第7話 いろいろな初めて(ブラを含む)

■初めてのブラ

 夜明け前とはいえ木々の茂った森の中は真っ暗だ。真っ暗だが――

 

「これでよしと」


 チカがテント横の木の枝にランタン(LEDランタンと言うらしい)を吊るすと、ぱっとあたりは明るくなった。ランタンの下に白いテーブルとイス、鉄の骨組みで出来たローテーブルが照らされた。


「わ、冷たい。雑巾雑巾」


 夜露に濡れたテーブルとイスを拭くためにチカはテントに戻り、残ったリトリィは――


 ――やさぐれていた。


 今のリトリィは裕福な商家の娘の恰好をしている。

 よく見ると異国風なのだが、気づく者は稀だろう。


「…………」


 リトリィは上着の上から胸を触った。下にはしっかりブラを付けさせられている。

 先ほどリトリィはテントの中で、ひしっと胸をかばい、石のように丸くなって徹底抗戦の構えを見せたのだが――


 何たる非道! チカは魔法でリトリィを操ったのだ。

 リトリィはなすすべもなく、自分の手が勝手にシュミーズを脱ぎ、ブラを拾い、胸に付けるのを見守ることしかできなかった。


(胸に巻く帯をどうやって背中で合せるんだろうって思ったけど。前で合わせてからぐるりと背中に回すのね。なるほど一つ賢くなったわーこん畜生っ!)


 とはいえブラを付けた今となっては、実はそれほどわだかまりもない。


(これって結局あれよね? 女性の剣士や弓使いが胸に巻くやつ)


 生前のリトリィには(腹立たしいことに)関係のないことだったが、女性が激しく動くと胸がゆれて痛む。邪魔だし、痛いとどうしても戦闘に支障が出るので、女性の剣士や弓使いは、胸が揺れないように布をきつく巻いていた。


(それのもっといいやつでしょう? 胸の形を崩さずに、且つしっかりと胸を固定するっていう)


これをチカが聞けば、スポーツブラが正にその用途だと首肯しただろう。


「…………」


 リトリィはぴょんぴょんと飛んでみた。

 身体をひねったり、たたんとスタートしてみたり、ぶんぶんと杖を持っているつもりで振り回してみた。ものすごく動きやすい。


 これは一見ありふれていて実は謎素材で出来ている上着の恩恵も大きかったが、胸を押さえるブラや、伸縮性の高いパンツも有意な効果を発揮していると実感できる。 

 上半身も下半身も身体のどこも、衣服に引っかからないのだ。これは本当に動きやすい――これなら生存確率が上がると実感できるほどに。


 美少女に身をやつしていても(?)、リトリィの本質はハンターだ。生存確率が上がるなら、ブラも破廉恥パンツも装着することに否はない。


(どうせ誰が見るわけでもないし)――と。


「あなた何してるの?」


チカが戻ってきた。


■初めてのチョコミルク

 チカはテーブルとイスを雑巾で拭いて「座って座って」とリトリィに席を勧める。

 リトリィがイスを引くとそれはひんやりしていた。


 白い角材を組み合わせて出来ているイスとテーブルの素材は、どうやら金属のようだ。でも鉄ではない。鉄よりずっと軽い。脚や背もたれはいささか貧弱だが、意外に丈夫なようで、座ると多少ぐらつくものの壊れる雰囲気ではない。

 これはおそらく見栄えや頑丈さよりも軽量さを重視した、分解して持ち運べる野営用の家具なのだ。


(こんなものどこで手に入れたの? 自分の国から持ってきたのかしら……。冷たっ)


 リトリィが冷えたイスをお尻で温めながらあたりを見回していると、温かいものが飲みたいねーと言いながらごそごそしていたチカが、「はいっ」とリトリィの前にマグを置いた。


 これも変わっている。鈍く光る金属で出来たぶ厚いマグだ。

 取っ手を持つと木よりも軽い。叩くとコツンと音がして、金属なのは間違いないがこれも鉄ではない。知らない金属だ。


「これ何の金属で出来てるの?」


 リトリィが問うと、チカはステンレスーと答えた。


「ステンレスは……ええっと、錆びない金属?」

「これ錆びないのっ? 金みたいな感じ?」

「そんな感じ」

「そんな金属があるのね……金は重いけど、これはものすごく軽いのね」


 え、軽い? とチカは首を傾げた後、ああそれって……と説明した。

 

「それって、中身が詰まってるわけじゃなくて。薄い板で出来てて二重になってるのよ。中が空洞になっていて飲み物が冷えにくいの」


 ……今の説明ではまるで分からないが、とにかくすごいマグらしい。


「マグを貸して?」とチカが言って、手に持った長い四角い箱を傾けて、リトリィのマグにミルクを注ぐ。


 マグの中のミルクはすぐに湯気を立てた。チカが魔法で温めたらしい。

 四角い箱はミルクの容器だったか……でも。


「それって紙で出来てない?」

「紙パックよ」

「それって大丈夫なの?」

「? ああ、紙だけどふやけたり水漏れしないようになってるの」


それはそうなのだろう……でも。


「後で洗って使うとき、破れてしまうんじゃないの?」

「ああこれ捨てるから」

「捨てるぅっ!? もったいないでしょう。紙なのよそれっ!」


リトリィがとがめると、うーんそうねエコじゃないよねとチカは苦笑した。


「でも捨てるの。ええっとね……」


 ――チカの説明によると。

 チカの国ではミルクは、この細長い箱に入れて並べて売っているらしい。それを買って帰って、飲み終わった後の箱はそのまま捨てるのだそうだ。決まった場所に捨てることになっていて、そうすると街の役人が定期的に回収して、まとめて燃やすのだという――


