第12話朝の町、工匠の扉へ
朝靄がゆるやかに晴れ、町に陽が差し始める。
屋根の瓦が金色に光り、石畳の隙間から立ち上る湿った空気が、まるで命を帯びるようだった。
鳥のさえずりとともに、通りの向こうからパンを焼く匂いが漂ってくる。
宿の一階、食堂の扉を開けたキノは、その香りに思わず目を細めた。
「おはようさん、旅人さん」
宿の女将が笑いながら皿を差し出す。
「今朝は卵入りのスープと黒パン、それに山羊のチーズだよ」
「ありがとうございます」
席に腰を下ろし、湯気を立てるスープを口に含む。
やわらかい野菜の甘みと塩気が舌に広がり、胃の底から温かくなる。
半年の間に慣れたとはいえ、こうした“人の温もり”を感じる朝食は、今も特別だった。
店の外では、すでに人々が動き出していた。
荷馬車に荷を積む商人、通りを掃く子供、パンを抱えて走る少女――
それぞれの朝があり、それぞれの一日が始まっている。
キノは黒パンを食べ終えると、腰の袋を確かめ、宿を出た。
***
通りを歩く途中、彼女の視線を引いたのは、一軒の武器屋だった。
鉄の看板に描かれた剣と槍。
木工ばかりの生活の中で、久しぶりに金属の匂いを感じた。
「……少し見ていくか」
扉を押して入ると、店内には整然と並べられた武具が光を反射していた。
鋼の剣、鉄槍、革鎧。
それらは、彼の“過去”を思い起こさせる。
ロイスとして戦場を駆けた頃――。
だが、今はただ懐かしさとして心の奥に沈んでいる。
店主の男が声をかけた。
「いらっしゃい。旅人さん、武器を見に来たのかい?」
「いや、興味があって。……仕事の参考になるかと思って」
「ほう、職人か?」
「木を扱っています」
キノがそう言うと、男は少し驚いた顔をした。
「珍しいな。ドワーフなら鉄か石の方が得意だろうに」
「ええ。でも、木にも“力”が宿ります。扱い方次第で、鉄にも負けませんよ」
店主は目を丸くし、やがて笑った。
「面白い考えだ。……ああ、そうだ。もしよけりゃ、この町の〈工匠ギルド〉に行ってみな。今朝も職人たちが集まってる頃だ」
「行くつもりでした。ありがとうございます」
扉を出た瞬間、朝の光がまぶしかった。
人々の声と馬車の音、遠くから聞こえる鍛冶槌の音。
そのすべてが、町の息吹としてキノの胸に響く。
***
〈工匠ギルド〉の建物は、町の中央広場に面していた。
白い石壁に木製の扉、そして頭上には歯車の紋章。
中に入ると、木の香りと油の匂いが混ざり合っている。
受付の女性が顔を上げ、にこやかに挨拶した。
「ようこそ、工匠ギルドへ。登録のご用件ですか?」
「昨日、バルドという方に勧められまして」
「バルドさん? ああ、鍛冶師の! あの人が紹介するなんて珍しいですね」
書類を受け取りながら、キノは木製の机の端に腰を下ろした。
名前、職種、得意分野――そうした項目を埋めていく。
“キノ・ドワーフ族・木工職人”
自分の手で書きながら、その言葉がようやくこの世界の現実として定着していく気がした。
やがて書類を受け取った女性が笑顔で告げた。
「登録完了です、キノさん。今日からあなたも、この町の工匠の一人ですよ」
キノは軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。早速作業をしてみたいのですが、どこを借りられますか?」
「作業場は工匠ギルド隣にございます。料金は掛かりませんよ」
「へぇ、そうなんですね。早速行ってみます。ありがとうございました」
「いえ。またのお越しをお待ちしております」
背中越しに、金槌の音が聞こえた気がした。
木の香りとともに広がる空気は、確かに生きていた。
この町にも、この世界にも。
そして――その中で、自分もまた“生きている”のだと、静かに感じた。
***
外へ出ると、陽はもう高く昇っていた。
人々の声が重なり合い、活気が通りを満たしている。
キノは立ち止まり、深く息を吸い込んだ。
「さて……今日も、一日が始まる」
彼女の声は小さく、しかしどこか満ち足りていた。
〈工匠ギルド〉に隣接されていた作業場の扉をくぐると、午前の陽が作業場の窓から差し込んでいた。
木と鉄の匂いが混じり合う空間には、いくつもの机と作業台が並び、職人たちが黙々と手を動かしている。
