第4話 死の淵での覚醒

ギィィィ……という扉が閉まる無慈悲な音が、俺の処刑宣告だった。

 最後に見たのは、安堵と侮蔑に歪んだ、かつての仲間たちの顔。

 完全に閉ざされた扉が、俺と生者の世界を隔絶した。

 広大な空間に残されたのは、血と泥にまみれた俺と、そして――


「グルルルルル……」


 地を揺るがすような低い唸り声。

 ゆっくりと、絶望の象徴である漆黒の影が、俺の上に覆いかぶさってくる。

 見上げれば、そこには巨大な黄金の瞳。冷徹な知性を宿したその瞳が、俺という哀れな餌を値踏みするように見下ろしていた。


 (ああ……死ぬのか……)


 全身の骨が軋むように痛い。ガイアスに殴られた顔は腫れ上がり、口の中は鉄の味がする。革鎧もポーチも、なけなしの装備は全て剥ぎ取られた。

 もはや、ただの生身の人間だ。

 こんな状態で、伝説級の古竜(エンシェントドラゴン)にどう抗えというのか。


 (こんな……こんな理不尽な場所で、あんなクズどもの身代わりに……)


 脳裏に、これまでの人生が走馬灯のように駆け巡る。

 孤児院で育ち、ポーターとしてパーティーに拾われたあの日。

 少しでも役に立ちたくて、無能なスキル【アイテムボックス】を極限まで使いこなすために、眠る間も惜しんで研鑽を重ねた日々。

 ミリ単位でアイテムを詰め込む『空間認識パッキング』。

 数秒先の未来を読む『戦闘行動予測』。

 全てのアイテム座標を記憶する『脳内インデックス化』。

 その努力が、あのパーティーの生命線だったはずだ。

 だが、その結果が、これか。

 罵倒され、殴られ、搾取され、最後はゴミのように捨てられる。

 俺の人生は、一体なんだったんだ……?


 (ふざけるな……)


 心の底から、マグマのような黒い感情がせり上がってくる。

 痛みも、恐怖も、絶望も、全てが混ざり合い、一つの強烈な感情へと変わっていく。

 それは、怒りだった。

 理不尽な世界に対する、どうしようもない怒り。


 (あいつらに復讐してやりたい……? いや、違う。あんなクズども、もうどうでもいい)


 不思議と、ガイアスたちの顔はすぐに薄れていった。

 彼らに何かをしたいわけじゃない。

 俺が望むのは、もっと単純で、ささやかなことだったはずだ。


 (ただ、俺は……)

 (誰にも罵倒されず、殴られず、自分の稼ぎで温かい飯を食って、ふかふかのベッドで眠る……)

 (静かに、穏やかに、生きたいだけなんだ……!)


 生存への、渇望。

 死にたくない。

 生きたい。

 生きて、俺の人生を取り戻したい。

 その、魂の叫びが臨界点に達した、その瞬間だった。


 ――ピロン。


 まるで場違いな、澄んだ電子音が脳内に直接、響き渡った。


『――生存への渇望を確認。ユニークスキル【アイテムボックス】の進化条件が満たされました』


 (……は? なんだ、今の声……)


 幻聴か? 死ぬ間際に見る夢か?

 混乱する俺の目の前に、突如として半透明の青いウィンドウが出現した。

 それは、冒険者ギルドで最初にステータスを確認した時以来、一度も見たことのないスキルウィンドウだった。


『スキル【アイテムボックス】は真の姿【無限収納インフィニット・ストレージ】へと覚醒します』


 ウィンドウに表示された文字が、光と共に書き換わっていく。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

無限収納インフィニット・ストレージ


・概要:世界に唯一存在する、空間法則に干渉するユニークスキル。


・基本機能:

 1.容量:無限

 2.内部時間停止

 3.自動整理/検索

 4.アイテム射出


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 (容量……無限……?)


 思考が停止する。

 俺が今まで、あれほどまでに苦しみ、工夫を凝らしてきた容量制限が、無限? 惑星すら収納可能だと? 冗談じゃない。


 (内部時間停止……? じゃあ、食料が腐らないのか? ポーションの効果が劣化しないのか……?)

 (自動整理……検索……? 俺が血反吐を吐く思いで脳内に構築した『脳内インデックス』が、自動で……?)


 一つ一つの項目が、俺がこれまで抱えてきた苦悩を根本から覆す、ありえない奇跡の連続だった。

 そして、最後の項目に俺の目は釘付けになった。


 (アイテム……射出……?)


 取り出しに3秒もかかっていたあのスキルが、射出? どういうことだ?

 まるで、俺の疑問に答えるかのように、ウィンドウに補足説明が浮かび上がる。


『収納したアイテムを、任意の座標から超高速で射出することが可能』


 (……は?)


 意味が、分からない。

 収納したアイテムを、射出?

 それはつまり、武器になるということか?

 俺のこの、荷物持ちのためだけのスキルが?


 ゴオオオオオオッ……!


 目の前のエンシェントドラゴンが、ついに痺れを切らしたように身じろぎした。

 巨大な顎がゆっくりと開き、その奥に灼熱の炎が渦巻くのが見える。

 ブレスの予備動作だ。

 あれを食らえば、骨も残らない。


 (死ぬ……!)


 恐怖が再び全身を支配する。

 だが、さっきまでとは何かが違った。

 絶望だけの心に、小さな、ほんの小さな光が灯っていた。

 目の前のスキルウィンドウ。

 これが、俺の希望。


 (試すしか……ない!)


 俺は震える手で、地面に転がっていた拳大の石ころを一つ掴んだ。

 これは、ガイアスたちが俺のポーチから中身をぶちまけた時にこぼれた、ただの石ころだ。

 彼らが「ゴミ」だと言って、見向きもしなかったガラクタ。


 (もし、この力が本物なら……!)


 俺は強く念じた。

 ――収納!

 すると、手の中にあった石ころが、何の抵抗もなくフッと消え失せた。

 同時に、俺の意識の中に、確かに「石ころが一つ収納された」という感覚が流れ込んでくる。

 自動整理されたそれは、俺の意思一つでいつでも取り出せる場所に、きちんと収まっていた。


 (いける……!)


 ドラゴンの喉の奥が、太陽のように輝きを増す。

 もう時間がない。


 (目標、ドラゴンの右目……!)

 (俺の、最後の足掻き……!)


 俺は、人生の全てを賭けるように、強く、強く念じた。


 ――射出ッ!!

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