第7話風と商いの来訪者
朝の光が、村の屋根を金色に染めていた。
その日は、風が少し強かった。
木の枝がしなり、遠くの街道から、鈴の音がかすかに響いてくる。
「――行商人だ!」
子どもたちの声が上がり、通りに人が集まり始めた。
どうやら久しぶりの訪問らしい。
宿の奥からマルナが顔を出し、少し嬉しそうに笑った。
「いい日ね、キノ。今日は人が賑やかになるわよ」
「行商人……ですか?」
「ええ。月に一度ほど来るの。隣の国を渡ってね。
日用品から香草、布、鉄具まで、何でも少しずつ運んでくれるのよ。
山を越えてくるから、この村に着く頃には馬も人もくたくたなの。」
マルナはそう言って、忙しそうに食料の籠を抱えて出ていった。
宿の前の通りには、二頭の栗毛の馬に引かれた荷馬車が見えてきた。
車輪の軋む音とともに、乾いた風が通り抜ける。
馬たちは息を荒げ、背には薄い埃が積もっている。
「……本当に旅してきたんだな」
キノは窓の外を見ながら呟いた。
その姿には、ゲームの“騎乗用ペット”とは違う、確かな生気があった。
汗の匂い、蹄の音、そして人の声。
世界が生きている――そう感じられる光景だった。
***
昼。
広場には小さな市が開かれていた。
薬草、布、鉄の武具工具、陶器の皿、香辛料。
村人たちは手に取っては値を交わし、笑い合う。
キノも、木製の器が並ぶ台の前で足を止めた。
繊細な彫刻が施され、木目が美しく残されている。
手に取ると、しっとりとした手触りが心地よい。
「お、目が高いね、旅人さん」
声をかけてきたのは、年配の行商人だった。
深く焼けた肌に、旅の疲れを滲ませながらも、目が穏やかに光っている。
「サルド地方の細工だ。焼き入れで模様を浮かせてる。丈夫で、水にも強い」
「……見事ですね。薬品で色を変えず、木の地を生かしている」
「お、わかるか。職人か?」
「いえ、見学をしているだけです。木を触るのが好きなんです」
「はは、それはいい。木ってのは、不思議なもんだ。人の手を通しても生きてる」
その言葉に、キノは微笑んだ。
――木は生きている。
まるでグレンの言葉をそのまま聞いているようだった。
「もし必要なら、材料を卸そうか? 樫や楓のいい板がある」
「……お願いできますか。工房の方に聞いてみます」
「助かるよ。旅の荷は重いほど心強いんだ」
軽く笑い合い、商人は次の客の方へ向かっていった。
キノは改めて空を見上げる。
風が少し冷たい。
行商人が運んでくるのは物だけでなく、“外の気配”そのものなのだと感じた。
***
午後、宿の食堂では行商人たちが休憩を取っていた。
マルナが軽食を出し、代わりに塩と薬草をいくつか譲ってもらう。
キノは皿を片付けながら、彼らの話を耳にしていた。
「西の方じゃ、戦の噂がまた出てる。灰の塔の南にある街が揉めてるらしい」
「灰の塔……」
キノはその名にわずかに反応した。
だが、顔には出さない。
それが“何”であろうと、彼女にとって戦は遠い。
関わるつもりもない。
「魔導師団が動いてるって話だが、俺たちには関係ねぇさ。
……ただ、“塔の先”から来た連中が、妙なものを探してるらしい」
「妙なもの?」
「“神の落とし物”とか“戦の欠片”とか。まぁ、夢物語だろうさ。
神の遺物を持って幸せになった奴なんて聞いたことがない」
マルナがくすりと笑った。
「うちの客は、神様の話よりパンの焼き加減の方が大事なのよ」
「そりゃそうだ」
笑いが広がる。
キノも小さく笑った。
自分のことを指しているようでいて、まったく違うようでもある。
この世界では、彼女はもう“特別”ではない。
ただの旅人であり、宿の手伝いだ。
それが心地よかった。
***
夕暮れ。
馬たちに積み荷が戻され、鈴の音が再び鳴り始めた。
村の子どもたちが手を振り、行商人たちは笑って返す。
「また来月寄るさー!」「今度は南の塩を持ってくる!」
馬の蹄が土を打ち、砂埃が赤く染まる。
その光景を見送りながら、キノは小さく息を吐いた。
「ねぇ、キノ」
隣でマルナが言う。
「旅人として、外に出たいと思わないの?」
「少しは。でも、今はここでいいです。木と、人と、穏やかに過ごせるから」
「そう……なら、いいのよ」
風が二人の間を抜け、パンとスープの匂いが混じった。
暮れていく空の下で、キノは静かに目を閉じた。
今日もまた、生きている。
ただそれだけで、十分だった。
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