第15話 女の子を知る訓練
高校生の時、俺はとあるクラスの女の子に告白したことがある。今思えばどうしてあの子に告白したのかは忘れてしまったが、たぶんちょっと挨拶を返してもらえたとか、ちょっと親切にしてもらえたとか、そんな理由だったと思う。
「長文のラインで、自分の好きという思いを送ったんです。どうしてそんなことしたか分かんないですけど、好きって感情よりも感謝の方が強かったかも……でも当事者からしたらキモいじゃないですか、よく知らないやつからの長文なんて」
「ほいで?」
相槌を打つ彼女の横顔を窺いながらぼそぼそと俺は口を開いていた。
「それからはよくある話で、そのラインを学年のみんなに拡散されて……身の程知らずのキモいやつ認定されて、無視とか、はぶりとか……悪いのは俺なんだけど、その日からクラスの女子が俺を見る目が変わって、なんか人間として見てなくて、なんていうんだろ? 得体の知れない化け物をみるような、そういう否定的な目。それからなんかきつくて、ずっとひとり……」
どうしてだろう。俺はなぜか高槻都に過去の出来事を喋っていた。
「なんでなん、先生わるないやん」
彼女は拗ねたように唇を尖らせてくれた。
「いや、そういうのいいから」
でも、俺はそういうのは別に良かった。そうやって共感してもらっても、女の子から否定的な視線で見られたことのない人には分からない感覚だから。
「もう先生あきませんよぉ、そんな女の子にモテはることが男の幸せやないで、多様性やん」
「多様性ですか……」
そんなものはちゃんちゃらおかしいのだ。
「幸せの多様性って言ったって男は結局群れでしか生きていけませんよ、時代が変わっても男の幸せなんて、この娘のためなら死んでも構わないって女の子と添い遂げるために命を削ることしかないんです。じゃなかったらどうしてあんなに異世界ハーレム系最強主人公が売れるんですか?」
「そないなことばっかちゃうよ、そうじゃない男の人だってきっとおるよ」
「そうかもしれないけど、だったら俺みたいな男は、女の子から求められなくなった非モテはどうすればいい? 女の子からも、男からも見限られ社会の輪から弾かれた男の気持ちみゃこ先生に分かりますか? 理解できますか? しんどいですよ。耐えられませんよ。今の時代、しずかちゃんはのび太くんを結婚相手に選んでくれない。いつだって、顔と家柄が良いだけのつまらん男に、女の子も、威厳も全部奪われて……不器用で臆病な男はいつまでも幸せにはなれないんだ」
俺は自分でも気がつかないうちに長年胸の中にため込んでいた思いをぶちまけていた。こんな七つも年下のむかつく小娘に、だ。
「分かってるんですよ、そんなことくらい……分かってるんだけど、でも……こんなにも心が苦しい」
あふれた涙が太ももにおちた。
夏の気温にやられた涙は落ちた時は熱いが、すぐに冷たくなって消えてしまう。瞬く間に失われる涙の温度とはうらはらに、人生におけるほんの一瞬の青春に負った傷はいまも俺を苦しめているのだ。
「うぐぅぅ」
もはや声にすらならない。情けない男の嗚咽。
「えいっ!」
それをかき消すように高槻都は俺に寄り添って、あろうことか俺の身体を抱きしめてきた。
「先生、ほらこないしても女の子怖ないやろ。うち先生よりも小柄らやし、力も弱いで、自分よりこないな貧相な身体の人が怖いなんて大嘘やん」
彼女の華奢な腕は俺を強く抱いていた。若槻都の言うとおり自分よりも小柄なのに、どうしてだろう、振り払うことができない。
「でも、しんどかったんやなぁ、ご苦労さん、先生、月見里先生、うちは怖ない、怖ないよ。あなたの味方よぉ、もう泣かんとき。男の子がみっともないで、ほら顔あげ」
彼女は明るくそう言って俺の視線を上げさせた。
「ほら楽になったやろ?」
空気を読まない花火が夜空にはじけ、若槻都の笑顔を照らした。
あぁ、そうか。
俺はこの時妙に納得したのだ。
俺が彼女に絶対勝てない理由が、
「……あの日の復讐をするなら今ですよ」
抱きしめてもらった幸福感と小説で一生勝つことができないと悟ってしまった惨敗感が入り混じって絞り出た言葉がこれだった。
「いえ、そんな気もなくなりました。今の状態の先生にそんな可哀そうなことできません」
「……それじゃあもう離れてください」
俺はあとから追い付いてきた恥ずかしさの感情に耐えられなくなり立ち上がる。雑踏を避けるように薄暗い道を歩きながら、はやくこの場所から逃げたい。そればかり考えていた。
「うち思うんやけど先生はもっと生活を充実させたほうがええ、そうとちがうと才能がもったいないもん」
「そんなこと言われても具体的にどうすればいいんだ」
「……じゃあうちとリハビリしまひょ、月見里先生」
「はい?」
「うちと、女の子を知る訓練をしまひょ」
全身に電流が走る。
「え……いきなり何を?」
予想外の言葉に立ち止まり何も返すことができない。しかし、彼女は自らの胸の膨らみを俺の胸襟に密着させ決して視線を外さなかった。
「そうよ知らないから怖いんや、知っちゃえば怖いことなんてあらへん」
「ほ、本気で言ってます?」
「本気よぉ、そやから本気で訓練するんよ。先生は才能あるもん、いろいろ経験すればきっと名作ができるはずやん」
「……みゃこ先生はそれでいいんですか? 自分の執筆もあるのに、こんな俺なんかのために」
俯きながらの言葉に彼女は数歩前を歩いたあと、振り返って、
「ええよぉ。うちがいろいろ教えたげる」
それからの記憶は曖昧で。彼女と連絡先を交換してあとはひたすら月を眺めて部屋にたどり着いていた。冷静に考えればなぜただのファンである彼女がそこまで世話を焼いてくれるのか、彼女にとってのメリットは分からないが、それでもこの胸の高揚感が収まることはない。しかしそれと同時に言われもない恐怖心も湧き上がってくる。女の子を知るっていったい何をどうすればいいのか、窓の外の景色を意味もなく眺めて頭を抱える。あれだけ書きたかった小説も手につかないほどふわふわしている気持ちを収めるのに今夜も俺はちん〇を握った。
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