槌の音、ヤスリをかける音、磨く音――それぞれが違うリズムを刻んで、ひとつの旋律のように響いていた。
受付で案内を受けたキノは、広間の奥へ進んだ。
そこには、見慣れぬ器具や、微細な光を放つ宝石の欠片が並んでいた。
「おや、君が噂のドワーフの木工職人か」
声をかけてきたのは、灰髪の老人だった。
丸い眼鏡の奥に光る瞳は、若者のような好奇心を宿している。
「私はエルド。細工師だ。金属も宝石も扱う。君のような者が見学に来るとは珍しい」
「興味があったんです。木とは違う素材の扱い方に」
「ほう、謙虚だな。――見ていくといい」
エルドは小さな銀板を取り出し、細い針のような工具で刻み始めた。
指先はほとんど動かないほど繊細で、それでいて迷いがない。
光の角度が変わるたび、削られた線が模様を浮かび上がらせていく。
「……まるで絵を描いているみたい。きれい…」
キノの声には、素直な驚きが混じっていた。
「素材の中に、すでに模様はあるんだよ」エルドは微笑んだ。
「我々はそれを掘り出すだけだ。自然が描いた線を、手で導く――それが細工師の仕事さ」
キノは頷きながら、ふと昔のことを思い出していた。
ゲームの世界で、彼は“最高効率”を求めてクラフトを繰り返していた。
どの工程も数値化され、成功率と品質はスキルレベルで決まる。
そこには“手触り”も“息遣い”も存在しなかった。
しかし今、彼女の目の前では、
人の手が素材と対話し、
“生”の技が輝いていた。
***
「おお、見学者さんかい? こっちは宝石師の区画だよ!」
振り向くと、若い女性が陽気に声をかけてきた。
髪に赤いスカーフを巻き、両手にはルーペとピンセット。
机の上には小さな宝石と、粉のように砕かれた鉱石が並んでいる。
「この粉を熱して、混ぜて、光を宿すの。見てな!」
彼女は小さな炉に粉を入れ、細いガラス棒で混ぜ始めた。
青、緑、紫――温度の変化とともに、色が生まれ、形が変わる。
やがて、淡い光を宿した透明な石が冷めていった。
「ほら、できた!」
それは、まるで水の記憶を閉じ込めたような小さな宝石だった。
キノは言葉を失った。
「……これは、魔石ではないの?」
「違うよ。ただの装飾石。でも、光の宿り方は人の手次第さ」
彼女の声は明るく、誇らしげだった。
「ねえドワーフさん。あなたの木工も見てみたいな。木にどんな光を宿すの?」
キノは笑みを浮かべた。
「そのうちに。わたしのは、飾り立てるものじゃない。木が“誰かの暮らしに馴染む”形を目指しているから」
「へぇ……それ、いいね」
彼女は感心したように頷き、また作業に戻った。
***
昼を過ぎるころ、ギルドの奥の厨房から香ばしい匂いが漂ってきた。
職人たちの昼食を作る料理人たちが、手際よく鍋を振っている。
「腹が減ったろ、見学者さん。こっち来な」
声をかけてきたのは、丸顔の中年男だった。
厚い腕をまくり、真剣な眼差しで鍋の中を見つめている。
「料理も職人の技だよ。火加減、時間、香り――どれも素材との対話さ。木を扱うなら、火の性質も覚えときな」
鍋を傾けると、香辛料の匂いが立ち上る。
その動作一つにも、経験が宿っていた。
キノは思わず見入ってしまう。
「……本当に、どの世界にも“創る者”がいるんですね」
料理人は笑い、木のスプーンを差し出した。
「創る者は同じ匂いがするもんだ。味見してみな」
スプーンを口に含む。
熱と香り、素材の旨みが混ざり合い、ひとつの完成された世界が広がった。
数値でもスキルでもない、“人の技”の味だった。
***
夕方。
作業場を出たキノは、長い息を吐いた。
指先に、わずかに震えが残っていた。
「……すごいな。本当に、こんなにも多くの“手”が、この世界を形作っているのか」
空には淡い夕焼けが広がり、橙の光が建物の壁を照らしていた。
ロイスとして過ごした世界では、創造はシステムが担っていた。
だが今――人の手と心が、この世界を動かしている。
キノはその現実を、静かに噛みしめた。
「俺も……この輪の中で、生きていけるだろうか」
その言葉は風に溶け、遠くの鐘の音に紛れていった。
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