワイトリリィ

■リトリィの死体

 チカの野営場所から十分ほど、草をかき分けながら進んだ……小さな空き地に、リトリィの死体はあった。

 べちゃんとカエルのようにうつぶせにつぶれていた。


 それを見たリトリィの第一印象は……「小っさ!?」の一言だった。


(え、私ってこんなにチビ? ひょっとして死んだ後で骨が縮んだとか?)


 ……いや骨は縮まないだろう。

 とにかくこんなに小さいのでは、チカがリトリィのことを少女だったと憶測するのも仕方ない。この骨を指して大人だと言い張るのは無理がある――認めるのはくやしいが。


 そしてこの白骨死体がリトリィのものであることは、明白だった。なぜならリトリィがいつも着ていたマントと外套を着ているのだから。マントと外套は風雨に晒されてぼろぼろだった……

 背負っていたはずのバックパックがない。なぜだ?


「あー崖の上かしら?」


 あのとき野犬と戦うために、リトリィはいつのようにバックパックを背中から下ろした。


 探してみようか? とチカが言うが。

 探すって崖の上を? どうやって? あーでも。


「もうとっくに無くなってるんじゃないかしら? 他のみんなが持ち帰ってしまって」

「それは絶対そうかも」


 バックパックと一緒にお金も小物もすべて失った。これは痛い。

 そういえばいつのまにか杖もなくなっていた。杖は……杖は握ったまま崖の下に落ちたはずだ。


「そのへんにない?」

「杖って魔法使いの杖?」

「いえ、お話に出てくる魔法使いが使うようなやつじゃなくて」


 敵が前衛を振り切って襲いかかってきたときに振り回して応戦する、なんの変哲もない打撃武器だ。


「先端が鉄の塊になったこのくらいの棒よ」


 リトリィは子供のバットほどの長さを示して見せる。


「金属パーツの付いた人工物は……あった」


 チカは探しもせずにがさがさと歩いていって、草むらの中から一本の汚い棒を拾い上げた。


「これでしょう?」


 手渡されたそれは確かにリトリィの杖だった。


「これよ、ありがとう。あーやっぱりダメね。これはもう……」


 杖の先端の鉄の頭は、錆びてぼこぼこに崩れていた。

 柄は、緑色に変色して縦に大きくひび割れている。頑丈な木材で出来ていたはずだが、これでは敵を叩けば折れてしまうだろう。

 何より汚い。


■ホワイトリリィ

「はあ。じゃあ最後にこれだけいただこうかしら」


 リトリィは自分の死体をあおむけにひっくり返した。


「何するの?」

「ハンターの認証タグよ。ええっと」


 リトリィは白骨の首元から上着の下に手を突っこんでまさぐる。このような経験は初めてではなかったが、相手が自分だというのは、滅多にない変な感じだ。


「あった。何か刃物ある?」

「紐を切るの? ハサミでいい?」

「いいわよ。ありがとう……って、なんてハサミなの。ぴかぴかじゃないっ」


 よく切れるハサミで紐を切って、リトリィは認証タグを取り上げた。

 杖は錆びてぼろぼろなのに、これはそれほど錆びておらずまだ輝いていた。


 死んだハンターの認証タグをギルドに持ち帰ることは、生きているハンターの義務のようなものだ。もっとも今の場合は、認証タグは、リトリィ本人の身元を保証するものだが。


「もういいか……できれば埋めたいのだけれど。これ」

「どこに埋める?」

「そこでいいでしょう。死体運ぶのおっくうだし」


 分かったとチカが言って大きなスプーンのような道具――ショベルを取りだした。

 ショベルを土に立てて足でがんがんと踏むが、ここしばらく晴天が続いたのか、赤土は固まって刃が通らない。


「うーん仕方ないなあ」とチカは諦めて、次の瞬間――


 ――ぼこっと。チカの前に長方形の穴が開いた。


 深さは1mほどだろうか――墓穴だ。

 リトリィは突然開いた墓穴を凝視したまま一心不乱に想像する。例えば――


 ――ドラの音や太鼓の音に、あたりを埋めつくす怒号。

 がちんがちんと剣と剣の打ちあう音がそこら中に響いて、びゅんびゅんと魔法が飛びかう――そこは戦場。

 リトリィは後方にいて、前衛を支援するために杖を前に突き出し、呪文を詠唱しようとしたまさにその瞬間――何の予兆もなく突然足元に墓穴が開いたら――


(うん絶対にかわせない)


 そういえば今のも呪文詠唱しなかったわよね。どうなってんのかしら……?


 リトリィも言葉を発せずに魔法を行使できるが、それでも頭の中ではふつうに呪文を詠唱している。それは一般的に無詠唱と呼ばれる高等技術だが……これは正確に言うと”無言詠唱”だろう。


 対してチカは、本当にまるで呪文詠唱しているそぶりがない。魔法の発動が認識不可能なレベルで早いのだ。ほとんど『願えば叶う』といった感じだ。


(それってどこの神さまよ……)


 チカに会った最初から憶測していたことだが……こいつは魔族よりも強い。戦って勝ち目はないだろう。

 もちろん今ではリトリィは、チカと戦うことがあるなんてこれっぽっちも考えないが。ハンターの習性というか、敵だろうと仲間だろうと(もしこいつと戦うなら……)とついつい憶測してしまう。まあいいや。


「死体を持ち上げるわ。足の方を持ってくれる?」

「私がやるよ」

「そう? お願い」


 リトリィがどくと、死体がすっと浮いてそのまま墓穴の中へ。そしてそっとやさしく穴の底へ降ろされた。


「杖も一緒に納めましょう」


 杖を死体の胸の上に置く。

 ……もういいわとリトリィが言うと、死体の上にざざざざと土が降りそそいでいく。


(こいつ本当に呪文詠唱しないわね)


 死体を埋めてしまうと、空き地は何もない空き地になった。

 死体を埋めた場所はまだ土がふわふわしているが、雨が降るたびに固まって、そのうち周りと見分けがつかなくなるだろう。


「墓標も何もないわね……」


杖を墓標の代わりにすればよかったが、埋めてしまった。仕方ない。


『――岬を見下ろす老人が一人――』


 墓を見つめていたチカが謳うように言って、墓の上に何本も緑が生えてきた。

 緑は見る見るうちに茎を伸ばし、葉を伸ばして、白い大輪の花を咲かせた。それは――


『――岬を見下ろす老人が一人。白い花束を投げる。

 日々は過ぎ去り、あなたを未来へ引きずっていった。

 終わりなく日々は過ぎ去り、終わりなくあなたを未来へ引きずっていった。

 あなたに花を捧げよう。

 日々にふさわしい白い花。

 あなたにふさわしい白い花。

 ”ホワイトリリィ”の花束を』


 ――死者にたむける花だ――


「なんなのそれ?」

「そういうのがあるの」


 それは物語の一節か、お芝居の中の台詞か。リトリィには分からなかったが。チカなりの弔いの言葉なのだろう。

 リトリィとチカは、墓の上に咲いた白百合の花をしばらく見つめていた――


「戻る?」

「そうね、出発しましょう!」


 リトリィとチカは去って、後には白百合の花が風に揺れるだけ。

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