第4話静かな灯のもとで
夜。
〈白風亭〉の食堂は、朝の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
木製のテーブルに置かれたランプが、橙色の光をゆらゆらと揺らす。
村人たちの話し声と、遠くで鳴く夜鳥の声だけが響く。
キノは温かいスープを前にして、そっと匙を動かした。
「……ん。これ、何の肉だろ」
柔らかく煮込まれた白い肉。香草の香りがほのかに甘く、舌にとろけるような食感があった。
「それは“トリュード鳥”さ。西の湿原にいる鳥だよ」
カウンター越しに、先ほどグレンのおかげで名前を知った女将マルナが笑った。
「鶏に似てるけど、飛べない代わりに足が速くてね。
それに脂が上品で、スープにすると美味しいんだ」
「へぇ……初めて聞く名前です」
「あんたの故郷にはいないのかい?」
「……ええ、たぶん」
(やっぱり……この世界は、あのゲームとは違う)
彼女の頭の片隅で、透明なUIが小さく瞬く。
【データ:該当なし】
(この世界の生態系は完全に独立してる……“ゲームの延長”じゃない)
スープを飲みながら、キノは周囲の会話に耳を傾けた。
「北の王都じゃ、また“灰の塔”が動いたらしいぞ」
「まさか。灰の塔なんて、百年以上も沈黙してたじゃないか」
「いや、昨日、旅の商人が言ってた。灰色の光が夜空に走ったって」
「……また、“大陸の循環期”が近いのかもしれんね」
「勘弁してくれよ。前の循環期の時は、雨が半年も続いたんだぞ」
キノは、静かにスプーンを止めた。
(“灰の塔”……“循環期”……)
(そんなイベント、聞いたことない)
彼女の視界に、もう一度UIが淡く浮かぶ。
【検索結果:該当データなし】
その事実に、胸の奥がかすかに震えた。
ゲームではない。
ルールも、設計者も、知らない。
それでも、世界は確かに“ここ”にある。
食事を終え、キノは部屋へ戻った。
板張りの床を軋ませながら、ベッドに腰を下ろす。
「……今日だけで、たくさんの“初めて”を見たな」
手を上げると、視界のUIが反応し、小さなステータス画面が浮かび上がる。
名前:キノ
種族:ドワーフ(女性)
職業:ウォースミス
レベル:660(共有・・・共有値が低いため戦闘能力は半減)
称号:武器の専門家
戦闘能力:179,966,054
戦闘スキル:エネルギーインパクト(全職共通)/Etc.
生産スキル:鍛冶Lv.15(Max)/魔法付与Lv.15(Max)/料理Lv.15(Max)/木工 Lv.5/錬金 Lv.5/Etc.
「……やっぱり、ステータスは変わらないか」
画面を閉じ、ランプの火を見つめる。
「でも、この世界で“プレイヤー”なんて肩書き、いらないよね」
小さく笑い、ベッドに身を沈めた。
外からは虫の声と、風に揺れる木々のざわめき。
(ゲームじゃない。けど、悪くない)
そう思いながら、キノはまぶたを閉じた。
――異世界の夜は、深く、静かに、更けていった。
それから、数日が過ぎた。
村の朝はいつも早い。
東の空が薄紅に染まるころには、もう子供たちの声が響いている。
キノもすっかりそのリズムに慣れた。
朝は〈白風亭〉の厨房を手伝い、パンの生地をこねる。
昼には木工職人グレンの工房に顔を出し、簡単な作業を手伝う。
そして夕方は広場の井戸のそばで、村人と世間話をするのが日課になっていた。
「キノちゃん、今日もパン運びお願いね!」
「はいっ!」
子供たちの明るい声。
彼らの笑顔を見るたびに、キノは思う。
――この世界の人たちは、ちゃんと“生きている”。
その当たり前が、なぜか嬉しかった。
木工場では、棚板の仕上げが続いていた。
「木の目はこっちに流れてる。だから逆に削ると割れるぞ」
「なるほど……。あ、ここに節が」
「そこは避けろ。節の中には魔素が詰まってることがある」
「魔素? 木の中に?」
「ああ。木ってのは土と風を喰って育つ。
まれに“風の欠片”が根に宿るんだ。そういう木は、魔法道具の素材になる」
(……ゲームでは“精霊樹材”って呼ばれてた。でも、あれとは違う)
キノは、心の中でそっと呟く。
――この世界の魔素は、システムの数値じゃない。
――世界そのものが“呼吸”している。
削りくずを払う手が止まり、ふと胸が温かくなる。
「なぁ、キノ。お前、見たところ旅慣れしてるが、どこから来たんだ?」
「えっと……遠いところ、です」
「ほぉ。国名も出てこねぇとは、よっぽど遠いな」
キノは曖昧に笑って誤魔化した。
それで十分だった。
誰も、深くは追及しない。
村の暮らしは穏やかで、けれど知らないことだらけだった。
水は井戸で汲む。
夜になると魔灯石が光を放つ。
それは「魔法」というより、“生きた鉱石”の性質らしい。
貨幣は金貨・銀貨・銅貨の三種だが、国によって刻印が違う。
夜。
星明かりが村を照らすころ、キノは宿の裏庭に出た。
木柵の向こう、草の上で光る小さな生き物たち。
羽のような光を纏い、ふわふわと浮かんでいる。
「……精霊?」
手を伸ばすと、光の粒が指先に寄り添う。
「“風精”だよ」
声をかけてきたのは、グレンだった。
「風精……」
「ああ。風の流れが穏やかな夜にしか現れねぇ。
この村が“風守りの谷”って呼ばれるのは、そのせいさ」
「きれい……」
光の粒が、キノの髪に留まり、ふっと消える。
彼女は思わず笑った。
それは、心の底からの微笑みだった。
(こんな世界を……愛してしまいそう)
夜風が、静かに頬を撫でた。
異世界の星々が、静かに瞬いていた。
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