 リトリィは目をまるくするしかなかった。

 見たことも聞いたこともない、想像外の不思議な街だ。昔読んだ空想本に登場するちょー未来のしてぃーのようね……


 リトリィが感心しながらマグに口を付けようとすると、「待って待ってこれも」とチカがとめた。そして手に持った細長い紙の端をちぎって、さらさらと何かの粉をリトリィにのマグに注ぐ。スプーンでくるくるっと混ぜるとミルクは茶色い飲み物になった。


「はい、チョコミルク」


 ――きっと今の粉を入れていた紙も捨てるのだろう。チカは紙を捨てることになんの忌避感もないらしい。


(気にしても仕方ないんでしょうね……)


 改めてリトリィがマグを口に近づけると、ふわっと香ばしい甘い香りがした。


「っ!」


 口に含んでみると……甘い。そして美味しい!


 なんだろう、木の実(?)のような香ばしさ(?)があって、それがぼんやりしがちなミルクの味を引きしめ、かえって甘みが強調されている気がする。


 それと。ミルクというものは温めると臭う。リトリィはそれが嫌と言うほどではなかったが、芳香がミルクの臭みを打ち消して……いや臭みと合わさって、ふっくらと濃厚な香りになっていた。


「今の粉、何?」

「チョコフレバーの……ええっと。チョコレートっていうお菓子の素材があって、それの粉末」


 なるほど、だからこんなに甘くて美味しいのか。

 お菓子の素材、ということは、チョコレートの入った焼き菓子のようなものがあるのか? それもさぞかし美味しいに違いない。


■初めてのポテチ(コンソメ味)

 リトリィがふぅふぅと冷ましながら一心不乱にチョコミルクを飲んでいると、少しお腹が減ったねーと、チカが何か小さな袋を取り出した。次から次へと取り出す女だ。

 チカは赤や黄のケバい絵の袋の端をばふんと破いて、びりびりと真ん中を裂いて、リトリィの前に置いた。


「どうぞ。ポテトチップス」


 裂いた袋には何かの薄焼きがたくさん入っていた。

 ぶわっと焼き肉のようなスープのような香りが立ちのぼる。宿屋で食べた何かに似てる気がするが……思い出せない。


 リトリィは一つつまんで口に入れようとして――(これってジャガイモよね? 食中毒は大丈夫?)と一瞬ためらったが。チカが気にせずつまんで食べているので、大丈夫なのだろうと信じてかじってみた。


「んーっ!」


確かにこれは焼肉だかスープだか、何かの料理の味だ。しかしそれがものすごく濃厚なのだ。


「これってなんの味?」

「これはコンソメ味よ……ええっとオニオンスープ?」


 そうチカが説明したが。オニオンスープとはこんな味だっただろうか? とにかく美味しいには違いない。

 リトリィはつまんだ一枚をさっさと食べ終えると、今度はわしっと数枚まとめてつまんでばりばりむさぼった。あっという間にポテチを食い尽くしていく。


「二人だとそのサイズは小さかったかー」


 チカが新しい袋を取り出した。

 こちらは素朴な塩味だったが、これはこれで、ジャガイモの味を楽しめた。


 ジャガイモの美味しさを再確認したリトリィは、塩味のポテチもがつがつむさぼりながらチカに質問する。


「ジャガイモって普通、危ないわよね?」

「あー食中毒のこと? 大丈夫」


 ぱたぱたと手を振ってチカは笑った。


「異世界あるあるぅ。ジャガイモは緑の部分にだけ毒があるの。緑の芽や、緑に変色した表面を取り除けば安全に食べられるの」


 ジャガイモ料理は美味しいよ? ジャーマンポテトとかポテトサラダとか、そのうち作ってあげようか……というチカの説明を聞き流しながら、(ふむ)とリトリィは油まみれの指を意地汚く舐めながら考える。


 ジャガイモは農村で消費される家畜の餌だ。買えばきっと安く分けてもらえるだろう。安くて美味しいなんて、ジャガイモ最高すぎじゃない?


 ――待ってリトリィ。あなたこれ全部一人で食べたの? 私まだ全然食べてないのに、ってあなたちょっと食べすぎっ。とチカが怒っているが。野営の食事は一心不乱に食べないやつが悪い。


 そんな感じに二人で飲んで食べてまったりしていると、あたりがうっすら見え始めた。


「そろそろ夜が明けたようね」


 LEDランタンの灯を消しながらチカは言った。


「じゃ、行こうか?」

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